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第5回やまとフォーラム基調講演(9/1) [2013年09月02日(Mon)]
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 昨日(9/1)は、畿央大学(奈良県北葛城郡広陵町)で開催の「第5回やまとフォーラム」で、基調講演を坂本信幸先生が行われるというので出かけて来ました。畿央大学を含む学校を運営する学校法人冬木学園の主催で、地域貢献事業の一環として行われています。今回のフォーラムでは教育・文化・健康などの分野で13講座が設けられていました。私は基調講演のみを聴講しました。

 畿央大学は西方に葛城連山を臨む万葉ゆかりの地にあり、坂本先生の基調講演は「葛城の万葉歌と大伯皇女の歌」と題して行われました。以下に講演メモを残しておきます。
 講演の前半では、葛城の地名が詠みこまれた歌が紹介されました。地名としては、大坂(大和から河内へ越える坂道で二上山の北側を行く穴虫越えと考えられる)、二上山(ふたがみやま)、城上(きのへ)、百済の原・百済野、広瀬川、片岡、葛城山です。ここではそのうち次の一首を載せておきます。
【原文】 春楊 葛山 発雲 立座 妹念 (柿本人麻呂歌集 J-2453)
【読み下し文】 春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしそ思ふ 
【口語訳】 (春柳) 葛城山に立つ雲のように、立ってもすわっても、ずっとあの娘のことばかり思う。
 原文は十文字で表記され(助詞・助動詞・活用語尾などが省略)、万葉集短歌では最小の文字数の歌です。柿本人麻呂歌集歌で、このように省略した表記の歌は略体歌、そうでない歌は非略体歌と呼ばれています。

 講演の後半は、大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌が取り上げられました。
 大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に、大伯皇女の哀傷して作らす歌二首
【歌】 うつそみの 人なる我(われ)や 明日よりは 二上山を 弟(いろせ)と我(あ)が見む (A-165)
【歌】 磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに (Aー166)
 作者の大伯皇女は天武天皇の皇女(母は大田皇女)で、斉明天皇七年(661)百済救援の途中備前国大伯(大伯海)で生まれたと『日本書紀』に記されています。天武天皇二年(673)に伊勢斎宮となり、朱鳥元年(686)十月に、弟の大津皇子の謀反が露見して皇子が死を賜った後、十一月に帰京した(『日本書紀』)。万葉集には6首の短歌を残しています。上の2首を含めいずれも弟大津皇子を思って詠んだ歌です。
 残りの4首も次に載せておきます。
 大津皇子、竊かに伊勢神宮に下りて上り来る時に、大伯皇女の作らす歌二首
【歌】 我が背子を 大和へ遣ると さ夜ふけて 暁露に 我が立ち濡れし (A-105)
【歌】 二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ (A-106)
 大津皇子の薨ぜし後に、大伯皇女、伊勢の斎宮(いつきのみや)より京に上る時に作らす歌二首
【歌】 神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに (A-163)
【歌】 見まく欲り 我がする君も あらなくに なにしか来けむ 馬疲るるに (A-164)

 万葉歌ではこの場合のように、歌が詠まれた事情が題詞や左注に説明されている場合も多く、その歴史的な背景も踏まえて読むと、一層味わい深いものとなります。


 なお、大津皇子関連の講演は次のURLを
         ↓
 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/528


Posted by katakago at 16:35
この記事のURL
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/690
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