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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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その場から始める [2008年06月30日(Mon)]
タイのさをり織りに来て二日目。日本から預かってきたラメ入りの糸を渡す。
糸を見たとたん興奮したムードになる。
効果的な手法など簡単なレクチャーをするやいなや、いきなり糸をシャトルに巻き付け、織りだした。
糸を渡して織り出すのに五分もかからなかった。









津波の被災地にさをり織りを導入したとき、持ち込んだその日のうちから織りだしたと聞いたがあるが。いま、目の前で再現された気がした。
面白いと思うことにはすぐに飛びつく。
それと、自由さを信条にしているさをり織りだからこそ、すぐに取り入れることが出来たのではないかと感じた。



子供もこのムードに引き寄せられて、織機の前に座りたがる。
タイ人が面白いという事に敏感なのは、子供の時からのようだ。
半年行かないとずいぶん変わってしまう [2008年06月30日(Mon)]
タイの津波被災地に約半年ぶりに来たのですが、半年の内に様々なものが変化していてびっくりです。

1 まず、お店が増えた、入れ替わった。
とにかくインド人が店を建てまくっています。新しい資本がどんどん入っています。
逆に津波サバイバーの店が閉店し、新しい店にとってかわられているところもあり、少し寂しい思いも・・・・

2 場所が変わっている
一番びっくりしたのが、津波で運ばれて町中に鎮座していた船の場所が移動していました。
まあ、私有地に船が鎮座していたわけですし、いまさら修理して海に戻すのなら、展示して観光資源にして方がいいのでしょう。
また、新しい場所に移ったおかげで、観光バスで船の所に行くことが出来るようになりました。今までは、町中でお客さんを降ろして、バスが町中を徘徊して、お客さんが見終わる頃に迎えに行くというパターンでしたが、今度の場所なら、バスが町中を徘徊せずに済みます。

3 とにかくガソリンが上がった
日本もそうですけど・・・・

そんなことで、とにかく相変わらず工事現場が多いです。
工事することで、被災者が潤えばいいのですが、多くは漁民ですからね。
工事が終われば雇用先が増えるということですが、外資に持っていかれるんでしょうね。
架け橋になりたくて〜息子の死から5年 [2008年06月27日(Fri)]
いいドキュメンタリーが放送されます。

是非見て下さい。

豊田さんには何回かお話しを伺った事があるのですが、何回聞いても涙が出ます。

このドキュメンタリーは必見です。

テレビ東京28日(土)午後1時55分〜午後2時25分
「ザ・ドキュメンタリー 架け橋になりたくて〜息子の死から5年・信頼の医療を求めて」

http://www.tv-tokyo.co.jp/program/detail/17690_200806281355.html

番組内容
医療事故で5歳の息子を奪われた豊田郁子さんが、裁判によらない問題解決の仕組みを普及させていこうと医療の現場に飛び込んだ。彼女は事故のとき病院側の対応に深く傷けられたという思いがある。そんな彼女が「説明を尽くせば理解し合えるはず」と確信したように言い、メッセージを発信し続けるのはなぜか。事故発生、そのとき彼女は…。


私は、事故発生の時より、その後のプロセスの方がじーんときます。
ドキュメンタリーとしてもいいけど、豊田さんを原作にした映画やドラマを作りたいです。

北大生協で販売されます [2008年06月27日(Fri)]
ツナミクラフトが、北海道大学の生協での期間限定ですが販売されることになりました。

フェアトレードフェアということで、7月2日から12日まで開催されます。
場所は、1年生が多く利用し一日1000人が利用すると言われる購買の入口あたりだそうです。

ちなみに北海道大学では、6月23日よりサスティナビリティウィーク2008と題して、持続可能な社会づくりをテーマにいろいろとやっているようです。

G8連動企画で終わらないようにしてくださいね。
糸で繋がる [2008年06月27日(Fri)]
明日から、タイの津波被災地のさをり織りの工場に行くのですが、ある人に託されて糸を持っていくことになりました。



タイの特に田舎では手に入りにくい、ラメ入りの細い糸。
このままでは、さをり織りに使いにくいので、普段使うさをりの糸に添えてワンセットにして横糸に使うと、少ない糸でもラメの効果が出るそうです。

それにしても、この袋、Hokkaidoって書かれてるのを見つけて、夕張にたくさんの糸が届いたことを思い起こしました。

糸を送ること、そして、出来上がった作品を手にすること、そこで、作者と消費者(この言い方よくないよね。大切にしてくれるのに消費者というのは申し訳ない)が繋がる。
そういう関係って素晴らしいですよね。

夕張で聞いたのですが、TERUさんが毛糸を送ってほしいと言ってから1年以上経つわけですが、今でも時々ブログを見て「毛糸を送ってもいいですか」って、手織り工房レラに連絡して、それから糸を送ってくれる方がいるそうです。

そういう、糸を通してのつながりって、素敵ですよね。
慰霊の日/琉球魂 [2008年06月24日(Tue)]
多くの日本人には馴染みがないのですが、6月23日は、沖縄が敗戦した日です。その慰霊の日に阿佐ヶ谷にあるLOFT Aに沖縄にゆかりのあるミュージシャンが集まって、慰霊の日のイベントを行いました。

LOFT Aは、日本のロックカルチャーを育てた名門ライブハウスLOFTの系列で最も新しいお店です。

今日は沖縄慰霊の日ということで、Shy、寿[kotobuki]、PJ、玉城まさゆき、しまだあやという豪華メンバーでライブとトークが行われました。

ライブはみんな素晴らしかったのですが・・・

イベント全体を通して感じる平和への思いというのを感じました。

1つは、沖縄慰霊の日という事を知ってもらいたいということ。

トークの中で、幼少期にアメリカだった沖縄、日本になりたい沖縄、日本になった沖縄を感じた話があったのですが。この事実って、ついつい忘れがちですよね。

広島の8月6日、神戸の1月17日と同じように、沖縄にとって6月23日と5月15日は大切な日なのだが、それが東京などでは全くと言って関心が低く、その温度差から孤立感を感じる事もあったのだそうです。

しまだあやさんが歌った「母ぬ島風(しまかじ)」という歌は、沖縄から東京に出てきて、孤独になっている母親の姿を、夫であるしまだあやさんのお父さんが歌詞にしたそうです。
この歌の振り付けは、手話になっていて。しなやかな手話は、まるでフラダンスのような美しさとなっていました。

私が子供の頃、切手収集がちょっとしたブームだったのですが、そのとき祖父に届いた沖縄からの手紙を見せてもらったのですが、貼られた琉球郵便の切手が、円表示だったりドル表示だったりするんですよね。
確か、沖縄が日本になってしばらくは、車の通行も逆だった。

沖縄が日本になる寸前は、学校では日本化するための教育が積極的に行われていたそうですが、日本になったとたん、手のひらを返したように、日本に対して批判的になった。
沖縄が日本になっても、アメリカだった頃と変わらず、依然と米軍基地があるし、そのことによって戦争に荷担することになる。しかも、人がすぐ危険な目にあってしまうそうだ。

20から30年前に、沖縄から東京に出てきたとき驚いたのは、人が危うい目に遭わないということなのだそうです。

沖縄は、戦争が終わったとはいえ、基地がある限り戦争が続いているようなものという感覚なのでしょうか。

そういう、悲しい事実を伝えていくという事と同時に、一見逆のメッセージも発信しているのも興味深かった。

玉城まさゆきさんが、平和についての歌を作ろうと思ったとき、叔母さんの声が聞こえてきて沖縄弁で「平和とは、憎しみを子供たちに伝えないこと」という意味のことを囁いたそうです。
そして、その言葉を沖縄弁のままで歌にしていました。

これって、GLAYの曲の中で出てくる「憎しみの連鎖その手で閉じて・・・」という歌詞とまるでそのままですよね。

日本の北と南から同じメッセージが発信されているんですよね。

ちなみに、北と南と言えば、今回出演した寿[kotobuki]は、7月3日に札幌コンベンションセンターで行われる「少数民族サミット アイヌモシリ2008/音楽祭」に出演します。


また、このブログの題名「STILL ALIVE」に関わる事も言ってました。

生き残った人が大切で、生き残ったからこそ、様々な事実を伝えられるし、命も繋げることが出来る。

戦争でも、原爆でも、災害でも、貧困、人身売買、財政破綻・・・・いろんなことがあるけど、生き残った人や、そこに残された人がいて、そこで起こっている様々な事が伝えられ、命も繋がり、それが未来を創り上げる。

歴史の教科書には支配者の歴史ばかりが書かれているけど、実際に未来の生活を豊かにするのは、様々な困難にあっても生き残った人たちの経験の伝承だと思います。

沖縄県内でさえ、役所が行う慰霊の日のイベントは形骸化してきていると感じている沖縄の人が多いそうです。
だからこそ、活きた情報は自分たちで伝えていかなければなりません。

生き残った人が命を繋ぎ、子孫を通して事実は伝えるが、憎しみは伝えない。そうすることで、平和を生み育てる事が出来るのかも知れません。


とはいえ、さすが沖縄系イベント。最後はみんな踊る踊る。
そして、打ち上げは朝までやるそうです。
私は、東京方面への終電で帰ってきました。


関連サイト 

寿[kotobuki] http://www.kotobuki-nn.com/
玉城まさゆき http://homepage3.nifty.com/rbc/koza.html
しまだあや http://www.shimadaaya.com/
Asagaya Loft A http://www.loft-prj.co.jp/lofta/
夏至フェス、そして継続すること [2008年06月23日(Mon)]
あいにくの天気だったのですが、21日と22日に代々木公園で開催された「夏至フェス」に出店してきました。
夏至フェス」は、100万人のキャンドルナイトと連動している音楽を楽しめるエコイベントです。



21日の夜は、キャンドルをつけて、アコースティックでライブが行われました。
私のブースは丁度ステージから真正面の場所だったこともあり、私の店の前からステージに向かって一直線にキャンドルが並べられました。



そこで、お店の中にもキャンドルを立てて、ステージから連なるキャンドルを一本増やしてみました。



ロウソクの火というか、炎ってのは、特別なものってあるようですね。

私のテントの並びに、パキスタンの人たちが飾られたブースがあったのですが、昼間にそのブースを見たときは何も感じなかったのですが、ロウソクに火を灯したら、その写真に写った人の目が輝きだしたんです。
その写真が気になって、お店の人に話しかけると。どうもこの方たちは、火を灯して儀礼をする人たちだったのです。
写真という、化学反応を利用したものを通じて、写真に写された人たちの魂が伝えられた気がしました。

よく写真を撮そうとすると「魂が吸われる」とか言う人がいるけど、あながち嘘ではないかも。


お店を出していると、様々な出会いがあるんですけど・・・
お店の正面に見覚えのあるTシャツを着ている人がいるんです。



思わず「絆を確認」してしまいました。

そこで声を掛けたら、今度は・・・



私の腕の「* * *」を発見されてしまいました。

実は、この夕張のさをり織りのTシャツを着ていた人は、3年前大流行をしたホワイトバンドのほっとけない世界の貧しさの活動をいまも続けている方だったのです。
3年前は、テレビや町中で、ホワイトバンドが露出して、大人気となり、1本300円の所を1500円とかで販売する輩も登場したりして、1つの社会現象となりました。
しかし、あれから3年経って、あのとき「ほっとけない」と言っていたのに、多くの人にほっとかれてしまったんです。
ほっとけない世界の貧しさの事務局のかたいわく、いわゆる有名人と言われる人たちも、継続して身に着けている人は少なく、今でも身に着けているTERUさんやTAKUROさんは貴重な存在となっているそうです。

それでもいまだに「ほっとけない」人がいて、継続的に活動を続けています。

日本国内も含めて、世界で貧困が進んでいます。
そして貧困以外にも、様々な問題があります。
その問題の解決のためには、継続的な活動が大切です。

タンスの中にホワイトバンドがあるなら
いまいちどホワイトバンドを身に着けてみてはいかがでしょう。

ほっとけない世界の貧しさ


P.S.以前ブログで紹介した浜松珈琲も出てましたよ。
11万アクセスありがとうございます [2008年06月22日(Sun)]
おかげさまで、先ほど11万アクセスを達成致しました。

いつも、読んで頂き有り難うございます。

アクセス数はブログを書いている人にとって、1つの励みになります。

今後も引き続きお引き立て頂けますようよろしくお願い申し上げます。

促成栽培・・・ [2008年06月21日(Sat)]
野菜とかに肥料を与えたり、家畜に成長促進剤を与えるという事があるのですが、人間にも与えていたんですね。
野菜や家畜に農薬や肥料、成長促進剤などを与えるのは、市場に応えるために行われるわけですが。
これも、市場に応えるため?


10代少女に女性ホルモン投与 売春目的、インドで横行
2008年6月22日12時1分 朝日新聞

 【ムンバイ(インド西部)=小暮哲夫】売春目的の人身売買が横行するインドで、売春を強制する10代の少女たちの体の成熟を早めるため、売春組織が女性ホルモン剤を投与している実態が明らかになった。過剰な投与が心身に与える影響が心配されている。

 インドの商都ムンバイ。シャバナさん(18)は3年前、市内の売春宿から地元NGO「レスキュー財団」に救出された。その時、見た目は20代の女性のようだったという。

 西部の貧しい労働者の家庭に育った。ごみ収集の仕事をしていた14歳の時、「いい仕事がある」と見知らぬ男に誘われた先が売春宿だった。

 7カ月後に救出されるまで「健康のため」と牛乳を与えられ、そこで働く男から一日おきに注射された。「牛乳には薬を溶かしてある」と別の少女たちに知らされた。急に胸が大きくなり、体は成熟。吐き気や頭痛がよくあった。

 売春宿から年間約300人を救い出す同財団が、ホルモン投与の実態に気づいたのは今年1月。西部の都市プネで救出した少女2人が「錠剤を与えられていた」と告白したのがきっかけだ。

 過去の被害少女たちに確認すると、シャバナさんのような例が出てきた。アチャリヤ代表は「大部分の少女も同じでは」とみる。投与されるのは卵胞ホルモンとみられる。

 投与には本来、医師の指導が不可欠。ムンバイで被害少女を支援するジャヤジ・ナート医師は「卵巣ガンなどにつながる危険がある」と指摘する。急に大人の体になり、心と体のバランスも崩れる。

 インドでは、国内や隣国のネパール、バングラデシュの貧しい家庭から、売春目的で10代前半の少女が売られる事例が後を絶たない。売春を強要されている18歳未満の女性が国内で30万人に上る、との推計もある。

 同財団が救出した少女の15%がエイズウイルスに感染しているというが、「若い子は感染していない、と誤解して少女を好む客が多い」とアチャリア代表。「誰がホルモン剤を流しているのか、警察は調べるべきだ」と訴えている。
新日系人 [2008年06月20日(Fri)]
いやあフィリピンは専門外だったので知らなかったけど「新日系人」って言い方してるのね。

てなことで調べたら「新日系人ネットワーク」というのがあって、そこでは「戦後フィリピンへ渡った日本人や、日本へ渡ったフィリピン人の間に生まれた日系混血二世たちのことです。」と定義しているようです。
それってフィリピンだけでなく東南アジアだけでなく、アフリカも含め、世界中にいるじゃん。しかも確実に増えています。
プーケットだけでも日本人会に登録しているだけでも100人以上いるそうです。まあ、プーケットはお金を稼ぐための場所なので、経済的に豊かだから問題が出てきにくいようですけど、金が切れたときに悲劇がやってくる。

それにしても、以下の記事は、酷い話の記事です。
これと似たようなことは、残念ながら、他のアジアの国だけでなく、世界中にあるんですけどね。とにかく、金が切れたときに悲劇がやってくる。

豊かさを求めて、日本に来たり、日本人と結婚したはずなのに、お金が切れると、悪魔になってしまう。豊かさを維持するために、人間をないがしろにしてしまうようなことをやってしまう。
それって、かつて、求めた豊かさは本当だったのでしょうか。そんな疑問を持ってしまう。


<新日系人>8歳、マニラで物ごい…母が暴力、路上生活
(毎日新聞 - 06月20日 02:41)


【マニラ矢野純一】日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれ、母とともにフィリピンで暮らしていた日本国籍を持つ男児(8)が母に物ごいを強いられたうえ、結核を患い、路上で泣いて立ちすくんでいるところを昨年6月、孤児院に保護された。「新日系人」は数万人ともいわれ、厳しい暮らしを強いられる例も多い。連絡を受け事情を知った北海道出身の父は、男児の治療が終わる今年8月、引き取りに来る。

 マニラ首都圏の孤児院を訪ねると、男児は「おとうさん」「おねえちゃん」と必死に日本語を思い出し、か細い声で応えた。

 男児は両親の離婚後、03年に母とフィリピンに来た。姉2人は日本に残り、家族は離れ離れになった。

 当初、母子は親類の家で暮らしていたが、日本でためた金が底をつくと友人の家を転々とし、最後はマニラ首都圏で路上生活をするようになった。

 保護された時の男児は、あばら骨が浮き出るほどやせ、結核にかかっていた。物ごいを拒む男児に母は暴力を振るったという。「ママはけったり、たたいたりした」。男児はこわばった表情で話す。

 孤児院を訪れた母親が、日本のパスポートのコピーを持参したことから、男児が日本国籍を持っていることが判明。施設の職員から知らせを受けたマニラの日本大使館が、外務省経由で父親の居所を探し出した。

 知らせを受けた父は今年3月、フィリピンに飛んできた。「この子は、これまで見たこともない輝くような笑顔を見せ、足にしがみついたまま離れなかった」と、孤児院職員のレルマさんは対面の様子を話した。

 今はもう、母の居所も分からなくなった。「この飛行機で早くパパに会いたい」。男児はメモ用紙に飛行機を描きながらポツリと話した。


被災地は民間ボランティアの活動が事実上、封じられている? [2008年06月19日(Thu)]
これは日本での話です。

岩手宮城内陸地震において、ネット上でボランティアセンターが設置されないため事実上ボランティア活動が封じられている事実が出回っています。
19日現在、栗原市において、行政(社会福祉課)(社会福祉協議会)ではボランティアセンターは設置しない方針ということで、ボランティアをしようとしている人が路頭に迷ったり、地域にある全国にネットワークのある組織がその力を地域に活かすことが出来なくて困っているという情報が出回っています。

全国にある自然学校は共に学びあいながらネットワーク化しているわけですが、その自然学校のネットワークを活かして一元的な情報センターを設置する働きかけを現在行っているとのことですが、地区の自治会、市の仕組みの壁が厚く、なかなか身動きが取れないとのことです。

その影響もあるのか、被災から4日目段階で、避難所では行政からの一方向の情報のみしか伝えられない状況で、避難所は焦燥と無力感とが支配し始めているとのことです。

先日のブログで報告したように、ミャンマーのサイクロン被災地のミャウンミャでは、海外からのボランティアは入れなかったようですが、地域の人のネットワークとその地方出身者のネットワークが機能して、支援活動が行われたのですが。
そういう体制なら、別に外部からボランティアが来なくても自分たちで問題解決が出来ることは出来るのですが、行政にたより、無力感が支配しているというこの避難所の状態は、憂慮すべき状態だと思います。さらに、この無力感によって、必要以上の心のケアを必要とする状態を創り出している「心の二次災害の」危険性を感じます。

今回被災した地域には、開拓地で、避難所には開拓世代のお年寄りが大多数を占めるそうです。自然学校側は、そんな避難所でニーズ調査を含んだ、話し相手ボランティア、被災状況の聞き書き記録ボランティアを募集しているのですが。形の上ではボランティアセンターが無いため、自然学校の仲間という形で支援に入ることになるとのこと。

阪神大震災で、民間ボランティアが注目されて以来、行政が民間ボランティアを受け入れるためにボランティアセンターを設置し対応して成果を上げているが。今回の岩手宮城内陸地震において何らかの事情で民間ボランティアの活動が事実上、封じられている?という状態となっており。そのことについて、はじめてだということで、関係者は戸惑いを見せているそうです。

しかも、マスコミの論調が急速に関心を失ってきているので、それに対しての焦りも感じているようです。
まあ、マスコミが好きというか、ネタを持続できる状態は、死者数が毎日増えていくという状況なのですが。
今回の岩手宮城内陸地震は、地震の規模や強さのわりに倒壊家屋が少ない事などもあり、マスコミははや、情報ソースが尽きてきて、紙面、ニュースとも急速に関心を失いつつあります。

そんなことで、民間ボランティアが「多くの人の関心を持続させていく方法を模索する」という新しいテーマのタスクをしなくてはならなくなっているとのことです。

このテーマは、私が津波の風評被害のドキュメンタリーを撮った理由ととても似ています。
被災地は、最初はお祭りのようですが、お祭りが終わった頃から、様々な問題が吹き出してくるというか顕在化してくるので。継続的にモニタリングしていく必要があります。

緊急の情報と共に、長期的に見守っていく必要があるのです。

幸いCanpanには「豊志のくりこま高原物語」があります。
是非こちらのブログをチェックして下さい。


それと、緊急支援のボランティアを希望の方は、情報をよく精査し、ボランティアの手配をして頂いている方が、どのようにすれば負担を増やさないかを考えて、その上で連絡をとってみてください。
また、あと数日でボランティアセンターが設置されるように調整をしているようなので、常に最新の情報を得るようにして下さい。
マヤコーヒー [2008年06月18日(Wed)]
最近、フェアトレードという言葉が知られるようになってきましたが、フェアトレードとは謳っていないけどフェアトレードの精神に基づいて取り組んでいるプロジェクトがたくさんあります。

特に食品分野では、生産者と消費者が共に付加価値を味わえるオーガニックのものがおおくあります。しかもオーガニックの多くは、環境問題を意識した農法になっている場合が多いそうです。
そのような流れの中で作られたコーヒーのことを、サスティナブルコーヒーと括ることができ。
そのサスティナブルコーヒーの一つが、北海道の岩見沢市に拠点のある「マヤコーヒー」です。



この「マヤコーヒー」は、グァテマラのキチェ県から直輸入しているのですが。生産者は山岳民族のマヤ系イシル族の方が標高1500メートルを超える高地で無農薬で作っています。
生産者は、コーヒーづくりだけでなく、地域づくりなどに携わっている方もいます。

ちなみに「マヤコーヒー」には、焙煎の違いによりレギュラー焙煎とヨーロピアンのフレンチロースト(深煎り)の二つがあるほか、生豆も売ってくれます。

ちなみに、写真のコーヒーは、中煎りです。
全日本警備サミット開催中 [2008年06月17日(Tue)]
今回、北海道に行ってとにかく目についたのが、G8洞爺湖サミットに関連してのテロ対策名目の検問や機動隊や巡回警備でした。
しかも、北海道警察だけではなく、全国から警察官が集まってきています。
その様子は、「全日本警備サミット」という感じです。



たとえば、円山公園の近くの環状道路に、警官がずらり並んで検問を行っていました。

近くに北海道神宮があるということなのでしょうか、伊勢神宮のある三重県の警察が来ていました。



車両も三重ナンバーです。



公園内も警官が警備をしています。

新千歳空港内には神奈川県警の方がいらっしやいました。

本当に任務ご苦労様です。


さて、警備の対象である「テロ」なのですが、その定義がちょっと微妙な気がするんですよね。
いまから6年前にFIFAワールドカップが日韓で開催されたわけですが、その時問題にななったのが「フーリガン」でした。試合を開催をする地域では「フーリガン対策」を行ったわけですが、当時は「外国から来るサポーター=フーリガン」という風潮がありました。
そして、今回の洞爺湖サミットでは、なんとなく「NGOや反グローバル主義者=テロリスト」ととらえる風潮が少なからずあるようです。
まあ、確かに、たくさんいる中で、そういう人もいるとは思いますが、そうでない多くの方に対して、そういう見方をするのは、ホストとして国内外から集まる方に失礼じゃないかという気がします。
6年前のワールドカップの時、イングラントVSアルゼンチンという一番フーリガンが出やすいという試合が札幌で行われたのですが。無事に終わったじゃないですか。
それは、ほとんどの人は、フーリガンではないからです。
とはいえ、一人でも問題を起こしてしまえば、それでダメという話もありますが。問題を起こす人という目で、お客さんを招くことはあまりにも失礼だと思うわけです。

そして、一方では、ホスト国として恥ずかしくないようにと、「テロ」とか「暴動」の定義について、歪曲して、そういう言葉を使わないようにしているという動きも感じます。
とても悲しい事件ですが、秋葉原での残酷な事件も「通り魔事件」という扱いで報じられていますが、テロ行為と捉えることもできますし。硫化水素自殺も、自らの置かれた状態を世間に知らしめるために行われ、メディアによって報じられたことで広がった焼身自殺や自爆テロと共通点が多い気がします。
さらに、大阪の西成区での「騒動」も、日頃からの鬱憤を晴らすことによって広がった「暴動」と捉える事ができます。

これらの国内の事件が、テロであり暴動だとすると、テロ対策としての現在の防止策だとか、警備体制というのは、洞爺湖サミットはつつがなく終わるとは思いますが、実質的なテロ防止としての機能を果たさない可能性が高いと思います。
根本的な部分で焦点がずれていたことによって、真面目に勤務していたのに、防止できなかったということになれば、真面目に働いている方たちが、どうして抑止できなかったのか悩んでしまうと思うんですよね。(真面目に働いている方は特に)

おそらく、サミットの警備は成果をあげ、つつがなく、サミットが開催されるでしょうが。
すぐにはできないにしろ、表面的でない部分での、テロの起こる環境を無くしていくような対策をしていく必要があるように思います。
マイネーム入りマイ箸 [2008年06月16日(Mon)]
雪国の大都市である札幌には、地下街が発達していて、街の中心地に「ポールタウン」「オーロラタウン」という二つの地下街が存在している。
地下鉄東西線の大通駅の上、テレビ塔の下あたりまでにある地下街が「オーロラタウン」、地下鉄南北線の大通駅からすすきの駅までの間にあるのが「ポールタウン」である。
そのポールタウンの中ほどに緑色が目印の「SAPPORO手づくりショップ ようこそ」がある。



この「SAPPORO手づくりショップ ようこそ」は、道内外の工芸作家の作品を販売するお店で。生活に潤いと楽しさを与える、手作りならではの質感を楽しめるものが集められている。

いま、この店の売りは、名入れをしたマイ箸です。
ここんところのエコブームで、割り箸を使わずにマイ箸を持ち歩くというのがはやっていますが、このお箸にさらに名前をいれることで、さらにマイネーム入りマイ箸にしてしまおうというわけです。



まず、名前を入れたいお箸を選びます。
塗り箸はダメなのですが、こちらの売り場にあるたくさんのお箸から気に入ったお箸を選びます。

そして、店員さんに、どのような名前を入れて欲しいかお願いします。

漢字はコンピュータによるレーザー彫刻になるので、数日間の預かりになるのですが、「ひらがな」と「英文大文字」は、お店の端にあるブースで、その場で彫ってくれます



この機械は、型をトレースすると、それを縮小してくれる機械で、切削道具を取り付けると、万力で固定されたお箸に正確に文字の彫刻がなされます。

ものの10分ほどで完成です。



彫刻された部分には塗料が塗られているので、彫刻した部分から水がしみ込んで腐食しないようになっています。

さて、マイネーム入りマイ箸ができたら、欲しくなるのがあります。

それは、箸袋です。

壁には、どこかで見た覚えのあるブランドの箸袋が・・・・



「RERA ART YUBARI」


そうです、夕張の仲間たちの作ったさをり織りの箸袋が販売されているんです。

北海道に来たけど、スケジュール的に、夕張にいけない、手織り工房レラに行けないから、レラの製品が買えないとあきらめていたという方、札幌のど真ん中なら、いけます、見れます、買えます。

夕張の仲間たちの作品を、マイ箸とともに持ち歩いてみてはいかがでしょうか。


「SAPPORO手づくりショップ ようこそ」
電話 011-231-3151 営業時間 10:00〜20:00


参考サイト さっぽろ地下街ホームページ http://www.sapporo-chikagai.gr.jp




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札幌のお祭り [2008年06月16日(Mon)]
北海道の夏はお祭りがたくさんなされるわけですが、6月15日は、北海道最大の神社「北海道神宮」の例祭「札幌まつり」が開かれていて、翌日の16日まで市内に山車が回っています。

この山車がいかにも、明治以降に開拓したことによってできた文化であると同時に、資源を求めて北海道に一番エネルギーに満ちた時代の風俗を残しています。



注目は山車を牽引している車両です。
キャタピラーがついています、このほかにはトラクターを流用したものなど、いかにも大規模農業で使われていそうなものが使用されています。

また、山車の風俗は明治、大正から昭和初期の雰囲気があります。
この日の丸がその感じを強調します。
おそらく、戦前に北海道が一番元気だった頃、最新のファッションで贅を尽くしてお祭りをした名残なのではないかと感じました。

風俗に関しては、写真を加工してセピア調にするとより雰囲気が出てきます。



こうすれば時代はいつか分からなくなります。

SEIBUのロゴが新しくポケットに手を突っ込んでいる歩行者がいるのでここ20年ぐらいのものだとはわかりますが、沿道に旗をもった人をたくさん並べれば戦前の写真だといったら信じる人もいるでしょう。



場所は変わって札幌市電の西4丁目駅付近。



北海道神宮に祀られている神様の4つの神輿が勢ぞろいしています。
道路は通行止めされ、近くには人力車がたくさん集まっています。

この神様が、いかにも明治以降に開拓地として開発されたという雰囲気が出ています。

その土地に神様がいるという発想から出来た開拓地でよく祀られる神様「大国魂神」。
大国主命の別名の大那牟遅神。
そして、大国主神と協力して国土の運営に当たったとされる少彦名神。
新しい大地を開拓して、国として治めようという意思が、これらの祭神に表れています。

そして、最後は、明治天皇で。明治天皇が祀られてから、今の北海道神宮の名前になったそうです。

個人的には、千葉県神社というものがないように、都道府県名がそのまま神社の名前になっているのも、ちょっと不思議な感じがするのですが。それも、開拓してできた土地の文化なのかという気がしました。

フェアトレードフェスタin札幌の写真 お店編 [2008年06月15日(Sun)]


フェアトレードフェスタは、大通りのテレビ塔のすぐ近くで開催されました。
花壇にはケシの花がいっぱい、そしてすぐ隣では、ヘンプの服やグッズもたくさん販売されていました。(黒)

このブースには、関西から、liaison、みみずく舎、アフリカフェ、AWEP、東京からはスローウォーターカフェなどが店員さんは北海道に来てなかったのですが展示販売をしてました。



私の大好きなパレスチナのビールも飲めました。
北海道のビールもうまいけど、パレスチナのタイべビールも最高です。



とにかく食べ物が充実。
北海道の地元の食材も売られています。
また、フェアトレードコーヒーや、マクロビオティックを意識した飲食店、天然酵母パンもいただけました。



食器はリユースです。
会場はマイ箸、マイカップ、マイバッグ大歓迎。



もちろん、札幌にたくさんあるフェアトレードショップもたくさん出店を出しています。
小樽から来た、ケナー売りは、延々と吹きまくっていました。

こちらは鳥笛で対抗。

このほか、アイヌアートプロジェクトの展示や、大学生の取り組みも発表されました。

お客さんは、北海道神宮のお祭りとバッティングしたため、去年より来場者が少なかったようですが、台湾など海外からの観光客もたくさん来てくれました。

二日目の朝に、FMノースウェーブの生放送で、タイのさをり織りが、フェアトレードフェスタで販売されているという情報が放送されました。
どれだけお客さんが来たのかな?
フェアトレードファッションショー [2008年06月15日(Sun)]
フェアトレードフェスタの見所の一つは、フェアトレードファッションショーです。

ピープルツリーさんからの提供の服が中心なのですが、なかには自前フェアトレードの服を持ち込んでモデルを務める方もいてびっくり。

手作りのファッションショーならではのモデルさんの素敵な笑顔が人々を和ませました。





音楽はアフリカの民族楽器を使った生演奏




ツナミクラフトのさをり織りのバックは小さな女の子のモデルが着用。
お客さんが多くて照れていました。
よくがんばったね。
フェアトレードフェスタin札幌 [2008年06月14日(Sat)]
いよいよフェアトレードフェスタです。
札幌はフェアトレードショップが15以上もあるというフェアトレードタウンで、大学でもフェアトレードのゼミがいくつかあります。
それらが一同に会するのがフェアトレードフェスタです。

緑の季節と言うことでピクニック気分です。



テレビ塔のすぐ下に、地球や人にやさしい飲食、物販、ワークショップなどのブースが立ち並びます。



ツナミクラフトも出店しております。
北海道内のお店の他、東京、神戸、大阪などの店や団体の出店もあり、普段北海道で入手困難なフェアトレード品も展示販売されました。




会場中央のステージでは、私も出演しちゃったトークショーの他、世界各国の歌や踊りが披露されました。
アイヌアートプロジェクトの演奏も盛り上がりました。近々開催される「少数民族サミット」のPRも行われました。

久々の夕張 [2008年06月13日(Fri)]
札幌で開かれるフェアトレードフェスタの前に夕張に立ち寄りました。
前回は雪で一面真っ白だったのですが、今度は緑でいっぱいです。



清水沢学園にも立ち寄りました。
レラは相変わらずハッピーな雰囲気で、新作もいろいろ出来ています。



月形での夜勤が開けて夕張に戻ってきた石田さんと合流して鹿鳴館へ。
鹿鳴館に入ると、懐かしいにおいがする。
震災で全壊となった祖父の家と同じにおいがする。
祖父の家は、大正時代に、阪神電鉄や大阪ガスや建設会社がリゾート地として甲子園を開発した時に作られ、和洋折衷で洋間があった。
鹿鳴館に入るとこの洋間のにおいがした。

造りとしては、繊細な装飾というより、素材を活かしたり、モダンな造りをしようという意図が感じられた。

鹿鳴館の近くの教会に行く。



アメリカの建築物もそうなんですが、開拓者の建物の特徴の一つは、木造建築です。
西洋建築は、石やレンガで作られることが多いのですが、開拓した土地は、早く都市機能をそろえる必要があるため、木造で本来石やレンガでつくる建物を、その様式にもとづいて造ってしまう。
この教会は、まさにそうみたいです。

開拓者たちが、この土地に、根ざそうと、都市の機能を整備しようと作った先人たちの思いが、木造の洋館に残っている。

人身売買対策院内緊急集会 [2008年06月12日(Thu)]
6月11日に衆議院で日本の人身売買対策を考える院内緊急集会に行ってきました。



ごらんのとおり、会場は多くの人が参加しています。
といっても、参加者の2/3は、関係省庁の方々で、国会議員は、小宮山洋子衆議院議員、大島九州男参議院議員だけというお寒い状況で、立法側の関心の低さを感じました。

内容はというと
・被害者の保護・支援
・被害者の認定
・防止
という点で話されたのですが。

すでに関係している法律があるわけですが、法律は作ったのはいいけど、実際は機能していないんじゃないかという疑念というのが大きくありました。

また、被害者のケアが十分でなく、保護した被害者に対し、母国語でのカウンセリングが受けられるようにしたり、単に国に返しただけではなく、再発防止の意味も含めて帰国後も含めた被害者のケアについて話されました。

さらに、今は、人身売買について、外国人の女性に対する性的搾取(特に外国で)という点が中心となっているのですが、実際には、研修生問題などの労働搾取、日本国内での日本人の人身売買、女性だけでなく男性の人身売買もあるわけで、そこを含めると、被害は何倍にも広がると予想され、この問題を、広く考えていく必要があると感じました。

今回の院内集会は、G8の洞爺湖サミットの寸前というタイミングで、日本は、残念ながら米国務省の2008年度人身売買報告書によると、人身売買対策が不十分な国としてTier2にランクという不名誉な評価がなされたということをきっかけに行われたわけですが。
いくつか気になったことがあります。

人権を国際的なものや自国内の政治的駆け引きに利用されているということです。
G8諸国の中で、日本とロシアだけがランクが低いのですが、もちろん取り組み方に問題があるのですが。そこに、人権的なことを改善させることで、女性候補がいなくなった選挙戦で、女性候補を取り込もうとしているようなんです。
ですので、しばらくは、日本に対しての風当たりが強いと思われます。

だからといって、それに屈してあせって中途半端な対策をするのではなく、外圧に屈するのではなく自分の国のこととしてきっちりとした対策を立ててほしいと感じました。

ネタはたくさんあるので、細かいことについては、少しずつブログで紹介してゆきます。
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