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護憲派の妄言ここに極めり [2022年05月09日(Mon)]
護憲派の妄言ここに極めり
皇紀2682年(令和4年)5月8日


東京新聞・望月記者 憲法9条保護訴え 松江で講演
(山陰中央新報デジタル)

 中日新聞社・東京新聞で、ご自身で創作した物語を執筆しておられる望月衣塑子氏は、現行憲法(占領憲法)の改正論について、次のように語りました。

 「米国にいわれるままに、戦える国に変えられようとしていく」

 はい、間違いです。占領憲法を「憲法」とし続ける限り、米国の戦争に反対できません。そもそも賛成も反対もいう交戦権をわが国は持たされておらず、文字通り「いわれるがままに」協力させられるのです。

 韓国戦争(朝鮮戦争)の掃海作業で戦死者が出たり、湾岸戦争で多額の支援を拠出させられながら当然感謝もされなかったり、イラク戦争では自衛隊を派遣させられ、その前に二人の外交官が殺されました。

 これらは、全て占領憲法のせいなのですが、護憲派諸君は、分かっていないのか分かっていて分からないふりをしているのか、とにかく私たち国民を騙すような報道権力の末端を、到底野放しには出来ません。

 「憲法九条を守り、外交努力を重ね、話し合いによる解決を模索する姿勢を、今こそ持たないといけない」

 はい、出ました。話し合いで解決だそうなので、今すぐ立憲民主党の辻元清美前衆議院議員と共に露国へ行き、ウラジーミル・プーチン大統領を説得してください。

 話し合いでの解決を、是非とも実践して見せてほしいものです。それでプーチン大統領が涙ながらに「ウクライナから全て撤退するよ」といい出したら、初めてあなた方を尊敬します。

 そもそも望月氏は、財務省理財局近畿財務局の元職員の妻と、今すぐきちんと話し合いなさい。あちら様が「逃げないで」と怒っておられるようですよ。
Posted by 余生を憲法改正に! at 06:41 | 憲法を考える | この記事のURL | コメント(0)
本当は「南千島」なのになぜ「北方領土」と言い出したのか [2022年05月09日(Mon)]
外務省「ロシアに不法占拠」と19年ぶりに明記 本当は「南千島」なのになぜ「北方領土」と言い出したのか
5/9(月) 6:00配信

 外務省が今年まとめた「外交青書」に、北方領土について「不法占拠」という言葉が2003年以来、19年ぶり「日本固有の領土」が2011年以来、11年ぶりに明記された。右翼ならずとも、かつては当然の如く使われてきた言葉も、近年「ロシアに配慮」して封印されていた。ここでは「固有の領土」ひいては「北方領土」という表現を考えたい。(粟野仁雄/ジャーナリスト)

「固有の領土」とは? 
「不法占拠」とは、日ソ不可侵条約(1941年)が有効だったにもかかわらず、1945年夏、ソ連が一方的に破棄して日本に侵攻したことや大西洋憲章の領土不拡大に反するなど国際条約違反を指す。一方「固有の領土」とはわかったような、わからないような表現だ。英語は「inherent」。NHKのロシア語ニュースを読むと「固有の」の部分は「ニアトゥイェムリェムイ」と発音しにくい単語だが、「固有の」というロシア語は「inherent」に近い意味の別の単語があり、これは『ロシヤ語小辞典』(大学書林)によれば「奪うべからざる」「引き離しがたい」などの意。日本政府は「固有の」を「いまだかつて日本以外の他国の領土になったことはない」との意味で使っている。

 歴史を振り返る。日本とロシア間との領土史といえばまず、学校教科書にも出てくる「日露和親条約」である。1855年2月7日、ロシア帝国のプチャーチン提督と勘定奉行川路聖謨(としあきら)の間で、現在の静岡県下田市で調印され「下田条約」ともいう。「(千島列島の)得撫(うるっぷ)島以北をロシア領、択捉(えとろふ)島以南を日本領、樺太(サハリン島)は日露混住の地」とされた。そして、この日が「北方領土の日」で、日本側の言う「固有の領土」の1つの根拠ともなる条約である。

 1875年には特命全権大使榎本武揚(たけあき)とロシア帝国のゴルチャコフ外相との間で「樺太千島交換条約」が締結され、「千島列島は日本領、樺太はロシア領」となった。これも教科書でお馴染み。この条約では千島列島として最北の占守島から得撫島まで、18島が列挙されるが、ここに4島がないことも「固有の領土」の根拠である。日本は1904年の日露戦争の勝利でロシアに樺太の南半分を割譲させたものの1945年、第二次大戦に敗戦した。

 千島に先住していたのは和人ではなくアイヌなどである。「固有」というなら様々な歴史を考えなくてはならない(先住者については『北方領土の基礎知識』〈郷岡健・黒岩幸子共著 東洋書店新社〉の黒岩氏の記述を参照されたい)。経営コンサルタント大前研一氏は「北方領土が日本固有の領土などと証明されたことは一度もない」「北方領土はわが国固有の領土、などとナショナリズムを煽る誤ったプロパガンダで国民世論を先導してきた」と過去の政府対応を批判する。

「北方領土と言う呼び方が悪い」
 では、「北方領土」という言葉はどうか。

 領土問題や根室経済に詳しい足立(あしだて)義明氏(84)は、「そもそも『北方領土』などという名称が悪い。地名の固有名詞ではないし、国土地理院の地図にも北方領土なんてどこにも書いていない。竹島や尖閣諸島ならどこのことかわかるが、あれではどこのことなのか国民にもわかりにくい」と強調する。「北方領土」では「日本の北方に位置する領土」でしかない。といって択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島をひと括りにする名称も難しい。

 筆者も、中国地方の国立大教授がロシアのサハリン島を北方領土だと思っていたことを知り驚いた経験がある。足立氏自身は元島民ではないが根室で育ち、根釧漁船保険組合(根室市)の幹部として長年、「国境の海」を見つめてきた。「日本青年会議所(JC)のメンバーの頃、富山県などで領土問題の講演もしていたよ」と振り返る。

 北方領土問題の「発端」は、1945年2月に行われたソ連のスターリン首相、英国のチャーチル首相、米国のルーズベルト大統領のヤルタ会談。ヤルタはウクライナ(当時はソ連)のクリミア半島にある保養地である。日本の敗戦が濃厚になり、ここでスターリンとルーズベルトの間で密約がなされ、ソ連の対日参戦と引き換えに、樺太の南半分と千島列島のソ連領有を認めた。ルーズベルトは日本の執拗な抵抗で、これ以上米兵の犠牲者を出すことを恐れてソ連軍を頼ったが、スターリンは「なぜ大きな紛争も抱えていない日本とソ連が戦争しなくてはならないのか」と要求を引き上げる。後にスターリンが北海道の北半分まで要求したのは有名な話だ。トルーマン米大統領が反対しなければ今頃、北海道はどうなっていたのか。

 日本はヤルタ会談の結果について、現在も「密約であり、認められない」との立場だ。

2島返還で納得していた日本
「北方領土」という呼称は戦後すぐからあったのではない。時事通信社のモスクワ支局長だった石郷岡健氏の著書によれば、1956年以前、「固有の領土」と「北方領土」という表現は国会の議事録でもほとんど出てこず、「南千島」という表現だった。それが1956年以降は「南千島」が「北方領土」に代わってゆく。それにはこういった理由がある。

 日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で、米英など連合国側に対する無条件降伏を認めた。サ条約は「日本国は千島列島並びに(中略)樺太の一部及びこれに隣接する諸島のすべての権利、権原および請求権を放棄する」としたが、ソ連は参加せず、平和条約とともに領土問題は積み残されてしまう。

 条約の批准国会で、野党議員に「放棄した千島に南千島は入るのか?」と問われた外務省の西村熊雄条約局長は「含む」と答えた。当時、日本は得撫島以北を「中千島」「北千島」、以南の択捉(えとろふ)島と国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島を「南千島」とした。歯舞(はぼまい)群島は北海道の一部だった。西村局長の答弁は「日本は国後島と択捉島を放棄する」と言ったのも同然だったが、強い反発もなかった。

 1956年10月(国会承認は12月)、鳩山一郎首相はソ連ブルガーニン首相との間で「平和条約を締結して歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す」とした有名な「日ソ共同宣言」を結ぶ。しかし冷戦下、ソ連と日本の接近を警戒する米国のダレス国務長官の圧力で、2島返還で納得していたはずの日本は「4島返還」を打ち出す。そこでサ条約で放棄した択捉島と国後島を含む「南千島」のことを「千島ではない」とは言えず、苦肉の策で「北方領土」という、固有名詞ではない曖昧表現にすり替えたのだ。

 石郷岡氏によれば、ロシア側も非公式に「北方領土」の表現を使うこともあるというが、基本的にロシア語でも「南クリル諸島」。「北方領土」では英語にもならない。英語では千島列島は「クリルアイランズ」である。

ウクライナ侵攻でほくそ笑む? 
「ウクライナ侵攻後」に戻ろう。

 欧米に同調した日本の経済制裁に反発したロシアは、領土交渉自体の中断を一方的に宣言した。プーチン大統領が権力を握る限り返還の可能性は絶望的だろうが、隣国に事実上の戦争を仕掛けたロシアに今後、何が起きるかはわからずチャンスがないとは言えない。実際、1991年にソ連が崩壊した後、エリツィン大統領の頃には返還のチャンスもあった。

「2000年頃は2島先行返還を主張した鈴木宗男氏(参院議員、元北海道開発庁長官)を支持していたけど、国賊のように言われて右翼が押しかけたりしたよ」と前述の足立氏。米国依存の強い小泉政権は「4島が国是」を復活させ、鈴木氏や彼のブレーンの佐藤優氏(元外務省職員・作家)は「国策捜査」で相次いで逮捕され葬られた。ところが安倍首相は禁忌だったはずの「2島先行返還論」で解決を模索した。プーチン大統領は「日ソ共同宣言」に立ち返る姿勢は見せたが、安倍氏は足元を見られて潰れた。

 母親が国後島出身の元北海道新聞記者で、同町の根室振興局でソ連軍の千島占領を調査してきた谷内紀夫氏は、皮肉交じりに「あそこまで日本が譲歩してもダメだとわかったことだけが安倍外交の成果でしょう」と話す。4島での「経済交流事業」に前のめりだった安倍元首相の対露交渉について、4月に北海道・羅臼町で会った国後島出身で元羅臼町長の脇紀美夫千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)理事長(81)は「元島民の財産権も漁業権も補償されていないのに我々の居住していた土地でロシアと共同事業とはいったいどういうことだったのか」と今も不信感を隠さない。

 プーチン大統領との親密度を強調、領土問題について「我々の世代で解決」と啖呵を切りながら何の果実も得られなかった安倍氏は今、同大統領のウクライナ侵攻で「あの男相手なら仕方がない、と国民は思ってくれているはず」とほくそ笑んでいるだろう。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部
Posted by 余生を憲法改正に! at 06:33 | 頑張れ「日本」 | この記事のURL | コメント(0)
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