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「憲法解釈」は根底から間違っている [2022年05月02日(Mon)]
日本には憲法9条があるから、自衛隊は違憲である…
そんな「憲法解釈」は根底から間違っている


令和4年5月1日 ヤフーニュース 配信

ロシアのウクライナ侵攻に対し、日本はどのような態度をとるべきなのか。東京外国語大学の篠田英朗教授は「日本国憲法は、国際協調主義を掲げており、国際法に沿って行動する『軍隊』の存在を否定していない。そうした前提のうえで、日本も国際秩序を維持するために努力するべきだ」という――。


■憲法9条1項の文言は、素直に国際法に調和している

 (前編から続く)日本国憲法は、前文において、「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想」を自覚して、「平和を愛する諸国民の公正(justice)と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」し、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」とうたっている。

 そして「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」して、国際協調主義の「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務」だという信念を披露している。

 「平和を愛する諸国民(peace-loving peoples)」は、1940年大西洋憲章から1945年国連憲章に至るまで、一貫して連合国(United Nations)のことを指す概念として用いられていた。したがってここで「平和を愛する諸国民の公正(justice)と信義に信頼」するとは、アメリカを筆頭国とする連合国が作った国際法体系を信頼し、それに沿った安全保障政策をとっていくという趣旨であり、つまり日米安全保障条約に裏付けられた将来のサンフランシスコ講和条約を見通したものだった。(参考記事:「英語で読めばわかる『憲法解釈』の欺瞞」)

 日本国憲法9条の冒頭の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」、という文言は、前文の内容を再強調する意図を持つものであった。1928年の不戦条約と、1945年国連憲章の文言を切り貼りしただけと言ってもよい、憲法9条1項の文言は、素直に国際法に調和しているものとして読むべきである。国際法に挑戦して、侵略に正当に対抗するために用意されている自衛権を否定するものだ、と読むことは、不可能だ。

■憲法9条が定めたのは「大日本帝国軍の解体」である

 憲法9条2項は、「戦力不保持」と「交戦権否認」を定めている。ここで「戦力」は、もともとは「war potential」という連合国が使用していた行政用語であり、大日本帝国軍の解体に伴って接収対象となった違法な「戦争」をする潜在力のことである。すでに1項で国際法に沿って「戦争」の違法が定められているので、2項でその潜在力の保持も否定するのは、全く当然のことである。

 つまり、憲法9条が、ポツダム宣言受諾に沿って、大日本帝国軍を解体する国内法上の根拠を提供している、ということである。将来にわたって国際法において合法である自衛権行使の手段もついでに保持しない、という意表を突いた含意は、認められない。

 「国の交戦権(the right of belligerency of the state)」という概念は、実際には国際法において存在しない。それを「認めない」と宣言したところで、いわば「幽霊の存在を認めない」と宣言するのと同じなので、現実の世界には何も変化をもたらさない。単に「国際法を遵守する」と宣言することと同じである。

■9条が否定した「交戦権」とは何か

 それではなぜあえて「交戦権」なるものの存在を否認するかというと、戦中に権威ある戦時国際法のマニュアルを作っていた信夫淳平らが、大日本帝国憲法の「統帥権」規定などを根拠に、主権者は自由に宣戦布告をして戦争を行う「交戦権」を持っているなどと主張していたからである。日本も加入していた国際連盟規約および不戦条約に反した考え方であったが、真珠湾攻撃後の日本における軍部主導の政治状況の下では、出版を目指すのであればとらざるをえない立場であった。

 憲法9条2項が否定しているのは、戦中の日本に存在していた、国際法を否定するこの「交戦権」なる概念である。それによって憲法は、国際法遵守の態度をよりいっそう明確にする。憲法9条に、国際法に留保を付す意図はない。

 素直に日本国憲法典を読めば、憲法が国際法に合致したものであることは、自明である。そもそも日本を、国際法を遵守する国に生まれ変わらせるために制定されたのが、日本国憲法である。その背景と趣旨を考えれば、憲法が国際法を否定するはずはないのは当然であり、留保の要素もあるはずがない。

■憲法学者の陰謀論めいた「絶対平和主義」説

 ところがほとんど陰謀論者めいた憲法学者のイデオロギー的解釈によって、本来の憲法の国際協調主義的は埋没させられることになった。

 連合国軍総司令部(GHQ)総司令官であったダグラス・マッカーサーは、回顧録において、次のように述懐した。「第九条は、国家の安全を維持するため、あらゆる必要な措置をとることをさまたげていない。……第九条は、ただ全く日本の侵略行為の除去だけを目指している。私は、憲法採択の際、そのことを言明した。」

 ところが憲法学者は、マッカーサーは冷戦の勃発によって態度を変えたのだ、と主張する。当初は、国際法から乖離(かいり)した絶対平和主義を標榜していたはずだ、というのである。その根拠は、いわゆる「マッカーサー・ノート」と呼ばれる憲法草案起草を部下に命じた際の走り書きだけである。

 しかし、単なる走り書きの内部メモの文言を拡大解釈させて憲法解釈の指針とまでしてしまうのは、全く不適切である。マッカーサーは、部下たちが国際法に合致するように文言を整備した憲法草案に、何も異議を唱えていない。

 憲法学者は、憲法9条の冒頭に国際協調主義の前文の趣旨を確認する文言を挿入した芦田均(憲法改正小委員会の委員長)を、憲法9条を捻(ね)じ曲げる姑息(こそく)な行動をとった人物だと非難したうえ、その画策は憲法学通説によって打ち破られたといった「物語」も広めている。

 だが、憲法そのものの一貫した趣旨を明確にしようとした芦田が、なぜ非難されなければならないのか。根拠のない解釈を「憲法学者の大多数の意見だ」という理由で押し付けようとする、憲法学者のほうが横暴なのではないか。

■日本国憲法は国際法上の自衛権を否定したのか

 1946年に憲法案が審議された際、共産党の野坂参三議員が、新憲法は「自衛戦争」を認めないのか、という質問をしたのは有名である。これに対して当時首相であった吉田茂は、次のように答えた。

 「私は斯(か)くの如きことを認むることが有害であると思ふのであります(拍手)近年の戦争は多く国家防衛権の名に於(おい)て行はれたることは顕著なる事実であります、故に正当防衛権を認むることが偶々(たまたま)戦争を誘発する所以(ゆえん)であると思ふのであります」(第90回帝国議会 衆議院 本会議 第8号 昭和21年6月28日)

 これをもって憲法学者は、吉田は国際法上の自衛権を否定し、絶対平和主義をとっていた、などと主張する。「自分は国際法上の自衛権を否定したことはない」という後の吉田の説明を、憲法学者は否定する。

 だがこれは、国際法の概念構成を無視した、悪質で不当な糾弾である。そもそも質問者の野坂が、憲法は「自衛戦争」を認めているのか、と聞いた時点で、戦前の日本の軍部が自己正当化の道具として用いたあの「自衛戦争」を、憲法は認めているのかという問いになってしまっている。

 戦前の軍部が主張した「自衛戦争」なるものを、日本国憲法は国際法の考え方に沿って、認めない。吉田の回答はごく原則的なもので、何らおかしなところがない。しかしそれは国際法上の自衛権の否定とは、全く違う。

 戦前・戦中の日本の軍部が主張した「国家防衛権」や「国家の正当防衛権」なるものは、いずれも国際法に存在しない概念だ。「交戦権」や「自衛戦争」も同様である。吉田が否定したのは、国際法に存在しないそうした概念を振り回し、現代国際法では認められない行為が許されるかのような詭弁(きべん)を使うことであって、国際法上の自衛権を否定したわけではない。

 そもそも国際法では認められていない概念を、ドイツ国法学の擬人法的な「国家は生きる有機体で、自然人と同じような権利義務の主体だ」といった考え方で強引に採用しようとするから、「自衛戦争」といった奇妙な概念を認める否か、という押し問答が生まれる。混乱は、戦前にプロイセンに留学した者たちが学界を寡占的に支配し、ドイツ国法学に沿った憲法理論があたかも人類普遍の真理であるかのように思い込みがちだったところから、生まれてきている。つまり学者たちの陰謀あるいは誤解の所産でしかないのである(参考記事:「東大名誉教授が掲げる『憲法学者最強説』のウソ」)

■国際法概念に沿った憲法解釈や改憲を

 日本国憲法は、国際法を遵守することを求めている。したがって憲法解釈も、国際法に沿って素直に行えばよい。そうすれば、国際法にも憲法にも存在しない奇異な概念から成り立つ「『交戦権』や『自衛戦争』を日本国憲法は認めているか否か」といった類いの問いを、深刻に受け止める必要もなくなってくる。「戦争は一般的に違法であり、そのため対抗措置としての自衛権の行使は合法である」、という国際法の原則だけを淡々と述べ、それに沿って憲法を理解すれば十分だということになってくる。

 ウクライナにおける具体的かつ深刻な国際的な危機を目撃して、今や日本社会にも、憲法学通説の憲法解釈では現実に対応できないという認識が広がっている。それは憲法典がおかしいからではない。冷戦時代の左右のイデオロギー対立の構図の中で、素直な憲法解釈がないがしろにされたことが、諸悪の根源なのである。今こそ、国際法に沿った、素直な憲法の理解を確立したい。

 イデオロギー対立の結果、憲法解釈が混乱してきている事情はある。それを改善するには、憲法改正を行うべきだということであれば、それはそれで歓迎である。例えば9条3項を新設し、国際法に沿って行動する「軍隊」が、憲法9条の規定にも憲法全体の理念にも反していないことを明らかにするのは、適切だろう。

 いつまでも冷戦時代のイデオロギー対立にとらわれ、素直に憲法を理解することを恐れたままでは、日本の安全保障政策および国家としての体系性は、いよいよ近い将来に壊れていく。現実を直視すべきだ。



----------
篠田 英朗(しのだ・ひであき)
東京外国語大学教授
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』(風行社)、『ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。
Posted by 余生を憲法改正に! at 05:33 | 国家国民を護る憲法改正! | この記事のURL | コメント(0)
防衛予算議論の本質は 「国民を守る為に必要な予算」 ていう事に尽きる [2022年05月01日(Sun)]
防衛予算議論の本質は
「国民を守る為に必要な予算」 ていう事に尽きる

- 止揚末節画竜天睛ー

http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1641.html



2022/04/28 22:42
防衛予算議論の本質は「国民を守る為に必要な予算」・対GDP比について

副題:経済的視点では概ね正しいのだが、防衛費の本質である「国民を守る為に必要な規模の予算」との大前提が脇に置かれている残念な記事


◆ 核保有国ロシアが非保有国ウクライナに武力侵攻してから約2ヵ月が経過した。
いまや、メディアを筆頭に反ロシアの声一色になっており、マンガ映画的な勧善懲悪路線の「報道」に乗せられている様にも感じる。

「「片方の目」だけで判断するのは危険」との原則からは、メディアが「報道」しない2014年3月のロシアによるクリミア半島併合に至る原因・コンテキストをもう一度振り返る必要があるだろうが、
現状では誰も聞いてくれそうにない。精々がモスクワから見たウクライナの地政学的位置付け程度を述べる程度である。

ウクライナ情勢を我々日本人の命、平和・安寧の確保に軸足を置いて見ると幾つかの教訓がある。

◆ 今般のロシアのウクライナ侵攻は、ウクライナの安全保障・武力事態抑止策が破綻したから起こったことである。
ウクライナが採用してきたこれまでの安全保障・武力事態抑止策では、自国の安全・平和は守れないことが分かったと思う。
ウクライナの「非核政策」「専守防衛政策」及び「集団防衛体制への未加入・未締結」が武力事態の未然防止に効果がなかったことは誰の目にも明らかである。(*2)

同様、集団防衛体制がなく、かつ、対峙する国が核保有国である場合、紛争当事国以外の国々は軍事的に介入してこない。
当たり前である。自ら火中の栗を拾うリスクを負うことを避けるのは、自国を安全に保つ為には当たり前の考え方である。

◆ そういう状態なので、以前、自称「平和勢力」が言っていた「話し合いで解決」とか「国際世論に訴えて戦争を回避」とか「日本を守る憲法9条」とかの総てが現実世界ではあり得ない戯言だということが分かったと思う。

それら戯言を言っていた連中は、ウクライナ情勢を見て「抵抗せずに降伏すれば命を失わなくて済む」などと別の戯言を言っているのだが、彼等は物事を真面目に考えていないので、2つの事柄で間違っている。

◆ 1つは、以前の論考でも指摘したことだが、武力事態が終息したからと言って命の保証はない。70数年前にロシア兵が8月15日以降の満州で非戦闘員の女・子供に対して行った暴虐を忘れてしまったかの様な虚偽を言っているものである。

◆ もう1つは、降伏してしまったら交渉当事者の立場を失うという現実を隠している点である。
「話し合いで解決」するには侵略してくる相手に対して、その目的が達成出来ていない段階でしか交渉は出来ない。
そういう現実を無視しているので、従前言っていた「話し合いで解決」との手段を自ら放棄してしまう「抵抗せずに降伏」なる愚策を平気で口にするのである。

この様な自称「平和勢力」の虚偽言説とは異なり、かなりまともな言説も最近は記事になっている様で、それはそれで良い傾向だとは思うのだが、それでも少なくない違和感を持った東洋経済の記事があるので、今回は、それを題材にする。

■ 東洋経済の記事について・欧州ドイツの防衛費の見方

今回の題材の東洋経済の記事の表題は「◆日本の防衛費は「対GDP比2%」へ倍増できるのか 安全保障戦略と経済・金融・財政の深い関係」である。

大筋に於いて経済的視点では概ね正しいのだが、
防衛費の本質である「国民を守る為に必要な規模の予算」
との大前提が脇に置かれている記事であり、ちょっと残念である。
何処がどの様に残念なのかを述べていくことにする。

◆ 同記事は冒頭で、防衛費を「今後5年以内に2%以上へ引き上げるよう政府に要請」する動きを紹介し、「対GDP比2%以上」との数値に対して、「NATOの動きと関係がある」と紹介している。
防衛費に関心がない人達に「対GDP比2%以上」との数値を説明するには必要な解説である。
しかしながら、以下の様な解説では不充分であり、残念な点がある。
 ↓
<東洋経済記事から抜粋引用開始>
・ NATOは、ウクライナ侵攻やコロナ禍の前から、国防費の対GDP比2%目標を掲げていた。2014年のことだ。
当時、NATO加盟国であるEU諸国において国防費対GDP比は、平均で1.19%だった。それが、2019年には1.53%に上がった。(中略)

特に、強い印象を与えたのは、NATO加盟国のドイツとNATO非加盟国のスウェーデンである。ドイツは、健全財政路線を堅持しているが、2022年から国防費を対GDP比2%とすべく予算を組んだ。対GDP比でみると、2021年は1.49%だったところから2%にまで大幅に増額するという。
<引用終わり>

これの何処が「不充分」なのかと言うと、「何故、2014年にNATOは加盟各国の防衛費目標を「対GDP比2%」にしたのか」との背景が書かれていないからである。

・ そうなった理由は、先ず最初に2014年に何が起こったかを書くと、
3月にロシアによるクリミア半島の併合があった。
そして9月にはNATO軍の即応性・防衛能力の強化を目指した「NATOウェールズ首脳会合」(*5)が開催され、以前からあった「NATO指標」の「対GDP比2%」が未達の国々に対して「10年以内に同水準に向けて引き上げる」ことに合意している。
尚、2014年9月時点のアメリカ大統領はオバマである。

要するに、ロシアによるクリミア併合をNATO側視点で見ると、それ以前は「平和の配当」により削減出来ていた防衛費を、やはり元に戻す必要があると判断された為に「NATO標準の2%」に戻すことを合意したものだ。

・ もう1つの「残念な点」とは、「対GDP比」の比率事例が不適切なところである。

上記した記事の引用では、
@NATO平均で1.19%(時期の明記なし)が1.53%(2019年)に上昇したことと、
Aドイツが1.49%(2021年)だった防衛費を「2%に大幅増額」するとの方針を表明しているとの2点が書かれているのだが、比較するレンヂが適切ではない。

この様に考えるのは、NATOとは、そもそもが先の大戦終了後に米ソ東西対立が露わになり、旧ソ連邦(及びその衛星国)との対峙点が欧州では東西ドイツ国境であることから、西側諸国がソ連邦に対抗する為に組織した軍事同盟である。

従い、1989年の実質的な米ソ東西冷戦の終焉と1992年のソ連邦崩壊の前と後では、全く様相が異なっており、NATO諸国の防衛費はその頃を境に大幅に減少しているものである。
これは、防衛費という予算の性格上当たり前の動きである。

因みに、NATO主要国のうちドイツの防衛費の対GNP比推移を紹介しておく。

・ 戦後ドイツが再軍備したのは1955年(昭和55年)のことで、その際にドイツはドイツ憲法(ドイツ基本法)の改憲をしている。一方、防衛費の推移データは1960年から2019年までの60年間である。
 
1960年代の10年間のドイツの防衛費の対GNP比は、最小値3.45%(1969年)から最大値4.98%(1963年)の範囲で推移している。Rolling ‘60’sの時代である

1970年代の10年間は少し落ち着き、最小値3.01%(1979年)から最大値3.34%(1975年)の範囲で推移している。

1980年代の最後の年、1989年はベルリンの壁が崩壊した年であり、米ソ東西冷戦の終わりの始まりの年であるが、防衛費としては、その前年に策定されているので、まだ大きくは減少していない。1980年代の10年間の防衛費の対GNP比は、最小値2.57%(1989年)から最大値3.09%(1981年)の範囲で推移している。

大転換した1989年までの30年間の単純平均値は3.38%である。
(1960年代:4.08%、1970年代:3016%、1980年代:2.91%)

・ ソ連邦が崩壊したのは1992年である。
その1990年代の10年間は、ソ連邦崩壊前の1990年が2.56%で最大値となっているもので、逆に崩壊後は1996年から1999年まで1.4%代で推移している。
1990年代の単純平均値は1.71%である。

・ 1989年から1992年の転換期の4年間とその後の1993年からの4年間を比較すると以下の様な数値となる。
 ↓
<転換期4年間:単純平均2.26%>

1989年2.57%→

1990年2.56%→

1991年2.03%→

1992年1.89%

<冷戦終了後4年間:単純平均1.58%>

1993年1.72%→

1994年1.58%→

1995年1.52%→

1996年1.49%、

米ソ東西冷戦構造に終焉とは、ドイツにとっては軍事的脅威との外的要因が大きく減少したもので、国家国民を守る為に必要な予算である防衛費が、脅威の減少に伴い減少するのは当然の動きである。
防衛費の減少は政府支出の減少であり、これを当時は「平和の配当」と称された。

2000年代の10年間の防衛費の対GDP比は単純平均値で1.30%、2010年代の10年間の単純平均値は更に減少し1.21%となっているものである。

・ 1960年から大転換した1989年までの30年間の単純平均値は3.38%なのだが、米ソ東西冷戦構造崩壊後の1990年から2019年までの30年間の単純平均値は1.41%と大きく減少している。

・ ところが、2014年のロシアによるクリミア併合により、対処すべき脅威度が増大したものであり、冷戦後の防衛費の減少が当然である様に、脅威の増大との外的要因の変化に応じてドイツが防衛費を増大させることも当然のことである。

◆ そうであるにも関わらず、東洋経済の記事では、冷戦構造がなくなった後の少ない防衛費比率(2021年1.49%)と比較して「2%への増大」との書き方をしているものである。

・ 米ソ東西冷戦時のソ連邦の脅威があった時代30年間のドイツの防衛費の対GDP比単純平均値は3.38%であることから考えれば、ロシアがクリミア半島に併合し、今年になってからウクライナへの軍事進攻を実行したことからは、NATO標準値2%への増額は、「必要だから増額する」という話であり、それ以外の何物でもない。

東洋経済の記事について・我が国防衛費

東洋経済の当該記事の後半は、我が国の防衛費を2%にすることの困難さについて述べているものである。
以下の部分などはまったくの正論であり、同意出来るものである。
 ↓
<引用開始>
わが国の財政状況を度外視してでも防衛費の規模を対GDP比2%にするということでは、わが国の安全保障は成り立たない。
そもそも、どのような防衛力を整備するのが、わが国の安全保障上有効なのかといったことも、きちんと検討しなければならない。
<引用終わり>

・ しかし、ここで言う「どのような防衛力を整備するのが、わが国の安全保障上有効なのか」との問い掛けへの答えもヒントも、これ以降には出てこない。
以降に出てくるのは財政状況の話ばかりである。

確かに防衛装備費と財政は今も昔も難しい問題である。
その昔、建艦競争で各国の財政を圧迫したことから、膨大な費用を要する主力艦の保有数を制限することで各国は支出に歯止めかける事を目的にワシントン条約として合意したのだが、その次のロンドン条約では我が国の場合、統帥権干犯との難癖を軍部からかけられ、それ以降の我が国の政治体制が歪んでしまったとの苦い経験がある。

◆◆ 難しい問題となってしまうのは、防衛費という予算の性格からの宿命だからである。
防衛費とは、国家・国民を防衛する事を可能にする為の費用であり、その主眼点は「我国を守る・国民を守る」にある。

防衛費に限らず、予算とは、そもそも、政策があり、その政策を実行・実現する為の「資源」であり、防衛予算に限らず、福祉予算、インフラ整備予算等の総ての予算は、政策実現の為の資源である。

◆◆ 防衛費の場合は、先ず、
我が国の国民の平和・安寧を維持するとの大前提があり、
その大前提を実現する為の国防方針があり、
国防方針の実行・実現に必要な具体的国防政策があり、
その国防政策を実行・実現する資源として予算が付されるのである。

ところが我が国の場合は、いくら必要であっても、従前は「「対GDP比1%」の岩盤規制」があり、
「どのような防衛力を整備するのが、わが国の安全保障上有効なのか」を真剣に考えても1%以内へと足切りされてしまっていたのが実情だ。

今回の東洋経済の記事は、従前の逆「対GDP比1%」との防衛必要性を脇に置いた数値規制と同じ発想で「対GDP比2%」を論じているだけに思えて仕方がない。

◆◆◆ 何故なら、「対GDP比2%」の提言をしている自民党の部会長は防衛問題に造詣の深い小野寺五典議員であり、
むしろ
「どのような防衛力を整備するのが、
わが国の安全保障上有効なのか」

を考えた上で「1%の上限枠」がその様な本来的アプローチを妨げ台無しにしている点を踏まえての提言なのに、東洋経済の記事では「対GDP比2%」との数値と財政だけの論を展開しているので、その様に考える次第である。

残念に思ったのは、こういう理由からである。

◆◆ 繰り返しになるが、本来的アプローチとは、先ず、我が国の国民の平和・安寧を維持するとの大前提があり、その大前提を実現する為の国防方針があり、国防方針の実行・実現に必要な具体的国防政策があり、その国防政策を実行・実現する資源として、予算が要求されるものである。

勿論、財政を一切無視することはない。
結果として、対GDP比がドイツの2010年代中盤頃の1.25%に落ち着くかもしれない。
これは、本来的アプローチをした結果として出てくるもので、その内容が妥当であるかどうかを国会で論じて決定されるものである。

現在の様に、防衛費の総額が1%を超えた途端に、その中身ではなく「対GDP比1%を超えた軍国主義予算だぁ〜」と思考停止してしまう事の方が問題である。
Posted by 余生を憲法改正に! at 07:01 | 日本大丈夫か? 国民の危機! | この記事のURL | コメント(0)
日本の選択は? [2022年05月01日(Sun)]
4月末日でインターネットプロバイダー解約の筈だが、未だ通じている?
とりあえず
日本の選択は?
米国は今回の戦争でウクライナを防衛するだけでなく、「ロシア軍が2度と立ち上がれないくらい、徹底的に壊滅する」という話になる。
これを聞いて、私は太平洋戦争で敗北した日本の軍部が戦後、徹底的に解体された史実を思い出した。米国はロシアに対して、それと同じような戦いと制裁を考えているのではないか。
言葉だけではない。
オースティン氏は26日、ドイツのラムシュタイン米空軍基地で、約40カ国の同盟国、友好国の軍トップを集めて会議を開き、ウクライナ支援を協議した。ドイツはその場で、「ゲパルト対空戦車」50両の提供を表明した。「ウクライナ連絡グループ」と名付けられた参加国は今後、月に1度、定期的に会議を開いて支援策を調整する、という。
まさに、ロシアとの本格的な戦いを予感させる展開である。米国は本気だ。しかも、長期戦を覚悟している。
https://news.yahoo.co.jp/.../628857e8e033b323f68a54e32348...
Posted by 余生を憲法改正に! at 06:32 | 国際情勢 | この記事のURL | コメント(0)