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シンポジウム「邪馬台国時代の摂津と播磨」 [2013年08月05日(Mon)]
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 私が住んでいる川西市には、弥生時代中期の加茂遺跡(約20ヘクタールの大規模集落)があり、ことし開館20周年の川西市文化財資料館では「邪馬台国時代の摂津と播磨」をテーマに特別展が開催されています(7/6〜9/1)。
 昨日は、これを記念してシンポジウム「邪馬台国時代の摂津と播磨」が開催され参加しました(於 川西市中央公民館)。講演者の顔ぶれからか、主催者によると東京や岡山からの参加者もあったとのことです。

 4人の講師が基調講演を行われた後、会場内からの質問にも答える形で討論が行われました。基調講演では、まず岡野慶隆氏(市教育委員会)が「邪馬台国時代の川西とその周辺」について、森岡秀人氏(日本考古学協会)が「邪馬台国時代とその前史〜摂津と播磨の集落や人々・品々の動き」について、福永伸哉氏(大阪大学教授)が「邪馬台国時代の主流派 ー 摂津3地域と播磨 ー」について、最後に石野博信氏(兵庫県立考古博物館長)が「邪馬台国時代のヤマト・纒向王宮」について話されました。

 次の図は福永氏の配布資料(弥生後期の地域連合のシンボル)より
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 福永氏の講演では、女王卑弥呼が共立される邪馬台国以前の地域連合段階(1〜2世紀)では、地域ごとに政治連合が生まれ、特徴ある器物や墳墓などをシンボルとしたとされる。近畿・東海の政治連合では、「突線鈕式銅鐸」をシンボルとした。その他の地域では、九州の「広形銅矛」、吉備の「特殊器台」、出雲の「四隅突出型墳墓」が挙げられています(上図参照)。
 川西市内の加茂遺跡は邪馬台国時代をさかのぼる200〜300年前に営まれていた環濠に囲まれた集落跡で、近くの栄根(さかね)遺跡からは近畿連合のシンボルである突線鈕銅鐸(復元高114cm、東京国立博物館所蔵)が出土しています。この銅鐸は摂津3地域(三島・西摂・六甲)では、三島と西摂で出土が見られ、特に西摂の猪名川流域では、上記の栄根銅鐸の他、満願寺銅鐸、如意谷銅鐸、利倉・利倉南銅鐸片などが知られ、畿内北部における集中地の一つとなっており、大きな南北河川を持つ西摂は畿内地域連合の中で重要な位置を占めていたと考えられています。


 なお、邪馬台国について福永氏は大和説で邪馬台国がヤマト政権に発展していったとの見解でしたので、先月聴講した村井康彦氏の説についてはどのように考えられるのか質問メモを提出したところ、シンポジウムで簡単に触れられました。福永氏の説では、邪馬台国政権段階での政治的シンボルは、突線鈕式銅鐸に代わって画文帯神獣鏡(中国鏡)で、もし出雲勢力が邪馬台国を樹立し、それを九州の勢力が攻めてヤマト政権を立てた(神武東征説話)とするなら、その勢力の出身地である出雲や九州でも画文帯神獣鏡が出るはずが今のところ見られないとのことでした。邪馬台国論争については、考えの異なる研究者による討論を聞く機会が今後もあればと思っています。

 村井氏の公開講座の記事は次のURL
       ↓
 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/672



Posted by katakago at 17:01
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