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日本人の心 [2024年01月18日(Thu)]
日本人の心

安倍元首相が仰った『誰かのために、地域のために尽くしたいという日本人の心』

−山口敬之−

◆「アメリカの臆病さが日本を踏みつけにした。
日本人が死を厭わずに国家のために突撃して来た理由が米軍には分からなかった。
その理由は天皇陛下だと分り、『君が代』や『教育勅語』を禁止した。」

当時、国旗掲揚も出来なかったと記憶している。
東京の上野を初めとして、親や兄弟姉妹を失ったいわゆる「浮浪児」達で溢れた。

焼野原は誰が地主か分からなくなり、誰かが「バラック小屋」と称する小さな、板を張った、今でいうテントのような家を建てた。

その後、駅前の一等地に建てられパチンコ屋は韓国資本だった。
その韓国がパチンコを禁止し、日本だけで繁盛しているというのは皮肉だ。

◇ 話を戻せば、パイプを加えて飛行機のタラップから日本に降り立ったマッカーサー元帥と対談した昭和天皇陛下は「自分の命は惜しまない、国民を救って欲しい」と述べられた。

その後、マッカーサーはクビになり「大東亜戦争は日本の自衛のための戦争だったと東京裁判を否定したのはご承知の通り。

−佐波優子−
「昭和20年12月に宮城県から突然上京して来た60人位の青年団が皇居の坂下門外に来て、侍従達に「自分達は宮城県から来た青年団ですが、皇居に瓦礫や雑草があると聞いて凄く心を痛めていて、是非、掃除をさせて欲しいと言った。

自分達は、こんな事をしたらマッカーサーに捕まって処刑されるかも知れないと思って、60人の中には親兄弟と別れの盃を交わして来た者も居ると。
その覚悟で来たと言った。

その話を聞いた侍従が心を打たれて『それでしたら、是非明日から奉仕をして頂けませんか』と言って、翌日から奉仕をお願いすることになった。

自分達の宿を確保した青年達は、その日は泊まって翌日から清掃奉仕をすることになった。

早速、皇居の中で雑草を取ったり瓦礫の整理をしていた時に天皇陛下のお出ましがあった。

陛下は『宮城県の状況はどうですか』とか色々な事をお話になった後に、『どうも有難う御座います』と仰って、陛下が住まわれている所に戻ろうとされた時に、突然60人の青年団の中から『君が代』の歌が起こった。

当時禁止されていた『君が代』が自発的に起こった。
部屋に戻られかけていた陛下が足を御止めになって、身体を青年団の方にまた向けて、その『君が代』の歌を聴き入っていた。

そうすると、青年団の人達は『陛下のお足を止めてしまった』と『陛下の時間をこんな風に使わせてしまっては申し訳ない』と一早く終わらせないといけないと早口で歌った。

早口で歌っていた声がどんどん涙声に変わって行って、最後は嗚咽の声に変わってしまい、歌えなくなってしまった。

◇ その時の近くの侍従次長が・・・

「見ると、真っ黒な手拭いを顔に押し当てていた。
万感胸に迫って君が代が歌えないのだ。
私も悲しかった。誰もかれも悲しかった。
しかしそれはただの虚しい悲しさではない。
何か言い知れぬ力の籠った悲しさだった』

・・・と後に文章に書いている。

午後には天皇皇后両陛下お揃いで青年たちにお会いになって、それが引き継いで今、皇居の勤労奉仕をした人達に天皇皇后両陛下のお出ましがあるということが続いている。

◇ 安倍元首相が仰った『誰かのために、地域のために尽くしたいという日本人の心』そのものではないかと思う。」

「自分の居場所が無い」とか「自分探しの旅に出る」とか愚痴をこぼす今時の若者に伝えたい。
Posted by 余生を憲法改正に! at 07:09 | 輝け日本! ・・・尊厳と誇り! | この記事のURL | コメント(0)
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