本当に強かった日本 [2024年05月29日(Wed)]
今や!
日本には宣教師ならぬ、工作員が押しかけている! 草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN 強国スペインもあきらめた 戦国日本 は「絶えず軍事訓練」「征服対象に不向き」 ー本当に強かった日本 (fc2.com) http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-13881.html イエズス会のフランシスコ・ザビエルの報告には、以下のようにある。 「あらゆる民族の人々と話してきたが、日本人こそ一番良い発見であった。キリスト教以外の宗教を信仰する民族の中で、日本人に勝てる他の民族はいない」「人々の大半が読み書きの能力を備えている」「神の法を理解するのにとても便利」ヴァリニャーノのフィリピン総督宛ての書簡に、「日本国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので征服は困難だ」とある。 日本を、軍事力で征服することは不可能であるが、キリシタン大名を味方にすれば、キリシタン大名の兵力数千人の動員は容易で、スペイン本国派遣軍と合わせて1万人程度で、明の討伐可能と提案している。 現地の大名、長宗我部元親が豊臣秀吉に直ちに報告したところ、秀吉は積み荷を没収することを決め、現地に増田長盛(奉行職)を派遣する。増田奉行は事情聴取の結果、スペインは宣教師を尖兵として送り込み、侵略の手先として広大な版図を手にしたという事実認識を報告した。 秀吉は、スペインに「侵略の下心あり」として、サン・フェリーペ号の事件を契機として、マニラ総督の派遣したフランシスコ会宣教師や、信徒26人を磔(はりつけ)の刑に処する。 スペインが、秀吉に対して武力を持って報復しなかったのは、日本の武力が強大であったからである。 慶長元年12月19日(1597年2月5日)、スペイン船サン・フェリペ号の漂着をきっかけとして 、スペイン人の宣教師・修道士6人を含む26人が長崎で処刑された。これはポルトガルよりも 露骨に日本の植民地化を推し進めてくるスペインに対する秀吉一流の見せしめであった。 ともすれば現代のわれわれは秀吉に対しキリシタンを弾圧した非道な君主というイメージを抱きがちだが、実際はこのときの集団処刑が、秀吉が行った唯一のキリシタンへの直接的迫害であった。それもこのときはスペイン系のフランシスコ会に対する迫害で、ポルトガル系のイエズス会に対しては特に迫害というものを加えたことはなかった。 ここまで見てくると、当時の秀吉は日本の為政者として領土や国民の安全を守るために最 善の選択をしたように思えてくるのだが……。 強国スペインもあきらめた 戦国日本は「絶えず軍事訓練」「征服対象に不向き」ー本当に強かった日本 |