日本を護ろう・・・人でなし考 [2023年05月30日(Tue)]
日本を守ろう!
古来我が国では、「人でなし」を最大の侮辱言葉としてきました。 民は「おほみたから」なのです。 民衆のひとりひとりが、誰もが「人」として生きていくことができる社会であるからこそ、「人でなし」は最大の侮辱言葉となったのです。 「人でなし」は実は、奴隷を制度とした国や民族には、考えられない言葉なのです。 昔は、盗みや争いごとをするような者のことを、「人でなし」と言いました。 理由は、日本の社会は、誰もが「人」であることを重視してきた社会だからです。 人であることを大切にした社会であるからこそ、最大の侮辱の言葉が「人でなし」だったのです。 その日本が、近年ではテレビや新聞の社会面は毎日「人でなし」の報道ばかりです。 私たち日本人にとっての現在の未来の理想像は、「人でなし社会」なのでしょうか。 「人でなし」という言葉の持つ重み - ねずさんのひとりごと (nezu3344.com) https://nezu3344.com/blog-entry-5612.html *** 日本国内の諸国の村々には、村ごとに神社があります。 その神社には、社官がいて、人々はその社官のことを「社首」と呼んでいます。 村人たちが様々な用事で他の土地にでかけるときは、道中の無事を祈って神社にお供え物をします。 あるいは収穫時には、各家の収穫高に応じて、初穂を神社の神様に捧げます。 神社の社首は、そうして捧げられた供物を元手として、稲や種を村人に貸付け、その利息を取ります。 春の田んぼのお祭りのときには、村人たちはあらかじめお酒を用意します。 お祭りの当日になると、神様に捧げるための食べ物と、参加者たちみんなのための食事を、みんなで用意します。 そして老若男女を問わず、村人たち全員が神社に集まり、神様にお祈りを捧げたあと、社首がおもおもしく国家の法を、みんなに知らせます。 そのあと、みんなで宴会をします。 宴会のときは、家格や貧富の別にかかわりなく、ただ年齢順に席を定め、若者たちが給仕をします。 このようなお祭りは、豊年満作を祈る春のお祭りと、収穫に感謝する秋のお祭りのときに行われています。 *** いかがでしょうか。 これがいまから1400年前の、日本の庶民の姿です。 なかでも特徴的なのが、 「宴会のとき、 家格や貧富の別にかかわりなく、 ただ年齢順に席を定め、 若者たちが給仕をする」 というくだりです。 社会的身分や貧富による差異ではなく、ただ「年齢順」に席順が決まるというのです。 集まる場所は神社です。 その神社の氏子会館でお祭りの打ち合わせをし、終わればみんなでいっぱい飲む。 こうした習慣は、少し田舎の方に行けば、いまでも全国に残っている習慣です。 しかもおもしろいことに、お祭りの打ち合わせに集った人たちにとって、互いの社会的身分や地位などは、まるで関係ありません。 「俺は◯◯社の部長だ」と言ったところで、お祭りの打ち合わせには何の関係もない。 こうした伝統は、なんと千年以上も前から続いているものだということが、わかるのです。 世界中どこの国においても、宴席であろうがなかろうが、席次は身分や力関係によります。 ところが古くからの日本社会では、男女、身分、貧富の別なく、単純年齢順だというのです。 しかもこうした習慣は、いまでもちゃんと残っています。 このことが何を意味しているかというと、日本社会は古くから身分や貧富の差よりも「人であること」を重視してきた、ということです。 ・・・近年の我が国では、大陸や半島の文化があたかも良いものであるかのように宣伝されてきました。 天皇という紐帯を持たないそれら諸国諸民族では、自分と自分をとりまくわずかな家族しか信頼することができず、他人から物を奪い、自分だけが贅沢三昧な暮らしをすることが、あたかも正義であるかのように宣伝され、正当化されています・・・ |