#217〜三十六にして惑いは当然?〜
[2010年07月12日(Mon)]
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いけもとメール #217 《 2010.7.11 》
https://blog.canpan.info/ikemoto/
───────────────────────□■
おはようございます。池本です。
日本中が熱狂した熱いW杯、もうまもなく決着です。
このメールを書いている時点では「延長戦突入」。
果たして勝利の女神はどちらに微笑むのか。
とっても気になるところですが、このメールを書くため
テレビはお預け。
「ちょっとだけ」とテレビをつけたら、オランダの選手が
イエローカード2枚でなんと退場。
き、気になります。
が、気を取り直して今週もいけもとメールをお届けします。
──────────────────────□■
※その他つぶやきです(ブログ)
http://ameblo.jp/enjoyservice/
http://urayasu.d2.r-cms.jp/blog_my_top/blog_id=3
■□───────────────────────
★今日の話
孔子ですら四十歳まで迷っていた。
わたくし齢三十六。まもなく三十七。
そう考えると今の日々の悩み、迷いなんて、あって当然。
でも、何を志す?という問いは常にもっておこう。
■□───────────────────────
『論語』は、わたしが普段から社会で生きていくための
教科書にしている古典だが、そのなかから孔子の
志の立て方を探してみると、こんな一節がある。
「吾、十有五にして学に志す(わたしは十五歳で学問に
志した)
三十にして立つ(三十歳で自立した)
四十にして惑わず(四十歳で惑わなくなった)
五十にして天命を知る(五十歳で天命を知った)」
(中略)
また、「四十にして惑わず」とあることからは、次のように
想像できる。
つまり世間を渡っていくにあたり、外からの刺激くらいでは、
ひとたび立てた志が決して動じないという境地に四十歳で
達し、どこまでも自信ある行動が取れるようになった、
というわけだ。
ここに至って、立てた志がようやく実を結び、かつ固まったと
いうことができるだろう。
−− 現代語訳 論語と算盤 渋沢栄一 守屋淳=訳 より −−
渋沢栄一さんは明治から大正初期にかけて活躍され、
「日本資本主義の父」、「実業界の父」と呼ばれ、ノーベル
平和賞の候補にもなった方です。
その方の思想の基盤となったのが「論語」。
冒頭に引用した一説は広く知られていますね。
四十歳のことを「不惑」といいますし、その昔学校の
古典で習ったような気がします。
このところ私も小さいことから大きなことまで、日々
いろんなことを考えています。というか悩んでいます。
落ち込んだり、すぐに忘れて立ち直ったり、また
考え込んだり、の繰り返し。
「結局俺は何をしたいんだろう、全然だめじゃん」
「いやいや、これでいいんだ」
「そう、やるしかないんだよね」
「いや、でもなぁ」
私の頭で何度となく繰り返されている言葉、思考です。
■何千年と読み継がれてきた古典から学ぶ
論語はいいよ、と、このところ色んな方に言われ、
改めて読み直そう、そう思い始めたところでした。
そのタイミングで出会ったのがこの渋沢栄一さんの
「現代語訳 論語と算盤」。
論語、古典がなぜいいか、について雑誌で
齋藤孝さんがこうおっしゃっていました。
(週刊東洋経済「今、古典がおもしろい」09年6月より)
古典には絶対にハズレがありません。
何百年、何千年もの間、人々に支持されてきた本です。
偉大な著者が何冊もの本を書いたとしても、その
全てが名作として後世まで残るわけではない。
それほどまでに選び抜かれて残されてきたもの。
それが古典なのです。
(引用おわり)
何千年も読み続けられてきた名著。
そう考えるとすごいですよね。
その中で孔子が「四十歳にして心の迷いがなくなった」
と言っているわけです。
孔子の迷いと私の迷いは次元が違うと思いますが、
それでも、孔子ですら迷っていた。
ということは、ふつうの一サラリーマンで、しかもまだ
四十歳までもうちょっとある私が迷うなんて当たり前
なんですよね。
そう考えると元気がでてきました。
ちょっと悩んだとしても「当然当然」と思える気がします。
でも、ただ悩む、迷うだけでなく「自分は何を志すんだろうか」
という問いは常にもっておきたいですね。
最後に、「志」についての記述をご紹介します。
(以下、引用)
最初に志を立てるときに、もっとも慎重に考えをめぐらす
必要がある。
その工夫としては、まずは自分の頭を冷やし、その後に、
自分の長所とするところ、短所とするところを細かく比較
考察し、そのもっとも得意とするところに向かって志を
定めるのがよい。
(引用おわり)
よく自分を見つめることが大事。
今週、どこかで自分を振り返る時間、つくってみましょうか。
いけもとメール #217 《 2010.7.11 》
https://blog.canpan.info/ikemoto/
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おはようございます。池本です。
日本中が熱狂した熱いW杯、もうまもなく決着です。
このメールを書いている時点では「延長戦突入」。
果たして勝利の女神はどちらに微笑むのか。
とっても気になるところですが、このメールを書くため
テレビはお預け。
「ちょっとだけ」とテレビをつけたら、オランダの選手が
イエローカード2枚でなんと退場。
き、気になります。
が、気を取り直して今週もいけもとメールをお届けします。
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※その他つぶやきです(ブログ)
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★今日の話
孔子ですら四十歳まで迷っていた。
わたくし齢三十六。まもなく三十七。
そう考えると今の日々の悩み、迷いなんて、あって当然。
でも、何を志す?という問いは常にもっておこう。
■□───────────────────────
『論語』は、わたしが普段から社会で生きていくための
教科書にしている古典だが、そのなかから孔子の
志の立て方を探してみると、こんな一節がある。
「吾、十有五にして学に志す(わたしは十五歳で学問に
志した)
三十にして立つ(三十歳で自立した)
四十にして惑わず(四十歳で惑わなくなった)
五十にして天命を知る(五十歳で天命を知った)」
(中略)
また、「四十にして惑わず」とあることからは、次のように
想像できる。
つまり世間を渡っていくにあたり、外からの刺激くらいでは、
ひとたび立てた志が決して動じないという境地に四十歳で
達し、どこまでも自信ある行動が取れるようになった、
というわけだ。
ここに至って、立てた志がようやく実を結び、かつ固まったと
いうことができるだろう。
−− 現代語訳 論語と算盤 渋沢栄一 守屋淳=訳 より −−
渋沢栄一さんは明治から大正初期にかけて活躍され、
「日本資本主義の父」、「実業界の父」と呼ばれ、ノーベル
平和賞の候補にもなった方です。
その方の思想の基盤となったのが「論語」。
冒頭に引用した一説は広く知られていますね。
四十歳のことを「不惑」といいますし、その昔学校の
古典で習ったような気がします。
このところ私も小さいことから大きなことまで、日々
いろんなことを考えています。というか悩んでいます。
落ち込んだり、すぐに忘れて立ち直ったり、また
考え込んだり、の繰り返し。
「結局俺は何をしたいんだろう、全然だめじゃん」
「いやいや、これでいいんだ」
「そう、やるしかないんだよね」
「いや、でもなぁ」
私の頭で何度となく繰り返されている言葉、思考です。
■何千年と読み継がれてきた古典から学ぶ
論語はいいよ、と、このところ色んな方に言われ、
改めて読み直そう、そう思い始めたところでした。
そのタイミングで出会ったのがこの渋沢栄一さんの
「現代語訳 論語と算盤」。
論語、古典がなぜいいか、について雑誌で
齋藤孝さんがこうおっしゃっていました。
(週刊東洋経済「今、古典がおもしろい」09年6月より)
古典には絶対にハズレがありません。
何百年、何千年もの間、人々に支持されてきた本です。
偉大な著者が何冊もの本を書いたとしても、その
全てが名作として後世まで残るわけではない。
それほどまでに選び抜かれて残されてきたもの。
それが古典なのです。
(引用おわり)
何千年も読み続けられてきた名著。
そう考えるとすごいですよね。
その中で孔子が「四十歳にして心の迷いがなくなった」
と言っているわけです。
孔子の迷いと私の迷いは次元が違うと思いますが、
それでも、孔子ですら迷っていた。
ということは、ふつうの一サラリーマンで、しかもまだ
四十歳までもうちょっとある私が迷うなんて当たり前
なんですよね。
そう考えると元気がでてきました。
ちょっと悩んだとしても「当然当然」と思える気がします。
でも、ただ悩む、迷うだけでなく「自分は何を志すんだろうか」
という問いは常にもっておきたいですね。
最後に、「志」についての記述をご紹介します。
(以下、引用)
最初に志を立てるときに、もっとも慎重に考えをめぐらす
必要がある。
その工夫としては、まずは自分の頭を冷やし、その後に、
自分の長所とするところ、短所とするところを細かく比較
考察し、そのもっとも得意とするところに向かって志を
定めるのがよい。
(引用おわり)
よく自分を見つめることが大事。
今週、どこかで自分を振り返る時間、つくってみましょうか。