白隠さんと出会う(東京世田谷の龍雲寺で) [2016年10月23日(Sun)]
昨日(10/22)は、21日から東京世田谷の龍雲寺(臨済宗妙心寺派)で2日間限りで開催された企画展とトーク講座「白隠さんと出会う」の2日目に参加してきました。翌日は地元の秋祭りのため日帰りの旅行でしたが、充実した一日でした。 今年は臨済宗を開いた臨済義玄禅師の1150年遠諱(おんき)、来年は臨済宗中興の祖とされる白隠禅師の250年遠諱にあたり、特別展「禅ー心をかたちに」が春には京博で開催され、東博では現在開催中で、これに合わせて龍雲寺所蔵の白隠の書画52点の展示と講演会が企画されました。 私は、昨年自費出版した本『木田家のルーツを尋ねるー石碑の銘文に導かれてー』の調査執筆過程で、祖先の一人木田種重(鉄屋庄左衛門 寂堂萬翁元照居士)が白隠を信奉し、白隠の漢文語録『荊叢毒蘂』の刊行に際し資金援助したことを知り、以来白隠に関心を持つようになりました。白隠と種重との関係について教えていただいたのは芳澤勝弘先生(当時花園大学教授)で、今回のトーク講座の講師のお一人でした。 なお自費出版本については次のURLに載せています。 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/1060 大澤山 龍雲寺の山門(世田谷区野沢) 本堂での講演 「白隠禅の声をきく」と題して講演される住職の細川晋輔師) 「衆生本来仏なり」で始まる「白隠禅師座禅和讃」について解説されました(自身のうちに宿る「幸せな心」に気付くための白隠からのメッセージ)。 「白隠禅の声をきく」と題して講演される芳澤勝弘先生 白隠は禅の教えを説くために多くの墨蹟を残していますが、その画を通して何を訴えようとしているか素人にはなかなか分かり難い。この講演では、四つの画(雷神図、鳥刺し図、布袋お福を吹く図、布袋渡河図)を取り上げて解説されました。 布袋渡河図 龍雲寺所蔵の白隠書画(先代の住職細川景一師が収集された52点)はガラス越しではなくまじかに鑑賞できるように展示されており、有り難い事にはこの種の展覧会には珍しく写真撮影も自由でした(いくつか掲載させていただきます)。 床の間に掛けられている様子 「達磨」 画賛の「直指人心 見性成仏」は、「まっすぐに自分の心を見つめ、自身の心が仏心にほかならないことに気づきなさい」という達磨大師の教えを説いたもの 「人丸」 人丸は柿本人麻呂で、衣には文字絵で和歌(ほのぼのと あかしの浦の 朝霧に 嶋かくれゆく ふねをしぞ思ふ)がかかれている。左の画賛には、「焼亡は かきの本まで 来たれども あかしと云へは 爰(ここ)に火とまる」とある。 歌聖とされた柿本人麻呂は平安時代末期には人丸影供(えいぐ)が行われていた(歌会に際し人麻呂像をかかげこれに香華供物を備える儀式)。また、「人丸=火止まる」から、人丸は俗信で火伏の神ともなった。 芳澤先生は、『花園』(第66巻 9号)で、この画について解説されており、この火除けの賛はおまけで、大事なのは和歌だと次のように述べられています。「ほのぼのとしていて、見ることも聞くこともできない、それでいて、確かに在る”こころ”、本有の自性のありようを表したものが、人丸像です」と。 |
Posted by
katakago
at 18:03