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日本国を護る! [2022年02月02日(Wed)]
日本国を護る! (ネタ元不詳)

スイスは永世中立国として有名です。
日教組系の社会科教師などは「美しい山が連なるスイスは、世界に誇る永世中立の国である。日本もそうした平和な国を目指している。そのために拳法9条がある」
などと教えています。
いまでも、そのように真剣に信じている方は、比較的多いのではないでしょうか。

ところがそのスイスは、永世中立国であると同時に、国民皆兵の国でもあります。

市中には、2万を超える重装備のトーチカが備え付けられ、一定の訓練を受けた国民は全員が屋内に軽機関銃や弾薬等が取り揃えられ、民間防衛のための教本は全国民に配布され、また学校教育にも取り入れられています。

スイスは主体的な戦争はしないけれど、もしスイスを蹂躙しようという国があれば、国民のすべてを敵に回して戦うことになる。
市街地のどこから銃や砲弾を浴びるかわからない。
来るなら来い。どこまでも相手になってやる。
まるで、国をあげてそういう声を上げているかのようです。

そして
「どこまでも身を守ることは自己責任」という教育のひとつの成果として、男性の5人に一人、つまり健康な成人男性のほぼ全員が、毎週2〜3回ジムに通って体を鍛えあげています。

さらに申し上げるならば、スイスには、街中いたるところに核シェルターが備え付けられ、その収容人口は国民の人口に対して100%以上です。
その核シェルターは、個人保有のただのコンクリートの地下室というものではなくて、そこには寝所から台所、ランドリーなどが備え付けられ、さらに国の力で、常に収容人員の4ヶ月分の食料が備蓄されています。

ちなみにこの核シェルター、日本核シェルター協会(http://www.j-shelter.com/)の発表によると、人口あたりの核シェルター普及率は以下のようになっています。

 スイス    100.00%
 イスラエル  100.00%
 ノルウェー   98.00%
 アメリカ    82.00%
 ロシア     78.00%
 イギリス    67.00%
 シンガポール  54.00%
 日本      0.02%

スイス、イスラエルが100%、福祉国家で知られるノルウェーが98%、米国でさえ82%、英国67%、シンガポールでも54%です。
ところが先進諸国の中で、日本だけが0.02%と極端に低いのです。

◆世界は日本をどう見ているか(グレードアップ版)

国家の最大の役割が、国民の生命と財産の安全を護ることにあり、法定制限速度が時速30km/hに制限されている原動機付自転車にさえヘルメット着用が義務付けられ、四輪自動車では後席シートにまでシートベルト着用が義務付けられ、原発の放射能に対しては何シーベルト云々と大騒ぎするほど国家的安全にこだわる日本が、

こと核の危機については、すぐとなりに北朝鮮、中共という二つの共産主義核保有国があって、その核弾頭が日本に向けられているという事実がありながら、核シェルターの普及率では世界の最後進国なのです。

ちなみに核シェルターは、大地震や大津波、大洪水の発生時などにおいても、威力を発揮します。
とりわけスイスのように、非常時用の備蓄食料の4ヶ月分が常備されているということは、万一の災害発生時にもどれだけ強い味方となるか、考えるまでもないことです。

中山成彬先生は、現職の議員であられた頃、総額200兆円規模の予算を計上して防災都市計画を実現すべしと提言されましたが、これは地震大国日本において、もっと真剣に議論されるべきことだと思います。

さて、では、なぜ永世中立国であって戦争をしないはずのスイスが、そこまでして防衛にこだわるのでしょうか。
その理由は、まさに「永世中立」にあります。

「中立」というのは、実はたいへんに厳しいものなのです。
たとえば、スイスを囲む国は、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリアの四カ国ですけれど、もしその中のどこかの国、たとえばドイツがイタリアに進行しようとしたとします。
このとき、ドイツ軍がイタリアに進軍するためにスイス国内を通過する。
このことをスイス政府がドイツに許せば、その瞬間、スイスはドイツに味方したことになり、イタリアから攻撃を受けることになります。

交戦国がドイツとイタリアであるかとかは関係ないのです。
戦争なのですから、勝つためにはなんでもありなのです。
当然、スイスは攻撃を受けることになる。
スイスが戦場になるのです。
それを防ぐためには、スイスは徹底防衛し、国境を超えてくるものに対しては、相手がドイツであれ、イタリアであれ、オーストリアであれ、徹底抗戦しなければなりません。
なぜなら、「どこにも組しない」ということが「中立」の意味だからです。

かつてナチスドイツがフランスに攻め込んだ時、ドイツ軍が間にあるベルギーを通過しました。
ベルギーは、当時、中立を宣言する国でした。
ですからフランスに味方しない代わりに、ドイツにも味方しない。
けれど、そのベルギーを、ドイツ軍が通過しようとしたのです。
ベルギーはどうしたか。
ドイツ軍と戦ったのです。

戦力はドイツが圧倒的でした。
ベルギーは、またたくまに軍が壊滅し、ベルギー王は辺境の小さな村に立てこもり、そこで最後の最後まで力を振り絞ってドイツ軍と戦い続けました。
当時のヨーロッパ諸国は、ドイツを怖れて、どこもベルギーに手を貸しません。
そんなベルギー王の窮状を察し、

援助の手を差し伸べたのは、地球の反対側にある日本でした。

繰り返しますが、戦争においては、どちらか一方の国が、自国内を「通過しただけ」で、敵国とみなされるのです。
まして、戦争当事者国のどちらか一方の国の軍事基地があれば、最早それは「中立」とは言いません。
戦争当時者国そのものとなります。

日本には米軍基地があります。
その米軍基地からは、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン紛争、イラク戦争等のために、常に軍用機が発着し、軍用船が出入りしています。

東京に近いところでは、住宅の密集する福生に米軍基地があるし、横須賀には常に米国のイージス艦が出入りしています。
つまり、日本人の意識がどうあれ、憲法9条に戦争放棄が歌われていようがいまいが、世界からみれば日本は「中立」国ではありません。
そして「中立」ではないということは、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン紛争、イラク戦争における立派な「交戦国」であるということなのです。

日本の自衛隊は「個別的自衛権」のための組織であり、国際紛争の解決に用いられる戦争への対応としての「集団的自衛権」の行使の容認は許されないとかいう議論は、そもそも議論の履き違えであり、現実を見ていない空論にすぎません。

なぜなら日本は、とっくの昔に朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン紛争、イラク戦争において米軍の発着を許してきました。
ということは、日本は、とっくの昔に「集団的自衛権」を行使容認しているということです。
つまり日本は、すでに「戦争当事者国」であり、「集団的自衛権行使国」なのです。

そしてその日本には、すぐ近くに中共、北朝鮮という共産主義の核保有国があり、そのミサイルの弾頭は日本に向けられているという現実があります。

日本人の多くは、「東西冷戦」は、平成3(1991)年12月のソ連崩壊によって終わったと思っているかのようです。
けれど、この年に「冷戦が終結」して、「共産主義の脅威が去った」のは、西欧諸国だけのことです。

共産主義は、いま、地球上で東洋にのみ残存しています。
それが中共政府であり、北朝鮮の金体制です。

「東西冷戦」がソ連の崩壊によって終ったのは、あくまでヨーロッパの話であって、東洋では、まだ冷戦ははっきりと続いているのです。
現に朝鮮半島は北と南に分断されたままになっていますが、これは38度線で「休戦」しているだけであって、両国の交戦状態は、いまなお継続しています。

そしてウイグルやチベット、内モンゴルでは、いまなお共産主義の恐怖が、市民の生活を脅かし続けているのです。
つまり「東西冷戦」は、いまや東洋の局地戦となって残存し、その火種は、いつ暴発するかわからない状況にあるわけです。

そんな中にあって、いまの日本人に何の防衛意識もないというのは、あまりに無謀なことといえます。
戦後の愚民化政策、ここに極まれり、なのです。

最初に核シェルターのことを掲載しましたが、いま、世界でもっとも核の危険に近いところにある国は、スイスでもなければノルウェーでも、イギリスでもシンガポールでもありません。日本です。

ところがその日本では、戦争ハンターイ、徴兵ハンターイと、まるで子供じみた宣伝ばかりが繰り返され、万一に備えての核シェルターに関しては、議論さえ起こりません。
そもそも個別的自衛権、集団的自衛権という区別自体が、日本国内だけでの子供じみた妄論にすぎないのです。

自衛権は自衛権です。
これは人にたとえれば、不当な暴力に対する正当防衛です。
正当防衛に、個別正当防衛も集団的正当防衛もありません。
防衛は防衛です。

なぜなら不当な暴力に対して、自分で防衛するだけでは、そもそも不足、つまり危険は大きいからです。
ひとりでいるから狙われるのです。
だから集団で登下校します。
いま、全国の小学校で行われています。

小学生には認められるどころか、強制までされていて、国家単位ではそれが認められないというなら、それはあまりに浅はかな議論と言わざるを得ません。
なぜなら、最大の自己防衛は、悪い奴らが手を出しにくくする、あるいは手を出せないようにすることだからです。

帰宅時の女子高生が拉致され殺される。
ひとりでいるからです。
だから親たちの多くは、塾まで夜、迎えに行っています。
その親たちの車が、夜10時頃になると塾の前に行列をなしています。
あれでは襲えません。
これが集団的自衛権です。
つまり、個別的自衛権の共同した姿が集団的自衛権です。
なんのためにするのか。
自国が襲われないようにするためです。

平和を願うことは、とても大切なことです。
戦争という悲惨を招かないことも、とても大切なことです。

しかし戦争が現実に世界に存在している以上、万一の場合に備えることは、まさに国家的事業です。
そういうちゃんとした冷静な大人の議論が、国会で普通にできるようになることを、希望します。
Posted by 余生を憲法改正に! at 07:45 | 輝け日本! ・・・尊厳と誇り! | この記事のURL | コメント(0)
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