宮崎謙介元議員が怒りと悲しみの手記 [2022年07月14日(Thu)]
「安倍元首相銃撃」の悲劇が起きた理由
宮崎謙介元議員が怒りと悲しみの手記 宮崎謙介 2022/07/09 06:00 安倍首相に教わった国会議員の存在意義 安倍元首相が凶弾に倒れました。この一報を妻からの電話で知りました。電話越しの声が涙声で震えていて、にわかに信じられませんでしたが、ニュースで確認してがくぜんとしました。ネット上の記事で、血を流し路上に横たわる安倍さんの姿をみて、怒りがこみ上げるとともに悲しさで涙が止まらなくなりました。 私は安倍チルドレンの一人で、安倍元首相からいろいろと学ばせていただきました。歴代最長任期の総理大臣として歴史に名を刻んだ安倍元首相のこの痛ましい事件に、心を痛めている国民も多いでしょう。心の底からの怒りと、悲しみをこめて訴えたいと思います。 安倍元首相が以前、私におっしゃったことがあります。「政治は国民の好む耳あたりの良い政治をするだけでは意味がないんだ。意見が二分するような問題提起をして国民の皆さまに考えていただく、議論を巻き起こすことに国会議員の存在意義があるんだ」と。 これは私が政治家として悩んでいたときに、アドバイスをいただいた言葉でした。この時に感じたのは、安倍元首相は政治家として常に戦っているのだ、ということです。 国民を二分する議論を巻き起こすこととは、つまり国民の半分を敵に回した上で、説明し説得し理解を促すということです。 誰だって人にとって耳障りなことは言いたくないし、波風を立てずに過ごせるならそうしたいと願うものです。ポピュリズム政治は国民の声に寄り添っていればいいだけなのですが、そうしているといつの間にかやすきに流れついた結果、国家は弱体化し破滅の道をたどるのは、ローマ帝国の滅亡のように歴史が証明しています。 だからこそ、安倍元首相がおっしゃる「国民の半分を敵に回して議論を巻き起こし、道を切り開く」ということは大変厳しいことであり、つらいことです。よほどの覚悟がないとそれはできないでしょう。「その先に国民の幸せがある」という強い信念がないとできないことでしょう。私はそんなすごみを感じたのです。 その昔、大学生の頃に父と政治談議をしていたときのことを思い出しました。「今の政治家で、命を懸けて国を変えてやろうという気概を持っている人はいるのだろうか」と父は言っていました。父と政治談議をしたことは後にも先にもその一度きりでしたが、父のその言葉が妙に胸に残りました。 それから約10年後に私が国会議員になりましたが、そうした迫力を感じる政治家は数える程しかいませんでした。自分の選挙のことしか考えない議員、いかに金を集めるのかに腐心する議員を見るとがくぜんとしたことを覚えています。 ただ、多くの議員は志をもっていて天下国家のために働くという思いをもっていることは感じられました。しかし、「命を懸けてでも」という気迫を感じた政治家はあまりいませんでした。数少ない気迫を感じたうちの一人が安倍元首相です。 近年の政治への不満を安倍元首相に負わせる風潮 近年は減りましたが、昭和の時代には何度も起きた政治家への襲撃。一歩判断を間違えれば撃たれる、刺されるということは珍しくなかったとベテラン議員からきいたもので、今は平和な世の中になったものだとのんきなことも聞いたことがあります。 平和になったから政治家が変わってしまったのかはわかりませんが、命を狙われるほどのリスクを背負ってまで戦う政治家の姿は見えなくなりました。また次第に、政治家は世の中からたたかれても良い存在のようになり、ネット上では政治家に対する罵詈(ばり)雑言があふれるようになりました。 芸能人は誹謗(ひぼう)中傷で訴訟を起こすこともありますが、政治家はほとんどそんなことはしません。むしろ、それに耐えてこそが政治家だろうという空気さえあります。どんどん政治に関する不信感は募り、挙げ句の果てに起きたのが今回の事件だと私は感じました。 近年の政治の不満を「全て安倍が悪い!」という論調も一部では巻き起こっており、自分たちの鬱屈とした気持ちを安倍元首相一人に負わせるような風潮さえもありました。 安倍元首相を撃った男は一人ですが、そこまでの空気を作った責任の一端は、マスコミやネット、反安倍で沸く人々にもあるのではないでしょうか。政策の不満、政治の不安、そういうものを言論の場ではなく、暴力で訴えるのはあまりにも卑劣です。 一度、体調を崩して総理大臣を退いた安倍元首相は、2度目のチャレンジで返り咲き、長きにわたり日本の発展に貢献されてきました。自身の姿と重ねていたのか「再チャレンジできる社会」をとなえていらっしゃいました。私はこの数年、その意味をかみ締めながら、安倍元首相の姿に勇気をいただきながら、ここで終わるわけにはいかないと、前を向いて生きてきました。最期に安倍元首相は何を感じていらっしゃったのだろう。日本の未来をどのように憂えていたのだろう。またお話しする機会があるならば、ゆっくりと伺いたかったです。 ご冥福をお祈りいたします。 (元衆議院議員 宮崎謙介) |