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歴史とは! [2024年04月10日(Wed)]
歴史とは何か!

−ねずさんの学ぼう日本− から抜粋

意外なことに、戦後生の私たちは、学校で歴史を教わっていません。
これは昭和20年にGHQが日本における歴史教育の無期停止を実施したことを受け、当時の文部省が昭和22年に、正式に歴史教育を廃止し、社会科を新設したことによります。

あのGHQですから「一時停止」だったものを、日本の文部省が「廃止」にしてしまったのですから、いつの世にも茶坊主はいるものだと呆れてしまいますが、いずれにしても、現代においてもなお、我が国の歴史教育は復活していません。
いま行われているのは、社会科にほかならないのです。

・ 社会科というのは、その子が社会人になっても困らないように、過去におきた出来事を、ただ暗記してもらう科目です。
ですから当然、テストには「鎌倉時代は何年に始まりましたか?」「はい、1192年です」というように、必ず正しい答えが用意されているというように、社会科というのは、ただの暗記科目です。

・ では、そもそも歴史学とはどのようなものなのでしょうか。

まず簡単にその定義を述べると、歴史とは、
「過去の事実の因果関係を記述したもの」
ということができます。

従って書かれたものが歴史であり、因果関係を持つものが歴史です。
ということは、書かれた史書がなかったり、あってもそれが因果関係を表していなければ、それは歴史になりません。

そもそもとして歴史を持つ国や民族というのは、限られた少数しか存在しないということになります。
その通りなのです。

歴史とは   1 直進する時間  2 時間を管理する技術  3 文字で記録をつくる技術  4 ものごとの因果関係の筋書きの4つを満たす過去の記録です。
歴史を持つ国や民族は、世界の「少数派」なのです。

では、歴史を持つのは、どの民族なのでしょうか。
答えは3つです。
それが、東洋史、西洋史、国史です。

現代日本では、世界史と日本史という分類がされていますが、もともとは世界史などというものはありません。
なぜなら西洋史と東洋史では、その記述(筋書き)がまるで異なるからです。
西洋史は勇者譚であり、東洋史は正統物語なのです。

ちなみに戦後はGHQによって、西洋史と東洋史の授業が停止され、文部省が廃止を決めたため、この西洋史と東洋史が合体されて「社会科・世界史的分野」となりました。

ところが、実際には西洋史も東洋史も、どちらにもストーリーがあり、しかもそのストーリーの組立が全く異なるわけです。

ぜんぜん違う筋書きのものをひとつにまとめるということは、サッカーと野球をまとめてひとつの種目にするようなものです。
本来、できるものではないのです。

そこで無理やり考案された方法が、
「単に世界で起きた出来事を列記して丸暗記させる」
という教科としての世界史です。
これは日本だけにある、不思議な学科です。

歴史を持つ民族である日本は、どのような歴史観なのでしょうか。

日本の歴史は、日本書紀を元にしています。
日本書紀は、チャイナに唐という巨大な軍事帝国が生じたときに、我が国を統一国家にする目的で書かれたものです。
そこに書かれていることは、
我が国の国柄と、その成立の物語です。
そしてその中には、神々の時代から、いかに先人たちが努力して日本という国を築いてきたかが描かれています。
勇者であっても儚く散り、正統であっても争いがあります。
従って、これを読む人々は、過去の様々な事実から、現状打破の力を学ぶことになります。
日本書紀以降の他のすべての日本の史書が、すべてこの形です。

◎ 日本人にとっての日本古来の歴史は、記述された過去の事実を前にして、
そこから読む人それぞれが何を学び取るかが重要視されるものとなっています。

◎ 日本の歴史(国史)は、過去の事実を基に、自分ならどうしたか、自分ならどうするかを考えるための手がかりの書なのです。

◎ 日本人にとっての歴史は、
「事実を基に、自分の頭で考えるためのもの」ということになります。

◆ 社会科と歴史学の違いも、ここにあります。
社会科は、単に「事実を覚える」ためのものです。
けれど歴史科は、過去の事実に基づいて、どうしてそうなったのか、自分ならどうするか、本当はどうすればよかったのかを、自分が当事者の一員となって考える学科なのです。

◎ ただ「知っている」だけなら、何の意味もないのです。
そうではなく、そこから自分の頭で考える技術を磨く。
そこが大事なのです。

※ 過去と他人は変えられない? とか言われますが・・・
過去から学び 自分を磨き 自分が変わることで他人も変わる・・・目指すは「そこ」に有り!


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Posted by 余生を憲法改正に! at 06:47 | 脚下照顧・人として… | この記事のURL | コメント(0)
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