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「旅」−歴史と文学 [2012年02月16日(Thu)]

 茨木市生涯学習センターで開催された講演会に参加しました。毎年この時期に、梅花女子大学と茨木市生涯学習センターの共催で講演会が開催されており、市外の者も参加できるのでこれまでも何回か聴講していました。

 
 今日は、「旅」−歴史と文学のシリーズの2回目で、「追体験 円仁が見た9世紀の大唐帝国」と題して、三木雅博先生(梅花女子大学教授)が講演されました。円仁は15歳で比叡山に登り、数年後に最澄に師事します。承和5年(838)45歳の時に遣唐請益僧(しょうやくそう)として唐に渡りました(19回目の遣唐使で、20回目は派遣されなかったのでこれが最後)。

 万葉歌人では、山上憶良が大宝2年(702)に遣唐少録(8回目の遣唐使)として在唐経験があります。また、憶良の好去好来歌も含め遣唐使を送る歌がいくつか載せられています。その関係で遣唐使に関する話には興味がありました。

 この時の遣唐使は、二度にわたる失敗を経て三度目に渡航に成功しています。円仁は承和5年から承和14年(847)まで唐に滞在し(この時、円仁は45〜54歳)、旅の一部始終を日記に記録しています。それが『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』で、外国の旅の記録としては、『東方見聞録』よりずっと古く、日記形式で記録も詳細で正確な点が高く評価されています。そこには、1200年も前の日中の民間人の交流や、唐の正史には語られない当時の唐帝国の生の実態が記録されています。。E・O・ライシャワー博士による英訳本と、その研究書『円仁 唐代中国への旅』(日本語訳は講談社学術文庫)が出版されています。

 円仁の旅の概要を以下に記します。
遣唐使とともに唐に入国してから、当初の目的の天台山への巡礼を申請するも許可されませんでした。揚州(遣唐使船の基地が置かれていた)滞在中に、もう一つの仏教の聖地である五台山への旅が可能となり、その巡礼の旅に出かけることになりました。五台山巡礼を果たした後、長安に行き、ここで青龍寺(空海も学んだ)など諸寺院で密教の奥義を学びました。そして帰朝の準備をする頃に、武宋皇帝による「会昌(かいしょう)の廃仏」に遭遇し、外国の僧にも強制還俗の命が出されました。唐の仏教者の協力を得て帰国許可証を手にした円仁は長安を逃れ、新羅の商人たちの協力で山東半島から黄海を渡り、新羅の沿岸を経由して無事に帰国できました。

 講演では、旅の途中のいくつかのエピソードを、『入唐求法巡礼行記』を読みながら話していただきました。

 円仁が旅したルートを示したのが次の地図です。



 山上憶良が唐に渡ったのは42歳の時(702年)で、帰国後、養老元年(721)東宮侍講として首皇子(おびとのみこ、後の聖武天皇)の教育係となり、神亀元年(726)筑前守(67歳)に任じられ、『万葉集』にも異色の歌を残しています。

 円仁も45歳で唐に渡り10年間学び、密教についての体系的な学問を手にしました。また膨大な経典類と詩文や史書など(外典)ももたらしました。帰国後、62歳で天台座主に任じられ、71歳で没しています。

 当時の航海は大変な危険を伴うもので、19回行われた遣唐使の中では、途中で難破した船がいくつもありました。まさに命をかけた学問への情熱にはあらためて感動を覚えます。
Posted by katakago at 19:31
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