「国民主権」の究極は憲法制定権であると考えます。 [2022年01月17日(Mon)]
日本国憲法の欠陥 愚老の戯言… 7
(平成29年の雑記帳から転記。これから時折り記事投稿させていただきます。 単なる思い込みの愚痴。検証未了につきご容赦のほどをお願いします) ■「国民は憲法を守る義務を負わない」とい「立憲主義者の間違い」 これは憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」に国民という言葉が入っていないから、国民は憲法を守る義務を負わないということです。 しかしこれも間違った解釈で、この第99条に「国民」を入れなかったのは 国民が憲法を守るのは当たり前のことだから入れなかっただけのことです。 ※「立憲主義(憲法)は国民を国家権力から守るものだ」という念仏を唱えている。 国民と国家とは果たして対立関係なのか? 国民があって国があり、国があって国民がある。 国民と国家を対立概念にとどめようとする憲法学者たちの意図が見え見えです。 ◆「国民主権」の究極は憲法制定権であると考えます。 国の根底法規である憲法を改正する権利が主権者の究極の権利であるわけです。 つまり、憲法改正を反対とする輩は、真の「主権」に対する理解が無いと言わざるを得ません。護憲派(内実は国粋主義者)は、GHQ憲法によって日本に民主主義が生まれたと勘違いしていますが、大きな間違いです。 現憲法制定時の吉田茂総理大臣が腐心したのは、 アメリカに民主主義を教わったものでも、押し付けられたものでもない。 (昭和21年衆議院本会議での吉田総理答弁) 【 日本に於いては他国におけるがごとき暴虐なる政治とか、或いは民意を無視した政治が行われたことは無いのです。民の心を心とせられることが日本の国体であります。 故に民主政治は新憲法によって初めて創立せられたのではなくして、従来国そのものにあった事柄を単に再び違った文字で表したに過ぎないものであります。】 国民の意向を尊重して政治を行うという意味での真の民主主義は、日本人自らが内包している国柄そのものであるとの意識を失わない事でした。 |