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平成29年度 瀬戸内海文化を考える会 [2017年09月20日(Wed)]
 台風通過直後の18日から2日間、今年の「瀬戸内海文化を考える会」が開催されました。
 前日から台風の影響が気がかりでしたが、夜中に通り過ぎ交通機関への影響は気になったもののひとまずホッとしました。ただし、2日間留守にするため畑や裏山(民家のそばの立ち木)の様子が心配で、4時半頃まだ暗い中、懐中電灯を手に見回りに出掛けました。ざっと見まわったところ、レモンの木が倒れていたので支柱を立てて応急処置を行いました。この他これから収穫時期を迎える中生の栗(銀寄)のイガが青いまま落ちてしまっているのではないかも気になりましたが、暗くてよく分かりませんでした(帰ってから見てみると落ちてはいたものの思ったよりは軽微で一安心)。

 当日は岡山に8:30集合で、山陽新幹線の運行が心配でした。ジパング倶楽部で利用できる列車は限られるのですが、幸い予定どおり到着できました。集合場所では、この5月に植物園に来ていただいた大村先生はじめ呉市からの方々にも再会できました。
 今回のテーマは「古代瀬戸内海の旅と万葉歌」で、文化フォーラムとバス・クルーズ船による万葉ツアー(熟田津への旅)が行われました。

 <1日目>
岡山駅→「狭岑の島」(坂出市沙弥島)→「久米官衙遺跡」(松山市来住町)→道後温泉ホテル椿館 文化フォーラム(講演会)、湯神社・伊佐爾波神社参拝、懇親会

 台風一過の明石海峡大橋(沙弥島で)
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 沙弥島の柿本人麻呂碑で
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 なお、「狭岑の島」関連記事は次のURLに載せています。
https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1172


 久米官衙遺跡(松山市来住(きし)町)で柴田昌児先生(愛媛大学准教授)による解説
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 久米官衙遺跡群の説明パネル(松山市教育委員会)より
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 この回廊状遺構は7世紀後半に造られた大規模な区画施設で、このころの地方官衙(役所)で造られる例はほとんどなく、斉明天皇が筑紫に向かった際に立ち寄った石湯行宮(いわゆのかりみや)と関連付ける説もあるとのことです。
 久米官衙遺跡から出土した回廊状遺構の説明パネル
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 一日目午後の文化フォーラム(於 道後温泉 ホテル椿館本館)は、お二人の先生による講演会で、柴田昌児先生(愛媛大学准教授)が「古代瀬戸内海の海上活動と準構造船」と題して、坂本信幸先生(高岡市万葉歴史館館長でこの会の代表)が「山部赤人の伊予の温泉の歌」と題して講演されました。 
 柴田先生による講演の様子
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 瀬戸内海地域の前期古墳は海上から見える場所に造られている(神戸の五色塚古墳など)との話は、同じく神戸の東求女(もとめ)塚古墳、処女(おとめ)塚古墳、西求女塚古墳と合わせて興味深いものでした。この三基の古墳は、海岸沿いにほぼ等間隔に築かれ、海に前方部を向けた中央の処女塚古墳に対し、東西の求女塚古墳はそれぞれ前方部を処女塚古墳に向けている(廣川晶輝著『死してなお求める恋心―「菟原娘子伝説」をめぐって―』より)。海上で船から見た光景を基に「葦屋(あしのや)の菟原娘子(うないおとめ)伝説」が生まれ、高橋虫麻呂、田辺福麻呂、大伴家持らが歌に詠んでいます。
 講演では、弥生時代後期から中世にかけての丸木舟とそれに舷側を付けた準構造船の話がありましたが、坂本先生から、万葉歌に「棚なし小舟」や、「船棚打ちて」などと詠まれている例があることを紹介されました。
【歌】 いづくにか 船伯てすらむ 安礼(あれ)の崎 漕ぎたみ行きし 棚なし小舟 (巻一・58 高市連黒人)
【歌】 奈呉の海人の 釣する船は 今こそば 船棚打ちて あへて漕ぎ出め (巻十七・3956 秦忌寸八千島) 
 船棚は船の舷側の横板で、「船棚打つ」は豊漁を願った呪術か(坂本先生)。

 坂本先生による講演の様子
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 とりあげられた歌は、題詞に「山部宿祢赤人、伊予の温泉(ゆ)に至りて作る歌一首并せて短歌」とある次の歌です。
【長歌】 天皇の 神の命の 敷きいます 国のことごと 湯はしも さはにあれども 島山の 宜しき国と こごしかも 伊予の高嶺の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして 歌思ひ 辞(こと)思ほしし み湯の上の 木群を見れば 臣の木も 生ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変はらず 遠き代に 神さび行かむ 行幸所(いでましどころ) (巻三・322)
【反歌】 ももしきの 大宮人の 熟田津に 船乗りしけむ 年の知らなく (巻三・323) 
 作者山部赤人の出自から始まり、解釈の定まってはいない「伊予の高嶺」についてや、赤人が想起し偲んだ故事についてなど解説されました。

 フォーラムが終わって夕食までの時間を利用して、近くの湯神社と伊佐爾波(いさにわ)神社に参拝しました(写真は神社に向かう階段)。
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 懇親会の会場で挨拶される坂本先生
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 <2日目>
ホテル出発(8:00)→愛媛県護国神社(額田王の万葉歌碑)→軽太子(かるのおおみこ)・軽大郎女(かるのおおいらつめ)をまつる「軽之神社」(松山市姫原)→「久枝神社」藤原純友の駒立岩および「額田王の万葉歌碑」(松山市古三津)→三津埠頭より乗船→御手洗島散策→大三島「大山祇神社」参拝→三原港

  額田王の熟田津(にきたつ)の万葉歌碑
 熟田津の所在についてはいくつかの説がある中で、その一つの御幸寺(みきじ)山麓付近に比定する説に基づき、近くの護国神社境内(松山市御幸)に歌碑が建立されている。 
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 古三津(ふるみつ)・三津浜説に基づき、久枝神社境内(松山市古三津)に建立された歌碑
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【歌】 熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許芸乞菜 (巻一・8)
【読み下し文】 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
【口語訳】 熟田津で 船出をしようとして 月の出を待っていると 潮も幸い満ちて来た さあ漕ぎ出そうよ
 「潮もかなひぬ」は、この辺りは潮流が変化する所で午後11時ごろに転流し、西海への航行に都合のよい潮の流れになったとする説がある(坂本先生の講演で)。 
 なお、左注には、『類聚歌林』を引用し、「斉明天皇七年(661)正月6日、天皇の船は海路筑紫に向かって出発した。船は伊予の熟田津の石湯(いわゆ)の離宮に泊った。天皇は夫君舒明天皇と来られた時の風物が昔のまま残っているのをご覧になって、すぐ懐かしく思われた。そこで歌を作られ悲しみの気持ちを表された」とあり、この歌の作者を斉明天皇とする説もある。  
 久枝神社に奉納された熟田津船出の絵 
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 古事記歌謡(84,87)の歌碑 
 『古事記』允恭天皇条では、軽太子と軽大郎女の恋物語は、太子の穴穂皇子(後の安康天皇)との皇位争いの敗北の裏側にあったものとして語られる(『新編日本古典文学全集 古事記』の頭注より)。物語では、軽太子が同母妹との密通発覚で捕らえられ伊予の湯(道後温泉)に流される。離れ離れになった軽大郎女は太子の後を追って伊予の国に行くが、最後はそこで一緒に死んでしまう。この歌碑に採られた軽太子の歌は、
【歌】 天飛ぶ 鳥も使そ 鶴が音の 聞えむ時は 我が名問はさね (84)
【口語訳】 空飛ぶ鳥も言通わす使いなのだ。鶴の声が聞こえる時は、私の名を言って私のことをお尋ねください
軽大郎女の歌は、
【歌】 君が往き 日長くなりぬ 造木(やまたづ)の 迎へを行かむ 待つには待たじ (87)
【口語訳】 あなたがお出かけになってずいぶん日がたちました。(造木の) お迎えに参りましょう。これ以上待ちません。
 軽之神社(松山市姫原)奥にある歌碑 
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 歌碑の前で坂本先生の解説を聴く
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 なお、『万葉集』には、磐姫皇后の歌として、次の歌が載せられています。
【歌】 君が行き 日長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ (巻二・85)
【口語訳】 君の行幸は 久しくなりました 山を尋ねて お迎えに参りましょうか ひたすら待ちましょうか


 松山を離れる前に、道後温泉にもふれておきます。
 道後温泉本館
朝食前(午前6時ごろ)に訪れましたが、早くも入浴客が見られました。
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 道後温泉本館にある湯釜銘に関する資料(道後温泉本館にて入手) 
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 松山には平成7年(1995)に休暇を利用して日帰りで訪れたことがあります(退職するまでは横須賀に住んでいました)。その時、市内にある万葉歌碑を捜し歩き、道後温泉本館の湯にも浸かったことがあります。
 当時の搭乗券半券と道後温泉入浴券
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 道後温泉本館 神の湯男 東側浴槽湯釜の絵ハガキ(当時購入したものが残っていました)
昨日坂本先生の講演で取り上げられた、山部赤人の伊予の温泉の歌(巻三・322、323)がこの湯釜に刻載されています(当時入浴時に見ることが出来ました)。
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 11時ごろチャーター船で三津埠頭を出発、御手洗島に立ち寄り昼食と散策の後、大三島の大山祇神社へ向かいました。
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 大三島の宮浦港へ到着
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 大山祇(おおやまづみ)神社
参拝した後、国宝館・海事博物館を観覧しました。
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 拝殿
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 御朱印
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Posted by katakago at 21:42
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