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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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かわいいアニメでピークオイル [2010年12月29日(Wed)]
日本では、全くと言うほど報道されていないピークオイルですが。かわいいアニメでピークオイルを説明している映像があるのでご紹介します。

Peak oil Travelling towards transition



ちなみに、ピークオイルとは、石油生産が最高になるということで。
最高点であるピークを超えると、石油が使えなくなってしまいます。
いつがピークオイルになるかは、いくつもの諸説があったのですが。
今年の11月9日に、石油情報に関して世界で最も信頼される組織である、国際エネルギー機関(IEA)が、「実は2006年がピークオイルだった」って発表しちゃいました。

いままで、将来の事だと思っていたら、実は既に過ぎていたってわけです。
いつの間にか、ポストピークオイルの時代になってしまっていたわけです。

んなことで、時代は変わろうとしています。
それが、なぜか日本ではほとんど報道されていないんですよね。

とはいえ、恐怖を煽りたくもないわけで。同時に、時代にしなやかに対応しないといけないのですが。その前に、事実を共有しないといけなてんじゃないかな。というのが、今です。

てなことで、ピークオイルについて日本語で書いている情報を集めているサイトがあるので、参考にしてくださいな。

石油生産がピークを過ぎた。(ポスト・ピークオイル)
http://postpeakoil.web.fc2.com/
しずかにツナミナイト [2010年12月27日(Mon)]
インド洋大津波の七回忌となる12月26日に三軒茶屋のカフェオハナで「ツナミナイト」を行いました。ツイッターを通じ、毎年この日にピピ島に通う津波に遭われた方、プーケットでの慰霊祭の参加者、津波直後に通訳として被災地を廻った方などから発信された情報を交え、先月訪ねたタイ南部の人々の暮らしや復興プロジェクトの状況をレポートしました。



たまたまイベントに居合わせたカフェのお客さんが「会社でお金を集めて送ったのに、津波の事は忘れていました。現地の状況が聞けてとても良かった」とすっきりとした顔で感想をくれました。
手を差し伸べた先が今どうなっているのかが伝わらず、疑問を持ったまま、なんとなく心の支えを残しながら忘れている方がたくさんいると感じました。
被災地の今を伝えることは、自分たちの支援が役に立ったのか、至らなかったのかを知ることとなり、次の助け合いの活力源となります。密かにそれを求めている方は多いのではないでしょうか。

プーケットのカマラビーチでは、日本人会が主催して慰霊祭を実施したとのことで、NHKなどのテレビや共同通信の記事になったようです。
5周年の去年とは違い、今年は各紙の取り上げ方が小さく、26日の朝刊5紙中1紙のみの掲載だっただけに、採り上げてくれたのは嬉しい半面、「ああ、そんなことあったね」で終わってしまいそうな感触を得ました。

津波の支援をしていたある日本のお坊さんは、ツイッターで「@Bak_Jo  人間の脳は忘れるようにできているのかもしれないが、だから色々な節目に行事があるのでしょう。大乗仏教式には七回忌です、あの津波から。」とつぶやいていました。
節目の行事で、せっかくリマインドしたのなら「ああ、そんなことあったね」というより「あのときこんな事を思っていた」「あのとき思った事は、なんだったんだろう」というような、物事ではなく自分の気持ちを思い出してほしいと思います。

今年はハイチ地震、パキスタン洪水、チリ地震、インドネシアの噴火など大規模災害が起きましたが、いずれ過去のものとなるでしょう。「ああ、そんなことあったね」で終わらない、元気になってよかったね、支援した甲斐があったね、まだまだ支援が至らなかったね、どうすればもっと助け合いが出来るのだろうというような、次に繋がるような災害の周年報道を大手メディアに期待したいと思います。

と、同時に、地味なこの活動を続けなければと改めて感じた夜でした。

会場を提供していただいたカフェ・オハナさん、来ていただいたみなさん、離れていてもネットで情報を共有していただいたみなさん、感謝。


BGM アンダマンの涙
津波は6年で見事に忘却か? [2010年12月26日(Sun)]
6年前と同じ12月26日日曜日の朝刊を見て驚いた。20万人以上、日本人も40人の方が亡くなった津波の事が書かれていない。予想していた事とは言え、あまりの惨敗ぶりだ。てなことで、コンビニに行って新聞を買い集めてチェック。讀賣新聞だけが掲載していました。


讀賣新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、東京新聞、日本経済新聞


確かに、今年になって大規模な自然災害が起きているので、もう津波と言ってられないのはわからないでもありません。それにしてもです。
最近発売された、河田惠昭著の「津波災害――減災社会を築く (岩波新書)」という本に、もし東京湾に津波が押し寄せたら、横浜のみなとみらいとかお台場や月島あたりの高層マンションなど今流行りのベイエリアで100万人単位の被災者が出るという事が書かれています。
(これは、私の推測ですが、多摩川も津波が溯上するので二子玉川も被災地になるかも。)
そんな状況の中で、災害を思い起こすことで、減災に向けて社会を作る必要があるのですが。それは、津波に対しての関心を高めない事は、犠牲者を減らさないことでもあると言えます。

まあ、ツナミクラフトに関しては、被害に遭ってから、どのようにすれば人が復活できるかということではあるのですが・・・

だから津波の事を書くのは、海老蔵より大切なことだろうって思うわけです。
小さな記事だけでも、見る人は見るので、それだけでもいいのですが、讀賣新聞以外採り上げていないことは、災害から身を守るチャンスを奪っているともいえます。日本は、地震大国なのに・・・。
恐ろしいと思いました。


讀賣新聞の記事


インドネシアでバンダアチェを、地震・津波を観光資源にしているという話。
プーケットでも、日本人会がカマラビーチに慰霊碑を作って、津波後激減した日本人観光客に来てもらえる観光資源にしようとしていたのですが、ちょっと弱いようです。
実際は、なかなか難しいですよね。

とはいえ、アチェに外国人観光客が来るようになると、悪い事をやりにくくなると考えられます。観光客やジャーナリストが入れないところで恐ろしい人権侵害などが行われやすい。だから、観光客は収入だけでないメリットが考えられる。そこに期待したいです。




ということで、本日19時より、三軒茶屋カフェオハナにて「ツナミナイト!」やります。

12/26(日) TSUNAMI NIGHT!
 お話し:東山高志(ツナミクラフト代表)
 19:00 start     ノーチャージ(カンパ制)
 6年前、甚大な被害のあったスマトラ島沖地震。
 地震だけでなく、津波の被害も広範囲にわたって猛威をふるいました。
 12/26で、ちょうど、丸6年になります。
 この日は、ツナミクラフトの東山さんをお迎えして、
 タイ南部の津波被害の復興を支えるツナミクラフトの
 製作現場の話しを うかがいます。
 少人数で、飲んだり、食べたりしながら、
 リラックスして、ゆるやかに、交流しましょう。

場所 東京都世田谷区三軒茶屋1-32-6 豊栄ビル1F  (03) 5433-8787
26日19時から「ツナミナイト」 [2010年12月25日(Sat)]
明日、12月26日19時から三軒茶屋のカフェ・オハナで「ツナミナイト」を行います。11月に行われたタイ精霊流しのスライドショー上映と津波から6年目のタイ南部の様子の報告会を実施します。
ちなみに、タイ南部では、トークイベントとほぼ同時刻に5000個以上の紙で出来たタイ精霊流しで使う熱気球を飛ばすイベントが行われるそうです。
是非お越しください。



●イベント概要

12/26(日) TSUNAMI NIGHT!
 お話し:東山高志(ツナミクラフト代表)
 19:00 start     ノーチャージ(カンパ制)
 6年前、甚大な被害のあったスマトラ島沖地震。
 地震だけでなく、津波の被害も広範囲にわたって猛威をふるいました。
 12/26で、ちょうど、丸6年になります。
 この日は、ツナミクラフトの東山さんをお迎えして、
 タイ南部の津波被害の復興を支えるツナミクラフトの
 製作現場の話しを うかがいます。
 少人数で、飲んだり、食べたりしながら、
 リラックスして、ゆるやかに、交流しましょう。

併催 ツナミクラフト展
 6年前のタイ南部の津波被害の復興を支えるツナミクラフトの
 フェアトレード製品の展示及び販売です。
 (通常営業内での開催です。)
 ・タイ、スリランカの5つのプロジェクトの製品の展示販売
 ・11/18〜12/2にタイ南部で撮影した写真の展示
・津波被災者たちの精霊流し(バーンターンナムチャイの子どもたちと)
・海洋少数民族モーケン族
・さをり織りの工房

場所 東京都世田谷区三軒茶屋1-32-6 豊栄ビル1F (03) 5433-8787

冬至とポストピークオイル [2010年12月22日(Wed)]
今日は「冬至」一年で一番日の短い日。ひとつの折り返し点のような日ですが。他にも折り返し点を過ぎた事があるんです。それがポストオイルピーク。石油生産量が頂点となり減少に向かいだしたということです。
このことが、全くと言っていいほど報道されていないんですよね。マスコミ関係が事の重大さに気が付いていないのか、政治的に報道を抑えられているのかわかりませんが、あまりにも報道されていません。特に日本が酷いそうです。
てなことで、ポストピークオイルの宣伝サイトが立ち上がりました。


http://postpeakoil.web.fc2.com/


これから石油資源が枯渇するということを冷静に受け止め、持続可能なしなやかな循環型社会に変革する時代になりました。

早く手を打てば選択肢があるのですが、手遅れになると選択肢が減りハードランニングしか手が無くなります。
まずは、情報を共有しましょう。
エコロジーとノスタルジー [2010年12月15日(Wed)]
帰国後、エコプロダクツ2010などのイベントが続き、ちょいとひと休みということで、タイで買ってきたDVD観賞。タイで買ったと言ってもタイの映画でなくスタジオジプリ作品のタイバージョン。ちゃんと日本語のオリジナル音声も入っています。



なんやかんやで、このスタジオジプリコレクションは、11本買い集めちゃっています。

エコ、エコ、エコという展示会から解放されて、「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「耳をすませば」と立て続けに見てしまいました。

作品を見ていて、エコイベントで感じていた漠然とした疑問などが明確化することがありました。

「おもひでぽろぽろ」は、1980年代の前半、田舎暮らしにあこがれる女性が、山形に行き有機農業を始めた青年と出会うという話なんですが。その中に、農村風景が見渡せる場所で「都会の人はこの風景を見て自然がいっぱいというけど。この風景はみんな人間が作ったものなんですよ・・・」というようなセリフが出てくる。
都会の人には、里山というのは、自然の風景だと言う思い込みがあるという事を見事に指摘しています。
里山に関しては、ネット記事で岸由二さんが、多くの人が思い浮かべている里山ライフは「幻」のようなものと指摘しています。実際の農業の現場は、大規模農業で米や野菜の工場のようなもで、それがメインである。だから、残された里山に資源を集中することは、生物多様性の問題解決の効果が薄いと指摘している。
しかも、大自然は里山ではなく、それらの保全にも役に立たないとも・・・。
里山保全は、自然環境の保全と言うよりも、ノスタルジーの拠り所を守る要素が高いように思います。災害の後、原風景が無くなるという事を通して、身にしみる部分もあるのですが。人にとっては、原風景の保存は大切なことです。だから、この活動も大切です。

さて、「平成狸合戦ぽんぽこ」ですが。
公害や環境の問題に対する反対運動のパターンを見事に踏襲している。
作品が出来た15年前と、現在も続く道路や基地、核施設などの反対運動も同じ経過を辿っているように見えるのが、なんとも言えない。
自然や未知のものへの恐れに対してもものともしない人間たちに対し、最後の力を振り絞って人々のノスタルジーに訴えかけるが、あくまでも幻で、効果は一時的なもので、結局は敗れ去り、散り散りとなり隠れ住むようになる。
もとネタの狸合戦の舞台である四国の屋島の話が出てくることから、平成というものが、平家物語に連想が及んでいく。

エコロジーの話をするとき、ノスタルジーに訴えかける方法が採られるケースが多いのですが。決してメインストリームにはなれないという事を示唆しているように思えるんですよね。
しかし、実際はノスタルジーに訴えかければ、どうにかなると思っている活動家が多いように感じる。
どのようにすれば、環境問題におい現実的にものごとを進められるようになるんでしょうね。
北朝鮮が砲撃したのは石油枯渇が原因? [2010年12月08日(Wed)]
日経ビジネスオンラインとに面白い記事が載ってました。
北朝鮮の軍は、30万トンの石油しか使用できないため。軍事演習にピリオドを打つために撃ったというもの。
敵対する米韓が軍事演習をすると、北朝鮮も同じように軍事演習を行い「侵略」に対峙せざるを得なくなり、石油や食料を消費せざるを得なくなるそうな。
それを、狙って米韓が軍事演習をして、兵糧攻めにするわけですが。そろそろ限界にきているという。
30万トンというと、成田空港で1年間に使用するジェット燃料の量が380万トン、日本の都道府県で石油消費量の最も少ない自治体でも200万トン弱という事を考えるとかなり脆弱。
逆に言うと、日本は石油使いすぎ。
てことで、石油ピークを迎えた後の戦争って、どうやって相手に石油や食料を使わせて、追い込むかってことになりそう。つまり消耗戦になるってこと。
挑発するにも、挑発に乗るのも石油を使うので、長く石油を使いたかったら、挑発しないに限る。ってか。

北朝鮮軍が砲撃に踏み切った真の理由は石油の払底
米韓軍は北朝鮮軍の崩壊を狙う
重村 智計

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20101129/217325/
フェアトレードチョコレートを選ぶもう一つの理由 [2010年12月07日(Tue)]
バレンタインに送るチョコをフェアトレードにしようってことで、チョコレボってプロジェクトが頑張っていて、カカオの生産の問題について、少しずつ知られるようになってきました。嬉しい事ですよね。
でも、一般に売られている安いチョコレートには、様々な悲しい事実が隠されています。
チョコレートを安く作るために、パーム油が使われていて、そのパーム油の生産に問題があるのです。
てなことで、それを解り易く、グロテスクに表現した映像があります。





オランウータンという有名な動物に繋げるという手法は好きではありませんが、実情でもあります。
実際は、ゾウとか、様々な動物の住処を奪い。今年の熊のように、人里に現れてトラブルになっているそうな。

その後、ネスレは否定する発表をしてますが・・・・どうなんでしょうね。

前回の石油の高騰の時、パーム油は石油より安いということで注目され、タイ南部でもパームの生産に切り替える農家がいました。
パーム油の問題は、チョコレートだけでなく石油ピークの問題にも関わってきます。
持続可能なパーム油に対する取り組みが行われていますが、ちゃんと機能することを願っております。
帰国後怒号の毎日だけど音楽で癒される [2010年12月05日(Sun)]
帰国その日に2本の打ち合わせをし、それから約80時間の間に2本のイベントをこなしました。でも、イクラさんや、尾引浩志さんなどの音楽を間近で聞いて癒されました。



12月4日は、「100万人のキャンドルナイト・冬 〜フェアトレードがもたらす女性と子どものエンパワメント〜 」で、しゃべってきました。
最新のタイの津波被災地の写真や現物も織り交ぜて、コミュニティベースで津波復興を遂げている女性や子供たちの話を通して、フェアトレードのカタチを中心に支援の在り方や、生きて行く力をつけていくことの重要さをお話ししました。
私の前には、若者の様々な問題解決に奔走するシンガーソングライター浅見太郎さん。そして、トリは、元・母子間虐待被害児であり児童虐待防止の活動をしているシンガーソングライターのイクラさんの素敵な歌声を聴かせていただきました。
それぞれ違うフィールドで違うカタチで活動している事は違うけど、共通のハードを持って競演で来たのかなと思いました。想いを共有できた素敵な時間でした。
で、その翌日は、東京学芸大の中で開催された「きらめきひらめき環境まつり」にて、トランジションタウン小金井のブースでワークショップのお仕事。
尾引浩志(倍音S)さんとKOGANEI POPS研究会(アートフル・アクション)のコラボレーションのライブも聞けて、倍音に癒されました。
エコプロが終わるまで、怒号の日々が続くのですが、ちょっと音楽に癒されました。
モーケン族の子供たち [2010年12月01日(Wed)]
今回は学校が休みの日にスリン島に行ったため、モーケン族の子供たちをたくさん見かけました。




村で海に飛び込む子供たちを見ているときはいいんですが、観光エリアに来ている子供たちにには、少し慎重に対応しなきゃいけないと感じました。


村で作った作品の販売を手伝う子供たち。
モーケン族の子供たちはシャイな子供も多く、物が売れている感じがしないんですよね。
それは、それで仕方ないんだけど。どのぐらいの価格で買うのが、彼らにとってハッピーになれるかを考えると、迂闊に手を出せない。
一方、写真に写りたがる子供たちの一部には、写真を撮ったあとに、手を伸ばしてくる素振りを見せた。お金をくれという仕草にも見えるし。デジカメならすぐに撮影された物が見ることが出来るので、それを見せて欲しいというようにも見える。
私は、後者と受け取り。写真を見せたら大ウケ。ちょっと安心。
しかし、自給自足に近い暮らしをしているモーケン族にとって、自分たちの感覚でお金を払う事によって、どのように感じるのか?価値観がどのように変化するのか?とても気になる。
安易にお金が手に入る方法を得た場合、どのようになるのかだ。
とはいえ、ニューテクノロジーの導入されたモーケン族の村には、それを維持するためのお金が必要。


モーケン族の村には学校兼保健所があります。こちらには、子供たちの描いた絵の絵はがきが販売されていました。
誰の描いた絵が売れたかがチェックされ、その子に販売代金が渡されるのだそうな。
絵にタイ語で何か書いてあるものもあります。
文字を持たなくても、独自の測量技術、独自の造船技術、独自の文化伝承を持っているモーケン族ですが、タイという国の国民として暮らしていくために必要な事なんでしょう。
そして15歳になったら、ほかのタイ人と同様にIDカードが発行されます。
独自の文化は継承されていくのでしょうか、タイの文化と同化していくのでしょうか。
ミャンマー側にいる同じ文化を持つモーケン族とはどのように繋がっていくのでしょう。
気になります。


ハマヒルガオで迷彩する子供


いまはどうかわかりませんが、子供の頃、空き地で戦争ごっこなんかやった事があるんですが。
どこで知ったのか、迷彩に機関銃を持つ姿が、妙にリアル。
電気も来ていない家が多いので、ビデオで見たのではないと思う。
ミャンマー国境も近いし、軍隊も身近なんでしょうね。
モーケン族の村に行く [2010年12月01日(Wed)]
スリン島にあるモーケン族の村に行ってきました。
文字を持たなくても、津波の伝承があり、村は全壊したが、人々が助かったというモーケン族。5年ほど前は入れなかったそうですが、ガイドさんに交渉して、モーケン族の村に入ってきました。


南スリン島の砂浜にあるモーケン族の村。


若い衆は、観光客の乗る船を操る仕事に出向いているので、ほとんど老人と子供しかいない。




今は石油で動く船になったためもあるのでしょう。現金収入を得るためのクラフト作りが行われていました。


お金持ちとコミュニティセンターは太陽電池が。
ガイドさんは、石油で走る船と共に、太陽電池の説明として「モーケン族にもニューテクノロジーが導入されてるんだ」とおっしゃってました。
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ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」