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拉致被害者に思いを致して [2021年11月15日(Mon)]
いちばん辛い日
拉致被害者に思いを致して・・・

この世に地獄をつくった北朝鮮と、それに「加担・隠蔽擁護」したと言われる日本の旧社会党始めとした政治家に紛れ込んだ工作員たち・・・
結論だけ添え書きするなら、
拉致被害者を救い出せないのは現憲法の限界です。

他国の信義に身を委ねて、自衛のための戦いさえ否定された日本!
9条妄信者、改憲阻止者たちに怒りを込めて「共に泣きたいと思います」

−日本の尊厳と国益を護る会 青山繫晴 氏−

▼きのう11月13日の土曜、国会の近くで、「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」が開かれました。
 写真は、横田めぐみさんのお母さまにして、日本の慈母と言うべき横田早紀江さんが、お話しをされています。
 写真ではごくごく小さくにしか見えていませんが、岸田総理が壇上にいらっしゃるのでSPが警護しています。 ( 総理はその後、途中退席されました )
 ぼくの席の周りは、与野党の国会議員です。

 来るはずの議員の姿がなかったりしましたが、800人参加の会場で2時間10分ほど、同じ席から動くことができませんでしたから、ぼくの眼に入らなかっただけかも知れません。来られると思っていた総理経験者も、最後まで姿が見えませんでした。このかたは、来られていれば必ず紹介されますから、いらっしゃらなかったのでしょう。

 国会議員の数そのものは、多いとは言えませんが、減っているということはなかったです。
 地方議員のかたがたが多く、熱心に来てくださっているのを、心強く思いました。

 それから、拉致被害者、特定失踪者のために長年、戦っている、ぼくの信頼する人物の姿がありませんでした。
 これも、ぼくに分からなかっただけで来られていたかも知れません。ただ、この日本男子が政府と国会への怒りを強めておられるのをよく存じあげているので、あえて来られなかったのかも知れないと考えました。

 あまりにも辛い集会でした。

 国会議員となってから、楽しい日は一日たりとも無くなりました。国会議員は、民の苦しみを背負うのが任務だと理解していますから、それは自然のことです。
 しかし、きのうほど辛い日というのは、ありません。拉致事件をめぐる行事のある日ほど、満身に痛みの走る日は、ありません。

 早紀江さんは「めぐみは ( 北朝鮮の工作員に拉致され日本海の工作船に連れ込まれてから ) あまりに泣き叫ぶので、船底に入れられ、真っ暗ななかで長時間、嘔吐し、爪がすべて剥がれそうになるまで壁をかきむしって指と手が血だらけになったそうです」と語られました。
 これは脱北者の証言などから分かってきた事実です。
 ぼくもインテリジェンスから、ほぼ同じ事実を聴いています。
 めぐみさんが、いつもの日常のはずの学校帰りに自宅まえで拉致されたのは、実に44年も前の11月15日です。きのうの集会の2日前です。

▼壇上の人の入れ替えが行われている合間に、特定失踪者の生島孝子さんのお姉さんでいらっしゃる生島馨子さんが、ぼくの席に来られました。
 東京都渋谷区笹塚に住んでいた生島孝子さんは、31歳で理由なく失踪しました。
 平壌での目撃情報もあり、政府が拉致被害者と認定しないのは不当と考えます。
 ぼくなりに民間の時代から、認定に向けて水面下で努力してきましたが、認定に至っていません。生島馨子さんと感染症対策に配慮しつつも両手を握り合ったとき、「青山さん、私はもう、こういう集会に参加できるのは、今回が最後だと思います」と仰いました。
「そんなことは無いですよ。お元気そうですし、大丈夫です」と答えました。その通り、話しぶりも、眼の力も、お元気に見えたのです。
 しかし、拉致被害者のご家族で高齢となられたかたの多くが、どれほど急速に弱られているか、そのお姿に声を喪うような集会でもありました。

▼午後2時に始まった会が、午後4時をすこし過ぎてから終わり、いつも神戸の独立講演会に来てくださる有本明弘さん ( 拉致被害者の有本恵子さんのお父さま ) 、そして横田早紀江さんと、それぞれお話をしました。

 有本さんは「松野官房長官が神戸の自宅に来てくれることになった」と、すこし嬉しそうに話されました。
 お嬢さん、ぼくと神戸の幼稚園が同じの有本恵子さんと、すべての拉致被害者のために全身全霊で果敢に戦う姿勢が90歳を超えてなお、まったく変わりません。

 早紀江さんは沢山の人に囲まれていました。
 話すのを遠慮しようと思いましたが、早紀江さんのほうから「青山さん、いま探しに行こうと思っていたんです」と仰ってくださったので、すこしだけ話すことができました。
 そして「青山さん、あんまり無理をし過ぎないでね」と仰いました。
 壇上で「めぐみを13歳までしか育てられなかったことが悲しい」と話され、「めぐみをあんなに可愛がってくれたお父さんが、ちいさな箱に入ってしまって・・・」と話された早紀江さんが、ぼくの身体まで気遣ってくださるのです。
 この慈母に、めぐみさんをどうしても帰さねばなりません。

 きのうは午後5時まえに帰宅しました。
 正直、このブログに記すことが、どうしてもできませんでした。
 落ち込んでいる暇はありません。拉致被害者のご家族、特定失踪者のご家族と共に、動き続けねばなりません。
 しかし、ブログには記す気にはなれませんでした。
 それでも、主権者・国民の多くが、どれほど、拉致被害者、特定失踪者とそのご家族の苦しみを我がこととして共有してくださっているか、それをふだん、ありありと感じています。
 きのうの会場を、感染症対策をとりつつも埋めてくださったみなさんの熱気にも、あらためてそれを思いました。
 広い国民との連帯なくして、救出もできません。
 おのれの気持ちなどに囚われている場合ではありませんから、今朝、こうやって記しています。

(推敲しました)  いちばん辛い日|青山繁晴の道すがらエッセイ/On the Road (shiaoyama.com)

https://shiaoyama.com/essay/detail.php?id=3452
Posted by 余生を憲法改正に! at 07:38 | 脚下照顧・人として… | この記事のURL | コメント(0)
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