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飛鳥を愛する会 総会・春季現地講座 [2014年04月21日(Mon)]
 この19・20日は、飛鳥を愛する会の総会と春季現地講座が開催され参加しました。1日目は午後から明日香村中央公民館で総会に引き続き講演会が行われました。
 長谷川透氏(明日香村教育委員会)の講演では、飛鳥寺西方遺跡(『日本書紀』に出てくる”飛鳥寺の西の槻の木の下”の遺構である可能性を示唆)や、飛鳥京苑池など最近の飛鳥の発掘成果について話されました。
 坂本信幸先生(高岡市万葉歴史館館長)は、『万葉集』巻一冒頭と二番目に置かれているそれぞれ雄略天皇御製歌と舒明天皇御製歌(国見歌)について、天皇の国土支配儀礼(「告る」・「見る」・「聞く」)を踏まえ、「記紀」や関連文献を引用しながら解説されました。関連記事は次のURLに載せています。
        ↓
 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/687
 講演される坂本先生
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 2日目の現地講座では、泊瀬から伊賀の万葉故地や遺跡をバスで巡りました。

 最初に桜井市阿倍の安倍寺跡と文殊院にある東西の古墳(大字阿倍字寺谷)や近くの谷首古墳(大字阿倍字谷汲)を見学しました。案内と解説は岡崎晋明先生(龍谷大学名誉教授)と会長の木下正史先生。
 安倍寺跡(大化改新のあと左大臣となった阿倍倉橋麻呂が発願した可能性の高い寺院)
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 文殊院西古墳  石室内で岡崎先生による説明の様子
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 花崗岩の切石で築かれた石室(玄室の天井石は大きな1石)で、切石に似せて線を人為的に入れる擬似線の技法も施されている。築造時期は7世紀後半(第3四半期)で、阿倍倉橋麻呂の墓である可能性も(岡崎先生)

 谷首古墳
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 自然石巨石積みの石舞台古墳と同形式の古墳(規模は小さいが)で、築造時期は7世紀前半と考えられ、阿倍倉橋麻呂より一代ほど前の阿倍氏の族長墓とみられています。

 桜井市忍坂(おっさか)の地では、舒明天皇陵(最初の八角形天皇陵)や鏡王女墓、万葉歌碑を見学しました。今回のコースでこの地区だけは以前にも訪れたことがある場所です。
 鏡王女墓
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 万葉歌碑(揮毫は犬養先生)
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【歌】 秋山之 樹下隠 逝水乃 吾許曾益目 御念従者 (鏡王女 A-92)
【読み下し文】 秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそまさめ 思ほすよりは
【口語訳】 秋山の 木陰をひそかに 流れてゆく水のように わたくしの方こそ深く思っているでしょう あなたが思ってくださる以上に
 題詞には、天智天皇が鏡王女に賜った御歌に唱和した歌とあります。

 桜井市脇本の脇本遺跡は弥生時代から飛鳥時代にかけての複合遺跡で、雄略天皇の泊瀬朝倉宮跡の推定地でもある。
 脇本遺跡近くの春日神社境内で、木下先生や影山尚之先生(武庫川女子大学教授)から考古学と万葉の解説を聴きました。
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 白山神社境内(桜井市黒崎)で保田與重郎揮毫の雄略天皇御製歌(巻一の冒頭歌)の歌碑と記念碑を見学
 万葉集發耀讃仰碑
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 雄略天皇御製歌の歌碑
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【歌】 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも (@-1)

 桜井市吉隠(公民館入り口)にある穂積皇子の歌碑(揮毫は今 日出海)
ここでは大島信生先生(皇学館大学教授)が解説されました。
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【歌】 降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒からまくに (穂積皇子 A-203)
【口語訳】 降る雪よ どっと降るでないぞ 吉隠(よなばり)の 猪養の岡が 寒かろうから
 題詞には、但馬皇女が亡くなった後、穂積皇子が、雪の降る冬の日、皇女の御墓を遙かに見やって悲しみ、涙を流して作られた歌、とあります。
 ところで、但馬皇女については、題詞に、高市皇子の宮に在った時に、ひそかに穂積皇子と関係を結び、そのことがすっかり顕れたので、作られた、とある次の歌が残されています。
【歌】 人言を 繁み言痛み 己が世に いまだ渡らぬ 朝川渡る (A-116)

 墨坂神社境内(宇陀市榛原区)の万葉歌碑(題詞には柿本朝臣人麻呂の妻の歌とある)
墨坂は大和中央部と伊勢とを結ぶ道の大和側の境の要地
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【歌】 君家尓 吾住坂乃 家道乎毛 吾者不忘 命不死者 (C-504)
【読み下し文】 君が家に 我が住坂の 家道をも 我は忘れじ 命死なずは
【口語訳】 あなたの家に わたしが住むというその住坂の峠の 通い道までも わたしは忘れないでしょう 命のある限り

 
 最後の見学場所は伊賀市比土字城之越の城之越(じょのこし)遺跡
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 古墳時代前期後半(4世紀後半)の水辺の祭祀遺構で、写真のように復元展示されています(祭祀の対象は井泉から湧き出る水であったと考えられています)。土師器高坏・小型丸底壺や木製の武器など祭祀色の強い遺物が多数出土している(城之越学習館に展示)。

 2日目は途中から雨が降り出し、見学場所毎で大部の資料を取り出して説明を聴くのが大変でしたが、今回初めて訪ねる場所がほとんどで、有意義な現地講座となりました。

 なお秋は、北関東方面の現地講座が計画されています(9/28〜9/30)。

Posted by katakago at 20:41
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https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/812
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