市民の成長に繋げよう選挙戦! [2022年01月16日(Sun)]
さて、ふるさとの首長選挙告示日を迎えました。
選挙の都度感じることですが、 選挙で人柄が分かる! と言われます。 そんな選挙模様、傾向としては? ・誹謗中傷(悪口)に属するような不満などを交えながら、糊塗する様に市民参画の必要性・手法を訴える印象操作紛いに走る運動員が居たり! ・何も知らずにうっかり煽動にのり、それが正義だと感じるお人好し風、一見良心的なる人々! ・一方では、時には辛酸をなめ、中傷も受けながら「町づくり社会貢献に取り組んできた」、使命感を担う人々! ・また、更なる努力で町づくりに取り組み、同時に福祉、特に社会の課題解決を目指そうとする懸命な姿に共鳴する支援者・・・たち! と、様相も多岐、真逆に分れるのであろうか。 結果は市民の民度に左右されるが、一つ言えることは! 争点にもなるだろう、 駅によって分断されている東西地域の生活環境改善のために駅の橋上化、自由連絡通路をつくるスタンスの違いに「違和感」をもつものである。 片方は、駅前開発等の未来像を描いてから橋上化を検討せよ!とするもの。 一方は、未来構想を基に、駅前再開発も含めて「市全域の利便性と環境格差」を無くすためにこそ、橋上化と連絡通路を造らなければならないとする意見の違いである。 さらに加えるなら図書館建設地を巡る手法の違いもあるが、白紙に戻して論議せよと主張する陣営と、今までの経緯を踏まえて叩き台的な「青写真を示して市民の参画」を誘導すると言う考え方である。 どちらにしても、これは10数年前から既に市の将来構想として取り上げられて、議会でも審議上程されていたものである。 今更になって白紙に戻せと言うのは無理がある。 今までの議会が真剣に考えてこなかった故の尤もらしい言い訳めいた話(失礼)ではないか? と、愚老は、議会そのものに違和感をおぼえてならないのであるが・・・ まっ、 結果は市民の考え方に帰するのであろうな・・・と、無力感に襲われるだけの身体不自由者の我が身、愚痴程度の話しであります。 強いてあげるなら・・・言葉は悪いが「呉れない不満」と「呉れる苦労」の闘いか? どちらも市政の構成、創造には必要だと申しつつも、 一番嫌いな手法は、人間の弱さ、つまり不平不満を煽り、自分の損得を勘定に加えて「寄り添う振りする似非人権派」タイプである。ところが、票を稼ぐには手っ取り早い手法なんですねぇ〜 残念ながら、そこしか見えない他人頼り弱者が居る・・・ 話は飛びますが、やや関連するので、もう一歩角度を変えての事例です。 例えば、 「自助を否定して公助を要求するのか?」 「自助の実現に共助・公助社会環境づくりをするのか?」 であるが? 愚老は・・・命を護る・生活を護る「自助」に力点を置き、 その意思、希望を支えるために「共助の町づくりと、公助の仕組みづくり」に貢献したいものと考える。 そんな考え方の修正こそ「終活」の一つにと置いている。 話は戻すが、 物事には裏と表が必然的に存在する。 光が当たれば影(陰)が出る。大きい光ほど陰も濃い。 要は、光と陰のバランスであり、陰の全面否定などは有り得ないということです。 為政者は、そのバランスの配慮が悩ましいものと思う。 だからこそ、先ず「光」(希望)(ヒント)を示し、バランスを調和させる。つまり「市民参画」に場面を移すのである。 往々にして議会は、その性格上「陰」をテーマにする市民参画的手法に走るが、議会人とするならば「光の部分」をも市民に広げてこそ福祉の公平化が出来るのではないか。 さて、選挙戦! 関係者の皆様は本当にご苦労様です。敬意を表します。 そして、市民の皆様も、我が街を良くするためにしっかりした眼を持ちましょう・・・ 市の名誉にかけて、間違っても選挙違反行為の無いように、確かな歩み、確かな視点で「自治力を高めて欲しい」ものと念願する・・・・ ◆【尽未来際】・・・ 永遠のふるさとを求めて「不易流行」! 護るべきもの! 変えるべきもの! に眼を見開き、 みんなで選挙の機会に成長しよう! |