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木田氏ゆかりの寺を訪ねて [2015年01月04日(Sun)]
 大坂の両替商 鐡屋庄左衛門に関する調査の過程で、最近、明和年間(1764〜1771)に十人両替の一人であった川崎屋徳蔵の名を見出しました(『大阪商業史料集成 第四輯』)。実は、昨年夏に、地元の郷土史研究家の中西顕三さんから、江戸時代に木田高吉が大坂で「川崎屋」という舖を営んでいたこと、その親族が出身地(川西市東多田)に潮音寺(臨済宗妙心寺派)を建てたことや関連の石碑のあることなどを聞いていました。その時は「鐡屋」との関連が思いあたらなかったのでそのままになっていましたが、何か新しい知見が得られることを期待して、今朝その潮音寺を訪れました(自宅から徒歩で20分くらい)。

 山門を入って右側の墓地に通じる手前に、龍池山潮音禅寺の石碑とその説明板がありました。
 智嶽玄性居士行状碑(安永三年,1774建立)
IMG_0587m.jpg

 石碑の説明板 
IMG_0584m.jpg

 碑文にある智嶽玄性居士という法号の人物は、摂州東多田村の生まれで源左衛門と称し源満政の遠い子孫(源氏中村氏)で、大坂で「川崎屋」という回船問屋を営んでいた叔父の木田高吉の所で働くことになった。碑文には、その源左衛門が商用で長崎に向かう途中海難に遇い自ら人柱となって入水した状況が書かれています。天和三年(1683)に亡くなった源左衛門(智嶽玄性居士)の生前の業績を称え顕彰するため(潮音寺は源左衛門を開基として建立された)、安永三年(1774)に、川崎屋五代目当主の木田徳蔵知義が功徳主となってこの碑を建立したとあります。
 
 あらためて木田家の過去帳を調べてみたところ、鐡屋木田家(現在岡山在住)の過去帳に智嶽玄性居士の名を見つけることが出来ました(没年月日は天和三年十二月六日で碑文と一致)。鐡屋木田家にゆかりのある人物であることが分かり、大変興味深く思っています。

 なお、木田徳蔵知義については今のところ手元の資料では、上述の『大阪商業史料集成』にある川崎屋徳蔵(鐡屋とのつながりは不明)だけですが、地元の多太神社(川西市平野)の鳥居の銘文に「大坂住 木田徳蔵知義建立 明和四年亥九月」とあり、明和四年は1767年で、ほぼ同じ時期にお寺と神社にその名を残しています。
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Posted by katakago at 19:48
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