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全国万葉フォーラム in 鞆の浦に参加 [2016年09月14日(Wed)]
 先週末から3日間、福山市鞆の浦で「全国万葉フォーラム」があり参加しました。地元の「鞆の浦万葉の会」(代表戸田和吉さん)主催(全国万葉協会ほか後援)で開催されました。
 初日(9/10)は、午前中に万葉歌碑の除幕式(沼名前(ぬなくま)神社境内)があり、午後から鞆公民館で講演会とシンポジウムが行われました。夕方からの全国万葉交流会(鞆町「鷗風亭」)では、沖縄から北海道まで多くの万葉ファンが参加して楽しいひと時を過ごしました。
 2日目(9/11)はショートクルーズ(笠岡神島・大飛島・阿伏兎観音)と鞆の街歩き(万葉歌碑と史跡めぐり)、3日目(9/12)はオプショナルクルーズ(鞆港→長井の浦遠望→御手洗→倉橋島→竹原港、バスで東広島市安芸津町の風早万葉歌碑)が行われこれらにも参加しました。
 講演会・シンポジウムや、交流会・クルーズでは大変充実した時間を過ごせました。実施に当たられた戸田代表はじめ「鞆の浦万葉の会」の皆さんのきめ細かな対応に感謝いたします。お世話になりました。
 以下、写真とともに記録を残しておきます。

【万葉フォーラム(9/10)】 
 講演会の様子 演者は下田 忠先生(元福山女子短期大学教授)
「瀬戸内の万葉」と題して講演されました。遣唐使や遣新羅使をはじめ、筑紫・内海に派遣される官人や防人もこの海上を旅した(万葉びとの重要な交通路であった)。講演では鞆の浦で詠まれた歌(大伴旅人や遣新羅使人の歌)とともに、瀬戸内海の船旅(敏馬→明石大門→印南の海→名寸隅→辛荷の島→牛窓→児島→玉の浦→神島→長井の浦→風早→長門の島→麻里布の浦→大島の鳴門→祝島→佐波の海)で詠まれた歌を解説されました。
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 シンポジウムの様子
 万葉歌に詠まれた「鞆の浦のむろの木」の”むろの木”はについては、現在のどの植物に当たるかについては、これまでネズやイブキ(いずれヒノキ科)説があります。服部保先生が植物生態学の立場から見解を述べられ(当時照葉樹林であったか里山であったかによって樹種が変わる)、坂本先生からは、旅人の歌の原文のむろの木は「天木香樹」と表記されており、この天木香樹は「涅槃経」には香木とあることが紹介されました。
 なお、鞆の浦の関連万葉歌碑のそばにはいずれもネズが植えられていました。
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 全国万葉交流会で同席の方と記念写真
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 交流会での箏曲演奏(ヴァイオリンとの合奏で「春の海」)
宮城道雄の「春の海」は1930年の歌会始の勅題「海辺の巌」にちなみ、1929年末に作曲されたものです。8歳で失明する前に祖父母に育てられて住んでいた鞆の浦の風景をイメージして作られたそうです。フランスのヴァイオリニスト(ルネ・シュメー)との合奏で世界的に有名になったそうです。
 ちなみに福山市は琴の生産の7割を占めているとのこと。
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【福山市の万葉歌碑】 
万葉歌碑の除幕式(9/10 沼名前(ぬなくま)神社で)
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【歌】 ま幸くて またかへり見む ますらをの 手に巻き持てる 鞆の浦廻を (F‐1183)
【口語訳】 無事でいて また来て見よう ますらおが 手に巻いて持つという名の 鞆の浦辺を

 大伴旅人の歌碑(福禅寺 対潮楼石垣下)
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【原文】 吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者 常世有跡 見之人曾奈吉 (B‐446 大伴旅人)
【読み下し文】 我妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人そなき
【口語訳】 我妻が 見た鞆の浦の むろの木は 今も変わらずにあるが これを見た人はいない

 大伴旅人の歌碑(鞆の浦歴史民俗資料館の庭)
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【歌】 鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも (B‐447 大伴旅人)
【口語訳】 鞆の浦の 磯のむろの木を 見るたびに 共に見た妻のことが 忘れられようか
以上二つは、天平二年(730)十二月に、大宰帥大伴旅人卿が帰郷の途についた時に作った五首のうちの二首。

【ショートクルーズと鞆の街歩き(9/11)】
 岡山県笠岡市神島(こうのしま)日光寺の万葉歌碑 
備後国の神島の浜にして、調使首(つきのおみのおびと)、屍を見て作る歌。長歌(L‐3339)、反歌(L‐3343)
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 歌碑の裏面には坂本信幸先生の解説文がある。
旅の途上、飢えや病などにより死んだ人の屍を見て詠んだ歌を、行路死人歌と呼ぶ。歌に詠むことにより異郷に果てた人の魂を鎮めることは、自己の旅の安全を祈ることであった(解説文より)。

天気に恵まれ船上デッキに出て瀬戸内の風景を楽しみました。 
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 海上から眺めた阿伏兎観音(磐台寺観音堂 国重要文化財)
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 大飛島(おおびしま)の祭祀遺跡
奈良時代から平安時代にかけて海神に宝物を捧げる祭祀が行われていた(笠岡市教育委員会)。
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 鞆の港の常夜燈(安政六年(1859)に建てられた)と船着き場の階段状の雁木
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 福禅寺の対潮楼(朝鮮通信使の迎賓館)から眺めた仙酔島
1711年朝鮮通信使の李邦彦が「日東第一形勝」と称賛した。
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 宮城道雄の銅像(鞆の浦歴史民俗資料館の庭)
 鞆町出身の菅国治郎の長男として神戸に生まれた(この像は宮城道雄の偉徳と功績を讃え1990年に建てられた)。生誕祭には、この街歩きを案内してくれた鞆小学校の児童(琴クラブ部員)もこの場所で演奏するとのことです。
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【オプショナルクルーズ「島めぐり」(9/12)】
GPSのモニター(倉橋島に向かう船中で)
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 呉市倉橋島(かつては長門の浦と呼ばれていた)にある万葉歌碑を見学
桂浜の巨大な万葉歌碑
遣新羅使人歌8首(N-3617〜24)が刻まれている
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倉橋島の万葉植物公園内の万葉歌碑(揮毫は犬養先生)
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【原文】 和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流 (N-3621)
【読み下し文】 我が命を 長門の島の 小松原 幾代を経てか 神さび渡る
【口語訳】 (我が命を) 長門の島の 小松原は 幾年を経て こうも神々しいのだろうか 

 風早の浦の万葉歌碑と陶板画(東広島市安芸津町風早、祝詞山八幡神社境内)
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【歌】 我が故に 妹嘆くらし 風速の 浦の沖辺に 霧たなびけり (N-3615)
【口語訳】 わたしのことで 妻は嘆いているらしい 風速の 浦の沖辺に 霧がかかっている
【歌】 沖つ風 いたく吹きせば 我妹子が 嘆きの霧に 飽かましものを (N-3616)
【口語訳】 沖からの風が ひどく吹いて来でもしたら いとしい妻の 嘆きの息の霧を 存分に吸い込めるだろうに
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Posted by katakago at 17:11
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