コウヤボウキの花 [2011年10月20日(Thu)]
コウヤボウキ(きく科)の花が咲き始めました。万葉歌で、たまばはき(原文は多麻婆波伎・玉箒と表記)として詠まれています。次に示す歌の玉箒は、コウヤボウキの茎を束ねて作られたものです(その材料となるこの落葉低木も「たばばはき」とよばれたようです。 【歌】 初春の 初子の今日の 玉箒 手に取るからに 揺らく玉の緒 (大伴家持 S-4493) 【口語訳】 正月の 初子の今日の 玉箒 手に取るだけで ゆらゆらと鳴る玉の緒よ 題詞によれば、 天平宝字二年(758)春正月の三日(初子の日、太陽暦の二月十九日に当たり、家持41歳)に、侍従、豎子(じゅし)、王臣たちを召して、玉箒(たまばはき)を下されて宴が催され、内相藤原仲麻呂が勅を受けて、「諸王卿らよ、自分の能力、自分の思いのままに歌を作り、合わせて詩を賦せ」と仰せられたとあります。この歌は、右中弁大伴家持の作ですが、左注には、大蔵省の勤務の都合で、奏上できなかったとあります。 中国では周漢時代から 正月初子の日に、帝王躬耕(きゅうこう)・后妃親蚕(しんさん)の儀式が行われ、この時、玉箒が辛鋤(からすき)とともに飾られた(玉箒は実用的には蚕の床を掃くためのもの、辛鋤は農耕用)。日本にも、孝謙天皇の頃にその習俗が伝わって宮廷の年中行事の一つになったようです。 現在、正倉院南倉に、目利箒と手辛鋤が残っており、その玉箒には雑玉(諸種の色ガラス)が付いています。これら二点は、2009年の正倉院展に出品されました。辛鋤の裏面と、玉箒の袋に、天平寶字二年正月の墨書が残っています(次の写真は図録から)。まさに万葉集に記されている初子の日の宴で飾られた可能性のある品が、1250年後の今日も残されているのは大変興味深いことです。 なお、正倉院宝物の呼称には、「子日目利箒(ねのひのめとぎぼうき)」とあり、素材がメドハギ(まめ科)と見なされたことによるものですが、調査の結果、実際はきく科のコウヤボウキの茎が束ねられていることが判明しています。茎が写っている写真を次に載せておきます。 |
Posted by
katakago
at 13:15