雪の日のタチバナ [2012年03月01日(Thu)]
タチバナの花と万葉歌は、昨年5/24のブログに掲載していますが、今回は今年三度目の雪が降った時(2/27)の写真を掲載します。先に掲載した万葉歌は、 【歌】橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜置けど いや常葉の木 (聖武天皇 E-1009) 【口語訳】橘は 実まで花まで その葉まで 枝に霜が置いてもいよいよ栄える木であるぞ 左注には、葛城王・佐為王らが皇族の地位を辞退して、母方の姓橘氏を継ぐことが認証された時、太上天皇(元正)・聖武天皇・光明皇后がお揃いで皇后の宮においでになり、宴会をして、そこで橘を祝う歌をおつくりになった、とあります。
葛城王らの母は県犬養宿禰三千代で(父は美努王)、後に離婚して藤原不比等の後妻となり(光明子はその間の子)、夫亡き後も後宮で影響力を発揮しました。 『続日本紀』聖武天皇の天平八年(736)11月11日条には、葛城王らが皇族の地位を辞退し橘姓を継ぐことを願い出た上表文の内容が記されています。その中には次のようなことが書かれています。県犬養宿禰三千代は、和同元年(708)11月、元正天皇からその忠誠を賞され、橘を浮かべた杯を賜り、橘宿禰と称することになりました。その時の勅には、「橘は果物の中でも最高のもので、人々の好むものである。枝は霜雪にもめげず繁茂し、葉は寒暑にあっても凋まない。光沢は珠玉とも競うほどである。金や銀に交じり合っても、それに劣らず美しい。このような橘にちなんで汝の姓として橘宿禰を与えよう」とあります。
これにより、葛城王は橘宿禰諸兄を名のり、その後大納言を経て、右大臣、左大臣となり、聖武天皇の恭仁京遷都にも関わりました。『万葉集』にも8首の歌を残しています。
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katakago
at 17:31
万葉植物園の現地講座 [2012年03月01日(Thu)]
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katakago
at 16:00