アセビ(馬酔木) [2012年03月29日(Thu)]
植物園内に、アセビ(つつじ科)を数か所に植えています。写真は、山の斜面に植えているもので、多数の白色、つぼ型の花を付けています。アセビの葉は有毒(アセボトキシンを含む)で、馬が食べると苦しむので馬酔木の字があてられています。 万葉歌では、あしび(原文は、馬酔・馬酔木・安志妣などと表記)として詠まれています。
【歌】 我が背子に 我が恋ふらくは 奥山の あしびの花の 今盛りなり (I-1903) 【口語訳】 あなたを わたしが恋しく思うことは 奥山の あしびの花のように 今やまっ盛りです 「奥山のあしびの花」は、「今盛りなり」にかかる比喩の序詞で、「奥山」と限定したのは人知れずひそかに思うさまを表そうとしたものとみられています(『萬葉集釈注』ほか)。
もう一首あしびが詠まれた歌をあげておきます。 【歌】 磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに (大伯皇女 A-166) 【口語訳】 磯のほとりに 生えているあしびを 折りたいが お見せする相手のあなたが いるわけではないのに 題詞によれば、大津皇子の遺体を葛城の二上山に移葬した時に、姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が悲しんで作られた歌です。大津皇子の死については、昨年(12/17)の磐余池現地見学会の記事に書いています。『日本書紀』によれば、大伯皇女が、斎宮の任を終えて明日香の都に帰ってきたのは、朱鳥元年(686)十一月十六日(太陽暦の十二月九日)で、弟の大津皇子の刑死があってから約1カ月半後のことです(但し、移葬の時期についての記録は無い)。アセビは、夏に翌春の蕾をつけ、花は早春から晩春にかけて咲きます。そこで、この歌が詠まれたのは、皇女が帰京した翌年の春かとみられています。 大伯皇女はこの時もう一首の歌を詠んでいます。 【歌】 うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟と我が見む (A-165) 【口語訳】 この世の 人であるわたしは 明日からは 二上山を 弟として眺めるのか
次の写真は夕日が沈む二上山(右側の雄岳と雌岳)です。雄岳の頂に大津皇子の墓があり、お彼岸の日には、太陽は雄岳と雌岳の間に沈むそうです(撮影場所は橿原ロイヤルホテル、時期は、2010.5.1)。
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Posted by
katakago
at 19:40