• もっと見る

STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
<< 2008年09月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
月別アーカイブ
タグクラウド
アウトレットモールにフェアトレード店みっけ [2008年09月20日(Sat)]
イベントの記録のために、埼玉県の「ふじみ野」に行ったのですが。その会場のとなりには「リズム」というアウトレットモールがあります。そこに、期間限定のフェアトレードショップを発見しました。



これが、その店内。
この店の特徴は、フィリピンのジュースのパッケージを利用して作った雑貨類が、とにかく品揃え豊富にあることです。
フェアトレード品として、フィリピンのジュースのパッケージを利用した雑貨は有名なのですが、たいがいの店はそろっているところで、3.4種類というところなのですが。
ここは、とにかく、見た事もないデザインのものがたくさん取りそろえられている。



以前、植物の精密画を描く専門の方にお話を伺った事があるのですが。
ジュースのパッケージの果物の絵は、図鑑などの絵を描いている人が担当しているそうで、美大とかでもなかなか学ぶ人が少ないらしく、美術だけでなく生物学の知識が必要になのだそうです。
そうでないとより本物らしくおいしそうに見えないのだそうです。
そのうえで、パッケージデザインの方がデザインをして、製品となるわけですが。

ジュースのパッケージは陳列している間は人目を引くのですが、飲んでしまえば、優秀な精密画家とパッケージデザイナーが作った作品はゴミ箱入りです。
そこで、リサイクルで雑貨となることで、パッケージの優秀なデザインが再び、人目をひくのです。

そんな商品がこれだけたくさん並ぶと圧巻です。

ちなみに、このお店は9月いっぱいまでです。

様々な縁があって、期間限定でこのアウトレットモール「リズム」に出店せてもらっているとのことで、その後の予定はまだ決まっていないのだそうです。

あと10日ぐらいですが、ぜひ見に行って、手にしてください。
岩手日報に掲載されました [2008年09月18日(Thu)]
岩手日報にツナミクラフトが紹介されました。



なお盛岡では26日から3日間南昌荘で販売されます。
お楽しみに。
望月で満月 [2008年09月14日(Sun)]


今年の中秋の満月は、長野県佐久市の望月高原であじわいました。

夕方は、白い月が見えていましたが、夜になると雲が出てきて幻想的な月になりました。
開設から3年経過 [2008年09月11日(Thu)]
本日でSTILL ALIVEの開設から3年が経過し、4年目に突入致しました。
これからもよろしくお願いします。
12万アクセスありがとう [2008年09月09日(Tue)]
今朝、タイから帰国しました。

私がタイにいる間に、タイ国内では、首相を辞任に追い込もうと大規模なデモ、空港閉鎖、そして流血事件などがおき、多くの方にご心配をおかけしました。
無事に帰ってきましたよ。

そして、タイにいる間に、福田氏が辞任していたということよりも、重要な出来事が・・・
それは、12万アクセスを達成していたということです。

みなさんありがとうございます。

いろんなことがありましたので、おって、遡ってブログを書いて行きます。


参考、今回、出かけたエリアの地図
さをり販売店が増えました [2008年09月04日(Thu)]
プーケットにツナミクラフトの販売店が増えました。

マリンプロジェクト プーケット店です。





このお店は以前はバトンビーチのど真ん中にあったのですが、ダイビングショップとしての使い勝手が悪いということで、少し中心から離れた場所に移転しました。

地理的に一般客へのアピールは少ないのですが、アフターダイビングのお土産としてダイバーに強くアピールできます。



この店のほかに、バンコク市内にも取扱店が増える予定。


さてさて、店にたどり着く前に強烈な雨に遭いました。
日本でいうゲリラ豪雨みたいなスコールです。
プーケットタウンからバトンビーチに抜ける道にカトゥという地域があってそこには標高こそないのですがかなりきつい峠道があります。
この道は豪雨になると川になるんです。
川になった状態で下手に車が止まってしまうと、車が動かなくなるだけではなく、流されてしまう場合もあります。
プーケット島はバイクで移動すると便利なのですが。この峠がある限り、雨季はとくにバイクではなくタクシーなどを利用するようにしています。


そうそう、マリンプロジェクトに来てみて、うれしい話がありました。
映画「STILL ALIVE」にも出ていた女性に赤ちゃんが生まれました。
しかも、この日退院して、家に戻ってきたばかりのところで電話がつながりました。
なんかとてもうれしい日でした。
タイ南部が人件費が高いのに貧しいわけ [2008年09月04日(Thu)]


さをり織りの研修センターに糸が届いた。
この糸は、タイ国内で生産されているのですが、北部のチェンマイ近郊で生産され、パンガー県まではるばる陸路で1500キロ近く運ばれてやってきたのだ。

タイ国内では、ここ10年間、地方分権や貧困対策が行われた結果、北部や中部、東部、東北部という感じで、南部以外の地域が発展した。
バンコクも、国営企業などにかかわっていた人は、民営化などにより変化を余儀なくされた方も多いが、地方が元気になったおかげで首都も発展している。
だが、南部だけは取り残されているのだ。

タイの深南部と呼ばれる地域での爆弾事件が多いのも、南部の発展の遅れが一因となっている。

タイ南部の庶民は、かつてのタクシン政権がタクシン氏の出身地を重視したために南部の発展が遅れていると考えている人も多いが。

それ以外にも発展のさまたげになっているものがある。

それは、南部の人件費の高さである。
同じタイ国内の地方でも、南部は北部に対して人経費が高いのだそうです。
そもそもの原因は、まだ勉強不足なのでわからないのだが。
企業は、人経費の安い所に、立地する傾向がある。そのため、人経費の安い、北部に多くの産業がもたらされた。
日本のカメラメーカーもチェンマイ郊外に工場を持っている。
企業がやってくると、それに関連した工場ができる。
そして、様々な工場ができると、それらの製品を使って加工する工場も出来上がる。
そうやって、工場のネットワークが出来上がる。

しかし、南部は、人件費が高いために、工場が進出してこない。
工場が来ないと、関連産業が発展しないから、南部で新しい工場などを作ろうとすると、部品などを北部や中部から運んでこなくてはいけなくなる。
ただでさえ人経費が高いのに、輸送費がかかるため、競争力のつよい低価格の製品が作れないため企業にとってタイ南部は魅力的には映らないようなのです。

これは、企業だけでなく、さをり織りをはじめツナミクラフト全般に言えていることで。材料の調達コストがかかり、さらに市場へ送り出すためにも輸送費がかかってしまう。
そのことによって、価格では北部の商品には勝てない。

タイ南部では、産業というと、プーケットなどの観光を除くと、ゴム畑、パーム畑、そしてエビの養殖というところで、プランテーション型の一次産品ばかりである。
かつては、スズの鉱山もあったが、価格の暴落と公害で現在は採掘されていない。

日本にも似たことが起きていて、工場が人経費の安い外国に逃げていった上に、交通便の良くない地方は衰退してしまっている。
夢のレストラン [2008年09月03日(Wed)]
以前、ツナミクラフトセンターの店長をしていたプイさんと連絡がとれて会うことになった。
プーケット島から橋を渡ったところにあるコックロイという町にいるらしい。
レンタカーを走らせて約束の場所に行く。

いま彼は、超高級のリゾート施設で働きながら、自分のレストランを作ろうとしていた。

彼は津波の前、コーコーカオという島に自分のレストランを持っていた。
しかし、津波で破壊され。その後、避難所にてバティック製作をするようになった。
その後、彼の語学力やセンスを買われ、パンガー県に点在するツナミクラフトの横のつながりの組織のリーダーとなるとともに、ツナミクラフトセンターの店長となった。
ちなみに、わたしの扱っているツナミクラフトは、ツナミクラフトセンターの商品を日本に紹介する事から始まった。
しかし、津波復興のために始めたクラフト品の販売は苦戦することとなり、昨年9月に閉店となった。
そして、津波から4年が近づくいま、新しいレストランを実現しようとしている。



超高級リゾートに特別に入れていただいたのですが、そこからのアンダマン海に沈む夕日は無茶苦茶きれいでした。

さて、このレストランですが。プイさんのバンドの仲間で運営し、内装も自分たちの手で、自分たちのアイデアで作り出している。
もちろん自分たちもライブ演奏ができるし、自分たちや仲間の作った作品も販売できる。



内装には、プイさんがデザインしたモチーフがちりばめられている。
メンバーのヌンさんが鳥かごを利用したランプシェードを作っている。



こちらもメンバーのルンさんがペンキを塗っている。



古い家具も自分たちで直して、ペイントして利用する。
なんとなくモンドリアンを連想する。



2週間後のオープンを目指して、連日、仕事の終わった夕方5時から夜の10時までレストランの開店準備をしているそうだ。

次に行く時は、レストランに行ける。

関連地図
定宿とさをりの村 [2008年09月01日(Mon)]
ムスリム集落でのホームステイも終わり、ラノーン県からカオラックに戻ってきました。
定宿のP&Y BARに宿をとります。

P&Y BARは、タイ人とスイス人の夫婦が経営している小さなプールバー件ゲストハウス。
津波で大打撃を受けたのですが、資金力に乏しく、被災地から逃げ出すことができず、この場所にとどまって店を続けました。

P&Y BARは、英語、フランス語、ドイツ語がOKなので、とどまったのが、功を奏したのか、津波の支援のためにきた外国のNGOやボランティアのたまり場となりました。

今では、山の中にあったツナミボランティアセンターも閉鎖し、海外のNGOやボランティアはかなり減っていますが、店の前を国境なき医師団のトラックを目にするなど、継続した活動が行われています。


宿に荷物を置いて、さをりの村へ。
いつものレンタルバイクは転倒事故のために、今回は女性用のピンク色のかわいい小さなバイクで移動。
ここ最近は、日本で車やバイクを運転するより、タイで運転している方が距離や時間が長そうです。

さをりの村に着く。



縫製の仕事が忙しく、織りをてを止めて作業をしています。
その間に、猫のマリーが特等席に座ります。

今日は、プーケットのダイビングショップの日本人オーナーさんが来てくれました。
プーケットで久しぶりに再会して、話しているうちに、さをり織りの事を聞き興味を持ってくれ、ここまで車を飛ばしてきてくれました。
本当にありがたいです。

関連地図
プロフィール

まいける東山さんの画像
まいける東山
プロフィール
ブログ
https://blog.canpan.info/ideaeast/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/ideaeast/index2_0.xml

tsunamicraftをフォローしましょう

canpanブログ大賞
特報!
ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」