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ブログ開設の主たる目的 [2021年06月09日(Wed)]
ブログ開設の主たる目的は、
断ち切られた記憶に橋を架けて日本民族の連続性を取り戻すためである


大東亜戦争で日本民族はなぜあれほどまでに「國體護持」にこだわったのか。
それは「神話」から日本を知っていたからである。

戦後、GHQの「神道指令」で神道に関わるものすべてを禁止された。

そのため、学校では「神話」も教えることがなくなり、逆に「神話」を嘘話だと否定した。
これにより日本民族が何であるかを消し去ろうとした。

戦後教育を受けた日本民族はまるで「もぬけの殻」のようになった。
神話には天照大御神が地上に天孫降臨するニニギノミコトに「天壌無窮の神勅」を与えたことが書かれている。

それは「天皇がいる限り日本は滅ばない」ということである。

この言葉通り、大戦争に敗れても日本には天皇陛下がおられ、戦後も滅ぶことなく存在している。

問題は、國體は護持されたが、日本民族の戦前と戦後の記憶が断ち切られたまま今に至っているのだ。

この断ち切られた記憶に橋を架けて、日本民族の連続性を取り戻すことが、このブログを開設した主たる目的であった。

吉田松陰はじめ幕末の志士や大東亜戦争を戦った英霊達は楠正成を深く崇敬していた。

乃木大将もそうであった。

楠正成が息子・正行(まさつら)と別れた「桜井の駅」(大阪府三島郡島本町桜井)には、乃木大将が書かれた「楠公父子訣別之所」の碑が建っている。

天皇に弓引く国賊・足利尊氏の軍20万に対して、楠正成軍700騎で湊川の戦いに臨む。
たとえ一人であっても天皇への忠義のため湊川に行くこの精神に、多くの日本人が感動した。

日清、日露、大東亜戦争という大軍の敵に立ち向かう小国・日本の精神力の源泉はここにあった。

日露戦争の勝利で凱旋した乃木大将は、明治天皇に「天皇陛下万歳を喚呼して、多くの忠勇なる将兵を旅順で失い・・」と、自分の責任をお詫びし、むせび泣いた。

乃木大将は、明治天皇の後を追って自決するまで、日露戦争で戦死した将兵の魂を慰め続け、また遺族や傷病兵にもできる限りの援助を捧げた。

当時、米英はじめ世界の戦力をもってしても落とすことが出来ないと言われた難攻不落の「旅順」を落とした世界の英雄・乃木大将。

この乃木大将が長野師範学校で講演を求められた時のことである。

乃木大将は演壇には登らず、その場に立ったまま「私は諸君の兄弟を多く殺した乃木であります」とひとこと言って絶句し、その場で涙を流された。
これを見ていた生徒や教師達も、みな涙を流した。

日露戦争後、乃木大将が責任をとって自決するのではないかと心配された明治天皇は、孫の後の昭和天皇の教育のために乃木大将を学習院長にされた。

その乃木大将が学習院長として最後のお別れの講義を小学生にされた時、乃木大将は「日本はどこにある?」と生徒に質問された。

3、4人が「東洋の東側」「緯度何度」といった地理的な返事をした。

乃木大将は「それぞれに間違いはない」と言い、
そして自分の胸を叩いて

「本当はここにあるんだよ」

とおっしゃって、静かに壇上を降りて、学習院を去って行かれた。
Posted by 余生を憲法改正に! at 07:13 | 頑張れ「日本」 | この記事のURL | コメント(0)
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