「血と育ち」から形成される「DNA=命」 [2021年01月04日(Mon)]
さて・・・古い話になりますが・・・
昭和43年ころ、愚老兄の義父が宮内庁勤務していました・・・ 定年退職の日、慰労会に臨み帰路! 五反田駅で倒れ、そのまま息を引き取りました・・・ 宮内庁と言うところの価値観も分からない時分でしたが、何となく、その威厳さを感じ、愚老の父親が「きょうは皇居内に入れて貰えた・・・」と喜んでいたのが思い出される。 兄は、習志野の空挺から日新製糖に入り秘書課参事として経済界始め、政治家の接待に走り回っていた。 その兄は、定年数日前に病気で亡くなった・・・ 社葬に近い形で葬儀が行われ、その運営気配りの見事さが、以後の愚老のいろんな催しへのスタンスとして蓄積され、 結果として、それが愚老の欠点となっていった・・・ 仕事でも、イベントでも、組織活動でも・・・前段階準備から後始末まで、自分で手をかけ、自分で事後処理するまで、つまり自作自演に走り「組織運営」ができずに終わった人生であります。 そのことがジレンマとして残った愚老は、堺屋太一氏著書「豊臣秀長」日本一の補佐役を重ねて生きてきました。 愚老・・・補佐役が限界頂点であって、決してトップではなかった。 鼻から棟梁運がなかったのであります。 皇紀2381年・・・ 皇室の乱れや政治の頓挫を目の当たりにして、 総領…棟梁…「親分」とは、そのトップにふさわしい人物が治める組織こそが、 国家国民のために成るものと! 痛切に思う新年であります・・・ 決して・・・能力とか才覚に騙されてはいけません。 人格です。品格です。 それは「血と育ち」から形成される「DNA=命」だと思っております。 |