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報道されない「改憲」が必要な理由。 [2020年05月05日(Tue)]
報道されない「改憲」が必要な理由。
2020年5月3日
小坪しんや氏
https://samurai20.jp/2020/05/kaiken-7/

端的に言う。
「憲法に緊急事態」を明記しないと、関連する立法行為ができないのだ。

例えば休業補償であったり、国民それぞれへの給付処置であったり。ここまでの事実上の有事になった際に、”どうするのか?”という取り決めをしておく必要がある。
たかだが憲法に一条を追加したぐらいで意味があるのか?と言えば、ある。
法をベースに条例を作るように、法とは憲法の上につくるもの。
土台がないのに立法行為はできない。空中に家を建てるようなもので、やれないものはやれないんだ。

いま、緊急事態が宣言された。
政府は政府としてよくやっているとは思う。

だが、特別定額給付金でもトラブルが起きている。やはりと言っていいかは判断に迷うが、マイナンバーのオンライン申請は一部でトラブルが生じている。通帳の写真をアップする仕様なのだが、スマホのカメラの解像度の上昇を加味していなかったのだろう、SPEC不足も一つの原因ではないか。

また、雇用調整助成金は「休業補償としては」ほぼ支給されないだろう。10割にアップとばかり報道したがゆえ、あたかも休業補償(休業に伴う人件費)を10割もらえると感じた人が多いようだが、そもそも上限額が8000円ちょっと。20日稼働として16万円ほどが対象。

そもそも申請が非常に難しく、書類が大量に必要であり素人では対応は不可能なレベルだ。社労士の専業分野ゆえ、顧問として社労士と契約している企業以外は申請自体ができないと思う。
かと言って、ハードルを下げれば正解というものでもなく、すでに既存の制度として回っていたものゆえ、下げ過ぎれば不正の温床にもなりかねない。
休業の要請を行い、一部では給付金の処置もとられる。
当市では、国の決定をまたずに専決処分で20万円の給付を決定した。だが、異なる自治体では給付を受けることはできない。課税の公平性などを鑑みるに、差異が生じることに違和感を覚える人もいるだろう。
なぜ憲法を改正する必要があるか。

もう一度、言う。

私が言いたいのは「緊急事態に付随する様々な立法行為」が、憲法を改正しないとできないという点。

相当に初期の段階で、「他国のような強硬なロックダウン」などが我が国ではできないことを問題点として述べた。戒厳に近いことはできない。
そのため、特にパンデミックを恐れるという部分はあろうかと思う。

仮に感染がさらに蔓延し、「ついに、ここまで来たならば、シャットダウンのスイッチを押すぞ!」という選択があるならば、自粛ムードを解除する方策もあるかもしれない。だが、我が国には、そのスイッチがついていないんだよ。

緊急事態に関連する憲法がないというのは、そういうことです。

憲法に、緊急事態に関する条文を追加。
のち、「緊急事態に関連する法を制定していく」のです。
本来ならば、定額給付金であったり休業補償に関する規定などは、事前に立法しておく責務がありました。ただし、憲法が規定されていない以上は、いかに国会議員とはいえ、それは国会で公に審議することができないわけです。


ここは多事総論あろうかと思いますが、はっきり言っておきますね、

改憲しないと、これらの法の制定は議論すらできない。実際、できなかったんだ。

今回、定額給付金や雇用調整助成金でトラブルが多発していますが、こんな緊急でこれだけやれば、これぐらいのトラブルは出てくるでしょう。政府はよくやっているとは思います。

けれども、起きた後に言ってもね、起きたあとにやり始めてもね、
ほら、こういう風になっちゃうんですよ。
報道は、「緊急事態を憲法に明記」しないと、関連する法体系が作れないとは口が裂けても言わないでしょう。野党の議員も”そんなことはない!議論はできる!”と理想論をわめくのでしょう。

覚えておいてください。
憲法を改正しないと、つまり基礎がないと、その上の建築物を建てることはできません。

報道されないと思うので、しっかり広めてください。


それにしても・・・・
政府広報官なりが!
小坪さんのように「しっかり説明すればよいのになぁ〜」
Posted by 余生を憲法改正に! at 06:20 | 憲法を考える | この記事のURL | コメント(0)
憲法改正は国民の権利です! [2020年05月02日(Sat)]
テーマ 憲法は国民の命と生活を守れるのか
    〜新型肺炎と中東危機〜

日時 5月3日(日)午後2時より(約90分間)

視聴方法
Youtube  https://youtu.be/ZVdbTtZggzo

ニコニコ動画  https://live2.nicovideo.jp/watch/lv325313143

美しい日本の憲法をつくる国民の会HPからもアクセスできます。
https://kenpou1000.org/

◎出演者〔順不同・ビデオメッセージ発表含む〕
安倍晋三氏ビデオメッセージ(自民党総裁)
櫻井よしこ氏(主催者代表)
田久保忠衛氏(杏林大学名誉教授)
ケント・ギルバート氏(カリフォルニア州弁護士)
伊藤俊幸氏(金沢工業大学虎ノ門大学院教授
西修氏(駒澤大学名誉教授)
百地章氏(国士舘大学特任教授)
打田文博氏(美しい日本の憲法をつくる国民の会事務総長)
Posted by 余生を憲法改正に! at 06:19 | 憲法を考える | この記事のURL | コメント(0)
特措法や緊急事態宣言の根拠をしっかり創ろう! [2020年04月28日(Tue)]
特措法や緊急事態宣言の根拠をしっかり創ろう!

5月3日、パチンコ業界の自粛営業さえできない日本の法律?
いわゆる武漢ウイルスを政局に持ち込む野党やマスコミの愚劣化!

何が日本の問題なのか?
憲法記念日、考えて見ませんか!


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Posted by 余生を憲法改正に! at 07:09 | 憲法を考える | この記事のURL | コメント(0)
憲法は国民を守れるのか? [2020年04月14日(Tue)]
憲法は国民を守れるのか?

ライブ中継
5月3日 午後2時〜


コロナの危機!
領土侵犯やテロの危機!
大災害の危機!


国民の生命危機が訪れた時、
果たして国会が機能するだろうか!
国会は国会議員三分の一の出席が無ければ成立しない!


ご家族をまもるための
国民の選択は!

憲法を守って国が滅びるのを待つのか!
国や家族を守るために憲法改正に向き合うのか!

あなたの一歩!
あなたの選択にかかっています!


国会議員ご家族が感染!
果たして、この国難に国会が機能するのか?
不安は増すばかりです。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200413-00000607-san-pol


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http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-11377.html
Posted by 余生を憲法改正に! at 06:07 | 憲法を考える | この記事のURL | コメント(0)
憲法守って国滅ぶ? [2020年04月13日(Mon)]
憲法守って国滅ぶ?

国会議員の腰抜け状態!

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国会でも密閉・密集・密接の「3密」回避が課題となっている。一部には、オンラインを活用した「遠隔投票」による採決実現を求める意見が出ているが、機運は高まっていない。憲法が議員の国会への「出席」を前提としていることが背景にある。

自民党若手議員は9日、衆院議院運営委員会の高木毅委員長(自民)と面会し、「ネット中継視聴やウェブ会議への参加も出席と見なす」ことなどを求める国会改革を提言。オンラインによる採決実現も掲げた。高木氏は「皆さんの思いはもっとも。できるだけの対処はしたい」と応じた。

しかし、実際にはハードルが高い。日本国憲法には本会議開会に「総議員の3分の1以上の出席」を求める規定があるためだ。自民党中堅は「ここで憲法改正と言い出せば悪のりになる」と指摘。採決に関しては不正や間違いの防止、セキュリティー確保などの課題もあり、立憲民主党中堅が「システム整備に費用がかかる」と語るなど、与野党とも腰は重い。
Posted by 余生を憲法改正に! at 06:28 | 憲法を考える | この記事のURL | コメント(0)
ケンポウと、憲法と、Constitutionの概念の混在が、今の日本人にとっての最大の障害です。 [2020年04月08日(Wed)]
『ねずさんのひとりごと』

ケンポウと、憲法と、Constitutionの概念の混在が、今の日本人にとっての最大の障害です。

現行の日本国憲法も、先の大日本帝国憲法も、いずれも西洋における「Constitution」を「憲法」と和訳しています。
ところが概念として、日本における憲法という言葉の意味と、西洋における「Constitution」では、実はまったく意味が違います。

「constitution」という語は、フランス革命当時のパリ市民たちの手で作られた造語です。
 Con《共に》、
 stitute《立てた》
 ion《こと》
が組み合わさったできました。

フランス革命に際して、パリの市民が集まって共同体をつくり、その共同体がフランス王朝と戦うに際しての基本的な共同体の基本規約として打ち立てられたのがはじまりで、王朝を打倒して自治が始まると、当然、その共同体基本規約は変更することになるし、パリ市民だけでなく、フランス全体を統一国家としたときには、今度はフランス全体に関する基本規約へと変更されていく。
つまり、共同体の形や目的、方向が変われば、当然にその都度変更していくのが、彼ら西洋人にとっての「constitution」です。

ですから例えば西ドイツは日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国ですが、戦後60回以上にわたって「constitution」の改正を行っています。
改正するのが当然だからです。
現実問題として、終戦直後の状況と、いまのドイツでは、まったく国の様子も民衆の求めるものも違ってきています。

そういう意味では、日本も同じで、大日本帝国憲法が制定された時代と現代とでは、まったく時代環境が異なっているし、まして日本国憲法が制定されたときは、日本は戦後の焼け野原で、しかもGHQによって占領統治されていたわけです。
その頃の状況と、いまの日本の状況では、まったく様子が異なっているわけで、そうであれば「constitution」は、いまの状況に合わせて変えるのがむしろ当然であるわけです。

ところがここにやっかいなことが起こります。
明治のはじめ(明治6年)に、元熊本藩士の林正明(はやしまさあき)が合衆国constitutionの訳本を、また元津山藩士の箕作麟(みつくりあきよし)がフランスconstitutionの訳本を出すに際して、「憲法」という用語を用いてしまったのです。
これによって日本では、あたかも「constitution(共同体基本規定)」と日本語の「憲法」が、同じものと誤認されるようになってしまったのです。

実はこれは重大問題です。
日本で「憲法」といえば、西暦604年に制定された十七条憲法のことを指します。
有名な「和をもって貴しとなせ」などの言葉のある憲法ですが、この憲法は、制定から1400年以上が経過した現代においても、色褪せることはありません。
なぜなら十七条憲法は、日本人として共有すべき万古不易(ばんこふえき)の事柄が述べられているからです。
ですから、おそらくあと1400年経過した後の世においても、十七条憲法が色褪せることは、まずありえない。

そういう約定を、17条に渡って書いたものが十七条憲法なのですが、実は「十七条憲法」というのは、訳語であって、日本書紀の本文には、「憲法十七条」と書いてあります。
読みは「いつくしきのり、とうあまりななをち」です。
「憲法」と書いて、大和言葉で「いつくしきのり」と読むのが、本来の読み方です。

「憲」=いつくしき
「法」=のり

なのですが、古語で「いつき」といえば、【斎(いつき)】のことで、 身心を清めて神に仕えることを言います。
「いつくしき」になると形容詞になって「身心を清めて神に仕えるように」といった意味になります。
「のり」というのは、基準規範規則法令のようなもので、糊(のり)と同じで、ベッタリと張り付いたらもう取れない。つまり取ってはならないもの、破ってはならないもの、といった意味の言葉になります。

ですから大和言葉の「いつくしき・のり」は、現代語に訳せば、
「身心を清めて神に仕えるように大切に守らなければならないこと」
といった意味になります。

人倫としての最低限守らなければならないものですから、それは千年経とうが5千年経とうが、まさに万古不易で、決して変わることがないものです。
その「変わることがない万古不易の人の道、国家の道」が、日本人にとっての「いつくしきのり(憲法)」であるわけです。

ということは、日本語の「憲法」と、西洋における「constitution(共同体基本規定)」では、その基本概念がまったく違うということです。

似たようなもので日本人が誤解しているものに「国連憲章」があります。
これは英語では「Charter of the United Nations」と書かれているもので、
「United Nations」というのは連合国軍のことを意味します。
「Charter(チャーター)」は、日本語に直したら乗り物をチャーターするのと同じです。要するに利用規約です。
つまり「Charter of the United Nations」というのは、万古不易の国際連合の憲法ではなく、単に第二次世界大戦における「連合国軍」(当時の連合国というのは事実上は英米仏蘭ソ)を利用させてもらうための規約であるわけです。

もっとわかりやすく言うならば、国連の安全保障理事国(現在は米英仏露中)が世界の軍事を独占し、その独占された軍事力を各国が利用させてもらうための規約だから「チャーター・オブ・ザ・ United Nations」なのです。
これを「国連憲章」と誤訳すると、日本人にはあたかもそれが「国連」という名の世界政府の万古不易の変えてはならない憲法のように見えてしまう。

ところがその「国連憲章」には、日本は明確に「敵国である」と書かれているわけです。
いまでは日本も連合国(United Nations)の一員として、連合国軍(United Nations)をチャーターしているわけですから、それでいていつまでも「敵国」とされているのは、いかがなものかと思いますが、なぜか日本は、国連憲章から敵国条項を外すことにあまり熱心ではない。
その理由は、本当は連合国軍をチャーターするための基本規約ある「Charter of the United Nations」を、日本人が「国連憲章」などと、あたかも世界政府の憲法であるかのように錯覚する誤訳がまかり通っているからでもあるわけです。

話が脱線しましたが、「いつくしきのり(憲法)」と「constitution(共同体基本規定)」では、その基本となる概念が違いすぎます。
日本人にとっては、憲法とは「いつくしきのり」であって、本来、変えてはならないものであるからです。

ここに多くの日本人が抱える自己矛盾があります。
憲法を、変えてはならない「いつくしきのり」と考える日本人の言語感覚と、
変えることを前提とした英語の「constitution(共同体基本規定)」では、そもそもの基本概念がまったく異なるのに、その異なる二つが「憲法(けんぽう)」という言葉の中に混在してしまっているからです。

ですから現行憲法を改正、もしくは自主憲法の制定をしようとするにあたっては、我々日本人は、まずその前提として、
万古不易の「いつくしきのり(憲法)」と、
状況に応じて変化させるべき「constitution(共同体基本規定)」とをしっかりと区別する必要があるのです。

早い話、憲法改正とか憲法破棄とかいうと、猛然と反対意見が起こりますが、そもそも現行の日本国憲法なるものが、占領軍によって与えられた「連合国占領統治下の日本(Occupied Japan)における日本人という共同体の基本規定(constitution)」であり、和訳するなら本来は、「The Constitution of Japan」は「日本国憲法」ではなく、「連合国統治領日本における日本人の服務規程」(小山常実先生)と訳すべきものであったわけです。

仮にもし、いま日本国憲法の名称が英語の「The Constitution of Japan」の訳として、「連合国統治領日本における日本人の服務規程」とされていたならば、おそらく1万人の日本人がいたら、その1万人全員が「改正すべき」、もしくは「新たに憲法を作り直すべき」と考えると思います。
言葉というのは、かくも恐ろしいものであるわけです。

従って我々がこれからの日本の形を、そして日本の憲法の在り方を考えるにあたっては、まずはじめに、
万古不易の「いつくしきのり(憲法)」と、「日本という共同体の基本規定(または基本法)」とを分けて考える必要があると思います。

たとえば、「国会は衆参両院による」(第四十二条)という規定は、万古不易のいつくしきのりにはなじまないものといえます。
そうであれば、これは「日本という共同体の基本規定(または基本法)」に記載すべきものであって、「いつくしきのり(憲法)」に記述すべきものではないということになります。

つまり、世界最古の歴史を持つ日本として、我々日本人が千年経っても1万年経っても「変えてはならないもの」と、その時時の世界情勢や国情に合わせて、常に変化させるべきものとを、明確に区別して考える。

その意味では、我が国の先人たちは、実に立派であったと思います。
なぜなら、十七条憲法という万古不易の憲法を根本として、武家政権であれば武家諸法度という形で統治のための基本法を定めていたからです。

さらにいうと、チャイナにおいてちゃんとした民主主義が育たなかったり、あるいは共産主義と言いながら、その実態は単なる王朝体制であったりするのは、やはり言語の問題が大きいと思います。
なぜならチャイナにおける近代用語は、そのほとんどが日本語の輸入であるからです。
早い話、中華人民共和国という国号の「人民・共和」は、日本語の転用です。

もともとはチャイナも日本も、政治経済哲学用語として、四書五経しかなかったわけです。
ところが幕末以降日本は西洋における近代以降の政治経済哲学科学医学などの用語を和訳するに際して、その多くを漢字二文字で書き表すようにしました。
今日のテーマの「Constitution」を「律法」あるいは「憲法」と訳したのも、「Right」を「權利」と訳したのも、「人民」や「共和」、「民主」、「共産」などの訳も、すべて日本で行われたことです。
この結果、現代チャイナ語の単語の6割以上が、日本語からの転用だと言われています。

ところがこの転用に際して、日本では、それでもまだ「訓読み」があることで、やや誤解や曲解を防(ふせ)げるのですが、訓読みを持たないチャイナ語では、その誤解は誤解のままで終わってしまいます。
例えば「民主」といえば、日本語なら「たみ(民)が主役、もしくは主人となる仕組み」と理解できます。
けれどチャイナ語はもともと漢字圏です。

すると「民」の意味は、もともと「壁の内側で庶民の目を潰して、庶民に強制的に言うことを聞かせること」、「主」は、屋敷の奥まったところにあるロウソクの炎から転じて、屋敷の奥にいる偉い人」です。
すると「民主」は、「権力を持った人が、民衆の目を潰して(情報を操作したりして)、民衆に言うことをきかせる仕組み」という意味になってしまうのです。

「共産」なら、日本語の場合、「とも(共)に産(う)むための仕組み」、といった語感になりますが、漢語としてみたときには、
「共」が、捧げものをする意味、
「産」が、生まれたばかりの物を装飾するという意味
ですから、「共産」の意味は、「できあがった製品等を、党の幹部に捧げる仕組み」といった意味になってしまうわけです。

それでも、日本が教育の柱となっていた時期(戦前の支那事変前等)であれば、教育によって、こうした用語が、英語やフランス語、あるいはドイツ語のどの単語とリンクされるかがしっかり教えられましたし、あらゆる用語は、その用語の定義を明確にするところから、当時の教育が行われていましたから、そこで教育を受けた人たちは、ある意味、間違いが少なかったのです。
けれども彼らが、チャイナ本土に帰り、日本で教わった理念や概念を、チャイナで普及したとき、実はそこで意図した社会システムとはまったく異なるチャイナ流の文化が成り立ってしまう。

このことはコリアの場合も同じで、とりわけコリアは、その曲解された漢字の語彙のまま、ハングルに文字が置き換えられてしまいましたから、これはもう救いようがない。

ちなみに台湾の場合、漢字が旧字体のまま生き残ったことと、もとからいる台湾の人々が、訓読みを理解することができたことで、その誤解、曲解が、現代日本人よりもはるかに少ないものになっています。
というのは、日本は戦後、漢字を新字体にしてしまったために、意味が不明確になってしまった。

たとえば「Right」は、権利と訳されますが、旧字なら「權利」なわけです。
旧字の「權」は、肉食獣であるミミズクが枝の上から下にいるスズメたちを監視している象形です。
ですから「權利」なら、民衆の利益のために上から監視する力という意味になり、これは英語の「Right」、つまり神から与えられた神のもとでの人の利益になるものという意味にかなり近い。
ところがそうした意味が新字体の「権利」では、まったく失われてしまうわけです。

言葉の問題は大事です。
ましてそれが国の根幹を定める憲法ともなれば、その大切さは論を待たないと思います。
このことは、私たちが深く考えなければならない、決しておろそかにできないことだと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

https://nezu3344.com/blog-entry-4466.html
Posted by 余生を憲法改正に! at 07:34 | 憲法を考える | この記事のURL | コメント(0)
日本弱体化憲法 [2019年10月28日(Mon)]
日本弱体化憲法

前文にすべての根幹が潜まれている。

憲法前文.gif

日本弱体化計画.pdf
Posted by 余生を憲法改正に! at 07:34 | 憲法を考える | この記事のURL | コメント(0)
憲法改正 提言から [2019年07月22日(Mon)]
憲法改正 各界提言から
−第21回公開憲法フォーラム− に私見を交えて

憲法改正を望む!

シリーズ憲法改正.pdf


Posted by 余生を憲法改正に! at 06:48 | 憲法を考える | この記事のURL | コメント(0)
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