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「飛鳥を愛する会」現地講座(石見から出雲を巡る)その2−考古学編 [2013年10月29日(Tue)]
 この記事では考古学関連の見学場所について写真を中心に報告します(2,3日目)。なお、島根県立古代出雲歴史博物館ではストロボ不使用で展示物の写真撮影が許可されていましたので適宜掲載しました(見学場所を整理する上で大変ありがたいことです)。
 考古学関連の見学場所では、木下先生・岡崎先生から詳細な図面付きの資料とともに解説していただきました。
2日目(10/26)は、荒神谷遺跡・荒神谷博物館 → 出雲弥生の森博物館 → 西谷墳丘墓群
3日目(10/27)は、今市大念寺古墳 → 上塩冶築山古墳 → 岡田山古墳群・島根県立八雲立つ風土記の丘の資料館 → 山代二子塚古墳 → 山代郷北新造院跡

 島根歴史年表と訪問場所(筆者作成)
IMG_0002L.jpg

 これは島根歴史年表(博物館図録を参照)に訪問遺跡の年代を重ねて作成してみました。弥生時代後期の荒神谷遺跡(多数の銅剣が埋納)・西谷墳丘墓群(巨大四隅突出型墳丘墓)から古墳時代後期の今市大念寺古墳・上塩冶築山古墳(出雲市)や山代二子塚古墳・岡田山一号墳(松江市)、さらに7世紀末から8世紀初めの山代郷北新造院跡を巡りました。

【荒神谷遺跡】
 荒神谷遺跡で木下先生の説明
IMG_4646m.jpg

 銅剣358本ほか銅鐸・銅矛などの青銅器が埋納されていた。製作年代は弥生中期後半とみられ、使用痕跡がなく製作後期間を経ず埋納されたとみられています(その意味については未だ定説は無いようです)。

 銅剣の埋納状況(再現)
IMG_4657m.jpg

 銅鐸・銅矛の埋納状況(再現)
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 出土銅剣の展示(島根県立古代出雲歴史博物館)
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 銅剣展示の拡大写真(同博物館)
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【西谷墳丘墓群】 
 四隅突出型墳丘墓の模型(出雲弥生の森博物館展示)
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 四隅突出型墳丘墓の形態は、方形墳丘の四隅を舌状に突出させ斜面には貼石がなされている。巨大四隅突出型墳丘墓は弥生後期後半(2世紀後半ごろ)出雲で突如として出現し、「出雲型銅剣」をシンボルとした出雲の社会に大きな変革が起こったとみられています(木下先生資料)。

 西谷墳墓群3号墓
IMG_4667m.jpg

 墳丘上での説明(岡崎先生)
IMG_4670m.jpg

 西谷墳墓群2号墓(復元)
IMG_4668m.jpg


 6世紀中ごろ、出雲西部と出雲東部で大型古墳が出現(二大勢力が成立)。
  西部勢力:出雲市の今市大念寺古墳(91mの前方後円墳)
  東部勢力:松江市の山代二子塚古墳(94mの前方後方墳、出雲最大)
 その後、7世紀前半ごろ東部勢力が優位を占め、西部勢力を打破した可能性が強く、東部勢力の首長が出雲唯一の突出した首長へ成長し、以後東部勢力が盟主となって出雲が統一され、出雲国造としての地位を占めるようになったとみられています(以上、木下先生資料より)。

 【今市大念寺古墳】
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 石室内を見学(懐中電灯で照明)
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 【上塩冶築山古墳】
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 石室内の見学
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 【岡田山1号墳】
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 6世紀後半に造られた二段築成の前方後方墳で、東部勢力の王墓に次ぐ有力古墳とみられています。ここからは象嵌銘文の銀装円頭大刀が出土しています(1979年)。文字は「額田部臣」と読め、部民制の存在を示す最古の史料とされる。「額田部」は額田部皇女(後の推古天皇)の養育に携わる部民で、額田部臣はその支配豪族(出雲にのみ見える)。岡田山一号墳出土の大刀銘文からは、出雲の豪族がヤマト政権の支配組織に組み込まれつつ成長していったことがよみとれる(以上、木下先生の資料より)。

 墳丘前で岡崎先生の説明
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 石室内の様子
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 埋葬状況の説明板
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 【山代二子塚古墳】
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 墳丘上で岡崎先生の説明
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 墳丘の様子(前方後方墳)
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 【山代郷北新造院跡】
IMG_4802m.jpg

 733年に完成した『出雲国風土記』意宇(おう)郡条には、山代郷(現在の松江市南郊)に南北2か所の新造院があったとあり、発掘調査の結果新造院跡と確かめられています。
 


Posted by katakago at 10:04
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