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義憤にかられてシェアーしました・・・ [2022年05月10日(Tue)]
林外務大臣が南朝鮮の大統領就任式に参列する。
下記《》以下の文章はFacebookフレンドから頂戴したものだが、わたくしの先祖たちの話といくつも部分的に一致するので信憑性が高いと思料する。
従って垢亭覚悟で転載に踏み切る。 (杉山氏)


わたくしの在日朝鮮民族排斥主義と朝鮮民族国家との国交断絶主義の根拠となった話ばかりでメディアや教育現場でタブーとなった史実である。
闇に葬られた戦後の暗黒時代。
これらの歴史の真実を踏まえた上で、
彼の民族との国交を如何なるものとするか、政府与党、関係省庁諸官に強く要請する。

《長文ですが、
日本人が絶対に知っておかなければならない事!

なぜ、現在のような日本の状況ができてしまったのか?
今、日本国にいる在日朝鮮人、在日韓国人が直接的に関係ないとしても、日本人から違法に搾取した物は日本人に返還されるべきである!
日本国は合法的とはいえ朝鮮を併合していた時代の補償を韓国の国家予算を超える金額以上支払っている。そしてそれは今でも慰安婦や徴用工という名目で搾取され続けている。
以下
「三国人」(関係のない第三者の意味)の部隊2000人(いわゆる朝鮮進駐軍)による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。
約2000人 の在日朝鮮人「三国人」部隊が完全武装して首相官邸に突入。
日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。
そこで米軍憲兵隊と「三国人」との間で大銃撃戦闘へと発展した。
戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、
勝手に自分たちを「戦勝国民」であると詐称し、
三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。
在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、
勝手に「戦勝国民」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。
戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「戦勝国民」と名乗った在日朝鮮人は、
土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。
「戦勝国民」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。
これら「三国人」の元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。
国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。
そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、
そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。
農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、
食料や商品を根こそぎ 奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。
財を成したのは彼らは分派し、政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。
「戦勝国民」と名乗る在日朝鮮人暴徒たちは、通りすがりの市民に言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。
無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた婦女子を路上で集団強姦するなどを、日常茶飯事に繰り返した。
在日朝鮮人は「戦勝国民」と名乗り、武装して、町をのし歩いた。
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、
手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。
通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、
無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをした。
善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。袖に腕章をつけ、
半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。
警官が駆けつけても手も足もでない。
終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、
「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」
と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。
終戦後の第三国人どもは本当に酷かった。
軍の兵器を盗んで来たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して
強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、実力犯を中心にあらゆる悪事を重ねていた。
銀座、浅草、新宿は朝鮮人、新橋、渋谷は台湾人に支配され、
政府も警察も動揺し、手を拱いていた。
戦勝国民は治外法権だったのである。
だから食管法に限らず、戦勝国民には日本法を適用出来なかった。
服部時計店や白木屋も米軍の酒歩(PX)に接収され、そこへ行けば食料に限らず物資は山ほどあった。
日本人は買えなかったが。そうした情勢に便乗し、朝鮮人は戦勝国民だの「三国人」を
僭称して堂々と闇商売を行い、派手に稼いでいた。
そりゃ儲かるだろう。
警察の検問を竹槍日本刀を振り回して強行突破したのだから
当時は物不足で、売る方は素人でも出来た。仕入れこそ難しかった。
彼等は日本人露天商を襲って商品を奪う。
それで警察が黙認して捕まえないのだから、こりゃあ損のしようが無い。
警察が襲撃されることしきりで、署長が叩きのめされたり、
捜査主任が手錠を賭けられ半殺しにされるぐらいは珍しからず。
上野で朝鮮人経営の焼肉屋へ国税局査察部が査察に行った際、
大金庫を開けて手を入れた瞬間を狙って二十人ぐらいで一斉に金庫の扉を押したものだから
査察官は腕を切断されてしまった。
当時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、第三国人の襲来によって犯人を奪還された富坂警察署事件、
ついでに警官が殺された渋谷警察署事件、共産党が大群で警察署を包囲し
外部との連絡を遮断「攻城戦」に出た平警察署事件等、枚挙に暇有りませんでした。
東京東部(すなはち大東京の中心地)北郊の荒川、古利根−中川、江戸川、利根川流域の牛は皆いなくなった。
当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、深夜、不良朝鮮人が侵入して来て盗み出し、
河原へひいて行って屠殺した。
牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが、
銃砲刀剣で武装しているので追う訳には行かなかった。
永年愛育し、慈しんで来た牛が悲しそうに泣きながらズルズル引き出され
殺されるのを傍観するのは無念で耐え難かったが、手向へば殺されるのでどうにも出来なかった。
そうして利根川水系流域一帯の牛は皆、不良朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。
この辺へも、新聞紙に包んだ肉塊を売りに来たものだ。
上流で屠殺した牛を、そのまま下流へ売りに来たのだろう。
かくて南関東から、牛はいなくなった。
家畜相手ならまだしも、人間に対しても、関東以西の大都市を中心に、
日本中に灰神楽が立つような勢で数多犯罪を重ねた。
川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。
その最も著しい象徴的事例に、
元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に対する集団暴行・傷害事件がある。
翁が軽井沢の静養先から帰京しようとして信越本線の汽車に乗っていたら、
例の「三国人」が後から大勢、切符も買はず、鉄道員を突き飛ばし押入って来て、
「俺達は戦勝国民だ、おまえら被支配者の敗戦国民が座って支配者様を立たせるとは生意気だ、
この車両は戦勝国民が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!」と追い立てた。
それで鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座っているのに
そりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、たちまち大勢飛び掛かって袋叩きにし、
鳩山翁を半殺しにした。幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、
頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。
直後に総理大臣に成る程の大物でもかくのごとし。
いわんや庶民におては 土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった。
闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、ことには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が片端から強奪された。
今、朝鮮人が駅前の一等地でパチンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、皆、あの時奪った被災者の土地だ。
それでも警察は手が出せなかった。
歴代首相大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察ごときに何が出来よう。
ある日、警察は何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命ぜられれば、それ切り警察は消滅する。
七百万の大軍を擁した彼の帝国陸海軍ですら、左様にして両総長 両大臣以下、自然廃官になった。
まこと敗戦は悲しからずや。
たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み「浜松大戦争」になった訳だが、「小戦争」は日本中に頻発した。
最後の頼みの綱は連合国軍であったが、遂にはその憲兵隊でも手に負へぬ非常事態に立ち至った。
それでさすがに米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担当していた
米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言はず関西と言はず、はたまた北九州と言はず、
不良朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、
重装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機関銃を構へて不良朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、
ようやく鎮圧した。
我々はその火器のきらめきを間近に見た。
この時、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥の発した布告が、
「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」
と言い声名で、これぞ「第三国人」なる語のおこりである。
だから、外国人差別用語なはずは無い。
彼等自身、マッカーサー元帥以下、一人残らず皆、外国人ではないか。
連合国軍総司令官は、日本人に対してこそ絶大な権勢を振ったが、
本国や同盟国、対日理事会や極東委員会に気を使わねばならぬ外交センスの要る役職であった。
何人にもせよ、敗戦国民以外を、声名発してまで差別なんぞする筈が無い。
「第三国人」の語は、国際法に則って説いた技術的専門用語に過ぎない。
終戦後の朝鮮人の横暴は目に余るものであった。
東京のど真ん中、銀座の交番に於いてさえ、
朝鮮人を注意した巡査が複数の朝鮮人の襲撃を受け
裸にされ警棒を尻に突っ込まれると言う乱暴を受けた。
当時の日本警察は拳銃の携帯が許されておらず、
朝鮮人の横暴を止められなかった為、政府はマッカーサーに請願した。
これを受けて述べたのが、マッカーサーの
「朝鮮人は戦勝国ではない第三者だ」と言う三国人発言である。
1950年にGHQは日本占領を終結し、解放し、実質的に戦後は終わったとされています。
その際に朝鮮人は日本籍を剥奪され、韓国籍として朝鮮に帰れと命令しました。
不要の朝鮮学校と民団総連も廃止し解散請求しました。
すると在日朝鮮人は、なにを履き違えたか
「我々は戦勝国民であり日本を統治する立場だ」と叫びだし、
革命を叫んで、公共施設の不法占拠し火炎瓶や武器で武装して決起したのです。
警察も拳銃で対抗し射殺された人もでました。
警察では対処できなくなり、
GHQは軍隊の動員をして戦後初の戒厳令を敷いて朝鮮人による暴動を平定しました。
この戦後初の戒厳令が敷かれた朝鮮人動乱(正式名がない)事件は、
日本の歴史からスッポリ抜けています。
死人も出ている事件なのに、日本の教科書には掲載されたことはありません。
(日本各地で勃発しました、栃木や浅草などは戦場状態です)
逆に朝鮮民族学校の教科書には差別と弾圧として掲載され教育されています。
勿論、被害者側としてであり、立ち上がったのは国籍条項と朝鮮民族学校の廃校に対する
抗議としてであると述べています。
言っておくが日本国内だけではない。
朝鮮半島を朝鮮を近代化させて、恩あるはずの我ら先人の日本人を集団で襲って、
強姦強盗不動産窃盗と悪の限りを尽したのを皆忘れてしまったのか。
多くの日本人は、朝鮮人に襲われ、無念にも命を落とし、帰れなかった人は数知れない。
彼らの悔しさを思うと、日本人の敵朝鮮人に参政権という言葉は決して出てこないはずである。
このことを誰も伝えようとしないが、事実は決して消える物ではない。
朝鮮人の日本人に対する犯罪は、触れては成らない理由があるのか不思議な日本人達だ。》
Posted by 余生を憲法改正に! at 06:20 | 脚下照顧・人として… | この記事のURL | コメント(0)
ロシアは民主化できるが中国は民主化できない [2022年03月21日(Mon)]
ー比野庵 本館ー さまブログから転記させていただきました・・

小説家で歴史研究家の井沢元彦氏

「ロシアは民主化できるが中国は民主化できない」

井沢氏は、キリスト教、すなわち神の存在を認めることによって民主主義の母体が出来ると述べています。

◆ つまり、人間を超越した存在である神の御前では、人間同士の優劣など誤差にしか過ぎない、故に「一人一票」でよい、民主主義の母体が出来上がる。

◆ 他方、中国の朱子学は無神論であるが故に、人の優劣が絶対となり、優れた人が国を治めることに正当性が与えられる。

万人平等の思想がないが故に、民主主義は出来ないというのですね。
畢竟、無神論国家である中国は民主主義国家にはなれないという訳です。

井沢氏は、ロシアについて、一時期共産主義にかぶれたものの、根本にキリスト教があるが故に、今の民主主義レベルは低いものの、キリスト教の「万人平等」の思想により、時間はかかるけれども民主主義国家に生まれ変わるなると述べています。

鋭い指摘です。

井沢氏は、台湾、香港が民主化できた理由を、外国に占領されたことで外国のマインド、キリスト教の思想が移植されたからだとし、

そして日本については、徳川家康が朱子学を導入したのに民主国家になれたのは、

明治に天皇陛下を神の座に押し上げることで、陛下の臣民という形で「万人平等」の思想を定着させたが故だと述べています。

・・・・日本文化独特の「良い事取り」・・・つまり他国の文化風土を取り入れて「日本文化に融合させる」感性のなせるところですかね〜


Posted by 余生を憲法改正に! at 08:24 | 脚下照顧・人として… | この記事のURL | コメント(0)
ウクライナ人道危機救援金 [2022年03月18日(Fri)]
「ウクライナ人道危機救援金」の受付を開始しました【期間|令和4年3月2日から令和4年5月31日まで】

「ウクライナ人道危機救援金」の受付を開始しました【期間|令和4年3月2日から令和4年5月31日まで】|花巻市 (city.hanamaki.iwate.jp)

https://www.city.hanamaki.iwate.jp/kenko_iryo_fukushi/seikatsushien/1016067.html


ロシア・ウクライナともに過去の経緯まで遡り善悪を論じてもしようがないと思いますが、今!、市民まで巻き添えになる悲惨な殺戮が起きている現実を知るに及び、ささやかながら気持ちを届けたいと思います。
出来ることはそれだけなので、何とも居たたまれない気持ちです。
周辺諸国の状況を見るに明日は我が身!
国連がしっかり機能してくれることを願うばかりです。
Posted by 余生を憲法改正に! at 17:47 | 脚下照顧・人として… | この記事のURL | コメント(0)
岸田流世渡り? [2022年03月16日(Wed)]
世渡りの智慧?
それとも・・・・

岸田語録なそうです。

・遺憾に思う
・注視していく
・最善を尽くす
・慎重に検討する
・慎重に見極める
・適切に対応する
・毅然とした対応をする
・緊張感を持って注視していく
・あらゆる選択肢を排除しない
・議論を続ける

以上は「何もしない時」の岸田総理の説明。

安倍総理は野党の揚げ足取りだけが目的のくだらない質問にも直球で返すことが多く、
それがために図星を突かれたり、反論されたことが気に入らない野党側が火病を起こして怒鳴り散らしてあげく安倍総理に謝罪まで要求するようなケースもありました。

菅義偉総理は野党が時間稼ぎや揚げ足取りのための生産性のない質問をしている事に対して無駄なエネルギーを使うまいと門前払いにするような答弁をしたりするので
やっぱり野党が火病を起こしていました。

岸田総理はというと、
野党の難癖にも好意的に回答しているように話すのですが、
よくよく考えると右から左に流してるだけです。
ところが立民には3番目が一番評判が良いようです。

冷静に考えれば岸田総理が一番ダメなパターンなのですけどね。

こんな指摘も!

岸田内閣にはもう、不安しかありません。何を聞かれても「検討」「検討」の「検討士」と言われています。もう笑い話にもなりません。(日本外交は「言わざる、動かざる」自民・佐藤外交部会長が批判)。
Posted by 余生を憲法改正に! at 07:54 | 脚下照顧・人として… | この記事のURL | コメント(0)
ロシアの国際法無視戦争、日本は富国強兵を! [2022年03月13日(Sun)]
ロシアの国際法無視戦争、日本は富国強兵を!

民族性は時代が変わっても変わらない。
北方領土をシナ人や朝鮮人を入れて開発したり、軍事訓練までして、火事場泥棒が我が物顔しているのがロシアのプーチンである。

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このプーチンを日本人は信用できるのか?

日本は歴史に学ぶべきである。
そして現在明らかにシナ、ロシア、中国、朝鮮は日本の敵国である。

もちろん米国も信用できるわけではないが!

それ故に
だからこそ、
日本は自分の国を自分で守るためにやるべきことがたくさんある。

先ずは「憲法改正」である!
若い方々も、そこに気づいて欲しい!

そして、真の国際秩序は日本こそ!
日本が築くべきものである。

日本人の歴史は、後進国故に「国際法」を基軸に行動してきた・・・

2682年余、
天皇さまも領主さまも!
民を大事にして来た。
そういう国柄なのである。
Posted by 余生を憲法改正に! at 07:43 | 脚下照顧・人として… | この記事のURL | コメント(0)
立件共産党・暗黒国会の実態! [2022年03月10日(Thu)]
りっけん共産党が繰り広げる
「暗黒国会」

−日本の尊厳と国益を護る会 青山繫晴 氏−

▼きのうの予算委員会は再び、おかしな慣習の「片道方式」となりました。
 議員の質問する時間だけカウントされて、政府の答弁をはじめ、そのほかの時間は一切、審議時間に含まれません。
 とたんに野党議員は、奇怪な行動に出ます。

 叫ぶように早口で質問して、質問が誰の耳にも、つまり野党議員にも聴き取れず、大臣にも聴き取れず、答弁する大臣が困惑しつつ答弁席に来て、「聴き取れませんでしたから、もう一度」と丁寧にお願いなさると、野党議員は着席のまま、まるで叱責するように、ときには怒鳴るように、言い返します。
 なぜ着席のままか。
 ちゃんと立って、委員長の指名を受けて発言して初めて、時間がカウントされ始めるからです。
 座ったままだと、カウントされません。

 その議員が、持ち時間の3倍にも4倍にもなってようやく質問を終えると、今度は、とにかく着席したまま質問しようとする議員が現れます。
 立って発言した質問内容が、部分だけ切り取ったような内容なので、答弁側が聴き直すと、座ったまま「だから、こういう意味ですよっ」と内容を補います。

 いずれも、このようにしていたらいつまでも審議時間が延びる、それがもはや、無意識の狙いとなってしまっているとしか思えません。
 これが暗黒国会でなくて何でしょうか。
 主権者・国民のためになること、日本国民が喜ぶことでしょうか。

 ぼくは参議院議員の1期6年ずっと、同期当選の議員で唯ひとり予算委員を務め続けているために、この暗黒国会とずっと向かい合っています。
 審議の内容以前に、上記のような挙に出ることが、にんげんの生き方として根本的に、信じがたく思うのです。
 審議の駆け引きうんぬんを超えて、人間性を問わざるを得ません。
 なぜ堂々とルールを守って、自分にだけ有利になることなど狙わずに、真っ直ぐに議論をしないのでしょうか。
Posted by 余生を憲法改正に! at 07:23 | 脚下照顧・人として… | この記事のURL | コメント(0)
すべての国々の家族が、安心して暮らせるように [2022年03月06日(Sun)]
人間! たかだか100年の命・・・
されど貴重な、「二度とない人生」
この人選を想いで深く、すべての国々の家族が、安心して暮らせるように助け合うようでありたい。


他国を貶め、侵略し、殺し合うような地獄を創るために人間が居るのではあるまい。
人間の戦いは、病老生死、七難八苦!
煩悩百八の塵を落としながらの人生始終、悟りへの道を歩むこと他ならない・・・
然るに、今起きている戦争を起こしている者たちを悪魔と呼んでも尚足りない。
神に祈る「天罰」を・・・
(人間の心身を悩まし迷わせる煩悩。 数の多いことを百八と示したもの。 一説に、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに悩みが六つあって36、これを過去・現在・未来にそれぞれ配して合計108とする)

旧ソ連諸国のロシア離れ加速 - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6420111?fbclid=IwAR0NnuWIB_e3wToj1Fiy73sdhFJaNlg-v4MZ8RmA3DZhKgraA7SCwtEyDv4

そして!
ウクライナ戦争のさなかにも、中国共産党の独裁主義によって、日本の主権、同胞の人権がやすやすと侵害されていることを忘れてはなりません


(193) 【ぼくらの国会・第292回】ニュースの尻尾「中国に拘束させるな」 - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=6DLv9R5QLIQ
Posted by 余生を憲法改正に! at 08:02 | 脚下照顧・人として… | この記事のURL | コメント(0)
忘れることの出来ない「人生始終」 [2022年02月22日(Tue)]
18歳から57歳までのサラリーマン生活は菓子作りの一本道。
しかし、その道は、オリオンベーカリー・オリンピック製菓・丸藤・アストウル・フランス菓子ジロー・ミッシェル・玉川屋と続く7道の修行の綱渡りでもありました。
ミッシェル社長の社員教育「盛恵学校」。
恵比寿アストウル並木隆明社長によるモラロジー人間教育、そして、ホテル志戸平さまの「ありがとう経営」
忘れることの出来ない「人生始終」、今ある原点であります。

そして、何よりも・・・
我が一寸法師の舟下りは
ホテル志戸平様との出逢いが原点でした・・・
ホテル様で初めてのブライダルフェア―がきっかけでスタッフの皆様に育てて頂きました。
もちろんそこに至るご縁は深いものがあります。
その「ご縁」を以下に記します。

平成13年4月9日 
ありがとうセミナーにて挨拶する機会を戴いて。
(保存資料から転記)

皆様 ありがとうございます。お元氣様です。
いつもお世話になっております、玉川屋の鎌田 勇です。宜しくお願い致します。
先日、私の長男の結婚式をホテル志戸平様で行うことができました。本当に嬉しい恵まれた披露宴ができました。ありがとうございます。

私は、親として何ら役目を果たさず、子育て失格と自ら認めております。しかし、息子の晴れの舞台で、何としても伝えて置きたいこと、それは「ありがとう」の心でした。
ホテル志戸平様の館内に入ったときの、何とも言えない温かさと英氣を養われるような雰囲氣。
この雰囲氣を家族みんなで味わうことが、何よりの親としての、「はなむけ」ではないのかと確信の中に会場を選ばせていただきました。
139%、本当に心残りのない披露宴でございました。あらためて御礼を申し上げます。ありがとうございます。

私の母がまだ結婚する前、久保田旅館様で働いていました。幼い時に何度となく連れてこられ、大八郎様のお話をする母の姿が思い出されます。小学校に入り「金山」という作文を書いたことがございます。電鉄電車志戸平駅のまん前にあった、山の中腹に金山の後が有ったと言うことを聞いていたからです。
私が高校に入り水泳部に所属したこともあり、志戸平様のプールに3年間通いつづけました。冬場の合宿も思い出されます。

(私の運命を変えたのもまた志戸平様でございます)
昭和63年、当時パソコンがまだどうにもならない難しい時期でありました。そんなときに盛岡で開かれたパソコンセミナーに出席しましたが、そのときに志戸平様の佐藤財務部長様の事例発表をお聞きし、その場で私は、これが欲しかったんだと即座に注文したのが、マイツールでした。
150万円の買い物ですから、家族には内緒にしていました。以来、マイツールユーザー会でありますMUGの会にお世話になり久保田社長様に出会うことが出来たのでございます。5年間ほど久保田会長様のもとでマイツールを始め、マネージメントシミュレーションゲーム(MG)の勉強も出来て非常に充実した日々が始まりました。
私の人生でこんなに大きく変化した時期はいまだに無かったと思います。正に恵まれた出逢い、ありがとうの開花でした。

久保田社長様とのご縁はその後、倫理法人会へとつながり、お蔭様で仕事の面でも大変お世話になって、現在へと続いております。
この私の体験が、私の幸運を社員にも分けてやりたい。私たちの学ぶべきことは志戸平様に来るとたくさんある。という確信をもたらしたのであります。

ホテル志戸平様とのご縁を大切にし、全社員がここで学ぼうと皆に語りかけました。
そして、私の思ったとおり、みんなが良く親しんでくれました。
凄いな、ホテル志戸平様は凄い。どこが凄いかと。とても明るく元氣がいいのです。皆様がキビキビ、ハキハキしておられる。
行くのが楽しくなる。そんな思いでした。そして、私もそのことを強く意識し、益々意を強くしたのでございます。

やがて「日本一のありがとうホテル」を目指して、清水英雄先生がご指導に入られていると言うことを知りました。その想いも久保田社長さまからお聞きする機会がありました。
当然のごとく、私も「ありがとう」の世界の真似事に入りました。清水先生に了解も得ず、勝手に名刺に「ありがとう」を入れたり、「ありがとうだより」を発行したり、おまけに自分でわかり切ったような独り善がりの「ありがとう」を社内で教えようとしていました。
しかし、それが全く中身のないことに気づいたのです。

それは、ホテル志戸平様の社員のみなさまが「ありがとう詩集」を発行し、お客様とありがとうの交流が始まったこと。更に仕事を通じてお会いする社員の方々が、「お元氣様」、「充実のところ」とか話されていますことを目の当たりに見ましたときに、私のありがとうは偽者だと気づきました。単に言葉を使っているだけで、心が全然できていないことに愕然としました。
恥ずかしい思いでした。ホテル志戸平様の実践を、私がやっているかのごとく、社員に話していた自分が恥ずかしくなっのでございます。

(何よりも、お客様の声が館内に貼られていますが、どれも感謝感動の声・・・
通常、お客様の声と言えば「クレーム」を思い浮かべるのですが、そこが違っていました)
それが、一つの目覚めでした。それからの一年間はお菓子を納入するときも緊張の連続でした。今まで何気なく、出入りしていた仕事の陰に、ホテル志戸平様の皆様の努力が見えてきたのでございます。私たちが学ぶものは、社員の皆さま、一人一人の行動に沢山ありました。それ以来、私は社員の皆様が怖くなりました。そして、本当にお世話になっていると実感しました。と同じに、私の生い立ちからの関わりでホテル志戸平様と親しんできました、その甘さがここにきて反省させられたのでございます。

感謝心の無いところに繁栄はあり得ない。そんな言葉を思い出しました。そして、今からでも、私のありがとうを創り上げていきたいと念じています。
今、不思議な現象が芽生えております。それは、ホテル志戸平様に向かう時のことですが、市内から湯口を通り、志戸平様に向かうに連れ、ありがとうのチャンネルの切り替えが始まります。ありがとうモードへの変換です。

そして、駐車場に入るころから姿勢がシャキッとし、元氣が出、明るくなれること。これは何でしょうか。私は、それが ありがとうの心を実践している、皆様全員の波動が映ってくるのではないのかと、確信しております。
我が心のふるさと志戸平さま。
今までのご縁、きょうのご縁、そして、これからのご縁、皆様本当にありがとうございます。

※長々と書き連ねました。
平成14年、サラリーマン脱落の日、ホテルブライダルスタッフの皆様、久保田社長様ご出席まで戴いて私の慰労会を開いて下さいました。わが社洋菓子部のメンバーも出席しての「有り得ない心の贈物」でした。勤務先ではそういう雰囲気でもなく、雪の中に追い出される様なものでしたが、それだけに涙するお別れ会でした。
ただ・・・ご好意に甘えて、ご恩受けっぱなしの事、心残りのままです・・・
※ 平成14年10月2日は、菓子工房アストラのお椀の舟出!
ご縁に感謝し「ありがとう」の仕上げに願をかけた舟出でした。
Posted by 余生を憲法改正に! at 08:06 | 脚下照顧・人として… | この記事のURL | コメント(0)
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