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カニと温泉の一泊旅行 [2013年11月22日(Fri)]
 日本海のカニ漁の解禁にあわせ、旅行会社のツアーのチラシが目立つようになりました。先日、ジパング倶楽部の企画旅行で京都府京丹後市丹後町間人に出かけて来ました。以前に日帰りのバス旅行で訪れたことがありますが、その時味わったカニをもう一度食するのと、温泉もゆったり楽しめるように一泊しました。この地の目玉は間人ガニ(たいざがに)です。間人ガニは、京都府の最北端経ケ崎の沖合を漁場として間人(たいざ)港に水揚げされるズワイガニに与えられた名前です(緑色のタグが目印)。夕食は間人ガニのフルコース(カニ刺し・茹でガニ・炭火焼・甲羅蒸し・カニみそスープ・カニすき・カニ雑炊)を賞味しました。
IMG_5045m.jpg

 ところで、地名の間人(たいざ)に関しては、次のような伝説・伝承があります。丹後町古代の里資料館の展示図録には、『丹後旧事記』や『間人濫觴記録』(弘化三年)などの文書から、次のように紹介されています。6世紀末、仏教に対する立場の違い、皇位継承問題をめぐって蘇我氏・物部氏の争いが生じた時、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后(欽明天皇の皇女で用明天皇の皇后)は乱をのがれて、この大浜の里に逃れる。その乱もおさまり大和へ帰るが、この皇后の名をつけて、間人と名づける。読み方は、「はしひと」と呼ぶのは恐れ多いということより、大浜の里を退座したということで「たいざ」と名づけた、とあります(『記紀』には見られませんが)。

 丹後町間人の立岩(写真左)と穴穂部間人皇后と聖徳太子母子像(写真右)
IMG_5051s.jpg

 立岩は周囲1km、高さ20mの柱状節理の安山岩で、丹後を代表する絶景の一つとされる。


 京丹後市網野町網野および浅茂川には浦島伝承が伝わっています。写真は浅茂川港に隣接する小さな丘にある嶋児神社(小さな祠ですが)。 
IMG_5061s.jpg

 なお、浦島伝説は、今回訪れていませんが、与謝郡伊根町本庄に伝わるものが起源が最も古いといわれ、この地の宇良神社には浦島の絵巻物といわれるものが残っているそうです。
 『日本書紀』雄略天皇二十二年条に、「秋七月に、丹波国余社郡(よざのこほり)管川の人水江浦島子(みづのえのうらのしまこ)、舟に乗りて釣し、遂に大亀を得たり。便ち女(をとめ)に化為(な)る。是に浦島子、感(め)でて婦にし、相逐ひて海に入り、蓬萊山(とこよのくに)に到り、仙衆に歴(めぐ)り覩(み)る。語は別巻に在り」とあります。また、『丹後国風土記逸文』与謝の郡の条に、筒川の嶼子(しまこ)として出て来ます(これ、謂ゆる水江の浦の嶼子という者なり)。

 『万葉集』巻九には、題詞に「水江の浦の嶋子を詠む歌」とある高橋虫麻呂の長歌と短歌が載せられています(H-1740,1741)。ただし、虫麻呂の歌では場所が住吉、時期は春であり、丹後の国の伝説では亀の姿で現れた神女を、最初から神女の姿で舟に乗っていて出会ったかのような表現となっています。『萬葉集全歌講義』によれば、「恐らくはもとの形を知っていながら、虫麻呂は、天平時代の貴族の嗜好にあわせてあらためたのであろう」とあります。
Posted by katakago at 14:40
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