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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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RAIL WAYS [2011年04月29日(Fri)]
子どもへのサービスがてらに、出雲のローカル鉄道「一畑電鉄」に乗りました。



昔の京王線(足回りは営団日比谷線)と南海高野線(ズームカーの機器を撤去)の車両が走っています。
中井貴一が主演の映画で注目を浴びたローカル線ですが。
映画の公開から時間が経ったせいもあり、そんなに観光客はいません。



宍道湖の湖畔を走る電車はとても気持ちがいいです。

ちなみに、映画に使われたオレンジ色の車両は出雲大社駅に停めてあるので見れませんでした。

個人的に元南海の車両に乗りたかった。
窓の上に読書灯がついている内装が好き。
南海高野線で堺東に行く時、この車両が当たると、昔の豪華さを持った電車が来たという雰囲気があった。
松江の酒蔵 [2011年04月29日(Fri)]
松江の市内にある酒蔵が一般公開されていたので行ってきました。


豊の秋」の酒蔵、米田酒造さんです。

ここは、日本酒はもちろんおいしいのですが。
「みりん」が絶品です。
これを使ったら止められません。


こういう風景は落ち着く。子どもの頃の西宮には身近にあった。
16年前の震災でたくさんなくなって、家電店やホームセンターなどのロードサイド店になってしまいましたからね。



神戸製鋼系の会社で作られた酒樽。
神戸の灘で日本酒の量産化の技術が開発されていったわけですが。
醸造に関わる機器の多くが神戸で作られている。
松江市にツナミクラフト取扱店 [2011年04月28日(Thu)]
松江の駅から近いお寺とかがたくさんあるエリアにある「水交舎」さんで、少しずつですが、ツナミクラフトの取扱いが始まりました。
フェアトレードショップというより、カフェ。
忙しく婚活とかパワー スポット巡りで出雲大社に行くのもいいけど、出雲を本当に楽しむのは雲の流れをぼーっと見ているぐらいのゆったりとした時間を楽しむこと。
「水交舎」さん以外にも、ゆったりとした時間を過ごせる所が多い。ぜひ松江に・・・。

「水交舎」
島根県松江市寺町132−2
0852-31-0788



といいつつ、島根県庁のある松江市って、市内に原発があるんですよね。
もうすぐ40年になる日本で5番めとなる古い原発。
もし、ここで、福島第一と同様の甚大な事故が起きた場合、島根県庁が20キロ以内の避難区域になってしまう。甚大な災害が起きた時、多くの支援活動は、県など行政機関が関わる仕組みになっているわけですが。県庁が避難区域となった場合、県庁の機能が混乱して、県民に適正な処置が出来ないように思うのですが。どうでしょう。
古い原発だから壊れやすいだけに・・・・
こんな街になりたかったのだろうか? [2011年04月26日(Tue)]
打ち合わせのため神戸の新長田に行く。
バラソースを買いに移動するついでに鉄人28号を見る。
50代の会社員風の男性たちが携帯電話で必死に写真を撮っていましたが、他の層は見向きもしてません。



鉄人28号のバックには復興住宅が立ち並ぶ。


東北ではこれから復興に向けて都市計画が進められるわけですが。
役所というのは前例に弱い傾向があり。決して内容が良くなくても、前例を踏襲する傾向がある。
同時に、早く復興させようと、まちづくりのプロセスを飛ばしてしまう場合がある。
その結果、住民たちの思いもよらない街が出来上がってしまう事がある。

この街に住む人は、このような街になりたかったのでしょうか?

とにかく、ビルの街にガオー・・・って感じになってます。


ちなみに、隣の街のまちおこしは「三国志」だそうです。



こちらの方が作品が少し新しいおかげで、少しはヒットする層が広いようです。
ここに表示する意味がある [2011年04月25日(Mon)]
新幹線「さくら」号に乗り神戸へ。

三宮駅についてふと見上げると・・・



そごう神戸店の窓に「こころはひとつ、がんばろう日本」と掲出されている。

災害などが起きると「こころはひとつ」とか「がんばろう」とか、そういうスローガンが山のように掲出されるのですが。私はそれが嫌いです。

理由は、被災者って一言でまとめられてしまうけど。被害状況は一人一人違うわけです。被災地だってそうです。
だから、物理的に「ひとつになる」なんてことは出来ないのです。
物理的に違うのですから、こころの方も、どうやっても一つになれない。
これは仕方がないのです。

まあ、出来ないから、スローガンを掲出して、呼びかけている所もあるのでしょう。

そして「がんばろう」は、被災してしまうと、0からのスタート、マイナスからのスタートになるわけです。自分は大丈夫でも、他の人やものが大丈夫でないので、環境的な要因で、マイナススタートになってしまう。
だから、がんばろうと言われなくても、がんばらなくてはいけない状態となるわけです。

そんな状態で、いくら、がんばっても、被災地以外の人たちに比べて、被災地は成果が出にくいわけです。

成果が出にくいからって、さらにがんぱってしまって、いったいどれだけの人が倒れたのでしょうか。

だから「がんばろう」なんて、気軽に書いてほしくないのです。

スーパーのレジ袋に「がんばろや」「がんばろや」と書かれていて、うんざりしました。
見るだけで疲れます。


しかし、同じ事を掲出するにしても、誰が言うかによって、感じ方が違います。
説得力が違うと言ってもいいかも。

それが、そごう三宮店のこの場所での「こころはひとつ、がんばろう日本」です。

そごう三宮店は、阪神大震災の時、建物の一部が崩れ落ちました。
その後、店は再開するわけですが。
崩落した部分は、崩落した記憶を残しながらも、美しく仕上げたデザインになっています。

その崩落した名残が残っている部分に「こころはひとつ、がんばろう日本」と書かれているのです。

涙が出ました。

そうなんです、自分たちが災害に遭い、そして復活した。
その当事者が、自らの古傷を見せながら「今は大変だけど、あなたたちも出来るぞ」って、メッセージがビンビンと伝わって来たんです。

距離は離れていても、災害に遭った当事者として「こころがひとつ」になれるんです。

表向きは、わかりづらいのですが、神戸には所々に16年前の傷が癒えていない所があるのです。だから、東日本大震災の被災地に向けて「がんばろう日本」って言えるんです。

そこに意味がある。

神戸に馴染みの少ない、東北地方の方には解りにくいかもしれませんが。

神戸に関わっている人には、その意味がわかる。
だから「こころがひとつ」になれる。


先ほども書きましたが、東北地方の方には解りにくいかもしれませんが、背景が解れば、きっと、そごう神戸店の心意気を理解していただけるでしょう。
臭いも展示されている [2011年04月25日(Mon)]
九州鉄道記念館に寄りました。



ここの展示のいいところは、臭いも展示されているところです。
埼玉の鉄道博物館では、何かものたりないと思っていたのですが、機械の臭いが弱いんですよね。

展示車両に油のにおい、衛生薬品のにおいなんかも残されています。

こだま型の交直両流特急電車の車内に入ると、あの懐かしい特急のにおいが・・・・
でも、あのにおいで気持ち悪くなった経験も・・・・

てなことで、規模はそんなに大きくないのですが、ここは、けっこう見ごたえありましたよ。
是非、下関とセットで門司港へ。
こだまでしょうか [2011年04月25日(Mon)]
アースデイ関門が開催された下関は、東日本大震災の影響で、大量にテレビで流れた公共広告機構のCMで取り上げられ一般にも有名になった金子みすゞが住んでいた町です。

そんなことで、町のいたるところに・・・・








バックパッカーは何を求めて来たのだろうか・・・・・
北のもの東のものを売る [2011年04月24日(Sun)]
アースデイ関門では、遠く離れた仲間の商品の販売も行われています。



仙台に住む、東北のアフリカおばさんと呼ばれている方のプロジェクトの商品。
こちらの記事の写真の右側の方に座られている女性たちのプロジェクトです。(うわっ、わかりにくい)

東日本大震災により、今生きて行く事や、生活必需品は売れるのですが。趣味性の高い商品は売れないとのことで、私たちのうしろのブースで販売していました。

どうも、横浜開港博Y150のヒルサイドでも接点があったようです。
ちなみに、この時期はトラブルに巻き込まれて地獄をみていたので、ブログ記事がありません。
Y150のヒルサイドで一週間の間、一人で何人分も働きどろどろになり、そのまま湘南に逃亡しちゃってました。


んで、わがブース。



仙台の「さをり本舗ねこや」さんの作品。
こちらも、先ほど紹介したアマニ・アフリカさんと同様の理由で販売。


ついでに・・・もひとつ。



夕張の「手織り工房レラ」の作品。
職員の方がいろいろ入れ替わったりしていますが。織り子さんたちの仕事はしっかりしています。
製品の品質感は、良くなってきています。

その一方で、縫製の方の手がどうしても足りない状態が続いているようです。
仕方がない部分ですが、納期に追われるような時があるようです。
被災者の方においしい魚を食べてほしい [2011年04月24日(Sun)]
アースデイ関門には、いろんな出店者がいます。
港町なので、海に関わる出店者が多い。



小倉の魚の「ぬかみそだき」屋さんは、東日本大震災の被災地の避難所にいる漁師さんやご家族の方たちが、魚を食べられないでいると聞き。自社の製品を被災地に送ろうと試みたのだそうです。
しかし、まとまった量が無いと受け入れられないとか、保冷車で送ることが出来ないなど、様々な理由があり、結局は送れなかったそうです。
九州と東北は遠いですが、海で繋がっている。

ちなみに、劇ウマでした。



「海が好き」Tシャツを売る水産大学校生。

水産大学校では、下関らしいものを使った「魚醤」を開発しています。



あまりにもべたですが「河豚」と「鯨」です。

まず、フグですが。
唐揚げとかになっているような、小さなフグを使っているのだそうです。

クジラは、鯨の肉を切るときにでる、肉の破片を使っているのだそうで。
鯨から戴いた命を、最後の最後まで無駄なく使いつくす精神に則ったものです。

なんか、両方とも栄養価も高いみたいですよ。

ちなみに、鯨は哺乳類なので「魚醤」ではなく「醤油」になります。
大豆からつくる醤油の事や、イカという魚ではない軟体動物で作るものも「魚醤」扱いされるという事を考えると、なんとなく、納得いかないけど・・・
スリランカのツナミクラフト生産者来日 [2011年04月24日(Sun)]
アースデイ関門に、スリランカの津波被災者の木のおもちゃ作りのプロジェクトの方が来ました。


スノーメンパズルのチャンドゥラさん


彼はスリランカ南部のランナ地方の政府の復興支援の手が届かないところでの仕事づくりのプロジェクトをしています。
そこで、出来たのがこのパズル。



生産している場所は、スリランカの一番南のあたりです。ろうけつ染めの地図で言うと、ちょうどしわになっているあたりです。



EUの安全基準をクリアするなど、積極的に海外に販売していこうと言う意欲があるのが素晴らしいです。
仙台にタイの津波被災者たちが作ったTシャツ届く [2011年04月23日(Sat)]
仙台の「さをり本舗ねこや」のスタッフの皆さんが、タイの津波被災地の復興プロジェクトで作ったさをり織りのTシャツを着て記念写真を撮って送ってくれました。




このTシャツのオリジナルデザインは、この「さをり本舗ねこや」さんのもの。去年の7月にタイのツナミクラフトのさをり織りの製品を取り扱ってもらおうと、「さをり本舗ねこや」さんにお伺いしたところ。ギャラリーで面白いTシャツを見つけ買って帰り。それをタイのさをり研修センターに着ていったところ。身包みはがされて、どのようにして作られたかをチェック。そして、このTシャツが出来上がりました。
このTシャツは、タイでは売れています。まあ、価格が高いのでバカ売れというわけではないですが、今までのTシャツより安定して売れています。

そんな、ご縁のあるTシャツです。
完成品を「さをり本舗ねこや」さんに見てもらおうと、持ち帰ったところ、この震災が起こりました。

信じられない出来事でした。

「さをり本舗ねこや」さんに始めて行ったとき、仙台は災害に対しての意識が高く、しかも、かわいいということで、ツナミクラフトの販売が好調で、販売店を増やそうと仙台のお店を回っていたのですが。3.11で、まさか仙台に津波が来るとは思っていませんでした。

東日本大震災の一週間前まで、タイのスマトラ島沖地震の津波被災地にいたわけですが。プーケット空港まで送ってもらう車の中で、津波の被災者でもあるスイス人に「日本は地震が多いと聞くけど、津波は大丈夫か」なんて聞かれたので「歴史から予想すると、近い将来、でかいやつが来る」と返事したのですが。
まさか一週間後に来るとは思っていませんでした。

「さをり本舗ねこや」さんは、仙台駅より海側に数キロ行ったところだったのですが、津波からは免れました。しかし、スタッフや利用者の方の一部は、家を失うなどに遭いました。
「さをり本舗ねこや」さんは、被災したスタッフの避難場所にもなりました。

そして、3月22日にいち早く、スタッフが全員集合して、業務再開。
普通に戻ろうとする行動を開始したそうです。

普通に戻る、居場所があるというのが一番の安心。

織る事ことで、災害で傷ついた心を癒すことができる。

この写真が届いたということは、少しは余裕が出てきた証拠かもと感じています。
6年後の未来を着ているのかもしれません。

とはいえ、さをり織りのような、趣味性の高い商品は、被災地では売れません。
だから、何かできないかと思い、アースデイ関門、アースデイ東京のツナミクラフトブースで販売しております。

「さをり本舗ねこや」さんをぜひ応援してください。
下関アースデイ関門に出ています [2011年04月23日(Sat)]
本州の一番西の町。下関に来ました。

今回が始めて開催されるアースデイ関門に出展しています。



海のすぐ近く、水族館の近くのあるかぽーとには、たくさんの店や団体が出展しています。
ツナミクラフトブースは、夕張の手織り工房レラと、スリランカのツナミクラフトのスノーメンパズルとの間にあります。いろいろご縁のあるところと一緒に隣り合わせて出展しています。
仙台のさをり本舗ねこやさんのさをり織り、地元のP-cafeさんのさをり織りとさまざまなさをり織りも競演しています。

雨がぱらついたりして、いるのですが。すごくハッピーな空間が広がっています。

夜の部は、小泉さんのキャンドルアート。



ろうそくの光と、海の向こうの門司と手前の下関の電気の明かりとの対比が面白い。
このろうそく、仙台の孝勝寺にてろうそく供養にも使われるとのこと。
仙台のさをり本舗ねこやさんにしろ、どこか仙台と繋がる感じがします。



ということで、唐戸市場の二階の回転寿司まで歩いていって晩飯。
会場と唐戸市場との間でのショット。

アースデイ関門は、明日も続きます。
東と西のアースデイで南と北のツナミクラフトを同時販売 [2011年04月21日(Thu)]
23日24日の今週末がアースデイですが、ツナミクラフトは、代々木公園のアースデイ東京と、下関あるかぽーとでのアースデイ関門のダブル出店します。しかも、タイのツナミクラフトに加え仙台のさをり織りも販売いたします。

仙台のさをり織りは「さをり本舗ねこや」さんのものです。
建物はガラスがぶっ飛んだのですが建物は無事。津波のエリアには近かったのですがセーフでした。しかし、職員や織り子さんが津波に被災し、家を無くした方のミニ避難所状態。
被災地では、生活に余裕がなく、趣味性の高いさをり織り製品が売れないということで。
それなら、被災地で売れなかったら、外で売ってやろうということで。
ツナミクラフトが全国を持ちまわって販売しようってことになりまして。
その、第一弾として、東京と下関でダブルでアースデイで販売しちゃおうということにしました。

タイのさをり織りとは一味違う温かみのあるテイスト。
そして、タイと同じく、品質を高めて、付加価値を出していこうというという意気込みを感じる作品。
絶対オススメです。



無茶苦茶個性出来なディーバッグ。


1万円札2-3枚を持ってアースデイに・・・
これ、イベント会場に置いているから、この値段だけど。ブティックに置くと、3-6万円するデザイナーものです。
価値の分かる人にはわかる商品。
東京と下関ともにあります。数量限定。




かわいいでしょ。かわいいでしょ。

アースデイ東京ではフェアトレードビレッジ内の「トラグーン/ツナミクラフト」ブースにて販売。
こちらは、イタリアンデザインの蚊帳でできたバッグも販売。モダンなデザインは、フェアトレード雑貨の概念を変えます。
もう、フェアトレードと呼ばせない。エシカルファッションです。

アースデイ関門では、夕張のさをり織りとも共演します。
タイと仙台は津波、夕張は自治体の破綻など、いろんな事がありますが、そんなことを感じさせない作品ばかりです。

是非見に来てください。


そうそう、今回の東日本大震災で、一気に日本がフェアトレードの生産国になる時代となったと感じでいます。だから、フェアトレードの考え方変わると思います。
仙台のさをり本舗ねこやさんの作品を販売するのは、その新しい流れの一つです。

今回、エコに関する概念も変わりました。エコだと言っていたものが、実際はエコノミーやら、エセだったり。エコだと言われていた製品は、エゴからくる欲求を満たすだけのものだったり。震災と東京電力原発事故で一気に化けの皮が剥がれたという感じです。
スーパーなどで大量に販売される、顔の見える関係を謳った商品が、震災以降急にくすんでしまったという現象がありました。

本当の顔の見える関係って、今回のような大変な事があると、生産者-販売者-消費者がお互いに相手の事を心配するんですよね。

それが、スーパーで顔が印刷されている野菜とかには、そういう関係がない。

地震が起きて、家に帰りテレビが点いたので見たら津波が仙台湾を襲う映像が流れたのを見た瞬間。まず、タイの津波被災地にメールしました。だって、あの映像を見たら、日本の全てが破壊されてしまうのではないかと信じてしまう人もいるでしょうし。私たちが災害にあっているというイメージから、津波の時のフラッシュバックが発生するかもしれないと思ったので。速攻で東京のその時点での現状をメールしました。
そして、東京電力の原発が爆発してからは、タイから毎日のように電話が掛りまくり。
「さをり織りを織ってる女性たちが募金を集め始めた」「放射能大丈夫か。逃げてくるなら部屋用意しておくから」「日本人が難民になっても困らないように、50ライの土地買っておいたから」なんて言ってくるんです。彼らの心配は必死ですよ。
その時、卸し先のお店の事とか、お客さんの事、被災地の情報だとか、日本の人は今どのような暮らしをしている、などを、生産者に伝えたりするんですよね。

ここには、一方的に支援しているというスタンスは存在しない。
お互いに助け合っている、まさに「助け合い」なんです。
助け合っているから、フェアなんです。
それが、フェアトレードの対等な関係のひとつのカタチだと思います。


今回、東西の二か所でアースデイに出展しますが、もしよかったら、いまの自分の事を、お店の方に話してください。全てではありませんが、生産者にお届けします。

ツナミクラフトブースに是非遊びに来てください。

東京には私はいませんが、トラグーンのワンサイさんなどスタッフの人に是非伝えてください。
26日まで都筑阪急百貨店でツナミクラフト販売中 [2011年04月14日(Thu)]
横浜の郊外のニュータウンにある都筑阪急の1Fイベントスペースで開催されるアジア雑貨フェアにいろんなフェアトレードの会社とともにツナミクラフトも出店しております。
実はこの企画、震災前に企画され、開催できるかどうかいろいろ揺れ動いた経緯があるのですが。企画内容に変更があったものの、どうにか開催される運びとなりました。感謝。

ツナミクラフトは、さをり織りを中心に、スリランカのツナミクラフト「スノーメンパズル」、フィリピンの変身物語人形や布絵本を販売しております。
今回のさをり織りは、2011年バージョンの最新作を中心に持ってきました。
進化したさをり織りを是非お楽しみください。


すみれ色とエメラルドグリーンの二つ折り財布


これって、阪急百貨店のイメージカラーと阪神百貨店のイメージカラーって感じです。

ツナミクラフトの他に、かわいさ抜群のジュースのパッケージを使ったバッグ。ライスバッグやタイ北部からカンボジアにかけての製品。カンボジアのシルク製品。フィリピンの素敵な雑貨など、盛りだくさんです。
しかも、普通のフェアトレードショップにない、個性的なものばかりです。
是非、のぞきに来てください。

都筑阪急 http://www.hankyu-dept.co.jp/tsuzuki/
被災他の自治体のお金が尽きつつある [2011年04月12日(Tue)]
ある現地の関係者からの話ですが。震災から1カ月経って、地方自治体や公共の支援活動の資金が尽きつつあるようです。地方自治体に直接お金が入る仕組みを作らないと。例えば、被災地域の保健や医療などの公共サービスの機能まで止まってしまう可能性があるとのことです。

現在の義援金の仕組みでは、公共サービスにお金が回りません。
被災者個人に対しては、義援金、雇用保険、労災という制度があるので。適用されている方に関しては、おそらくこの一年は働かなくてもお金が入りますが。
国から自治体に対しては、そういう仕組みはありません。
国があてにならないのなら、地方自治体同士、民間、海外から動くしかありません。

まだ、仕組みが出来ていませんが、このことを念頭に置いて、募金活動なりのアクションをお願いします。
津波にあったタイの子どもたちからの日本へのメッセージビデオ [2011年04月11日(Mon)]
タイ南部のタレーノーク村で6年前に津波に被災した子供たちが、東日本大震災に遭った日本ためにビデオメッセージを送ってくれました。

撮影の日のタイ南部では大雨が降り音声が聞こえにくくなっています。ご了承ください。
そんな日にも関わらずビデオメッセージをくれた子どもたちに深く感謝いたします。

なお、この豪雨によりタイ南部ではたくさんの犠牲者が出ました。亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被災されたにはお見舞い申し上げます。



The tsunami by the 2004 Indian Ocean earthquake struck to village.
But they faced and recovered from the marvel of nature.
hildren & people could gain their smile again trough any kinds of action.
Now, the children shot the video message to Japan struck the earthquake in 11th March 2011.

災害保健医療支援室が宮城県庁16階に開設 [2011年04月11日(Mon)]
震災から一ヶ月経ちましたが、津波被災地はまだまだ深刻な状況が続いています。今回の震災は、溺死が多く、生きるか死ぬかがはっきりしていると報道されていますが。急性期医療もまだまだ困難で、支援が必要な状態です。
宮城県災害対策本部災害保健医療支援室では、まだまだ、人員と資金が必要とされています。
ボランティアと物資の情報を転載します。
状況は刻々と変わるので、随時ご確認ください。
連絡は直接行ってください。

4月11日現在 詳細ページ

学生ボランティアを募集しています宮城県災害保健医療支援室は,当室の業務を支援する学生ボランティアを募集します。
■業務内容
@避難所での被災者支援のためのサポート業務
 被災地の避難所の運営管理にあたる市職員ほかをサポートし,必要なことは何でも行うことを原則とした業務を行う。
 ※募集人数:20〜80名
Aインターネットとパソコンの環境設定の技術的支援業務
 市役所や医療救護所,避難所などで現地のニーズに応じて,パソコンのセットアップや,インターネットとの接続,

アプリケーションソフトのインストールなどの技術支援を行う。あらかじめ登録して頂き,可能な人から現地入りをして頂きます。

 ※募集人数:10名希望

■活動場所
 宮城県庁16階宮城県災害保健医療支援室
または,南三陸町,女川町,石巻市(雄勝,牡鹿,本庁の各エリア)の被災地
■活動期間
2011年4月14日(木)〜随時,現地派遣の場合は5日間〜7日間
(4/11up)

物資支援の募集
-避難所の長期化に向けて、今後必要担ってくるのではないかと思われる物資です。
介護シ−ツ(おねしょシ−ツ)、座布団、杖、爪切り、耳かき、靴下、つまようじ、髪をしばるゴム、靴、生理用品、生理用下着等 。(4/5up)



R50野菜を選ぶということ [2011年04月08日(Fri)]
チェルノブイリに行ってきた人と会った。そこには、放射線の危険性があるにも関わらず住み続ける人がいるという。この方は、今回の福島第一原発の事故が起こってから、やっと、彼らが住み続ける意味がなんとなくわかってきたそうな。

いま、福島県を中心に、放射性物質が付着しているとのことで、その地域の多くの食品が出荷停止になっている。
それに対し、東京電力か国かわかりませんが、賠償金を支払う準備をしています。(賠償金を支払うために、出荷停止という措置がないと出来ないという手続論から、出荷停止を宣言したということらしいですが)
それで、本当に、その地域の大地を耕し、そこで出来たものを販売して暮らしてきた人々が幸せに暮らす事が出来るのでしょうか。

わたしが、ツナミクラフトのブースを出すとき、掲げている文章がある。

被災者だから可哀そうといってお金をくれる人がいる。
でも私はそれより自分の作品を買ってほしい。
自分で作ったものが誰かに気に入られ買ってもらったときに
本当の喜びや幸せを感じることができる。
だから私たちの手助けをしたいと思うならまず作品を見てほしい。
そして気に入ったものがあれば是非買ってほしい。

あるツナミクラフト製作者のことばより


これって、そのまま、放射性物質で汚染された地域で、その土地を耕して暮らす人に当てはめても、同じ事が言えてしまうように思えるんですよね。

東京電力が、仕事がないまま賠償金を支払いつづけると。おそらく、そのお金が、アルコールか、パチンコに消えてしまうような気がしてならない。
それでは、賠償金をパチンコ屋に支払ったような事になってしまう。


じゃあ、その汚染されたもの。実際は、ただちに健康に影響しないものですが。
それを買って、食べる事が出来るのでしょうか。
もちろん、ちゃんと水洗いなどの処理をします。

それで、被害にあった方が幸せを取り戻す事が出来るのでしょうか。

原子力と向き合って暮らし、いままで恩恵を受けてきた人は、そのために起きた環境破壊が起きた場合。その恩恵を受けた人は、その保障をするというのが、スジというものです。
しかし、それを、カネで解決しても、被害を受けた人の暮らしは戻らない。
本当の幸せが奪われたままになる。

子どもや、これから次の世代を産む年齢層に、それを食べさせるのは、次世代にそのツケを回すものだとすれば。その世代の除いて。
例えば50歳以上は、汚染地域の食品を食べる必要がある。

しかし、たぶん、難しいでしょうね。

だって、六ヶ所村の菊川さんだったっけ。チューリップ畑やってる方いらっしゃいますが。
チューリップの前は、無農薬野菜を都会の人に食べてもらおうと頑張っていたとか。
しかし、まだ再処理工場が動いてもいないのに、それを買って食べないわけですよね。
だから、食べないチューリップ畑にして、都会の人に来てもらえるようになったとか。

たぶん、市場原理では解決できない。

この前、NHKかなんかのニュースで、野菜をタダで配ったらあっという間に無くなったそうな。お金を出して買わないくせに。タダならいいのかよ。

それだったら、東京電力は、市場価格でその地域の野菜などを買い上げ、50歳以上の家庭に定期的に配達するなどのシステムを導入するべきです。
その分、電気代を少し安くしてもいい。

私は、そういう食品を「R50食品」「R50野菜」と名付けました。

映画なんかで、R18指定なんかだと、18歳以下はダメ。
フリーペーパーには、R25ってのがあるけど、25歳以上をターゲットにした。(実際はちょい下。だって18歳未満が読めないマンガ雑誌は実際はそれよりちょっと下の年齢層がターゲットだったりするのと同じ)

それと同じように50歳を超えた人のための食品の事を「R50食品」「R50野菜」と呼ぶことにした。

それを食べることが、原発の危険を押しつけてしまった人々の責任を全うする有力な方法であると思う。

起きてしまった原発事故と向き合って暮らしていく。
それは、原発の電気を使用した者として責任を全うする。

おそらく、これが、これからのオルタナティブトレードの一つの方向性となるのではないかと思う。
時計を4分進めるのが流行 [2011年04月01日(Fri)]
3月11日午後2時46分に東日本大震災が起き、その後、江頭2:50は避難所に物資を届けるアクションを起こし、福島県内を中心に「地震により2時46分で止まった時計が、彼によって4分進んだ」と、江頭2:50を称賛する動きが出ている。その江頭2:50にあやかり、時計を4分進めることが被災地を中心に流行している。

4分時計を進める事で、輪番停電で、電車の本数が減っても、余裕をもってアポイントに間に合う事が出来るという思わぬ効果もあり、福島県や茨城県だけでなく、首都圏にも愛好者が増えている。

また、夏場の電力の消費を減らそうとサマータイム導入を検討している民主党では、「かつてサマータイムを導入するとその分残業時間が増えるのではと1時間時計を進めるのに抵抗感のある人が多いが、サマータイム導入が困難、4分なら抵抗なく受け入れられるだろう」「4分進めると枝野官房長官を早く寝てもらう事ができるので、世論を味方につけやすいのでは」と、前向きに検討を始めた。

一方、若者文化に強いある社会学者は、この流行について、あくまでも短期的なもので、4月1日しか持てはやされないのではないかと批判的な意見を述べている。
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ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」