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万葉文化館講座 [2012年02月05日(Sun)]
 奈良県立万葉文化館友の会の講演会があり出かけました。今回は「シリーズ万葉の歌人たち」の最終回(15回目)でした。「大伴家持の越中の歌」と題して、坂本信幸先生(高岡市万葉歴史館館長)が講演されました。定員70名で満席の盛況でした。理解不足もあるかと思いますが、講演の概要を以下に記しておきます。
 万葉歌所出の地名分布が調べられていますが(犬養孝『万葉の旅』)、近畿圏(奈良県、大阪府、兵庫県、滋賀県、京都府)以外では、富山県が突出しています。その理由として、『万葉集』の編纂に大きく関わったとされる大伴家持が、天平18年(746)に越中守に任ぜられ、5年間そこに暮らし多くの歌を詠んだからと考えられています。家持は、万葉歌4516首中、473首もの歌を残していますが、そのうち越中で詠んだ歌は223首にも及びます。
 当時(8世紀半ば)の地方の出来事に関する情報が極めて少ない中にあって、家持が越中国で詠んだ歌々によって、当時の越中の風土・方言・孤語・風俗などを知ることができる − というのが話の中心でした。都から離れて越中で初めて目にした風土・景物・風俗を歌に詠んで、帰京した折には都人に「みやげ」とする意図があったとみられています。
 たとえば植物では、かたかご(カタクリ)、つまま(タブノキ)、あしつき(ネンジュモ)などは、それぞれ家持が越中で詠んだ歌にのみ(しかも一首のみ)でてきます。地理情報では、大和と同じ名の二上山(ふたがみやま、越中では射水郡)、布勢の水海(射水郡旧江村)、立山(新川郡)などを詠んだ歌があります。また、当時越中で鵜飼いが行われていたことも歌から知ることができます。講演では、それぞれ万葉歌を取り上げて解説していただきました。 越中の国府のあった高岡市には、これまで何度か訪れていますが、あらためて機会を見つけて訪ねてみたいと思っています。毎年10月の初めには、「高岡万葉まつり」が開催されており、それに合わせて計画してみようかと考えています。

 講演は午後からでしたが、せっかく明日香に行くので午前中は村内を歩いてみようと思って早朝から出かけました。
 飛鳥資料館では、冬期企画展「飛鳥の考古学2011」が開催されており見学しました(今日は入館料が無料でした)。展示物のなかには、一昨年来話題になった牽牛子塚古墳・越塚御門古墳の出土品もありました。

 村内には万葉歌碑が多数建立されていますが、今日も何箇所か見て回りました。ここに紹介するのは、橘寺西門近くにある、坂本信幸先生揮毫の歌碑です。柿本人麻呂の妻が亡くなった時に泣血哀慟(きゅうけつあいどう)して作った歌(長歌A-210)です。歌の後半には、 ・・・・ 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽易(はがひ)の山に 我が恋ふる 妹はいますと ・・・・ と詠まれていますが、副碑には、「大鳥の羽易の山」の解説が図とともに載せられています。この碑の北東前方に、三輪山を頭部に、龍王山・巻向山を両翼のようにして、さながら大鳥が天翔るように見える山の姿をいったものと記されています(羽易は鳥の両翼の重なり合う部分)。



 次の写真はその山の様子です(左から龍王山、三輪山、巻向山)。



 万葉文化館の近くに飛鳥坐(あすかにいます)神社がありますが、今日は「おんだ祭」の神事が行われる日ということで賑わっていました。五穀豊穣と子孫繁栄を祈るため、田遊びと結婚生活をリアルに演じる、西日本三大奇祭として有名だそうですが、講演の時間帯と重なったため今回はその様子を見ることはできませんでした。



 
Posted by katakago at 19:56
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