農作業 小さな助っ人 [2022年04月02日(Sat)]
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「万葉植物画展」の図録 [2022年03月26日(Sat)]
本日より5月18日まで、奈良市の平城宮いざない館で開催中の「万葉植物画展」の図録が完成し、主催者の日本植物画倶楽部より贈って頂きました。俱楽部会員による植物画75点と英国王立キュー植物園招待作品2点および私が担当した万葉歌の解説が掲載されています。

図録の購入は、日本植物画倶楽部のホームページより申し込めます。
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裏山整備ー立ち木の伐採 [2022年03月25日(Fri)]
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久しぶりに孫との再会 [2021年12月31日(Fri)]
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多田神社に玉垣寄進 [2021年11月13日(Sat)]
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五輪塔(木田氏中興塔)移設後の神事 [2021年10月08日(Fri)]
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五輪塔(木田氏中興塔)の移設工事(2) [2021年09月08日(Wed)]
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昆陽寺のスダジイ [2021年08月21日(Sat)]
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朝焼け [2021年08月06日(Fri)]
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五輪塔(木田氏中興塔)の移設工事(1) [2021年07月28日(Wed)]
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多田神社参拝(宝物殿特別公開中) [2021年07月25日(Sun)]
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一年遅れの入学式 [2021年04月05日(Mon)]
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コロナ禍の新年 [2021年01月03日(Sun)]
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万葉植物園が企業のPR誌で紹介 [2020年03月24日(Tue)]
新元号「令和」の出典が『万葉集』であったことより、昨年は新聞(毎日新聞、神戸新聞)にも、私どもの猪名川万葉植物園の取材記事が掲載されましたが、今回、地元の尼崎信用金庫の会報誌「あましん元気Aクラブ ご利用ガイド2020年度」にも取り上げられました。 「〜今だからこそ知りたい古典の世界〜万葉集ゆかりの地を訪ねて 魅力を再発見」の特集企画で、近隣の万葉植物園(春日大社、いなみ野万葉の森、西田公園、大阪市立長居植物園など)や関連施設(奈良県立万葉文化館)とともに紹介されました(企画編集はサンケイリビング新聞社)。誌面では、昨年自費出版した『猪名川万葉植物園だより』もふれられています。この会報誌をきっかけに、万葉歌に詠まれた植物にも関心を寄せていただければと思っています。 掲載された尼崎信用金庫の会報誌「あましん元気Aクラブ」(ご利用ガイド2020年度保存版)の表紙

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朝焼け [2020年01月07日(Tue)]
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正月休みも終わって [2020年01月06日(Mon)]
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年の瀬 [2019年12月31日(Tue)]
令和元年も暮れようとしています。 今年は、新元号「令和」の出典が『万葉集』巻五の梅花の宴の序文であったことより、猪名川万葉植物園にも新聞社などの取材がありました。記事を見て電話やメールでの問い合わせがあり、植物園にも来ていただきました。また、このブログの植物園関連の記事を整理して印刷物としても残すべく昨年夏から取り組んできましたが、ようやく『猪名川万葉植物園だより』として自費出版にこぎつけることが出来ました。来年には、「万葉植物の歌」関係の本が数名の先生方と共著(私は植物写真と万葉植物一覧・コラムを担当)で刊行される予定です。
一昨日から長男の家族が帰省して、4歳になったばかりの孫娘と賑やかに過ごしています。 果樹園のハッサクの木の下で
一番年上の孫娘(長女の上の子)は大学受験を控えています。理系の進路について何度か電話で相談を受けてきましたが、来月のセンター試験と2月の入試では、体調を整え普段の実力が発揮されるよう祈っています。
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平城宮跡のススキ(実はオギ) [2019年12月11日(Wed)]
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神戸新聞に自費出版本の紹介記事 [2019年12月05日(Thu)]
この夏自費出版した『猪名川万葉植物園だより』が今朝の神戸新聞阪神版で紹介されました(写真はその電子版)。早速午前中から問合せの電話を頂いています。 新元号「令和」の出典が『万葉集』巻五の梅花の宴の序文であることより、万葉集関連の出版物も多数目にするようになりました。この本は、歌に詠まれた植物を通して『万葉集』に関心を持っていただくきっかけになればと思っています。
このブログでの紹介記事は次のURL に載せています。 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1536
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写真「焼き場に立つ少年」とフランシスコ教皇 [2019年11月28日(Thu)]
先日(24日)、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が長崎市の爆心地公園を訪れた際、「焼き場に立つ少年」のパネルが掲げられていました。
昨年、世界遺産登録された潜伏キリシタン関連遺産のある五島列島を訪れた際、その写真と裏面にフランシスコ教皇の署名入りのメッセージが書かれたカードをある教会で頂いたのを思い出し、当時の資料の中から探し出せました(次の写真)。

カード裏面の「戦争がもたらすもの」のメッセージには、「亡くなった弟を背負い、焼き場で順番を待つ少年。この写真は、アメリカ占領軍のカメラマン ジョセフ・ロジャー・オダネル氏が原爆後の長崎で撮影したものです。この少年は、血がにじむほど唇を噛み締めて、やり場のない悲しみをあらわしています」と書かれています。フランシスコ教皇は、どんな言葉よりも多くを語るこの写真を皆で分かち合いたいと、このカードの配布を教会関係者に指示されたそうです(2017年末)。
長崎 爆心地公園でのスピーチの一節より 「核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。」
なお、昨年五島列島を訪れた時の記事は次のURLに載せています。 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1426
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「万葉花かるた」を贈って頂きました [2019年11月14日(Thu)]
「大宰府万葉の会」代表の松尾セイ子さんから、「万葉花かるた」を贈って頂きました。 松尾さんは、長年にわたって筑紫で万葉を広める活動をされています。新元号「令和」の出典が『万葉集』巻五の梅花の宴の序文であったことより、そのゆかりの地で活動されている松尾さんには多数の取材があり、大変忙しく過ごされたそうです。先月、石川・富山で開催された「万葉の海を考える会」の行事には松尾さんも参加されており、七尾から伏木に向かう海上クルーズの船上でお話しする機会があり、太宰府市での活動について熱く語っておられました。 松尾さんは、万葉文化を楽しむ一助として「花かるた」を構想され、万葉歌に詠まれた百種の植物を選び、その花絵を幅広い世代の方々(地元の園児や小中学生から各地の万葉ファン)百人に描いてもらって作成されました。当植物園でも、見学会の折に活用させていただこうと思います。

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半年ぶりに孫と過ごす [2019年09月12日(Thu)]
先日長男の家族が帰省し、半年ぶりに孫娘と過ごせました(2泊3日)。この春からは幼稚園の年少クラスですが、毎回、その成長ぶりを見るのが楽しみです。
10年以上前に上の孫達(長女の子)が使っていた補助輪付きの自転車を見つけ、早速乗るのに夢中になっていました。

2日目は涼を求めて、るり渓(京都府)まで車で出かけてきました。 渓流で水遊び

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干しアンズ作り [2019年07月11日(Thu)]
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新元号「令和」の続報(4/1の記事に追加)
[2019年04月10日(Wed)]
新元号「令和」の出典が『万葉集』巻五の梅花歌の序からと発表され、このブログでも取り上げています(次のURL)。 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1496
その後ネット上などで、6世紀に梁の昭明太子によって編纂された文芸集『文選』巻十五の「歸田賦」が話題になっています。そこで、改めて手元にあるいくつかの『万葉集』の注釈書を調べてみました。 新日本古典文学大系『萬葉集』(岩波書店)のこの歌序の語注には、序の冒頭の文、「これは羲之が蘭亭記の開端に、永和九年歳在癸丑、暮春之初会于会稽山陰之蘭亭。脩稧事也(永和九年、歳は癸丑に在り。暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す。筆者注)。この筆法にならへりとみゆ」(代匠記(初稿本))と指摘されている、とあります。この歌序の構成や語句が「蘭亭記」によることは契沖以来の定説のようです(小島憲之著『上代日本文学と中国文学 中』)。さらに、「初春令月氣淑風和」の個所については、『文選』巻十五の「歸田賦」(作者は後漢の張衡)の「仲春令月時和氣C(仲春令月、時和し氣清らかなり)」が引かれていました。このテーマについては、今後、受講している万葉講座でも取り上げられるものと楽しみにしています。 次の写真は該当部分(「歸田賦」)の写真です(国立国会図書館デジタルアーカイブより)。

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万葉植物関連記事を出版物に(見本刷りが完成) [2019年04月02日(Tue)]
このブログで約8年間にわたって発信してきた万葉植物関連記事を印刷物にして、『猪名川万葉植物園だより』として自費出版すべく取り組んできました。この1年間ほど担当者と何度もやり取りしながら、ようやく出版前の見本刷りが出来上がり今日手元に届きました。 これから最後の校正に取り掛かります。可能ならば昨日の記事も加えられればと思っています。令和元年5月中の刊行を目指したいと思っています。
関連記事は次のURL https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1408
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新元号「令和」の出典は『万葉集』 [2019年04月01日(Mon)]
今日発表された新元号「令和」の出典は『万葉集』とのことで早速関連個所を調べてみました。巻五の「梅花の歌三十二首并せて序」の漢文の序から採られています。

写真は『西本願寺本萬葉集』複製(主婦の友社発行、昭和59年6月1日)より。全20巻そろった鎌倉後期の写本。次に、読み下し文と口語訳を掲載しておきます(『新編日本古典文学全集 萬葉集』より)。 梅花の歌三十二首并せて序 天平二年正月十三日に、帥老の宅に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)べたり。 時に、初春の令月にして、気淑く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす。加以(しかのみにあらず)、曙(あさけ)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥は縠(うすもの)に封ぢられて林に迷ふ。庭に新蝶舞ひ、空には故雁帰る。 ここに、天を蓋にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿(ころものくび)を煙霞の外に開く。淡然に自ら放(ゆる)し、快然に自ら足りぬ。 もし翰苑にあらずは、何を以(もち)てか情を攄(の)べむ。請(ねが)はくは落梅の篇を紀(しる)せ、古と今と夫(そ)れ何か異ならむ。園梅を賦して、聊かに短詠を成すべし。 【口語訳】 梅花の歌三十二首と序 天平二年正月十三日(西暦730年太陽暦の2月8日)、大宰帥旅人卿の邸宅に集まって、宴会を開く。 折しも、初春の正月の佳い月で、気は良く風は穏やかである。梅は鏡の前の白粉(おしろい)のように咲き、蘭は匂い袋のように香っている。そればかりではない、夜明けの峰には雲がさしかかり、松はその雲の羅(ベール)をまとって蓋(きぬがさ)をさしかけたように見え、夕方の山の頂には霧がかかって、鳥はその霧の縠(うすぎぬ)に封じ込められて林の中に迷っている。庭には今年生まれた蝶が舞っており、空には去年の雁が帰って行く。 そこで、天を屋根にし地を席(むしろ)にし、互いに膝を近づけ酒杯をまわす。一堂の内では言うことばも忘れるほど楽しくなごやかであり、外の大気に向っては心をくつろがせる。さっぱりとして各自気楽に振舞い、愉快になって各自満ち足りた思いでいる。 もし文筆によらないでは、どうしてこの心の中を述べ尽くすことができようか。諸君よ落梅の詩歌を所望したいが昔も今も風流を愛することには変わりがないのだ。ここに庭の梅を題として、まずは短歌を作りたまえ。 この後、大宰府や九州各地の官人の歌32首が載っています。宴の主人(あるじ)である大宰帥大伴旅人の歌は、 【歌】 我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも (巻五・822) 【口語訳】 わが園に 梅の花が散る (ひさかたの) 天から雪が 流れてくるのだろうか
なお、ウメの写真と梅花の宴については、以前の記事に載せています。 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/274
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今年も孫の成長ぶりが楽しみです [2019年01月05日(Sat)]
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ため池管理者研修会(12/21) [2018年12月22日(Sat)]
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ため池の倒木撤去 [2018年11月16日(Fri)]
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孫娘の七五三参り [2018年11月04日(Sun)]
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台風が過ぎ去って [2018年09月05日(Wed)]
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ブログ記事を出版物に(第二弾) [2018年08月25日(Sat)]
ブログ記事を出版物にする試みとして、2か月前に『わたしの年中行事ー神社・お寺・地元の行事ー』を自費出版しました(三帆舎より発行、Amazon でも取扱しています)。 次作として(こちらが本命ですが)、600以上ある植物園の記事を整理し、『猪名川万葉植物園だより』を自費出版するための準備を進めています。 次の写真は、記事をプリントして年ごとに整理したものです。

先日、制作を依頼している三帆舎より初校ゲラが届きました(次の写真)。

ブログ記事は横書きですが、万葉歌を取り上げるので出版にあたり縦書きに変更しました(このため費用が別途発生)。写真も多数あるためページ数も400ページ以上になってしまいました。先ずは、内容の重複個所や類似写真を取捨選択し、文章と写真のレイアウトも考慮しながら校正に取り組みます。来春の刊行を目指したいと思っています。
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at 11:29
ブログ記事を出版物に [2018年06月29日(Fri)]
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アンズジャムを作ってみました [2018年06月09日(Sat)]
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at 18:02
連休を孫と過ごして [2018年05月07日(Mon)]
今年の連休は、高二と中三の孫娘は部活で忙しかったようです。一番下の二歳になった孫娘が帰って来てくれたので、連休後半を一緒に過ごしました。畑で遊んだり、猪名川町の公園や妙見山にも出かけました。 畑では、ちょうどイチゴやサクランボ(暖地桜桃)が収穫時期を迎えていたので良かったです。 サクランボは大変気に入ったようです。種も上手に出して食べていました。 サクランボを採るのに夢中になっていました。

猪名川町の公園では元気に走り回っていました。

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裏山の竹伐採 [2018年03月15日(Thu)]
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ケヤキの大木の枝伐り作業 [2018年03月08日(Thu)]
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裏山での古木伐採作業 [2018年03月06日(Tue)]
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古木伐採の前にお祓い [2018年02月27日(Tue)]
昨年秋の超大型台風の折りには、裏山の五輪塔そばのアラカシの枝が折れて隣家に被害が出ましたが、その木を業者に伐採してもらうのに先立ち、昨日、多田神社の神官にお祓いをしてもらいました。 祝詞の奏上

木の前には台を置いて、塩・米・水・酒を三宝に載せてお供えしました。 神官が持参した砂をまき、次いでお供えしたお酒などを木の周りにまきました。

来月には伐採してもらえる予定です。
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at 09:23
新たな史料を発見 [2018年02月04日(Sun)]
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at 14:02
賑やかに過ごしたお正月 [2018年01月05日(Fri)]
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平成30年元旦 [2018年01月01日(Mon)]
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年の暮れー長男の家族と共に [2017年12月31日(Sun)]
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ため池での水難事故防止パネル増設 [2017年12月26日(Tue)]
10月の台風で被害のあった岩坂池での修復工事関連の現場打ち合わせに通う途中、赤坂池(管理しているため池では最大)もこの2ヶ月で7度巡回することになりました。この間、休日にはフェンスを乗り越えて釣をする子供を何度か見かけ注意してきました。既に立ち入り禁止のパネルを何か所かに設置していますが、今日から冬休みに入ることもあり、赤坂池の長い堰堤のフェンスに注意喚起のパネルを増やして設置しました。 新しく設置したパネル

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ため池管理の出前講座 [2017年12月23日(Sat)]
昨日、兵庫県阪神農林振興事務所農村整備課(担当 國政主査)にお願いして、「ため池の点検と保全管理」についての出前講義をしていただきました。先月末、ため池管理者(地元水利組合長)として研修会に参加しましたが、その内容を組合員一人ひとりにも聴いてもらって今後の取り組みに活かしてもらうのが目的です。平日の為組合員12名中8名が参加しました。 県に届け出ている特定ため池(3つ)のうち、取水施設(底樋)が機能するか不明となっている池や、先の台風(10月22日)で被害が発生したため池(堤体の修復工事はほぼ終了)もあり、ため池管理は当組合にとって大きな関心事です。 お話の中では、今春発生した三田市のため池決壊事故にも触れられました。約40年以上使用されていなかった(そのため点検・管理も行われず管理者も不明)ため池が、降雨でも地震によるわけでもなく、長年の浸食により崩壊したとの事例を知ると、農地の減少(農業用水としての需要の減少)や後継者不足による組合員の高齢化などもあり、今後も3つの池を維持管理し続けることが出来るか不安になります。一部のため池については廃池も選択肢に考える時期かと思っています。
同じ日に、道路に面した水路の入り口(矢問3丁目)に転落防止のための安全扉が取り付けられました(地元自治会の要望により市道路管理課が設置)。

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猪名川の開削工事 [2017年12月20日(Wed)]
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スーパームーン [2017年12月05日(Tue)]
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台風の後片付け [2017年11月01日(Wed)]
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台風21号による被害 [2017年10月23日(Mon)]
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両親の法事 [2017年10月09日(Mon)]
昨日は、両親の法事を縁あって岡本寺(こうほうんじ)のご住職にお願いして執り行うことが出来ました。母の十三回忌、父の二十三回忌(予修)の法要です。私の50代前半に父が亡くなった後は、母は一人暮らしとなったため定年を待たず早期退職して実家に戻りましたが、3年後に見送ることになりました。 今回は、妹夫婦や子供たちと孫だけの身内が参加して、立派な本堂で心のこもった法要をしていただけました。住職の読経に合わせて、参列者も「摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)」、「修証義(しゅしょうぎ)」のお経を唱えました(一緒にお経を唱えることが供養になる)。 法要が終わって後の法話では、白板に板書しながら「四苦八苦」や「輪廻転生」の話などをやさしい言葉で話されました。中・高生の孫たちにとっても印象深い場となったのではと思っています(焼香の作法などで緊張していたようですが)。 なお、今回の法事に先立ち一昨年自費出版した『木田家のルーツを尋ねる―石碑の銘文に導かれてー』も、亡き両親への供養になったかなと思っています。
法話の様子

板書の拡大

今回の法要で唱えたお経の「修証義」は、曹洞宗開祖道元禅師の『正法眼蔵』を中心に引用し、明治23年に編纂されたもので、日本語による分かり易い経典と言われています(住職によれば何回か読むうちに意味が理解できるとのこと)。このお経について、当日興味をひかれた「第四章 発願利生(ほつがんりしょう)」のところを改めて見てみました。 「菩提心を発(おこ)すというは、己(おの)れ未だ度(わた)らざる前(さき)に一切衆生を度さんと発願し営むなり、(中略) 衆生を利益(りやく)すというは四枚(しまい)の般若(はんにゃ)あり、一者(ひとつには)布施、二者愛語、三者利行(りぎょう)、四者同事(どうじ)、これ則ち薩埵(さった)の行願(ぎょうがん)なり、・・・・・」と説かれています。 その口語訳(貞昌院ホームページより)で見ると、最初に「ほとけ心に目覚めた生き方をするということは、自分本位の心を捨て、人のため世のため、生きとし生けるもの全てのもののために尽くすという誓願を起こし実践することである」とあり、「世の中の衆生を利益するために、四つの大切な法(おしえ)がある。その一つは布施、二つは愛語、三つは利行、四つは同事である」と続きます。 第一の布施は心清浄にして欲の汚れを離れること、第二の愛語は慈悲・慈愛の心ですべての衆生に語りかけること、第三の利行は平等に他を利益するための良き手立てを廻らすこと、第四の同事は自己の本心に背かず相手の立場を犯すことなく共在調和・円融無碍の作用をすること」と説かれています。
近年仏教界は葬式仏教などと揶揄され、荒廃する寺院も多くなっていますが、本来は「人はいかに生きるべきか」を導く役割を担っていると思います。今回の法事を機に、上述の自費出版本でも触れた白隠禅師(臨済宗中興の祖、江戸期の先祖の一人が信奉した)の教え(四弘誓願の実践が強調されていた)についても読み直してみようと思います。
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太陽光発電ようやく運転開始 [2017年08月29日(Tue)]
今春、屋根と外壁塗装工事に合わせて太陽光発電設備を設置しました(写真の東面のほか、南、西の三面にパネルを設置)。工事は4月中旬に終了していましたが、経産省資源エネルギー庁による設備審査に予想外の時間を要し、設備認定の連絡を受けたのが先月下旬で、先週末に関西電力のメーター交換が行われ、昨日、ようやく運転開始となりました。 当初は、工事終了後遅くても一月くらいで運転を開始できるものと思っていましたが、この四月から審査が厳しくなったようです。電子申請のため、この間何度かメールでの指示により、「再生可能エネルギー電子申請」のマイページにログインして確認・承認という面倒な操作を強いられました。どうして審査にこんなに時間がかかるのか、施工業者に尋ねても納得のいく返事は聞けません。再生可能エネルギーに対する国の政策変更(「固定価格買い取り制度(FIT)」を見直す改正法の4月施行)と関連があるのかもしれません。
運転開始後のパネル(12時24分) 左から発電、消費、売電の数値が表示されます(単位はkw)

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転作確認の立ち合い [2017年07月11日(Tue)]
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田植えの季節 [2017年06月10日(Sat)]
今朝はお隣の田んぼで田植えが行われていました。地元でイネを栽培する農家も減ってきています(生産組合員の半数ほど)。
午後は、猪名川万葉の会(代表野々村さん)主催の万葉講座が猪名川中央公民館視聴覚ホールで開催され出かけました。終了後、宝塚から参加されていた知人を植物園にお誘いし、今が見頃の草花を楽しんでもらいました。

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連休を孫たちと過ごして [2017年05月07日(Sun)]
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孫を訪ねて鳥取へ [2017年03月20日(Mon)]
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奈良ホテルでの結婚式 [2017年01月21日(Sat)]
今日は親戚の結婚式が奈良ホテルであり出席しました(新婦は妻の姪)。久しぶりにお目出度い行事に参加できて、私達もとても幸せな気分に浸ることが出来ました。お二人のご多幸をお祈りします。
アインシュタイン博士が弾いたピアノの置かれた控室で祝電に目を通す新郎新婦

奈良ホテル館内には、著名な画家の画や由緒ある調度品が飾られています(写真撮影はOKでした)。上村松園の画「花嫁」が本館玄関を入って右側の鳥居とマントルピースの左上に飾られていました。

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新年のご挨拶 [2017年01月01日(Sun)]
今年も、猪名川万葉植物園に来て下さる方があるのを励みに、日々の栽培管理に努めてまいります。また、カルチャーセンターでの万葉講座受講や故地探訪も継続したいと思っています。
孫の成長を一年でも長く見届けられるよう、健康には充分留意しなければと思っています。
自力で立ち上がれてしたり顔の孫娘

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賑やかな年の瀬 [2016年12月31日(Sat)]
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テレビ電話で孫と対面 [2016年11月20日(Sun)]
今日初めて、インターネットのテレビ電話で2ヶ月ぶりに孫と対面できました。写真や動画は折に触れ送ってもらっていますが、お互いに画面を見ながら対話できるのは素晴らしい事です。 間もなく生後11ヶ月で、正月には帰省するとのことで今から楽しみにしています。

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吊るし柿 [2016年10月21日(Fri)]
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鳥取の孫を訪ねて [2016年09月21日(Wed)]
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腹腔鏡下胆嚢摘出手術 [2016年07月25日(Mon)]
この度、胆嚢結石を除くため胆嚢摘出手術をうけ、一昨日(7/23)退院しました。写真右は摘出された結石(径1.5cmほど)。

今年になって腹部に違和感を覚えるようになりました。実は数年前の人間ドックでは、腹部エコーで胆嚢に結石のあることが分かっており、以後、かかりつけ医で腹部エコーによる経過観察を続けていました。結石があっても一生症状もなく終える人もあれば、突然の発作に見舞われることもあるとのことです。そこでこの際思いきって胆嚢摘出手術を受けることを決断し、近くの総合病院の専門医を紹介してもらいました。先月から、各種検査(X線、血液検査(含む腫瘍マーカー)、腹部エコー、胆道造影CTなど)を経て、この7月20日に腹腔鏡下胆嚢摘出手術をうけました。術前の説明では、症状(癒着や炎症で剥離困難、胆管結石を合併、胆嚢癌を合併など)によっては開腹手術に移行する場合もあるとのことでしたが、幸い当初予定の腹腔鏡下手術で短時間(2時間弱)で終わりました。手術後3日目の早期に退院することができました。 これでいつ起こるか分からない胆石症の発作を心配することなく、いろんな行事にも積極的に取り組めるものと思っています。
9月初旬には、あるセミナーでの講演(万葉歌に詠まれた植物について)を依頼されており、使用するパワーポイント作成と配布資料の準備に取り掛かっています。この準備作業もなかなか楽しいものです。 このほか、9月中旬の「全国万葉フォーラムin鞆の浦」、10月の萬葉学会全国大会(奈良大学)、11月の瀬戸内海文化を考える会の「壱岐・対馬の旅」も今から楽しみです。
気がかりなことは、当面農作業は控えることになるので雑草管理です。当分の間、畔の草刈りなどは業者に依頼しなければと考えています(入院中の蓮池の水管理は妻に頼んでいました)。 また、尺八の練習もお盆が終わるころまでは控えるようにとの医者の指示がありました。12月の定期演奏会に向け、2曲(本曲 八千代と千鳥の曲)を暗譜で演奏するため、毎週の尺八講座で練習中ですが、当分はCDを聴きながら過ごすことになります。 先週から欠席していたカルチャーセンターの講座も、来週あたりから出かけられればと思っています。
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高校同窓会(第11回銀杏会) [2016年06月18日(Sat)]
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鳥取の孫を訪ねて [2016年05月22日(Sun)]
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京の禅寺を訪ねて [2016年05月13日(Fri)]
京都では先月から、臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念の行事として、京都国立博物館の「禅―心をかたちにー」の特別展や、禅寺の65ヶ所で一斉拝観が実施されています。 特別展では白隠禅師関連で5/3から作品の入れ替えがあり、それを見るのと併せてこれまで訪れたことの無かった妙心寺を拝観しました(5/11)。 妙心寺は、建武4年(1337)に花園法皇が離宮を禅寺にあらため無相大師(関山慧玄)を開山に迎えたのが始まりで、臨済宗妙心寺派の大本山(46の塔頭を持つ京都最大の禅寺)で、末寺は3400ケ寺余りに上るとのこと。自費出版本で取り上げている木田院碑のある大仙寺や智嶽玄性居士の碑のある潮音寺は、この妙心寺派のお寺にあたります。 特別公開の三門(さんもん)桜上では、観音菩薩像を中心に十六羅漢像が安置され、天井には天女や飛龍・楽器などが極彩色で描かれた荘厳な空間を拝観出来ました。 妙心寺法堂(はっとう)では、天井の円相内(直径12mとのこと)に描かれた狩野探幽法眼守信筆の雲龍の図を見学しました(右入り口から左回りに上を見上げて歩くと龍が舞いあがって行くように見えます)。禅宗の法堂の天井は、板が一面に張られた平たい天井で鏡天井ともいわれ、そこには必ず丸龍が描かれるならわしがあるそうです(龍は古来より仏法を守護する瑞獣とされている)。 妙心寺法堂(はっとう)

先月に続き訪れた京都国立博物館では、入れ替えのあった白隠関係の展示(「富士大名行列図」(大分・自性寺蔵)や達磨像(静岡・清見寺蔵)など)を観覧できました。
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能勢妙見の森の植物観察
[2016年04月15日(Fri)]
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春の京都を散策 [2016年03月16日(Wed)]
所用のため京都市東山区の浄土宗総務局まで出かけたついでに、近くを散策して来ました。 今日はすぐ傍の華頂大学の卒業式にあたり、華やかな袴姿の集団を目にしました。 知恩院にお参りして、妻の足を気遣いながら、円山公園、八坂神社、清水寺あたりまで歩きました(二人で京都に出かけたのは1年ぶりです)。
総本山知恩院

知恩院の御朱印 左の御朱印には御詠歌が書かれています。以下は、御朱印の説明文より引用。 【歌】 草も木も 枯れたる野辺に ただひとり 松のみ残る 弥陀の本願 【訳】 草木が枯れてしまった野原に、 唯一常盤の緑を誇っている松は、阿弥陀の本願のようです (阿弥陀如来は全ての衆生の救済を願われ、長い修業の末その誓いをついに実現された)

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孫娘のお宮参り [2016年03月03日(Thu)]
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浪華(なにわ)ぶらり散歩 [2016年02月20日(Sat)]
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新年のご挨拶 [2016年01月01日(Fri)]
 (写真は今年の年賀状から) 午前中、地元のお寺(瀧門寺)の修正会(しゅしょうえ)にお参りした後、多田神社に参拝しました。毎年の恒例になっています。 午後から、中山寺にもお参りしました。昨年夏の戌の日に安産祈願にお参りしましたが、昨年末に無事誕生し(3人目の孫)、晴れがましい気分でお礼の報告も出来ました。
中山寺の山門

山門から本堂に続く参拝の人波

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長男夫婦に待望の赤ちゃん誕生 [2015年12月30日(Wed)]
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初校ゲラに取り組んでいます [2015年07月27日(Mon)]
年初から準備を始めていた『木田家のルーツを尋ねる―石碑の銘文に導かれてー』(朝日カルチャーセンターから自費出版)の初校ゲラが届き、その対応に追われています。集中して取り組む必要があるのですが、早朝と夕方の農作業(この時期は主に雑草管理)は手を抜けず、日中にエアコンの効いた部屋で取り組んでいます。初校段階では追加修正も出来るので、先日は岐阜市に出かけ図書館で関連図書(『岐阜市史』ほか)を調べなおしたり、今日は潮音寺を訪問してあらためて資料を確認させてもらいました。 引用、参考にした書籍(一次資料は図書館や博物館から掲載許可をとりました)

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古稀を祝ってもらいました [2015年05月06日(Wed)]
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訳注『白隠和尚 荊叢毒蘂』を入手 [2015年05月01日(Fri)]
芳澤勝弘先生(花園大学国際禅学研究所教授・副所長)が長年取り組んでこられた『白隠和尚 荊叢毒蘂』の完全訓注と現代語訳が完成しこのほど刊行されました。注文していた本がようやく今日手元に届きました。 この本(巻第七)には、大仙寺にある木田院碑の銘文が全文載せられています。 次の写真はそのページのはじめ

関連記事は、 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/879
この木田院碑がきっかけで、『木田家のル ー ツを尋ねるー石碑の銘文に導かれて ー』(仮題)の原稿を書き始めています(自費出版予定)。目次は次のとおりです。 1.木田氏中興塔の銘文 2.大仙寺木田院碑の銘文 3.潮音寺石碑の銘文 4.木田氏の系譜 ‐ 武家の時代、商家の時代 5.大坂での商い ‐ 両替商としての鉄屋と川崎屋 6.白隠禅師と木田種重
木田種重(鉄屋庄左衛門)は、白隠を信奉し参禅していたようで、木田院碑の銘文も白隠に依頼しており、『荊叢毒蘂』の刊行にも寄与したとみられています。芳澤先生には昨年夏に、木田院碑の訓注と現代語訳はご教示いただいていますが、あらためて、ご著書の関連部分(解説も含め)を読みなおし、原稿を書き終えたいと思っています。
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都をどりを観覧 [2015年04月10日(Fri)]
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川西市のエドヒガン [2015年04月04日(Sat)]
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系図を読み解く [2015年01月31日(Sat)]
これまで何度か取り上げている大仙寺木田院碑の前半には、「木田氏は清和源氏源満仲の流れをくみ(弟の満政の時から)、摂津多田郷に在ったが、承久年間の重長の時代に将軍頼経に従って軍功あり、美濃守に任ぜられ美濃木田庄を領し、ここに木田氏が始まった」とあります。 実家に伝わる木田太右衛門家の系図(木田中村之系図と満仲から始まる木田中村之本系図 略傳の二巻)によれば、木田三郎重長(鎮守府将軍従四位下山田治部太輔満政から数えて六代の出羽守従五位重遠三男、濃州東有武郷木田を領す)から始まって、応仁の乱の頃、木田又三郎義且の時に摂州多田庄に帰り塩川氏に仕えたとあります。この系図の奥書によれば、神保元仲の校正で正徳元年(1711)に作成されています。ちなみに、慶応元年(1865)にこの系図を写したものが名古屋大学図書館に所蔵されています。 写真は木田中村之系図の最初の部分

上記大仙寺の木田院碑の銘文は宝暦八年(1758)に、白隠禅師によって書かれたものですが、木田氏来歴の個所はこの系図に拠っているものと思われます。その銘文は続けて善氏の時には武士をやめ帰農し現在の多田神社の近くに居を構えたとあり、さらに重躬の代には浪華に移り商業を始めて成功したとあります(鉄屋庄左衛門と称し両替商を営む)。
この系図作成時期に近い時代の系譜(正しく記載されている可能性が高いと思われる)に注目し、17世紀から18世紀初めの江戸時代の人物について、大仙寺木田院碑や潮音寺(川西市東多田)石碑に登場する人物と照らし合わせることを試みています。 以下は特にこれまでつながりが明らかでなかった、潮音寺石碑に関わる人物関係を系図の最後の部分で辿ってみました(次の写真参照)。

潮音寺石碑の銘文には、中村源左衛門(摂州東多田村の人)が叔父の木田高吉(大坂に開いた舖が川崎屋)のもとで働くことになったが、天和三年(1683)十二月六日長崎へ向かう船の海難事故で亡くなった状況(碑文では人柱となったとある)や、生前の業績を称え顕彰する内容が刻まれています。ちなみに潮音寺はこの源左衛門を開基として建てられたお寺で、この石碑はお寺の説明によると、安永三年(1774)に、川崎屋五代目当主の木田徳蔵知義が功徳主として、その縁者代表として中村作右衛門為重が世話役となって立てられたそうです(石碑の最後に木田知義立石とある)。 上記の系図で、初代鉄屋(庄右衛門尉)を推定し、初代川崎屋の木田高吉(系図では四郎右衛門尉高吉)とその姉に当たる女(中村五郎兵衛妻、作右衛門母)を見つけることが出来ました。中村源左衛門は中村五郎兵衛の子であることより、高吉と叔父・甥の関係であることが明らかとなりました(川崎屋五代目の木田徳蔵知義はこの時点では未記入)。なお、中村家の系譜については、地元郷土史研究家の中西顕三氏が過去帳や墓碑銘などから作成されたものを参考にさせてもらいました。また、潮音寺の先代住職夫人や中村家の子孫の方からも貴重な情報を頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。
同じ頃に大坂へ出て商業を始めた鉄屋と川崎屋は、明和年間(1764〜1771)に川崎屋徳蔵が十人両替となり、安永七年(1778)に木田重寛が、天明元年(1781)には川崎屋三右衛門が十人両替となっています。寛政八年(1796)には木田重厚が十人両替となっています。延享年間(1744〜1747)の調べでは、当時大坂には両替仲間と称されるものが660人、このうち本両替屋24人、更に十人衆と唱え幕府に対し表御用を勤めるもの8名がいたようです。(『大阪商業史料集成 第四輯』「両替屋雑記」より)。
十人両替については参考までに『日本大百科全書(ニッポニカ)』の解説を引用しておきます。 「江戸時代、大坂の両替商(本両替、南両替、銭両替)を統制するため、本両替仲間の行司から選任され、公用を勤めた代表的両替商。1662年(寛文二年)幕府が初めて小判の買い入れを天王寺屋五兵衛ほか2名の両替屋に命じ、1670年、鴻池、平野屋などを加えてその数が10名となったことから呼称されるようになった。しかし、10名は定数ではなく、7名ないし5名に減少した時期もあった。大坂を中心とした手形取引の統制や金銭相場の監督、本両替中の取り締まりを主業務としたが、幕府御用金調達には大きな役割を果たした。その選任は大坂町奉行が行い、報酬として帯刀が許され、家役が免ぜられた。」(岩橋 勝)
これまでの関連記事 ・大仙寺の木田院碑 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/783 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/836 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/879 ・両替商 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/939 ・潮音寺の石碑 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/944
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サントリー山崎蒸留所見学 [2015年01月20日(Tue)]
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紅花染め(続)− 染色工程を踏まえて詠まれた万葉歌 [2015年01月18日(Sun)]
先週行った紅花染めの液が残っていたので、布の種類を取りそろえてあらためて染色を行ってみました。上の写真の左(上、下)は製品の異なる絹の布、右は木綿のガーゼマフラー(上)と木綿の布(下)。染色は一回だけの操作で木綿の方がよく染まりました。絹を濃く染めるには染液を取り替えて何度も染める必要があるようです(次回に挑戦)。 万葉歌にはベニバナは、くれなゐ(原文は紅・呉藍などと表記)として29首詠まれていますが、そのなかで染色工程を踏まえて詠まれたと思われる歌があるのでいくつか載せておきます。 【歌】 紅の 深染めの衣 下に着て 上に取り着ば 言なさむかも (F-1313) 【口語訳】 紅花の 濃染(こぞ)めの衣を 下に着て あとで上に取り着たら 人がとかくうわさするだろうな 巻七の譬喩歌「衣に寄する」にある歌で、「紅の深染めの衣」は入念に深い色に染め上げた紅花染めの衣で艶麗な女性を譬え、「上に取り着なば」は世間に公にして結婚したら、の意を表すと解されています。
【歌】 紅の 八入の衣 朝な朝な なれはすれども いやめづらしも (J-2623) 【口語訳】 紅の 八入に染めた衣のように 朝ごとに馴れてきたが ますますかわいい 巻十一の寄物陳思(物に寄せて思ひを陳ぶる)歌で、「八入(やしほ)の衣」は、何回も繰り返して染めあげた衣で、入(しほ)は、染色の際色が濃くなるように染液に衣を浸す回数。上二句は、逢うたびごとに愛情の濃さが増すことの比喩の序(『新編日本古典文学全集 萬葉集』より)。
【歌】 紅の 深染めの衣 色深く 染みにしかばか 忘れかねつる (J-2624) 【口語訳】 紅の 濃染めの衣のように 濃い色に 心にしみ込んだせいか 忘れられなくなった ここでは紅花染めの染料が衣に染み込むように、相手が自分の心に深く入ったと詠まれています。
【歌】 紅の 深染めの衣を 下に着ば 人の見らくに にほひ出むかも (J-2828) 【口語訳】 紅の 濃い染めの衣を 下に着たら 人が見ている所で 赤く透けて見えはしないだろうか 譬喩歌で、『萬葉集釈注』では、「紅の深染めの衣」は美しい女を、「下に着る」にその女とひそかに契りを結ぶことを譬えて、そのことが挙動におのずから現れるのを懸念している、と解説されています。
ベニバナの赤色色素(カルタミン)を取り出す前に水で溶出される水溶性の黄色色素(サフラワーイエロー)でも染色してみました(写真の左上下が絹、右が木綿のガーゼマフラー)。

こちらも素材によって染まり具合が異なりました。
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at 17:53
孫娘と紅花染めに挑戦 [2015年01月11日(Sun)]
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五輪塔(木田氏中興塔)拓本の軸装完成 [2015年01月10日(Sat)]
昨年11月23日に採拓したのを軸装に依頼していたものが完成しました。正面の「木田氏中興塔」と右側面の碑文を併せて一本の軸としました。 碑文の原書は伝わっていないのですが、慶応元年(1865)に写されたものが、現在、名古屋大学付属図書館に所蔵されていることが分かりました(実家に伝わる「木田中村之系図・木田中村之本系図」の写しと一緒に所蔵。こちらがメインの文書)。昨年末そのコピーを送ってもらいました。 拓本からは、この五輪塔の建立者は、木田新左衛門重規と読めるのですが、写しのコピーでは木田新左衛門重親となっていました(写し間違いか?)。この塔は寛政二年(1790)十二月の建立で、この時期の木田家に関わる人物を他の資料から探し出せればと思っています。
昨春、大仙寺の木田院碑を見つけることが出来て以来、その碑文を頼りに祖先に関わる資料を収集してきました。今年はこれまでの知見をまとめて次の世代に残せればと思っています。とりあえず本の題名と目次を考えてみました。 『木田家のルーツを尋ねる ー 石碑の銘文に導かれて ー 』 目次 はじめに 木田氏中興塔の銘文 木田院碑(大仙寺)の銘文 木田氏の系譜 大坂の両替商 鉄屋庄左衛門 白隠禅師と木田種重 潮音寺の碑文 資料編
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木田氏ゆかりの寺を訪ねて [2015年01月04日(Sun)]
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箕面(みのお)の紅葉 [2014年11月30日(Sun)]
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五輪塔の拓本 [2014年11月23日(Sun)]
穏やかな秋の休日(カルチャーもお休み)を利用して、裏山にある五輪塔の採拓に取り組みました。この五輪塔はその側面に刻まれた碑文から、大仙寺にある木田院碑を見つけるきっかけになったものです。以前にも拓本を採ったことがありますが、5月に行った木田院碑の採拓の際、大橋さんに実地に教えていただいたこともあり、又、たくさん画仙紙を送っていただいていたので、あらためて行ってみました。 正面には、木田氏中興塔と書かれ、上部左右には家紋(片連銭回三並)が配置されています。右側面の碑文(次の写真)と併せ、軸装にするつもりです。

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60周年と100周年 [2014年11月20日(Thu)]
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『壁畫 阿騎野の朝』を入手 [2014年11月15日(Sat)]
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矢問川の河川改修工事もほぼ終了 [2014年10月17日(Fri)]
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月下美人 続報 [2014年09月23日(Tue)]
今朝掲載した月下美人の残りの蕾(7個)も、午後9時頃には全て開花しました。 株全体の様子(右端は昨夜開花したもの)

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at 21:26
月下美人が咲きました [2014年09月23日(Tue)]
昨夜(9/22)、月下美人が咲きました。今年は珍しく二度目の開花で、しかも今回は一株に8個の蕾を付けており、そのうちの一つです。 今朝の様子(開花したものと7個の蕾)

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木田院碑拓本の表装完成 [2014年08月31日(Sun)]
大仙寺(大阪市中央区谷町9丁目5-6)にある木田院碑拓本の表装が出来上がりました。早速床の間に掛けてみました。


木田院碑に関するこれまでの記事は下記のURLに載せています。 大仙寺にある石碑を探し当てた経緯について ↓ https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/783
木田院碑文について ↓ https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/879 そこでふれたように、この碑文全文が掲載されている白隠語録『荊叢毒蘂(けいそうどくずい)』の全訳注が芳澤勝弘先生(花園大学教授)により近く出版されることになっています。詳細はその時点で取り上げるとして、ここでは、『別冊太陽 白隠 ー 衆生本来仏なり』(2013.1.14発行)で、芳澤先生が書かれている「白隠の言葉」より、以下の個所(碑文の後半部分にあたる)を引用させていただきました。 『荊叢毒蘂』「木田院碑」には「小を得て満足してはならない。修行が進めば進むほど、さらに研鑽せねばならない。永遠の四弘誓願の精神によって、生きとし生けるものを救済せよ。それを菩提心というのだ。いくら仏教の深奥を学びつくし、万善を行じつくしても、菩提心がなければ、最終的には魔道に落ちるのである」とのべる。 参考までに、四弘誓願(しぐせいがん)について、同じく芳澤先生が同書の「白隠の禅とは」に書かれているのを掲載させていただきます。 一、衆生は無辺なれども、誓って度(すく)わんことを願う。 二、煩悩は無尽なれども、誓って断たんことを願う。 三、法門は無量なれども、誓って学ばんことを願う。 四、仏道は無上なれども、誓って成ぜんことを願う。 芳澤先生によれば、白隠が最終的に求めたものは、悟りを求めるとともに、他者をも救っていこうとする「菩提心」であり、その精神を表したものが、すべての仏教でいわれるところの「四弘誓願」である、とあります。 現在の我が家の宗派は浄土宗で、この四弘誓願も檀信徒勤行経典のなかの總願偈(そうがんげ)にでておりこれまで唱えては来ましたが、その意味するところについて深く考えることもありませんでした。これを機にあらためてその教えを考えてみたいと思います。
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市内まち歩き冊子に植物園も掲載 [2014年08月16日(Sat)]
このたび「NPO法人川西再発見」により『川西ええとこ絵図~まち歩きのおともに~』が発行されました(2014年7月)。これまでの活動をとおして集められた市内の歴史・文化・自然などを、子どもたちや次世代に伝えてゆく想いも込められています。
7つのコース毎に地図と散策ルート・写真入りで見学地の説明等が掲載されています。そのうち「清和源氏発祥の地・多田周辺」の個所で、近くの見所の一つに私どもの猪名川万葉植物園もとりあげてくださいました。

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大仙寺の木田院碑文について [2014年08月10日(Sun)]
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大仙寺石碑の拓本 その後 [2014年07月27日(Sun)]
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高校卒業50年、プレ古希の集い [2014年05月31日(Sat)]
豊高16期の同窓会(銀杏会)が宝塚ホテルで開催され出席しました。今回は10回目で、卒業して50年目に当たり、「プレ古希の集い」として開催されました。当時9クラス(A〜I組)あり、今回は来賓として恩師お二人(数学の藤上先生と保健体育の丸岡先生)を迎えて80名が出席しました(物故者は既に32名とのこと)。
C組の出席者(10名) この写真はA組のF君に撮ってもらいました。

クラス別紹介では、クラス毎に出席者が各自の近況を報告しました。私は万葉植物園の宣伝もしておきました(関心のありそうな人にはパンフレットも配布)。
会の終わりに全員で校歌斉唱

豊高は2021年に創立100周年(旧制中学から数えて)を迎えますが、校歌は北原白秋作歌、山田耕筰作曲であり、今日の記念にここに掲載しておきます。 1 輝け 風と光 清明なんぞ 白き我が校 千里の連丘 空あり とこしへ 我等 我等 声に呼ばむ 質実剛健 これ我が精神 豊中 豊中 声に呼ばむ 2 燃え立て 人と緑 生々なんぞ 若き我が校 力ぞ誠実 友あり 競へり 杉よ 銀杏 眉をあげむ 協同進取ぞ 亦我が信念 豊中 豊中 眉をあげむ
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大仙寺石碑の拓本採り [2014年05月23日(Fri)]
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甥の結婚式 [2014年03月31日(Mon)]
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先祖の来歴を記す石碑を探し当てました(大仙寺境内で) [2014年03月13日(Thu)]
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「春琴抄」― 菊原琴治(筝曲)と谷崎潤一郎(小説) [2014年03月08日(Sat)]
芦屋の朝日カルチャー尺八教室で、「春琴抄」を練習しています。作曲(筝・三絃)は菊原琴治(1878−1944)で作詩は佐藤春夫です。写真は尺八楽譜「春琴抄」の1ページ目と小説『春琴抄』のカバーです。

佐藤春夫作詩の歌の部分は次の通りです。 丘に来て 朗らかになくや うぐひす 在りし日の 谷間の雪に まじゑたる 凍る 涙は 知る人ぞ知る
『春琴抄』は谷崎潤一郎(1886−1965)が昭和八年(1933)に、大阪の道修町を舞台に、薬種問屋の娘で盲目の音曲師春琴と、彼女に献身的に尽くす弟子の佐助との関係を描いた作品です。今回文庫本を手に入れて読むとともに、谷崎潤一郎記念館(芦屋市)や舞台になった道修町も訪ねてみました。
菊原琴治(盲人の地歌箏曲家)と谷崎潤一郎との関係については、三島佑一氏(四天王寺国際仏教大学教授)によると、娘の菊原初子に手を引かれて岡本梅ケ谷の谷崎邸に三味線の出稽古に通ったとのことです(その父娘のことが作品に生かされているという)。芦屋の記念館には愛用の京三味線が展示されていました。 「春琴抄」の作曲は小説が発表されて二年後の昭和十年秋です(筝曲楽譜より。三絃楽譜では昭和九年十二月になっています)。佐藤春夫作詩の歌には、”うぐひす”が詠まれていますが、小説の中では主人公春琴が鶯を飼いその鳴き声を楽しむ場面があります。 余談ですが、昭和五年(1930)に谷崎は奥さんの千代と離婚し、佐藤春夫はその千代と結婚しています(妻譲渡事件として当時の新聞記事になっている)。 大阪市中央区道修町にある少彦名神社(御祭神は少彦名命、日本の薬祖神)の社務所ビル3階には「くすりの道修町資料館」があり、くすりの町、道修町の歴史がわかる展示がされています。テーマ展示の一角に、道修町を舞台にした谷崎潤一郎の小説『春琴抄』のコーナーがあり、その複製原稿や岡本の自宅で三味線を弾く(昭和3〜4年ころ)写真も展示されていました。 このビルわきの少彦名神社参道入り口に、「春琴抄の碑」がありました(次の写真) 春琴抄の碑(道修町資料保存会が平成十二年十月に建立)

揮毫は菊原初子(地歌箏曲の人間国宝、当時百一歳)で、碑面左には『春琴抄』の原稿(複製)の一枚目が載せられています(三島佑一氏の解説文がある)。
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矢問川の河川改修工事 [2014年02月12日(Wed)]
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複製された三角縁神獣鏡の記事(1/30付)をみて [2014年02月06日(Thu)]
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冬の京都を訪ねて [2014年01月17日(Fri)]
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at 13:51
年始を孫と過ごして [2014年01月14日(Tue)]
暮から帰省していた息子夫婦が3日に帰った後、4日から北海道の孫たちが一年ぶりに戻って来ました。北海道では冬休みは長く三学期の始業式は20日からで、ゆっくり滞在出来ることになりました。私は、6日からカルチャーセンターの講座が始まりましたが、その受講の合間に、買い物に付き合ったり(東京と大阪でしか販売されていないグッズがあるようです)、植物園や果樹園に案内したりして、賑やかな毎日を過ごしました。
今日は北海道に帰る日で、伊丹空港に向かう前にネットで運行状況を確認したところ、搭乗予定の便(伊丹発の直行便はこれだけ)が機体の都合で欠航となっていました。一瞬慌ててしまいましたが、娘が電話で問い合わせたところ、幸い振替え便(羽田で乗り継いで)が利用できることになり、空港まで送って行きました。夕方には無事自宅に戻れたとのことでホットしています。
庭で”はねつき”を楽しむ

果樹園でミカンを収穫

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katakago
at 22:06
新春のご挨拶 [2014年01月01日(Wed)]
新春のお慶びを申し上げます 今年も万葉植物園の活動をはじめ、野菜・果樹栽培のための農作業、記紀・万葉講座の受講や故地探訪、尺八練習など、充実した年にしたいと思っています。

地元の多田神社に参拝してきました。

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katakago
at 16:18
年の瀬の明石魚の棚(うおんたな) [2013年12月30日(Mon)]
帰省中の息子夫婦と一緒に明石の魚の棚(うおんたな)に出かけました。大漁旗が飾り付けられた年の瀬の賑やかな商店街を、大勢の人に混じって歩きながらお正月用の買い物も楽しみました。 帰りには明石城にも立ち寄りました(写真左は坤櫓、右は巽櫓)。

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katakago
at 19:56
マチカネワニ(大阪大学総合学術博物館展示) [2013年12月15日(Sun)]
大阪大学総合学術博物館の正面  博物館のエントランスに飾られた化石の復元骨格 大阪大学総合学術博物館では、現在「緒方洪庵・適塾と近世大坂の学知」と題する特別展が開催されていますが、3階の常設展示室には、日本で発見された最初のワニの化石が展示されています。今回の特別展の機会にあらためて見学しました(解説も詳細に読みました)。この化石は、1964年(昭和39年)5月に、阪大豊中キャンパスの理学部建設現場から発見されたものです。 カスリ火山灰にあたる層準から出土し、生息した時代は40〜50万年前の更新世中期ごろと考えられています。頭骨の長さが1mを越え、ワニ類の中でも大型(体長6.9〜7.7m、体重1.3t)に属しています。1965年に、クロコダイル科のマレーガビアル属の新種のトミストマ・マチカネンセと命名されました(出土地の豊中市待兼山町の名をとって)。これ以降「マチカネワニ」と呼ばれています。その後の再研究により(1983年の論文)、マレーガビアル属ではなく新しい属のワニであることが示され、トヨタマヒメイヤ・マチカネンシス(Toyotamaphimeiya machikanensis)と再命名されました(爬虫類学分野の国際学術誌Copeia,1983(1)に掲載)。この属名は、『古事記』の神話に出てくるワニの化身とされる豊玉毘売(とよたまびめ)から名付けられたそうです(今回初めて知りました)。
『古事記』上巻の豊玉毘売の出産のくだりに、「爾くして、方に産まむとする時に、その日子に白して言ひしく、『凡そ他し国の人は、産む時に臨みて、本つ国の形を以て産まむぞ。故、妾(あれ)、今本の身を以て産まむと為。願ふ、妾を見ること勿れ』といひき。是に、其の言を奇しと思ひて、窃かに其の方に産まむとするを伺へば、八尋わにと化りて、匍匐(はらば)ひ委虵(もごよ)ひき。」とあります。
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katakago
at 17:08
今朝の空(朝焼け) [2013年09月30日(Mon)]
最近、日の出の時間が遅くなったせいか、起床の時間が夏の頃よりも遅れがちです。今朝(5:47)東の空に朝焼けが見られました(気づいてから数分で消えましたが)。
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katakago
at 08:17
雨上がりの空に虹が [2013年09月04日(Wed)]
このところ雨の日が続いています。水遣りが助かっていますが、出来れば分散して降ってほしいものです。草も一斉に伸び出すものと思われ、また草刈りかと気が重くなります。 夕方晴れ間が出たので畑の見回りに出かけたところ、虹がかかっていました。あわててカメラを取りに戻って写真を撮りました。
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katakago
at 19:11
和田嘉寿男先生のご冥福をお祈りします [2013年08月06日(Tue)]
和田嘉寿男先生(元武庫川女子大学教授)がお亡くなりになり(享年84歳)、今日、奈良市正覚寺で営まれた告別式に参列しました。あらためてご冥福をお祈りします。
和田先生は武庫川女子大学オープンカレッジで万葉集の講座を担当され(1992年開始)、私は2003年の春から受講し、先生が体調を崩されて閉講になるまで聴講させていただきました。学期の間には日帰りの小旅行も企画され、2004年夏には紀州に出かけました。白崎は 幸くあり待て 大船に ま梶しじ貫き またかへり見む (H-1668)と詠われた日高郡由良町の白崎海岸を訪れた思い出があります。この時昼食に立ち寄った旅館「黒島」から秋になってあらためてハマユウの種を送ってもらいましたが、今では大きな株になりこの時期毎年花を咲かせています。
先生は8年半ほど前から透析を続けられながら、講義録をもとにシリーズ「万葉集を読む」の執筆を開始されました。巻一からはじめ(2004年9月)、2011年10月には『万葉集巻九を読む』を完成されました(写真)。毎回本が出来上がったとの連絡を受けると、万葉の同好の仲間の分も合わせて送っていただきました。一首ごとに歌の解説が分かりやすい言葉で書かれており、他の注釈書とともに読ませてもらっています。

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katakago
at 22:58
お隣の田植えも終わる [2013年06月18日(Tue)]
先週、お隣の田んぼにイネ苗が植えられました。昨今は農協に委託して乗用式の田植え機で植えられるので、短時間で済むようです。子供の頃はこの時期、学校も農繁休暇があり田植えの手伝いをした記憶があります(当時は兼業農家でした)。
畑に植えているケヤキの苗木で羽を休めているツバメを見かけました。普段は飛び回っているところしか目にしないのですが、写真に撮ることが出来ました。

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katakago
at 10:01
るり渓で森林浴 [2013年05月05日(Sun)]
昨日の畑仕事の骨休めも兼ねて、京都府立るり渓自然公園(南丹市園部町の南西部)へ出かけて来ました。自宅から車で一時間弱の所です。るり渓は、園部川が高原の斜面を浸食してできた約4kmの渓谷です。最上流部には人造湖(通天湖)があります。 駐車場所から眺めた通天湖
 コバノミツバツツジがあちらこちらで花を咲かせていました。
新緑の中、渓流沿いに散策を楽しみました。

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katakago
at 16:27
多田小学校にある碑「稽古照今」 [2013年02月19日(Tue)]
午前中多田小学校で会議があり出かけて来ました。退職後こちらに帰ってより何度も学校には来る機会があったのですが、あらためて正門前の校庭に建てられた碑の文字が目に留まりました。これまでは運動会、文化祭、盆踊りなど賑やかな行事の折りであまり気にしなかったのかもしれません。
 (碑の写真、下の校章は清和源氏ゆかりの笹竜胆に學の字)
碑面の文字は「稽古照今」と書かれており、揮毫は当時(昭和53年)の兵庫県知事坂井時忠によるものです。多田小学校は昭和53年に創立百周年を迎えており、それを記念してこの碑が建立されました。 「稽古照今」は『古事記』の序から採られています。序は三段からなり、第一段は神代からの天皇の歴史をふり返り、第二段は天武天皇のもとでの『記』の撰録の始まりが述べられ、第三段では元明天皇にいたってそれが完成したことが記されています。碑文の文字は、第一段終わりの次の個所から採られています。 【原文】 ・・・・雖歩驟各異、文質不同、莫不稽古以縄風猷於既頽、照今以補典教於欲絶。 【読み下し文】 ・・・・ 歩(あゆ)むと驟(うぐつ)くと各異(おのおのこと)にして、文(かざ)れると質(すなほ)なると同じくあらねども、古(いにしへ)を稽(かむが)へて風猷(をしへ)を既に頽(おとろ)へたるに縄(ただ)したまひ、今を照らして典教(のり)を絶えむと欲(す)るに補(おきぬ)ひたまはずといふこと莫(な)し。 【口語訳】 ・・・・ 治世に緩急あり、華美と質朴の差はあったけれども、いにしえに鑑みて風教道徳の既に崩れてしまったのを正しくし、今を照らして道と教えとの絶えようとするのを補わないということはなかった。 (以上、『新編日本古典文学全集 古事記』より)
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at 14:50
スロージューサー [2013年02月11日(Mon)]
柑橘類ではオレンジ系ミカンや八朔がたくさん採れました。ジュースにするのにスロージューサーが良さそう(TVの番組で紹介されていました)なので、購入して試してみました(SHARPのjuicepresso)。金属の刃を使わずに樹脂製のスクリューでゆっくりと食材を押しつぶす低速圧縮方式です。パンフレットには栄養素の減少を抑えてジュースが絞れるとあります。
 柑橘類は外皮をむいて小房に分けて投入します(種や薄皮を取らなくてもよい)。水を加えないので果汁100%のジュースが得られます。写真のサイズのもの3個でコップ2杯分のジュースが得られました。毎日絞りたてのジュースが飲めますが、装置を分解して後片付けが少し面倒です。
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katakago
at 14:50
初詣 [2013年01月01日(Tue)]
新年明けましておめでとうございます 今年は暮れから子どもたちが帰省し、二人の孫も一緒に8人の賑やかなお正月となりました。みんなで祝い膳を頂いた後、8時過ぎに多田神社へ初詣に出かけました。この時間帯だとまだ参拝者はそれほど多くなく、ゆったりとお参りできました。

今日は普段は閉じられている拝殿の奥域にも廻ることが出来ました。こちらには唐椿(薩摩藩主島津家寄贈、花は4月中旬)や招霊(オガタマノキ、県指定郷土記念物)などが植えられています。 御本殿(徳川家綱により再興され国指定重要文化財)の前で記念撮影

今年も植物園では、3月(カルチャーセンター)と5月(備前の会)の来園が既に決まっており、スケジュールを調整中の案件もあります。多くの方に来ていただければと思っています。
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at 16:17
センブリの花 [2012年10月22日(Mon)]
今月後半は各種行事が目白押しです。20日の土曜日にはカルチャーセンターの現地講座が終わりましたが、この週末(27,28日)は地元多太神社の秋祭りで、今年は3年に一度の太鼓が出ることになっています。2週間ほど前から毎日夕方になると、太鼓に乗る子供たちが太鼓をたたく練習をしています(私も小学生の頃参加したことがあります)。27日は午後から太鼓の多太神社宮入り(午後9時ごろ)まで付き合うことになりそうです。28日は都之雨社の尺八演奏会があり、毎週のカルチャーセンターでの練習だけではなく、箏・三絃との音合わせにも参加しなければなりません。昨日は2回目の練習が兵庫県立芸術文化センターリハーサル室であり、朝日カルチャー受講生で演奏する「茶音頭」(箏・三絃との合奏)と、都之雨社会員の方々との都山流本曲「春霞」(尺八の三部合奏)の合奏練習に参加してきました。舞台演奏ともなると練習にも身が入ります。
今日はその合間を縫って、また奥の山に出かけて来ました。お目当ての”秋の香”は残念ながら見つけられませんでしたが、センブリ(りんどう科)の花が咲いていました(写真)。m-thumbnail2.jpg)
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at 17:59
虹と夕焼け [2012年10月18日(Thu)]
今日の夕方(17:20頃)、東の空に虹がかかっていました。西は、鮮やかな夕焼け空で、虹と夕焼けを同時期に見るのは、珍しのではないかと写真に撮りました(自宅庭にて)。なお、きれいな夕焼けの映像は夕方のニュース番組(お天気コーナー)でも紹介されていました。 明後日(20日)は植物園の現地見学会の日ですが、天気予報では雨のマークは出ていなくてホッとしています。
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at 19:46
キノコ狩りに案内 [2012年10月13日(Sat)]
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at 20:50
栗の渋皮煮 [2012年10月11日(Thu)]
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at 19:55
山歩き − 秋の香を求めて [2012年10月10日(Wed)]
今日も朝から奥の山に出かけて来ました。今月になって3回目です(3,7,10日)。うち2回は空振りで、写真は7日に見つけたものです。
m-thumbnail2.jpg)
万葉歌に「秋の香」と詠まれているのがマツタケと考えられています。歌は昨年10/14の記事(写真は10/21も)に掲載していますが、ここでも載せておきます。 【原文】 高松之 此峯迫尓 笠立而 盈盛有 秋香乃吉者 (I-2233) 【読み下し文】 高松の この峰も狭に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香のよさ
今年もセンブリ(りんどう科)を見つけました(まだ蕾ですが)。m-thumbnail2.jpg)
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at 19:40
黒川ダリア園 [2012年09月21日(Fri)]
秋晴れの天気に誘われ、買い物のついでに市内にある「黒川ダリア園」に出かけてきました。ここ川西市黒川は「にほんの里100選」にも選ばれた自然豊かな土地で、園内には380品種1300株のダリアが植えられており、さまざまな形状、色とりどりの花が見頃を迎えていました。 山形県川西町から、友好親善の一環として贈られたダリア279球から育成され、平成16年にこの地に開設されたそうです。
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at 17:06
ハスの繊維 [2012年08月13日(Mon)]
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at 11:20
昨夜、月下美人が咲きました [2012年07月09日(Mon)]
我が家には月下美人(さぼてん科)が2株あります。少しばかりの洋ランと共に栽培管理は妻が行っています。昨夜、そのうちの一株で2輪が開花しました(花は一晩で凋んでしまいましたが)。以前は9月ごろ開花していたのが、昨年は7/31と開花時期が早くなってきたようです。
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katakago
at 20:38
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