オキナグサその後 [2016年04月19日(Tue)]
オキナグサ(きんぽうげ科)の花の写真は3/18の記事に載せていますが、今は上の写真のように、そう果は花柱が長く伸び、老人の白髪のような白毛を密生させています(和名:翁草、漢名:白頭翁)。
畑では白いスミレも咲いています。
熊本県では地震で大きな被害が出ています。知人(熊本市北区山室、南阿蘇村河陽)もおり、地震の終息と一日も早い復旧を願っています。 ところで、昨日のカルチャーセンター(坂本信幸先生の万葉講座)で、熊本県の益城(ましき)の地名が、『万葉集』巻五の山上憶良(当時 筑前国守)の歌の序に出ていることを教えていただきました。大伴熊凝(おおともくまごり)臨終の心を、大宰府大典(四等官)の麻田陽春が、その身になり代って詠んだ歌に続いて、憶良が謹んで和した歌六首と序があります。 その序の冒頭は、「大伴君熊凝は、肥後国益城郡(ひのみちのしりましきのこほり)の人なり。年十八歳にして、天平三年六月十七日を以て、相撲使(すまひのつかひ)某国司官位姓名の従人となり、京都(みやこ)に参ゐ向かふ。天の為に幸あらず、路に在りて疾(やまひ)を獲、即ち安芸国佐伯郡高庭の駅家(やくけ)にして身故(みまか)りぬ。・・・・・」とあります。 天平三年は731年。「相撲の使」は、七月七日に宮中で行われる相撲の節会(すまひのせちえ)のために、諸国の相撲人を徴発して都に上る使者(正式には相撲部領使)。
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Posted by
katakago
at 10:01