パル判事は広島の『過ちは繰返しませぬから』碑文を猛批判! [2024年08月10日(Sat)]
◆ パル判事は広島の『過ちは繰返しませぬから』碑文を猛批判!
◆ 小野田紀美「原爆投下の残虐な行いを忘れないし米国による我が国の民間人大量虐殺を茶化すな」 ☆☆☆☆☆ インド議会は毎年この時期に広島・長崎の原爆の犠牲者を追悼する黙祷を行う。議長が原爆投下で亡くなった人々やその後も後遺症に苦しむ被爆者の苦しみについて説明し、核廃絶への誓いを述べ、議員一同が黙祷を捧げる。こうした慣行がある議会は世界広しと言えど、インドだけかもしれない。 ◎ パール判事 この『過ちは繰り返しませぬから』という過ちは誰の行為をさしているのですか? 落とした者が責任の所在を明らかにして『二度と再びこの過ちは犯さぬ』というならうなずけますがこの過ちがもし大東亜戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではありません。 ◎◎◎ 1952年にパール博士が来日されたときの挿話があるので以下に掲載する。 原爆慰霊碑と博士の追悼詩 (1952年)11月5日、博士は原爆慰霊碑に献花して黙祷を捧げた。その碑に刻まれた文字に目を止められ通訳のナイル君に何がかいてあるかと聴かれた。『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』・・・博士は二度三度確かめた。その意味を理解するにつれ、博士の表情は厳しくなった。 「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。 この過ちが、もし大東亜戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。 さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」 このことが新聞に大きく報ぜられ、後日、この碑文の責任者である浜井広島市長とパール博士との対談まで発展した。 ◎ このあと博士はわたくしに「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。」と嘆かれた。そして「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ。」と慨嘆された。 (中略) 子孫のため、歴史を明確に正せ 1952年11月6日、博士は広島高裁における歓迎レセプションに臨まれて、「子孫のため歴史を明確にせよ」と次のように述べられた。 (中略) 「要するに彼等(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いがない。 東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。歴史を明確にする時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である。 わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。 このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。 満州事変から大東亜戦争勃発にいたる事実の歴史を、どうかわたくしの判決文を通して充分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の偽瞞を払拭せよ。誤れた歴史は書きかえられねばならない。」 『パール博士のことば』(東京裁判後、来日されたときの挿話) 田中正明著 |