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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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検索単語ベスト10 2007年10-12月 [2007年12月31日(Mon)]
検索サイトで検索してこのブログにたどりついた単語のベスト10です。

1位 優越的地位の濫用 25
2位 やり逃げ 19
3位 伝説のスピーチ 17

4位 月のこまつり 13
4位 ミャンマーの結婚式 13
6位 のろぼっけ 12
7位 北炭夕張新炭鉱ガス突出事故 11
8位 野口昌剛 10
8位 津波 イラスト 10
8位 こぶ観音 10

どのような気持で検索して、見に来てくれたんでしょうね。
注目記事2007年10-12月 [2007年12月31日(Mon)]
年末ということで、今年の重大ニュースとかが発表されていますが。
私のブログでも集計してみました。
10月から12月までのアクセス数の多かった記事の順位をつけてみました。
あなたはどの記事に注目しましたか。
普段から読んでいただいている方と、検索して見に来てくださっている方との興味の違いがなんとなくわかります。

1位 惜しかった?ブログ大賞
2位 世界にたった一つの病
3位 炭住街に行く
4位 素敵なカフェが三軒茶屋に登場
5位 二つのリストバンド
6位 優越的地位の濫用
7位 延命治療に関しても同意が必要なんじゃないの?
8位 月のこまつり
9位 民法772条問題は奥深い
10位 夕張の仲間たちとやさしさパワーのリストバンド
    児童買春について話す場

ブログ大賞、夕張関係が強い中、医療関係、児童買春、「優越的地位の濫用」「民法772条」なとの法律用語での検索、おいしいカフェの情報などのアクセスが高い傾向があります。

10位以下もぜひご覧ください。
続きを読む...
手紙 [2007年12月28日(Fri)]
巷では仕事納めの日なのですが、朝からパナマへの送金のために銀行に、そのあと錦糸町の新しいタイ料理店に行ってヒアリングなどの仕事を終えて、戻ってきたら一通のエアメールが届いていました。
開けてみるとかわいらしい絵が入っていました。



これは、先日伺ったタイの津波孤児収容施設から送られてきたものでした。

このあたりの夕日はインド洋に沈みとても美しく。
とてもあの恐ろしい津波が襲ってきたところだとは思えません。


津波孤児収容施設とその子供たち

来年は、この施設で作られるバティックを日本にもう少しアピールしたいですね。
わたしたちなりの津波3周年 [2007年12月27日(Thu)]
三軒茶屋の"ohana"というカフェで、津波3周年イベントを行いました。

タイでは、プーケット日本人会の宮下さんたちが中心となって記念イベントを行ったりと、今日はいろんなところで式典が行われました。そんなことで、東京では、自分たちならではのやり方で、津波3周年のイベントを開催しました。

平和の話って、音楽と食事があって、初めて和やかにできると思っているので、カフェでライブつきでやることにしてます。そんなことで、まずは、あだっちとMAYURIさんのステージで幕開け。

最新のタイの津波被災地のスライドショーを流しながら、いろんな困難があっても、力づよく生きている方たちの姿や、フェアトレードの生産者の写真や映像を流しました。

今回は、踊りと歌とカリンバの演奏をしてくれたMAYURIさんは、昨年の5月にジョグジャカルタでジャワ島地震に被災したことをきっかけに、個人の手で災害復興のために尽力されたということもあり、ジャワ島地震のことも含めて災害についていろんなお話をしました。

今回話していて、改めて気がついたのですが、ジョグジャカルタと神戸の地震って、いろいろ共通点があるんですね。
・朝、5時代という早朝に地震が起きたこと。
・現地では地震なんか来ないと信じ切っていたということ。
・犠牲者の数が6000人
・古都。 まあ、神戸はごく短期間ですが。(平清盛が平安時代の末期に福原京という約半年だけの都だった。)
・雨の降らない時期だった。

ジャワ島の被災地にいると、どの国がどの企業がどの団体がたくさんお金を出したかを見せつけるような支援が目に付いたとのことです。
それが、個人で支援したいという気持ちを強くさせたのだそうです。
友人に呼びかけ日本でチャリティライブを行い、そこで集まったお金を、ジョグジャカルタに送金してもらい、いままで話もしたことのなかった、地元の町会長さんと掛け合い、住民に必要なものが何かを挙げてもらって、そこにお金を使ったそうです。
家を買う材料を中心に購入したのだそうですが、お店が負けてくれたり、屋根の瓦のようなもなど再利用できるものは再利用することでコストダウンし、家が3軒しか立たないはずのお金で、15軒の家を再建したのだそうです。

貴重なお話ありがとうございます。

さて、ラストスパートは、寿[kotobuki]です。


カフェの中を所せましと歌い踊るナビィ


最新のタイの海の写真をスクリーンに流しながらの沖縄音楽を聞くと、海によってつながっている感じがします。



ナーグ・ヨシミツさんが三線からギターに持ちかえて、以前ブログでも紹介した「前を向いて歩こう」やオリジナル曲を披露してもらいました。


「幸せは空の上にはないよ、幸せは胸の中に」


そして、お店のオーナーの計らいで、アンコールで、タイでも大流行し、多くのタイ人が歌える、喜納昌吉の「花」で締めました。

そんなことで、あっという間の2時間でした。

みなさん本当にありがとうございました。
12月26日は津波3周年イベント [2007年12月25日(Tue)]
12月26日
18時くらい イベントは19時ぐらいから。


12月26日はスマトラ大津波によりタイに津波がおそった日です
いろいろな想いこめて、この日にイベントをおこないます

主催 ふろむあーす&アイデアイースト(タイ津波被害者がつくったフェアトレードのグッズ販売やタイ津波被害後のドキュメンタリー制作などをしています)
http://ideaeast.jp/shop.html

場所
FROM EARTH CAFE “ohana
オーガニック料理めじろおし
http://www.from-earth.net/REALCAFE/realcafe.html

なげせん&タイのつなみクラフト購入ねがいます

ライブ

○寿kotobuki
http://www.kotobuki-nn.com/
ナビィ(Vo)ナーグシクヨシミツ(Gu&三線)の男女二人組。
琉球弧の島々で圧制を跳ね返し、歌い継がれる島唄とオリジナル・ソングを歌いライヴ活動にて国内、世界中を飛び回る

STILL ALIVE 寿関連記事 カバー曲ではありますが「前を向いて歩こう」が無茶苦茶いいです。


ライブ

○ディジュリドゥあだっち & パフォーマンス舞孔雀MAYURI
(スマトラの震災時に、ジャワに住んでいた舞孔雀MAYURIの呼びかけで,大森A’int Noにてチャリティーパーティーをした仲です、おかげさまでジャワに家を15件たてました)

舞孔雀・MAYURI
18歳の頃、旅にでる
NYに滞在しながらゴスペルを学ぶ。
ジャマイカ、タイ、インド、ネパール、ラオス、マレーシアなどを無銭旅行しながら、世界各国のミュージシャンとコラボレーションライブを行う 。
2004年、インドネシア・ジャワ島に渡り2年間滞在。
インドネシア国立芸術大学にて、民俗音楽、
ファインアート、ダンスを学ぶ。
現地では沖縄民謡を持ち込み、 地元の民族楽器などのコラボレーションライブ、絵画の展覧会等を行う。
2006年 帰国  多種多様な世界から持ち帰った学びを活かし、現在、壁画アート(横浜・桜木町)、コンテンポラリーダンス、
音楽など、その才能を様々な分野において展開している。


ディジュリドゥ奏者 あだっち
オーストラリアの管楽器ディジュリドゥーを即興演奏しております
ソロやバンドに他アーティストにも参加やコラボを展開中
2006年には60本ちかくの演奏をしております
すべてのためにたましいのぜんりょくでふきたいです
ふかし情報http://www.myspace.com/adachi2012


トーク
タイ津波被災地最新写真レポート フェアトレード 災害復興トーク
ナムケンの映像載せました [2007年12月24日(Mon)]
ナムケンの町とコーカオ島の写真をスライドショーにしたので載せました。

札幌の人のプライド? [2007年12月19日(Wed)]
夕張から札幌に出てきたら、同じ北海道といえども別世界だ。
この感覚って、タイのパンガー県からバンコクに出てきた時の感覚と似ている。
夕張では丁度良かった、ビーネイチャースクールの新年会のクイズ大会で当てたコロンビアのトレッキングシューズが、札幌の町では浮いていた。
そうなんです、札幌の人は、道路が凍結しても普通の靴を履いているのです。



札幌の人は、子どもの頃から、普通の靴を履いて、氷の上を歩いているから。
下手に慣れていない雪用の靴を履いて氷の上を歩く方が危険で、慣れている靴を履くからだという。

ある人は、凍っている道を普通の靴で歩くのが、北の都に住む人のプライドという面もあると言ってました。





靴ならまだしも・・・
自転車もけっこう走っています。
しかも狭い歩道の上を走っています。



よい子はマネをしないように。
夕張の写真 [2007年12月18日(Tue)]
一部の方に私の写真が好評なので。
夕張で撮影した写真をスライドショーにしてみました。

すべての人々に関わるもの [2007年12月18日(Tue)]
夕張に滞在する時間もあとわずかになった。
最後に、月形での夜勤を終え夕張に帰ってきた石田さんと会った。
清水沢の駅前のひなびたラーメン屋で私たちの昼食が終わる頃に石田さんがやってきた。
その足で「きのこの森」の予定地を案内してもらった。

6月に訪れた時は、一面は緑に覆われ。ルビナスがうす紫色の花を咲かせていた。
それから半年たち、今度は真っ白な世界になっていた。



そこで、今行おうとしていることについて聞いた。



夢の実現の方法はいくらでもある。
しかし、ただ一つ言えることは、アクションに移さないとまず夢は実現しない。



今回も短い時間だったが、夕張を巡ってみて気がついたことは。
ありきたりな結論だが。
夕張の問題は、日本全体が持っている問題と根本の部分はあまり変わらないということ。

それと、取材の途中に聞いた「福祉はすべての人々に関わるもの」ということは、私だけでなく福祉関係者でさえも含めて、多くの人が気が付いていないということ。
高齢者が増えれば高齢者の問題。貧困層が増えれば貧困の問題。という感じで、個別に考えがちだけど。
死ぬまで経験しないかもわからないけど、年月がたてば高齢者になるし、何かのきっかけで貧困にも障害者にもなる。
それなのに、自分はそうである、そうでないなどと、分けて考えるから、話がややこしくなってしまっている面があるのではないかという気がします。
これは、福祉を担当する仕事をしている人でさえ、無意識に差別化していることがあるから根が深い。

あと一つは。
人として生きる力の伝承のシステムを作る必要性がある。
いままで、良かれとして行っていたことが、実は人として生きていく力を損なうことがけっこうたくさんある。
だからこそ、人として生きる力の創造と伝承の必要性とを感じました。


冬の炭住街を訪ねる [2007年12月18日(Tue)]
高齢化率が特に高いといわれる炭住街を訪ねた。
この街は、炭坑を中心に出来上がった住宅地で。炭坑の入口の近くに公共施設が集中している。


炭坑の跡


参考 六月の同じ場所の様子はこちら

ここに立ち並ぶ住宅にはお風呂が設置されてなく。住民は集会所に隣接する公共浴場を利用している。


入浴施設


今回、来てみて気がついたのは、想像していたより人通りが多い。
天気が良かったということもあるのだが、夕張の他の地域より人通りが多いんです。



確かに高齢化率も著しいし、朝から酒をあおっていると思われる人もいます。
ベニヤ板で窓が閉められた住宅が多い。でもその割に人通りがあるんです。

しばらくは謎でした。

ですが、ヒントはバス停にありました。



たまたま、バスが来たので、シャッターチャンスと思って撮影したのですが。
バスの時刻表を見て、同行したライターの米田さんが「(千歳市の)実家よりバスの本数が多い。しかも札幌まで直通便も一日何本も走っている」と言ったのです。



高齢化、人口減少が進んでいるとはいえ、ここの住民は、公共の施設やインフラを利用しているから、出歩いている人が多いのです。
バスが比較的便利なので、自家用車を使わなくても生活ができ。バス停に行くために町を歩く。
お風呂が家にないから、入浴施設に行く。
そうすることで、街に人通りが発生するわけです。

別の言い方をすれば、炭住街ってのは、効率よく、コミュニティも考慮された住宅街として、作られていて、それが今も少なからず機能しているということなのかもしれません。

世の中便利になり。
交通手段やお風呂を個人で所有できるようになりました。
そのため、地方の公共交通機関が削減され、ごく普通の公共浴場がなくなった。
全国的に、この炭住街より不便なところは当たり前のようにある。
その結果どうなったのかというと、街や村に人が出歩かなくなり。街の活気を奪っていったのだ。
もしかすると、それが地域のパワーを奪い、地域の活性化のマイナス要因になっている可能性がある。

この街も、これからこのまま人口が減少していくと、バスや浴場の維持が難しくなり。いまの状況が保てなくなることが容易に予想できる。
しかし、この街を観察すると、公共サービスが街の活気を演出する機能を持っていることを再認識できたのが興味深かった。
夕張の老人福祉会館のその後 [2007年12月17日(Mon)]
以前、10月29日の石田さんのブログに北海道新聞の記事から引用の形で、夕張の老人福祉会館が廃止の危機に瀕しているということ知ったのだが。そのことがどうも気になって、老人福祉会館を訪ねた。

新聞の記事では、9月に昨年比、54パーセント減、つまり利用者が半減以下となったと書かれていたので、現状が知りたくて訪ねたのだ。



結論からいいます。
どうにか、V字回復をしています。
つまり、存続できる可能性が出てきたのです。平たく言うと、お年寄りの憩いの場が守られつつあるのです。

要因はいくつもあるのですが。

まず、危機感を持ってアクションをしたということがあります。
「運営する市社会福祉協議会は「このままでは年明けにも廃止論議を始めることになる」と、近く市内全戸にチラシを配布、利用を呼び掛ける。 」という記事に書かれておりましたが。このチラシ配布というアクションのおかげで、利用者の減少に歯止めがかかりました。

次に、燃料代の高騰があります。
札幌市内で、一リットル当たりの灯油が、昨年の約60円から約100円にという感じで、急激な燃料代の高騰があり。家にお風呂がある方が、お風呂を沸かすより安いという理由で、利用を始めたのです。
利用料は一回300円ですが、回数券を買うと、10回分の料金で12回利用でき、一回が250円となるため。水道代、燃料代を考えるとお風呂を焚くより安いということになります。
確かに、燃料代の高騰は利用者増加の追い風となったわけですが。
結局は経費の増加でもあるので、安心とは言えない。
夏場はお風呂のありがたさが少ないので、また来年の夏も利用者減に悩まされる可能性がある。
だから、これからが正念場と言える。

そして、職員の努力。
先ほど、アクションに移したということを書きましたが。それ以外にも努力をしています。
他の自治体の施設などの運営を参考にしたり、似たような状態の町の社会福祉協議会と連絡をとったり。利用者のニーズに耳を傾け、自分たちでできることで新しいサービスを始めたりしている。
特に印象的だったのが、人工透析利用者の搬送サービス事業で、利用者のニーズがふとしたことで聞こえたことから、これならできるということでスタートしている。
私のカンでは、この成功事例があってこそ、結果を出していく面白さを感じだしたのではないかとという気がしています。
ただし、残念ながら、職員の努力は、職員に負担を強いている部分が多く。健康を害する職員が出てしまった。

この他に問題点は、当初想定していた昨年比70パーセントですが。現在惜しいところまで来ているのですが、まだ達成できていない。
しかも、当初の予定でも年間200万の赤字が出るということだったので。
多くの方からのご寄附などがあったのですが、いままでの財産を切り崩していかざるを得ないのが現状のようです。
このまま切り崩していくわけにはいきません。ですので、今後、財源をどのように確保し、支出を見直し、経営を立て直すかという状況は変わっていません。
財源確保もなかなか大変で、いかに効果的にトラブルのない方法で集めるかに知恵を絞り続けなければならない。

そんなことで、財政破綻でサービスが次々と打ち切られていく中で、自分たちで見聞きし、自分たちで考え、自分たちで行動をして、結果を出しつつある姿が印象的でした。


一方で・・・・



こちら、銀行ではありません。某役場ですが。

対照的な姿がありました。

人員が減り、仕事が増えたことはわかります。
配置転換で、慣れない部署に移ったこともわかります。
法律に従った仕事さえしておけば問題ないのもわかります。
しかし、法律では、法律の目的を達成するために、日本全国均等に対応できるものと、地域の特性などの要因で、法律に書かれたままでは目的を達成できないものがあり。それを条例などでフォローしていくというのが、地方自治体の姿だと思うのですが。
財政再建団体という形となり、自治体の自治の権限を制限されているとはいえ、権限の制限を拡大解釈しすぎなのではないかと思えてなりません。

しかも、部署をまとめる役職のついている人が、担当になって、まだ半年なので、この内容について素人ですって、抜けぬけと言っちゃっていました。
その人の個性なのかもしれませんが、そんな言い訳が通用する環境があるからこそ、言えてしまう面も大きいと思います。

また、お金が勝手に使えないから、人的なものなどで対処したいと言うのはいいですが。
残念ながら、市民の声を聞こうという姿勢が感じられませんでした。

あるサービスを打ち切ったことに対し、最初はメディアにとりあげられたが、住民からサービスが無くなったから困ったので、こうしてほしいというニーズが上がってこないと言ってました。

だって、お金がないので市民の窓口になる出張施設を無くしたのはいいが、それをフォローする仕組みは作っていないし。もとから聞こうとしていないから、ニーズが聞こえてこないんですよね。

住民に近づきニーズを聞きだす役目がなく、単に窓口だけなのでしたら、統合しちゃった方が効率的です。それだったら、統合するというのは間違った判断ではなかったと思います。
ただ、それが地方自治体としての役割として正しいのかというと、それは疑問です。

こんな状態を見ちゃうと。



この張り紙がむなしくなる。
住民のニーズを聞いてくれる体制になるまで、夕張市外でたばこを買った方がいいんじゃないのって思っちゃう。



もう少し、再生の階段を降りて行って。市民の声を聞ける体制を作ってから。再生の階段を上ってほしいですね。

つーか、このままでは、市は18年たっても借金を返しても人として生き生きと生きていける町として再生しないんじゃないでしょうか。

さらに言うと、いち早く、財政破綻したことで得たノウハウで、多くの財政が厳しい街を再生することができる芽を摘んでしまうことになる。最終的に、日本全国の多くの人を困らせることになるんですよね。

そんなこと、一地方公務員には関係ないのかもしれませんね。
でも、日本が悪くなって困るのは、あなたです。


私が夕張に期待したいのは、人として生き生きと生きていける普通の町に再生していくことです。

夕張という地名って、妙に人の心に引っかかる地名だと思うんですよね。だから、財政破綻したと話題になったとはいえ、多くの人が動いたのです。おかげで、ここしばらく、一種のお祭り騒ぎにもなりました。
そういう、素晴らしい地名を持っているのだからこそ、ちゃんと、結果を出してもらいたいんです。形として表わしてほしいんです。
メディアの世界では夕張の財政破綻ネタも賞味期限切れとなってきています。だからこそ、一時的な成果ではなく、継続的なものになる結果が必要なんです。

今日は、一部で、そういう再生の芽を見つけたのはいいのですが。
片一方で、何も問題を解決しようとしない姿を見てしまい。そのギャップを感じてしまいました。
常秋の国 [2007年12月17日(Mon)]
手織り工房レラに行ったあとに、きのこを栽培するビニールハウスに行く。



二重にされたビニールハウスの中に入ると、とても温かい。そして適度に湿度がある。
これは、シイタケに適している、秋の気候を再現しているからである。



外は氷点下なのに、秋の温度を維持するためには、強力な熱源が必要となる。そのため、大きなボイラーが設置され。ビニールハウス内には長くて太いパイプが張り巡らされ、ビニールハウス内が均等に温まるように工夫されている。
だが、なかなかベストなパイプの位置が定まらないようで。パイプの口の近くのシイタケは乾燥しやすくカサにひび割れができたりする。試行錯誤の連続だそうだ。



さて、ボイラーの燃料だが、薪が使われている。
この薪の量が尋常じゃなくて。幅7、8メートル、長さ30メートルはあるかと思われるビニールハウスを丸々倉庫に使っているぐらいだ。
中には薪がうず高く所狭しと積み上げられていた。

このほかに、ほだ木を休ませているビニールハウスがある。
木を休ませることで、品質のいいシイタケを作ることができるのだそうだ。

とにかくシイタケの栽培にはかなりの場所が必要で、清水沢学園の敷地内によく納まっているなあという印象だった。



それと、忘れてはいけないのが。こちらでは原木栽培がなされているということだ。
手間はかかるけど、おいしく、自然やからだにやさしいシイタケが作られているのだ。
よくスーパーで売られているシイタケの多くは、菌床栽培などで作られているとのことだ。
このビニールハウスもそうだが、シイタケが成長しやすい環境、病気になりにくい環境を作ることで、年中シイタケが食べられるわけだが。その環境づくりの一つの方向として、おがくずを固めたものにシイタケの菌を植える菌床栽培がある。
菌床栽培は、おがくずを固める段階で殺菌の工程があり、しかも農薬や化学肥料を与えやすく病気になりにくいこと、シイタケの生える「ほだ木」に比べ、力仕事が少ないことなどのメリットがあり普及したそうだ。
しかし、原木を使い、農薬・化学肥料を使う原木栽培の方が自然に近くシイタケ本来の風味が出るのだそうです。



最後は、パック詰めされ販売されます。
肉厚のおいしいシイタケです。

これから、きのこの森を実現するためには、運営していけるだけの経営基盤が必要で、そのためには流通対策が必要なのかなと思います。
そして、いまは丁寧に作っていくという方法がなされていますが、経営的に成り立つだけの生産量のことを考えると、まだまだ小規模なので。どのようにして、必要十分な規模まで、規模を拡大していくか。資材の確保をどうするのか。そのためにはどのようにしていくかなど、いろいろな課題があるように思えた。

一つ一つの課題を解決してぜひ実現してほしいと思いました。
対抗心むき出し [2007年12月17日(Mon)]
タイのさをり織りを持って、半年ぶりに「手織り工房レラ」を訪ねた。
ちょうど訪ねた時が午前の休憩でくつろいでいたところ、新作のタイのさをり織りを見て、すごい勢いで仲間たちが集まってきた。
自ら手にして、作品をチェックする。


この状態を別の角度から見ると・・・→写真

そこには、「自分たちは、もっといいものを作るんだ」というエネルギーと自信を感じた。
半年前に訪れた時は、織り機を動かすたびに「これでいいの、これでいいの」って聞いてきたことが信じられない。
今は、明らかにアーティストの目になっていた。


夕張の朝 [2007年12月17日(Mon)]
歓迎会の翌日の朝の様子









ここは、夏場は夕張メロンの栽培をおこなうが。冬場は一面の銀世界。

この農家は、夕張だけでなく全国的に珍しい、農業法人という経営形態をとるなど、個性的な経営を行っている。

ご主人の森元さんは、樺太生まれで、7歳の時に夕張に移り住み。それ以来住んでいるとのこと。さまざまな苦労をしてこの地で生き続け、さまざまなアイデアを形にして、生きてきただけに、言葉に重みがある。
法人にしたことで、後の世代に継いでいく仕組みにしたのも、そのアイデアの一環のようだ。
そして、ここに3家族が暮らしていける構造が出来上がっていた。
冬の夕張に到着 [2007年12月16日(Sun)]
千歳空港からレンタカーで約一時間走ると夕張市内に入り、夕張メロンドームの角を曲がり。カーナビに従い、まっ白い道を走ると、一面の雪の中にあるロッジという感じの夕張フォレストユースホステルに着いた。



まだチェックイン時刻ではなかったのだが、部屋に通してもらったが。
心地用音楽に惹かれて、ついついダイニングに足が向かった。

ダイニングには真空管アンプと、凝った作りのスピーカーが置いてある。
雪は音を吸い込むのと、木が自然な響きを作ることもあり、温かい音色がする。
薪ストーブで暖をとりながら、これだけ素敵な音楽を楽しめるというのはとても贅沢だ。

どうも、ここで音楽を聴くのを楽しみにしている常連客もいるようだ。


窓の外の氷柱

しばらくすると、離れで、歓迎会を開いてくれるということで、雪原の中の小さなコテージに移動。



コテージの中での様子は こちら

木材も地産地消 [2007年12月13日(Thu)]
東京ビッグサイトで行われているエコプロに行ってきました。
まあ、何回も来ると特に目新しいものが少ないのですが・・・

NPO国産材のブースでのこの展示には驚きました。



だんだん朽ちて行っている木材は、経年変化を表しているわけではなくて。
産地の違う木材を用意し、同じ時間だけ放置して、どのようになるかを比較したものです。
そうすると、遠い外国でとれた木材は、粉々になり、日本国内でも、実験した地点に一番近い木材がほぼ腐らずに残ったのだ。

なぜ、そうなるかというと。木は、そこに住んでいる細菌に対して、抵抗力を持つことで、自らが腐らないようにしているわけです。
しかし、外国など遠隔地の木は、育った環境との違いが大きく、離れた土地にいる細菌に対しての抵抗力がないため、腐ってしまうのだそうです。
だから、輸入材や遠くの山地の材木を家に使うと、早く家が傷んでしまうのだそうです。

実は、東京の四谷って新宿区内という都心にありますが、江戸時代は「四谷杉」と言われる杉の産地だったんです。
つまり、江戸時代は、江戸でさえ地元で取れた丈夫な木を使って建物を建てていたのです。

そう考えると、遠くから木を運んでくるというのが、本当に無駄な気がします。


さてさて、歩き疲れたので休憩ということで、中華料理屋にはいると、下に駐車場が見えました。



たくさんのパスが並んでいます。

これを見ていると、エコロジーじゃないような気がします。

来年は、ハイブリッドバスとか、燃料電池、CNG、天ぷら油で走るなどのエコカーのバスでないと、駐車料金を3倍にするとかにしてもいいんじゃないでしょうか。
大阪で津波3周年イベント [2007年12月09日(Sun)]
大阪のアバロンスパイラルで、津波3周年イベントを実施しました。
上映やトークショーのほか、SEIYAさんによるアコースティックライブも開かれました。
今回は、近くに住む小さな観客がいっぱい来てくれました。



SEIYAさんのギターに合わせて、踊りだす子供も。



会場は大興奮。

民族楽器店ということで、お店のオーナーが、子供でも鳴らせる民族楽器を提供。みんなで楽しめました。



ギターから、石笛(いわぶえ)に持ちかえ、音を出すと。
子どもたちは、すごく集中して聞いています。

石笛(いわぶえ)というのは、貝が石を溶かして穴をあけたりと、自然に穴の空いた石を笛にするというものです。
独特の素朴な音が出ます。



アボリジニの楽器ディジュリドゥもそうだけど、子供って、遠い昔からある楽器の音に共感しやすいんですよね。


そうそうSEIYAさんは、最近CDを出しました。

 トキメキの世界へ/SEIYA

SEIYAさんは、もともと音楽活動はしていたのですが。子供が幼稚園に通いだした頃、親たちでバンドを結成したことが現在の活動の原点となっているそうです。だから、子供たちに対する歌が多いんですよね。
また、絵本を読みながらライブをする「やのん絵本ライブ」というユニットもあります。

SEIYAさんの活動に注目ですぞ。

アボリジニアートとさをり織り [2007年12月08日(Sat)]
大阪・大正のディジュリドゥ専門店「アバロンスパイラル」でツナミクラフトの販売をしているわけですが。ここで、大きな発見がありました。



この二つ



そして、この二つを見て気がつきませんか。

色遣いといい、雰囲気と言い、無茶苦茶似ているんですよ。



これらの絵は、オーストラリアの先住民族であるアボリジニの描く絵なのです。

何千年という歴史を持つ文化を持っており、日本でいう、縄文時代のような文化を今も伝えている。
そんな彼らのアートが、タイで作られたさをり織りと、とても似ているのにとても驚いた。

さをれ織がつくられるタイのパンガー県の町は、100年前まであまり人が住んでいなくて。鉱山が発見されたため、人が集まるようになり。鉱山が閉鎖された後も、漁業で食っていた。
そんな場所に、いまから3年前に、大きな津波が襲い。1000人以上の命を奪った。
そこで、心のケアを目的に、さをり織りが導入された。
もともと、移民の町だったため、伝統文化がなかったのですが。さをり織りで表現していくうちに。何かが芽生え、不思議と、縄文時代から続く伝統的なアートに近い感覚が表れてきたのかもしれません。

それか、人が持つ、普遍的な美意識というものがあって、そこから、ともに生まれてきているのかもしれません。

原因はわかりませんが、何かつながっているような気がしてなりません。
海があれば [2007年12月08日(Sat)]
海があれば・・・

津波が来るというわけで。

瀬戸内海というか大阪湾にある神戸の海岸沿いにも、津波の看板がついていました。

以前はなかったんだけどなあ。



阪神電鉄って、江戸時代から明治時代の海岸線に作られたという経緯があるため、電車がかつての堤防の盛り土を利用して走っていたようです。
それが、津波のとき防波堤の役目となるようです。
町の発明家 [2007年12月08日(Sat)]
さて、先ほどの酒屋では、酒に対する愛情表現なのだろうか、酒にまつわる、いろんなアイデア商品が売られている。

いくつかを紹介しよう。

垂れま栓




名前の通り、かなり、おやじギャグなネーミング。
というか、お酒が垂れてもったいないということから開発されたのだそうです。
1個100円で売られていますが。金型を作って量産しているわけではなく、既存の製品を改造して作ったので、100円ではとうてい元が取れない。

ひな徳利



内側の徳利にお酒を入れ。周りにお湯を入れてお燗を作ることができる。
お湯を入れて適度に温まると、お湯を捨て。お燗をお猪口に入れるという具合なのだそうです。

香り杯



日本酒の香りを楽しむために作られた。
お酒を入れてぐるぐる回すと、香りが引き立つ。




こちらは、おちょこが中空になっているので、体温でお酒の温度が影響されないというもの。


興味のある方は「濱田屋」まで。
http://jizakeya.co.jp/
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ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」