ニューヨーク在住のカメラマン&ライターの友人が帰国し我が家に荷物を置きに来た。
そのついでに、いろいろと世間話をしていたのですが。
彼が、リストバンドをみつけたのと、昨年12月に夕張に取材に行ったとのことで、夕張市の話になった。
彼は、もともとミュージシャンで、音楽をするために北海道から東京に出てきたのだけど、いつしかライターになりカメラマンになった。
彼が子どもの頃の北海道に比べると、今の北海道のほとんどの町は元気がなく。北海道の中で一番元気というか、他に影響されずにマイペースでいられた町が「函館」だと言っていた。(この元気さがアーティストを生み出しているとも・・・。)
そんな彼が、夕張に行って感じたことは、とにかく寂れていくばかりで希望のない夕張の姿だった。
雪の降り出す寸前の季節と、雪が解ける季節に、大量に転出者が出るのじゃないかとか、そういう話ばかり聞かされたのだそうです。(たしかに、そうなんだろうけど)
そして、いろいろ回って、元気というか、普通なのは、南部の新夕張駅とかに近い地域だと感じていたようなんです。
私は、たまたま、このブログでの出会いがあって、現状に向かい合いつつも前向きになっている方に会うために、夕張に行ったので。彼と私は同じ町でも違った印象を受けていたのに気がついた。
よくよく聞くと、彼は市役所から順番に取材したようなのです。
これは、正攻法で、正しい取材の仕方です。
しかし、役所によるバイアスが掛かりやすい取材方法でもあるんです。そこで、違いが出てきたのではないかと思ったのです。
役所の人からしてみれば、いろんな予算や自分の給料が減らされるわけです。これは、ネガティブになります。ですが、「夕張問題」という本に書かれていた論調で言うと。いままでが潤沢なだけであって、同じ人口規模の北海道の他の地方自治体と同じレベルになると考えると。ネガティブに考える必要が減ってしまうんです。(ただ、北海道全体の経済が冷え込んでいるだけに、同じレベルになったからといって必ずしもいいわけではない)
このあたりに、町の印象の違いが生まれたのではないかと感じたんです。
また、役場の近くは、かつての華やかさから一転して、華やかさを失って、抜け殻のようになりつつあるのですが。そこから取材するから、落ちぶれた町という印象が、無意識についてしまっているのではないかと感じました。
彼も、夕張市の南部の新夕張駅とかに近い地域にも取材に行っているのですが。そこでは、普通の北海道の町の姿を見ているようでした。(あそこは「夕張メロンは採れる地域だけど、夕張とは違う」とも言ってました)
また、予算を獲得する広報戦略として、「あまりにも可哀想だと思わせている」可能性がある。家無き子の「同情するなら金払え」ではないですが、世論として可哀想だと思われると、いいかげんな審議であっても議決がとおりやすいんだそうです。(某国会議員が言ってました。)だから、可哀想だと思われるようにと、数字の見せ方を工夫したり、取材先を紹介したりしているのではないかという、疑いを持っています。まあ、予算を獲得するというのが、役人の大きな仕事の一つですから。国とかから予算を引き出してくるためにも可哀想に見せるということは、考えていると思われますし、身についている可能性もあります。(炭鉱を閉鎖するので失業者が出て可哀想だから金をくれなど・・・)
そんなことで、正攻法に取材をして、最初に役場を訪ねると、可哀想に、可哀想に誘導されていくという、バイアスの掛かる危険性がある。
正攻法に取材をしているにもかかわらず、無意識に、そのバイアスに流されてしまうからやっかいだ。メディアの人は、そこを感じ取って、流されないようにするのも商売なのですが。
無意識に流されたものは、意識をして流されないようにするのは困難だ。
そういう状態で、多くの人に影響を与えるポジションにいる、メディアの人がバイアスに流されたら。集団心理も働いて、多くの人が、夕張の人たちに対して可哀想と思う目で、見てしまいかねない状態になってしまう。
確かに前向きな出来事もいろいろと報道されていますが。残念ながら、多くの報道は、何が何%減らされただとか。何人辞めただとか。財政再建団体なのに、2億円もらおうとしていて、けしからんとは言ってはいないが、けしからんことだと言いたげな書き方をしている。ネガティブなオーラを持った記事が多い。
そして、それを読者も望んでいたりする。読者からすると、可哀想で、役所はけしからん存在でなくてはいけないんです。だから、それに合わせた内容にすることで、売上や視聴率を稼ぐことが出来る。
これが、続くと、下手すると、夕張の町は可哀想でなければならない状況が生まれるだけでなく。抜け出せなくなるのではないかという気がしてならない。
こんな状態では、自尊心が育ちにくいし、若者も出て行ってしまいます。
私はこれを、一番恐れて居るんです。
予算をとってきても、募金があつまっても、可哀想だと言われ続けていては、住民は生きるのに息苦しくなってくるんです。
住人のプライド(自尊心)を大切にするならば、小手先かも知れないけど、取材窓口とか、視察の窓口を、急激に寂れた地域の役場ではなく、普通に暮らしている地域や、前向きに取り組んでいる様子がすぐに取材出来る場所に設置してしまって。日々の営みが行われているとか、再建していく町という印象づけができるような情報戦略が必要ではないかという気がしました。
どこから入るかで印象が違ってくるのです。
そして、役場は、可哀想と思われない方法で、予算が拡大出来る方法を、体得する必要があると思います。
そうすることで、ネガティブイメージによる、人口流出も減ると思う。
そして、住民は、他人が創り出す可哀想に利用されないようにする必要があると思う。
可哀想に利用されない生き方って、それなりに辛いこともあると思いますが。自尊心を持てないための苦痛よりいいと思います。
(当事者じゃないのに、生意気言ってすいません。)