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「大出雲展」と関連シンポジウム(ヤマト王権と出雲) [2012年07月29日(Sun)]
 京都国立博物館では、昨日より、「大出雲展」(古事記1300年、出雲大社大遷宮記念の特別展覧会)が開催されています。今日の午後には、関連のシンポジウムが国立京都国際会館で開催され、その参加に先立ち午前中は展覧会を見学しました。
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 出品物では、『古事記』、『日本書紀』、『出雲国風土記』の古写本や、本居宣長の『古事記伝』などの史書類と共に、出土点数では他に類を見ない神庭荒神谷遺跡出土(1984年)の銅剣(358本中の42本)・加茂岩倉遺跡出土(1996年)の銅鐸(39個中の14個)も見ごたえがありました。また、2000年の発掘調査で出雲大社遺構から出土した、杉の大材三本を合わせて一つの柱にした宇豆柱(うづばしら)も展示されていました。

 午後のシンポジウムでは、上田正昭先生による「出雲古代史の魅力」と題する基調講演に続き、パネルディスカッション「ヤマト王権と出雲 ー検証・神々の国ー」が行われました。

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 『古事記』や『日本書紀』に掲載される大国主神の「国譲り神話」では、国譲りとの交換に巨大神殿の造営を求める件があります。『古事記』には、「此の蘆原中国は、命の随に既に献らむ。唯に僕が住所のみは、天つ神御子の天津日継知らすとだる天の御巣の如くして、底津石根に宮柱ふとしり、高天原に氷木たかしりて、治め賜はば、僕は、百足らず八十くま手に隠りて侍らむ」と記されています。その巨大神殿(出雲大社)の大きさについては、970年に書かれた『口遊(くちずさみ)』に、「雲太 和二 京三(出雲大社が一番で、二番目が大和の大仏殿、三番目が平安京の大極殿)」とあり、高さ15丈の大仏殿よりも大きかったたようです(パネリストの一人辰巳和弘先生)。
 次の図面は、往時の出雲大社本殿の平面図とされる「金輪御造営差図」(「大出雲展」図録より)で、巨木三本を一組とする直径一丈(約3m)の柱が描かれ、従来は信憑性が疑われていましたが、2000年に出雲大社境内から図面通りの巨木三本を一組にした柱が出土(今回展示)したことより再評価されるようになりました。またこの図面には「国御沙汰」とあり、造営遷宮が国家としての事業であったようです。
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 次の写真は今回展示の宇豆柱(「大出雲展」図録より)。
理化学的手法による年代測定と造替の記録などから鎌倉時代(1248年)遷宮の本殿の柱材とみられています。

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Posted by katakago at 22:20
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