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藤ノ木古墳(発掘30周年)に関する講演会 [2015年03月17日(Tue)]
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 橿原考古学研究所付属博物館では、藤ノ木古墳発掘30周年を記念して、特別陳列「大和の豪族たちと藤ノ木古墳」が開催中です(3/22まで)。一昨日(3/15)、同研究所で関連の講演会があり聴講しました。

 昨年5月に、国史跡に指定されている藤ノ木古墳を訪れ、近くの斑鳩文化財センターで埋蔵物(レプリカ)の展示を見学しており、今回の展示と講演会には興味がありました。昨年の記事は、
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/827

 今回博物館では、講演に先立ち、未盗掘状態で発掘された古墳の埋蔵物(家形石棺内出土品は国宝に指定)を見ることが出来ました。撮影可能であったパネルと展示物の写真の一部を次に掲載。
 家形石棺内にファイバースコープ(内視鏡)を挿入して内部を観察した後、開棺された(1988年)内部の様子(パネルより)
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 このような未盗掘の古墳の墓室の埋葬状況を模型で展示されていたのを、韓国の宋山里古墳群を訪れた際、模型館で見学したことがあります(2011年秋)。このケースでは同時に出土した墓誌により被葬者が確定しています(百済の斯麻王(謚号は武寧)とその妃)。関連記事は、
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/214

 石棺内出土品(左から金銅製飾履(しょくり)、金銅製冠、金銅製筒形品) 
IMG_0946m.jpg

 石室の奥壁と石棺の間から出土した金銅製馬具の鞍金具後輪(しずわ) 
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 開演30分前でも既に研究所の講堂内は大勢の参加者のために満席で、講堂外にも座席が設けられていました(準備された資料も足りずに急遽増刷中でした)。博物館で見学後会場に来たので外の席からの聴講となりました。
 写真は開演前の会場の様子
IMG_0967m.jpg

 講演会では、先ず、今回の展示の責任者である小栗昭彦氏(橿原考古学研究所主任学芸員)が「大和の豪族たちと藤ノ木古墳」と題して話されました。
藤ノ木古墳の被葬者を探るためのヒントとして次の点をあげられました。
@ 石室(両袖式横穴式石室)の構造(平林式に相当)や出土須恵器の型式(TK43に当たる)から築造年代を推定(575~600)し、古墳の主丘径(主たる埋葬施設の場所の径、藤ノ木古墳は円墳で50m)より、王墓に次ぐクラス(4分類の階層II位)に位置付け。
A 斑鳩地域にはこれまで大型古墳はなく、この時期に突如藤ノ木古墳が出現するも、次世代の古墳では大きく地位を落とす。
B Aの動向は、北葛城地域の牧野(ばくや)古墳も同様(それぞれの被葬者の地位や負っていた役割が似ていたとみられる)。
C 主丘径50mは、この時期(575~600)の階層II位の規格(70m級)よりは小さく、次世代の600年前後の時期のII位の規格に相当 → この時期(575~600)の被葬者で最も遅く死亡したため、次世代に採用される古墳の規格を真っ先に適用された。
 以上、藤ノ木古墳の被葬者を考える上で重要なポイントを、これまで得られている知見を整理して分かりやすく解説して頂きました。

次いで、発掘調査を担当された前園実知雄氏(奈良芸術短期大学教授)が、「藤ノ木古墳の被葬者像」と題して講演されました。
 被葬者の候補として、穴穂部皇子(物部守屋の推した皇位継承者候補)と宅部皇子をあげられた(『日本書紀』の死亡記事では、いずれも用明二年(587)に殺されている)。牧野(ばくや)古墳の被葬者は押坂彦人大兄皇子か(この点については今回詳しく話されなかったので改めて知る機会があればと思っています)。

 
Posted by katakago at 08:53
この記事のURL
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/962
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