JR東海奈良学文化講座 [2012年03月04日(Sun)]
JR東海奈良学文化講座に初めて参加しました。この講座は東京と奈良で開催されていますが、今回(3/3)は、奈良(桜井市「あるぼ〜る」ホール)で、「天香具山の東、古代磐余の地をゆく ー 茶臼山古墳から等彌神社、安倍文殊院へ」と題して開催されました。参加者は約300名(関東からも)。
午前の部は、井上さやか氏(万葉古代学研究所主任研究員)が、「万葉の磐余 ー ”心の系譜”で読み解く」のタイトルで講演されました。昨年末、磐余の池跡の推定地で堤跡が発掘され話題になりましたが、考古学の立場からではなく文学の立場から、まず、『万葉集』に載せられている、大津皇子が処刑される時に、磐余の池の堤で涙を流して作られた歌(*)をとりあげ、磐余の地について解説され、次いで『古事記』、『日本書紀』で「いはれ」の地に宮を置いた天皇の記事にもふれられました(「いはれ」は、記では伊波禮、紀では磐余と表記)。 (*)【歌】百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ (B-416) 【口語訳】(百伝ふ)磐余の池に 泣いている鴨を 今日だけ見て 死んで行くのか (この歌の関連ブログは昨年12/17に掲載)
午後は、齊藤純氏(天理大学文学部教授)の案内で、次のコースを巡りました(約4時間)。 会場→等彌神社→上之宮遺跡→談山神社一の鳥居→上宮寺・春日神社→メスリ山古墳→安倍寺跡→安倍文殊院→石寸(いわれ)山口神社→若櫻神社→桜井駅 各所での説明は人数が多いためFMラジオで聴きました。写真は、桜井茶臼山古墳(4世紀初頭の大型前方後円墳)で説明を聴いている様子です。 上宮寺は、聖徳太子が斑鳩宮に移る前に居られた上宮(かみつみや/じょうぐう)とする説があるようです(本居宣長ほか)。その後上宮寺は、神仏分離以前は隣接する春日神社の神宮寺であったようです。春日神社の境内には、『万葉集』に載せられている、聖徳太子が竜田山の死人を見て悲しんで作られた歌の歌碑が建てられています。 【歌】家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ (B-415) 【口語訳】家にいたら 妻の手を枕とするだろうに (草枕) 旅に出て倒れている この旅人は哀れだ
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katakago
at 19:40
二月堂修二会(お水取り) [2012年03月04日(Sun)]
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katakago
at 13:09