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大伴家持像と万葉反歌の軸 [2017年03月21日(Tue)]
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 大伴家持の肖像と賛に万葉歌が書かれた軸を入手できました。画は喜多武清(江戸後期の浮世絵師、号は可庵)、賛は蒲生君平(江戸後期の尊王家、名は秀実)によるものです。
 家持の越中国守時代(当時33歳)、天平勝宝二年(750)3月9日に出挙(すいこ)のために旧江村(ふるえのむら)に行った折り、その途中で風景を眺めて詠んだ歌と興味を覚えて詠んだ歌七首(旧江四部作)が巻十九に載せられています。そのうちの一首がこの軸の賛に書かれています。題詞に、「勇士の名を振るはむことを慕(ねが)ふ歌一首」とある長歌の反歌がこれに当たります。
長歌は
【歌】 ちちの実の 父の命 ははそ葉の 母の命 凡ろかに 心尽くして 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空しくあるべき 梓弓 末振り起こし 投矢持ち 千尋射渡し 剣大刀 腰に取り佩き あしひきの 八峰踏み越え さしまくる 心障らず 後の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも (巻十九・4164)
反歌は
【歌】 ますらをは 名をし立つべし 後の世に 聞き継ぐ人も 語り継ぐがね (巻十九・4165)
【口語訳】 ますらおは 名をこそ立てるべきだ 後の世に 伝え聞く人も 語り伝えてくれるように
 左注に、「右の二首、山上憶良臣の作る歌に追和す。」とあり、その歌は、
【歌】 士やも 空しくあるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして (巻六・976)
【口語訳】 男子たるものが 空しく終わってよいものか 万代に 語り伝えるに足る 名は立てないで
 
画と賛の拡大
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なお、以前に橘千蔭の書の万葉歌(柿本人麻呂朝臣歌集歌)の記事を載せています。
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/176

Posted by katakago at 15:37
白隠禅師の書 [2016年12月21日(Wed)]
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 これまでの記事にも載せていますが、祖先の一人木田種重(鉄屋庄左衛門 寂堂萬翁元照居士)が白隠禅師を信奉し、その漢文語録『荊叢毒蘂』の刊行に資金援助をしたことを知り、以来白隠禅師に関心を持っています。この度、縁あって白隠禅師の書(写真)に巡り合うことが出来ました。
 白隠の落款(写真左)と関防印(顧鑑咦)
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 書かれている文字は「菴内人依甚麼不知菴外事」で、『白隠禅画墨蹟』(花園大学国際禅学研究所編)によれば、その訓読は「菴内の人、甚麼(なに)に依ってか、菴外の事(じ)を知らざる」で、「乾峰(けんぽう)三種の病」の公案に対する雲門の著語(じゃくご)とありました。

 その意味するところを知りたく、自費出版本『木田家のルーツを尋ねるー石碑の銘文に導かれてー』の執筆過程で、木田院碑の訓読・現代語訳をご教示いただいた芳澤勝弘先生(花園大学国際禅学研究所顧問)に、再び教えを乞うことにしました。メールでお尋ねしたところ、早速懇切な解説をしていただきました。
 「乾峰三種の病」という公案は、乾峰と雲門という禅僧の問答(『五燈會元』巻第十三、越州乾峰和尚章)で、乾峰和尚の「法身(ほっしん)には三種の病、二種の光がある。これを一一透過して、始めて決着がつくというものだ。そこに越えねばならぬ究極の難関がある」に対し、雲門が発した語が「菴内の人、甚麼に依ってか、菴外の事を知らざる」であるとのことです。この禅問答は私の理解を超えてしまいます。そこでさらにかみ砕いて解説していただいた内容を紹介しておきます。
 「菴内人」とは、自己を忘却して、ほぼ最終決着に近づいた人(専門家の中の専門家、修行して悟りに近づいた人)。そういう人にしてなお(あるいは、そういう人だからこそ)菴の外の事を知らない(世間のことに疎くなってしまう)。芳澤先生は、白隠がこの公案を用いたのは、悟りに向かいすぎることによって、かえって社会から離れて行くことを気づかせようとしたのではないかと考えられています。白隠自身は悟りに到達した後に社会に戻り、四弘誓願と菩提心によって下化衆生(生きとし生けるものを教化し救済する)してゆくことを強く主張しており、この語に白隠の姿勢が込められていると見られています。
 木田院碑(『荊叢毒蘂』巻七、石碑は大阪市中央区谷町9丁目の大仙寺にある)の最後の箇所にも、「幸いに、そなた(木田種重を指す)は常に三宝に帰依し、老僧(わたくし)に入室(にっしつ)参禅し、いささかの所得もあった。しかし、それで満足してはならぬ、さらに参ぜよ。いっそう深く法の淵源に徹し、永遠に四弘誓願の実践をし、すべての人々を救済していくのだ。これが菩提心であり、大乗菩薩道の実践ということである。いくら修行しいくら善行を行っても、菩提心がなければ、必ず魔道に落ちるのだ。だから雲門大師も「顧鑑咦、つねに顧みて点検せよ」と言われているのである」とあります(芳澤先生訳注『白隠和尚 茨叢毒蘂 坤』より)。
 ちなみに、雲門大師の「顧鑑咦」の語は、この書の関防印に用いられています(2枚目の写真)。

なお、自費出版本の記事は、
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1060
白隠関連記事は、
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1103
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1178
 



Posted by katakago at 16:40
ひな人形の軸 [2016年02月19日(Fri)]
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 昨年末、長男夫婦に孫娘が生まれ、時々写真や動画を送ってもらっています。お嫁さんの実家でお世話になっており、おかげ様で順調に育っているようです。来月初めのお宮参りに上京するのを楽しみにしています。
 床の間には、ひな人形の軸を掛けました。妻が以前に画いたものです。
Posted by katakago at 16:26
チャリティー書画入札会 [2014年12月03日(Wed)]
 先日、毎日新聞大阪社会事業団主催の、「'14 チャリティー名士寄贈 書画工芸作品入札・即売会」に出かけました(場所は毎日文化センターの講座があるビル)。年に一度の恒例の行事で、美術工芸作家や著名人から寄贈された洋画・日本画・書・漫画・陶磁器・工芸品・色紙など約1000点が展示されます(今年は12/1で終了)。これまで何回か見に出かけたことがあり、5年前には、岩波昭彦作の日本画「唐招提寺金堂」の入札に成功しています。
 今回、数ある作品の中で朝比奈隆作の版画「鑑真和上像」が目にとまり入札したところ、幸いにも手に入れることが出来ました。毎日新聞社会事業団のチャリティー入札会で、唐招提寺にゆかりの作品を二つも入手できたことにご縁を感じています。
 版画「鑑真和上像」
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 日本画「唐招提寺金堂」
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 なお、この写真は唐招提寺観月讃仏会の記事(次のURL)にものせています。
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/167

Posted by katakago at 17:48
芙蓉の花 [2012年08月07日(Tue)]
 この時期鮮やかな紅色のフヨウ(あおい科)の花が咲いています。早朝に開き夕方にしぼむ一日花です。座敷の床の間にはちょうど芙蓉の軸が掛けてあります。妻が水墨画をやり始めたのを機会に購入しました。作者は穐月明で、「芙蓉さく 今朝一天に 雲もなし」の句が添えられています。今日も晴天で猛暑となりそうです。
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 自宅垣根の脇に植えてある芙蓉の株(次の写真)は高校時代の同級生にもらったものです。数年前、植物園見学の折に他の苗と一緒に持ってきてくれました。
 なお、フヨウは万葉歌には詠まれていません。

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Posted by katakago at 09:56
橘千蔭の書 [2011年09月22日(Thu)]

 2年ほど前、万葉歌が書かれた古軸を手に入れましたが、何時でも楽しめるようにと額装にすることにしました。橘千蔭による書で、次の歌です。
【原文】 天海丹 雲之波立 月舟 星之林丹 榜隠所見
【読み下し文】 天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ (F-1068)
【口語訳】 天の海に 雲の波が立ち 月の船は 星の林に 漕ぎ入り隠れようとしている
 柿本朝臣人麻呂歌集から採録された「天を詠む」歌です。天を海に、雲を波に、月を舟に、星を林に、見立てて詠まれています。ここで「漕ぎ隠る見ゆ」は、「終止形+見ゆ」で、この場合の「見ゆ」は、視覚的にその情景を確認した表現です(NHKカルチャー井手至先生の講座より)。
 天を海に、月を舟に見立てた例は、
【歌】 天の海に 月の舟浮け 桂梶 掛けて漕ぐ見ゆ 月人をとこ (I-2223)
【口語訳】 天の海に 月の舟を浮かべ 桂の梶を 取り付けて漕いでいるよ 月の若者が
があり、月を舟に見立てた例は、
【歌】 春日なる 三笠の山に 月の舟出づ みやびをの 飲む酒坏に 影に見えつつ (F-1295)
【口語訳】 春日の 三笠の山に 月の舟が出ている 風流士(みやびお)が 飲む酒坏に その影を映して
があります。

 ところで、この書の書き手、橘千蔭は、江戸時代中期から後期にかけての国学者・歌人・書家です。ネットで検索した際、橘千蔭を取り上げた企画展の記事を見つけました。昭和女子大学・光葉博物館で開催されていました(この大学は、十数年前娘が通っていたところで、何度か行ったことがあります)。会期(今年5/16〜6/18)は過ぎていましたが、早速電話して図録を送ってもらいました。
 橘千蔭は父の跡を継いで北町奉行与力となり、天明8年(1788)に与力を辞して学芸に専念。若くから書芸を学び、特に国学を賀茂真淵に師事し、同じく真淵の弟子であった本居宣長の協力を得て『万葉集略解』を著しました。万葉歌全首の注釈書として、十年がかりで寛政12年(1800)に完成。全ての歌に注釈を付けたことと、自説ではなく広く説を取り入れて、平易に記述しているので、入門書として広く読まれ、明治になっても活字で出版されました。
 次の写真2枚は、図録の表紙と『万葉集略解』に関するものです。


Posted by katakago at 05:28
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