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府立大で講演会(1/30) ー 近江遷都と額田王 [2014年02月02日(Sun)]
 先月末は行事が続きました。ここでは1月30日に大阪府立大学で開催された「万葉の道を歩く第9回講演会」についての報告です。村田右富美先生(府立大教授)が、「近江遷都と額田王」と題して講演されました。
IMG_5361m.jpg

 額田王は、『万葉集』には行幸・遷都・大殯(たいひん)などの宮廷儀礼や、肆宴(しえん)等での歌全13首(重複歌1首)を残しています。『日本書紀』天武天皇二年(673)二月条に、「天皇、初め鏡王の女額田姫王を娶りて、十市皇女を生む。」とあり、即位前の天武(大海人皇子)との間に十市皇女が生まれています。天智朝で十市皇女は大友皇子(天智天皇の皇太子)の妃となり、葛野王が生まれ(額田王にとっては孫)ますが、後にかつての夫大海人皇子と娘(十市皇女)の夫である大友皇子が争う壬申の乱が起こっています(672年)。近江遷都は『日本書紀』天智天皇六年(667)三月条に、「三月の辛酉の朔にして己卯に、都を近江に遷つす。」とあります。白村江の敗北(663年)の後、大陸政策と国内体制の再編のため畿外の地近江に都が遷されました。この時、百姓(おおみたから)は動揺し、放火や批難の童謡(わざうた)が多かったと、『日本書紀』に記されています。

 今回の講演で取り上げられた歌の中から、三輪山惜別歌と春秋判別歌を載せておきます。
先ず題詞に、額田王、近江国に下る時に作る歌、とある長歌と反歌、
【歌】 味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや (@-17)
【歌】 三輪山を 然も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや (@-18)
 三輪山は大和盆地の南東に位置する山で、西の葛城山とともに 大和の守護的な山で、その山をあとに都遷りするに際し、丁重に別れを惜しみ地霊を慰撫する必要があったと考えられています。

 次は、題詞に、「天皇、内大臣藤原朝臣に詔して、春山万花の艶と秋山千葉の彩とを競ひ憐れびしめたまふ時に、額田王、歌を以て判る歌」とある、春秋判別歌、
【歌】 冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ 入りも取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山そ我は (@-16)
 「春山万花の艶」と「秋山千葉の彩」を詩歌で競わせた時に、廷臣たちが漢詩で応えや中で、額田王が歌で応じたもので、秋山が良いと詠っています。


 なお、今回取り上げられなかった蒲生野遊猟の際の、額田王と大海人皇子との贈答歌については、以前のムラサキの記事に歌の解説も載せています。
         ↓
 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/57






Posted by katakago at 17:14
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