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講演会「有間皇子と紀伊国」 [2015年01月29日(Thu)]
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 更新が遅れましたが、今月中旬(1/15)、大阪府立大学で「万葉の道を歩く」第12回目の講演会がありました。村田右富美先生が「有間皇子と紀伊国〜万葉と歴史のはざま〜」と題して講演されました。

 有間皇子に関しては、『日本書紀』では斉明天皇四年(658)条に、天皇が紀温湯(きのゆ)に行幸中の留守の間に皇子が謀反の決意を蘇我赤兄に漏らし(十一月三日)、その直後赤兄の手に捕えられ(同五日)紀温湯の中大兄皇子のもとに送られ(同九日)、十分な詮議もなく藤白坂で絞首刑となった(同十一日)ことが記されています(事件の急展開の一方、斉明天皇の帰京は二カ月近く経ってからの翌斉明五年(659)一月三日)。この事件については、中大兄の指示による有間皇子抹殺のための赤兄による挑発とする説もあるようです。


 『万葉集』では、斉明四年紀伊行幸時の歌が巻一の雑歌に4首(巻九にも1首)ありますが、いずれも事件とは関係のない旅の中での明るい歌です。
 有間皇子関係の歌としては、巻二の挽歌に皇子が自ら悲しんで松の枝を結ばれた時の歌二首に続き、後の人が結び松を見て皇子を偲んで詠んだ歌が載っています(巻九にも1首)。
まず有間の皇子の歌は、
【歌】 岩代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば またかへり見む (A-141)
【口語訳】 岩代の 浜松の枝を 引き結んで 幸い無事でいられたら また立ち帰ってみることもあろう
【歌】 家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る (A-142)
【口語訳】 家に居れば 器に盛る飯を (草枕) 旅にあるので 椎の葉に盛るのか

 長忌寸意吉麻呂が結び松を見て悲しみ咽んで作った歌二首(大宝元年の行幸時の作とみられている)
【歌】 岩代の 崖の松が枝 結びけむ 人はかへりて また見けむかも (A-143)
【口語訳】 岩代の 崖の松の枝を 結んだという 有間皇子は立ち帰って また見たことであろうか
【歌】 岩代の 野中に立てる 結び松 心も解けず 古思ほゆ (A-144)
【口語訳】 岩代の 野中に立っている 結び松 その結び目のように心も解けず 昔のことが思われる

 山上臣憶良の追和する歌一首
【歌】 翼なす あり通ひつつ 見らめども 人こそ知らね 松は知るらむ (A-145)
【口語訳】 御魂は鳥のように 行き来しながら 見てもいらっしゃるだろうが 人には分からないだけで 松は知っていよう

 大宝元年、紀伊国に行幸があった時、結び松を見て作った一首 (柿本朝臣人麻呂歌集の中に出ている。大宝元年(701)九月十八日に文武天皇が紀伊に行幸) 
【歌】 後見むと 君が結べる 岩代の 小松が末を また見けむかも (A-146)
【口語訳】 後に見ようと思って 皇子が結んでおいた岩代の 小松の梢を また見たであろうか

 大宝元年(701)十月に、太上天皇(持統)と大行天皇(文武)とが紀伊国に行幸された歌13首(雑歌の部)の中に、
【歌】 藤白の み坂を越ゆと 白たへの 我が衣手は 濡れにけるかも (H-1675)
【口語訳】 藤白の み坂を越えるとて (白たへの) わたしの衣手は 濡れてしまった

 大宝元年は有間皇子事件から43年後ですが、悲劇的な最期を遂げた皇子の事は当時の人々にも伝承されており、紀伊行幸途中に岩代を通る際には、皇子の結び松と伝えられる松を見て皇子を偲んで歌が詠まれたようです。
 岩代や藤白の地は20年ほど前に訪れたことがありますが、今回の講演を機にあらためて現地に出かけてみたいと思っています。

Posted by katakago at 16:14
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