虫の声が聞こえますか
[2007年07月31日(Tue)]
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優秀なキャディのいないプロゴルファー
参議院にキャディの国会議員が誕生した。
いわゆるさくらパパです。 そして、いわゆるさくらパパのいる政党も大躍進しました。 そこで、心配になってきたのは、人材不足です。 国会議員は、いろんなスタッフがいて、資料を集めたり、質問の内容が問題がないか、どのようなプロセスで話を進めていけばいいのかとか会計を手伝っている。それにはかなりの優秀なスタッフが必要である。 だか、急激に躍進した政党に、それだけのフォローをするスタッフを揃えることが出来るのかが問題である。 以前、ある国会議員が初当選した後、困ったことが起きたという。それは、当選したら、政党がフォローしてくれなくなったというんです。新人議員は、いきなり放り出されたという感じで混乱してしまうことがあるそうな。 その一方で、○○という法案は、○○ということで・・・なんて言ってくるらしい。(つまり、単なる多数決対策要員としてしか考えられていない) また、実施するかしないかは別にして、怪しい情報も廻ってくるそうな。(あやしい利益誘導の誘惑がある) そして慣れてくると、またもや放置されるのだそうな。 だからこそ、ちゃんとした支援体制が必要なんですよね。 ゴルフで言う、優秀なキャディのようなものです。 さくらパパなど、一年生議員に優秀なキャディのようなスタッフをつけてこそ、1人1人の議員が機能していく。しかし、現実は違うようだ。 昨今、安倍内閣でお痛がばれてしまうケースが多いが、もしかすると、小泉さん以降、自分の意見に従わない人を切りすぎたため、優秀なキャディのような人も切ってしまったからかもしれません。 もちろん、当人の問題もあるかと思いますが。その当人を支える人がしっかりしていないから、誘惑に駆られ悪に手を染めたりするんじゃないかという気がします。 そんなことで、民主党、自民党、その他の政党とも、とにかく人材不足なんでしょうね。 民主党は急成長した企業が人材が居なくて困る状況。自民党はリストラによって人材不足になった会社のように、構造改革ということでリストラしすぎて人材が居なくなった。その他の政党は規模が小さくて人を雇えない人材不足が深刻な中小企業のようである。 私はゴルフをやるわけではないが、良いキャディのいないプロゴルファーが集まった大会は、レベルが低くて見てられなくなる可能性がある。国会がそのようにならないようにしてほしい。
痛みの分かる人が国政に参画する意味
7月29日午後9時30分頃、薬害によりHIVとなった参議院議員候補の川田龍平氏に当選確実の報道がなされた。
四谷にある川田龍平事務所の前には、報道関係の車が並んでいたが、同じ通り沿いにある、大河原候補の方が圧倒的に並んでいる台数が多く、こんなに早く当選確実が出るとは思えなかった。 事務所の中は、ボランティアの支援者がいっぱいで、テロップで当選確実と流れた瞬間どよめきが、そして、順位表が出たときは割れんばかりの歓声が起きた。 ![]() 当確の画面が出た瞬間 この後、プレス用の部屋から、支援者の待機室に、川田龍平氏が降りてきたら、マスコミもいっぱい降りてきて大変なことに・・・・ ![]() マスコミ、マスコミ、マスコミ 川田龍平氏の演説は、絶叫するのではなく、静かに語りかけるタイプということもあり。 川田龍平氏の支援者への感謝の言葉をマイク無しで話す。 それを、支援者は静かに聞く。 おかげで、当選後にテレビ番組に何本か出ても、声が全く潰れていません。 ![]() 薬害エイズという、国の行った事による被害者が、国政に参画する切符を手にしようとしている瞬間です。 残念ながら、多くの悲しい出来事が、さらに悲しい出来事になっていく事が多い。 それは、相手の立場になって対応していないからです。 それだったら、相手の立場の解る人が参画して、悲しいことが繰り返さないように変えて行けばいい。相手の立場はこうなんだという事を、わかってもらえる立場の人になればいい。 被害者とは、殆どの場合、いつ、どこで、どのような形でなるかわからないものです。 そして、被害者は、マイノリティでもあり、その発する言葉の意味を理解してもらえる人が少ない場合が多い。 だからこそ、被害者など痛みの分かる人が国政に参画するのは大変意味が大きいと思う。
ちょっとイタズラしてみました
参議院選挙も、投票日前日ということで、渋谷の宮益坂口で、とある候補者の街頭演説の音響の仕事をしていたんですが。午後8時の終了直前の候補者の最後の演説の時に、ちょっとしたイタズラをしてみました。
どんなイタズラかというと、演説の流れるスピーカーに「虫の声」をこっそり入れてみたのです。 虫とは、人に簡単に潰されてしまうような、儚いものであったり、弱い立場の象徴として「ワビ」の世界で使われる。 だから、こっそり入れてみました。 人間は、聞きたい音を自動的に選ぶ機能があって、多くの雑音の中から必要な音を選んで聞いている。だから、多くの人は、演説の方を集中して聞いていたり。物理的に騒音の多い渋谷駅前ということで、虫の声に気が付いていないと思う。 今回の参議院選挙は、テレビコマーシャルに力を入れた政党も多く、新聞も大手政党や有力候補又は、有名人候補の事しか報じず。どうしても、そのことを聞いてしまったり。 ドイツ人にいわせりゃ、莫大な音を流す日本の選挙は、騒音公害って事や、広告に満ちあふれ音が氾濫しているということを含めて、物理的に雑音が大きすぎてかき消されてしまっている。 しかし、実際は、無数の弱い存在が存在している。 みなさん、雑踏の中であっても、虫の声に耳を傾けてみるのはいかがでしょうか。 人間は、聞きたい音を自動的に選ぶ機能があって、多くの雑音の中から必要な音を選んで聞くことが出来る。だから、意識して聞けば聞こえてくる。(まあ、ほんとに音が小さくて聞こえない場合もありますが・・・) そして、何かをきっかけに、意識すれば、多くの人がかすかな虫の声を耳を傾けることが出来る。
いよいよ癒しフェア
明日から、東京ビッグサイトで癒しフェアです。
このなかの「地球環境と平和を考える「いま私にできること」コーナー」ってとこに、ブースを出しています。 そこで、タイ南部のさをり織り、手作り石鹸、草木染めなどを販売するわけですが。 せっかくならってことで、さをり織り繋がりということで、夕張の仲間の「手織り工房レラ」のリストバンドを参考出品として展示することにしました。現物を見てみたい方はこの機会にご覧下さい。 ![]() ビッグサイトにお越しの際は、是非お立ち寄り下さい。 ただし、土曜日は午後三時以降、渋谷駅の宮益坂口の方で野外イベントの音響の仕事があるので、渋谷に行っているため変わりの者がいます。 癒しフェアvol.4 http://www.a-advice.com/ 東京ビッグサイト東4.5ホール 〒135-0063 東京都江東区有明3-21-1 TEL:03-5530-1111 ( 代表 ) 入場料 1,000円(2日間) ※招待券及び無料入場チケットの方は無料 開催時間 朝10時〜午後5時 主 催 株式会社フレイア 癒しフェア事務局
震災のこと忘れちゃったの・・・
かつて、阪神大震災の被災地から立候補していた議員さんが、落下傘候補として東京の選挙区に鞍替えして立候補した後、防衛大臣になっちゃっているわけですが。
かつて投票してくれた地域の人たちのこと、出身地の方たちのこと、忘れちゃったんじゃないでしょうか。長崎で原爆がしょうがなかったという前任者とあまり変わらない。これじゃあ兵庫県では立候補出来ないですよね。 豊島区の方には申し訳ないですけど、選挙区が兵庫県ではなくなって、せいせいしています。選挙区の方は、次の総選挙の時、自分たちが大きな災害にあったとき、後悔しない判断をお願いしますね。 <小池防衛相>「神戸の港湾組合、震災支援を阻害」発言 (毎日新聞 - 07月26日 21:32) 小池百合子防衛相は26日、青森県弘前市内であった参院選比例代表候補者の個人演説会で、1995年の阪神大震災当時の救助活動について「アメリカ(の艦船)が支援のため神戸港に入ろうとしたところ、神戸の港湾組合が厳しいため、なかなか着岸できなかった」と述べた。これに対し、全国港湾労働組合協議会の玉田雅也事務局次長は「入港に反対した事実はない」として、防衛省に発言内容をただす考えを示した。 小池氏は災害時の自衛隊の活動の成果に触れた際、当時の村山富市首相の対応批判に続いて語った。阪神大震災直後、複数の報道機関が「救援物資を積んだ自衛隊護衛鑑の荷揚げ作業を港湾労働組合が拒否した」と報道し、直後に訂正した経緯がある。 防衛省報道室は「防衛省は当事者ではなく、コメントする立場にない」としている。【太田圭介】
柏崎原発の原因究明が進まない理由
中越沖地震により、柏崎原発の被災状況、放射漏れ状況の現状が掴めていない問題ですが。
集団災害の大きな問題の一つがある。 それは、保守管理要員も被災者であり、安全対策や原因究明が困難になっているということだ。 地震発生当初は、変電施設から発生した火災について、手をつけられなくて4.5人の人が呆然と立っている映像が報道され、世界中から「日本の原発はどうなっているのか」と思われたわけですが。 集団災害においては、施設の維持や保安を担当する人も、被災者となってしまい、大幅に戦力ダウンしてしまうということが発生する。そいういうことへの想定がなされていなかったようなんです。 確かに、消防団の組織化や装備や設備の問題もあったかもしれないが、人材が被災者になるということは、危機管理マニュアルから抜け落ちがちな出来事である。 この状況は今でも続いているようで。 読売新聞「柏崎原発、放射能漏出の恐れ13件も…5件は詳細不明」(2007年7月25日15時17分 読売新聞)の中の東電広報のコメントで。同原発には約1200人の社員が常駐しているが、地震で自宅が被災した社員も少なくなく、「現在は600〜700人程度しか出勤できない状態」と書かれていた。 現代の日本の生活は、様々なインフラが整備され、便利な機械があるため、生活に掛ける労力や時間が少なくなっている。しかし、いざ災害などに見舞われ、インフラが使えなくなると、一気に生活に掛ける労力や時間がかかってしまう。仕事どころではない人がたくさん出てしまう。 (逆に、被災した家より、仕事を優先するケースというのもあるが、家族のことを心配しながら、災害で大きなストレスに遭っている状態で働くのは、大きなストレスとなる。) 最も細心の安全管理が必要な施設である原子力関連施設だけに、災害時に人材が使えないというのは痛手が大きい。 そう考えると、大規模災害の起きる可能性のある場所に、安全確保のためにかなりの人員が必要となる施設を作るのは非常に危険なことだという気がしてならない。 また、何か問題があったら、被災地ではない所から援軍を出せる仕組みというのが必要だと思う。 自動車部品のメーカーに、自動車メーカーから人が派遣され復旧作業を行ったわけですから、広報さんが被災しているからという言い訳などせず、そうすればいいと思うんですよね。 しかし、原子力関連施設の多くは、過疎の地域に造られている。それだけに、人材確保が難しい面もある。その貴重な人材を、他の施設に派遣させるのは難しいのかもしれないし。 たいがい、事故が起きれば、「総点検」というのが、何やらの一つ覚えのように指示されるわけですが、そこに人材が取られて、救援に行けない事情もあるのかもしれない。 (余談ですが、現場を無視した精神論的な指示で、国民を安心させようという方法って、ほんと困りますよね。昨日も、8人の方に、年金第三者機関により年金の差額が支払われるように判断したそうですが。年に250日稼働するとして、一年で2000人救済されると計算出来る。5000万人のうち、0.1パーセントが、年金第三者機関によって支払いが判断されるとしたら、該当者が5万人となります。その5万人の支払いを決めるのに、25年掛かるという計算になる。25年は極端にしろ、1年やそこらで問題解決することはできない。) そう考えると、集団災害が起こった場合を想定して、普段から、倍ぐらいの人員を確保しておくか。特殊で安全管理にお金が掛かりすぎる危険な施設を造らない、運用しない。のどちらかを選択する必要があるかという感じがします。 ただでさえ、原子力発電所って無茶苦茶なコンクリートの量を必要としていて、莫大なお金が掛かるわけですが。今回火災を起こした変電施設を原子炉の部分と同じような地盤改良をしたとしたら、喜ぶのはゼネコンと採石業者とセメント会社だけで、その分の莫大なコストは、税金であれ、電気料金として、多くの人に跳ね返ってくる。 構造改革だとかで、支出を減らすという、小さな政府を目指すのであれば、そういう莫大な費用が発生する施設を造らない、推進しない、多くの人件費のかかる施設を運用しないという選択をする必要があるのではないかという気がします。
<ネット中傷>発達障害児らの学園、悪質記述で生徒数激減
あまりにも酷い出来事なので記事を転載します。
<ネット中傷>発達障害児らの学園、悪質記述で生徒数激減 (毎日新聞 - 07月25日 15:11) 学習障害(LD)などの発達障害児らが通う神奈川県小田原市の学校法人「湘南ライナス学園」の生徒数が、インターネット掲示板「2ちゃんねる」の書き込みで中傷された影響で激減している。開校時の05年には48人が入学したが、新入生は昨年15人、今年は6人に落ち込んだ。学園は「心ないうわさに惑わされないで」と訴えている。 学園によると、掲示板での中傷は開校から半年後に始まり、「学園長が学費を流用」「まともな授業が行われていない」「学力が下がる」など約2000件以上の書き込みがあった。これを見た親たちが不安を募らせ、退学者も出て在校生は32人になった。 学園は今年1月、書き込んだ人物を容疑者不詳のまま名誉棄損容疑で県警小田原署に告訴、悪質な記述はなくなった。学園側弁護士によると、2ちゃんねるが開示したIPアドレスなどから書き込んだ3人が特定され、調べが進んでいる。 学園は発達障害児や不登校の子どもに小中高の一貫教育を行うため、国の構造改革特区に認定されて開校し、関東一円から生徒が集まっている。アスペルガー症候群の男児を同校に通わせる横浜市の明(あかし)智子さん(37)は「普通校ではいつも怒られ、しょげていた息子が、今は片道2時間の道のりも喜々として通っている。けんかする友だちを注意できるほど成長した」という。 吉崎真里学園長は「ネットのうわさでも極度の不安に駆られるのが、親の心理かもしれない。当校は個別のプログラムで潜在能力を引き出しており、学力低下の批判はあたらない」と話す。同校は8月1日に学校説明会、2〜4日にサマースクールを開き、参加者を募っている。 この経緯を知る文部科学省の滝本寛・前特別支援教育課長は「構造改革特区による発達障害の専門校は、ライナスが全国唯一。日常生活や学習につまずきがちな子への取り組みを続けてほしい」と話している。
改革は、逆効果?
選挙戦も終盤に入っていますが、ある人が政治家のモノマネをしていて「改革か、逆行か!」という部分をモノマネをしようとしたら、口を滑らせて「改革は、逆効果!」って言ってしまった。
まあ、全てのことは必ずしも思惑通りにいかないものである一方。常に動いていかないと現状に対応出来ないとか、めざすべき事に到達出来ないので、改革という名を使うかは別として何かしらゃっていかないことには埒があかない。 しかし、現状は逆効果になりそうな改革案が通ったりしているので、逆効果にならないような改革をてもらいたいものです。 それにしても、妙にはまってしまった。 「改革は、逆効果!」
ネットカフェは茶室?
あるお茶の先生がネットカフェは現代の茶室の可能性があると言っていました。
まず、カフェはスバリお茶を飲み覚醒するところである。 次ぎに、虚無の中で場を共有する場である。インターネットという虚無の世界の中で、世の中のことを何かに見立てて語り合う。地球温暖化が進む前の日本は四季が明確であったため、四季折々のことについて語り合ったわけですが、いまは季節感が無くなったからこそ、時事ネタで語り合う。しかも、コストダウンのためということで、ネットカフェは質素でもある。 旅人を収容する場所である。 お茶は仏教から始まったわけですが、仏教を始めた仏陀は、森から森へと旅をして暮らしていた。タイのお寺では、歩く瞑想が行われているが、本来は、朝、托鉢に出て、そのまま歩いていき、他のお寺など次の宿に泊まる。そこに、一期一会というものが発生するし、タイで出家すれば朝一回だけの食事になるので一宿一飯の恩義なんてのも発生する。 そういうところから、進化し、茶室が生まれたとすると。派遣労働で働くワンコールワーカーたちは、ネットカフェを放浪することで旅人となる。 茶道というのは、千利休の頃は、出家した者が行っていたとのことで、江戸時代に儒教の影響で、家制度が導入されることで、大きくスタイルが変わったという。 家制度は、体制を守るシステムとしてよく出来ている。 茶道の原型は、家を出た「道」であるという。 そう考えると、ワンコールワーカーであり、ネットカフェ難民は、出家した者とも言え。いわゆる家制度の茶道より、千利休の頃の茶道に近いものがあるかもしれないというのだ。 出家している身は、とても危うい。 その他、出家している人たちというのは、ホームレス、閉鎖された施設に預けられている人などがある。そういう人は、お金も含め、所有しているものが少ない傾向がある。 そして、その究極は、仏陀のような無の世界となる。 残念ながら、戸籍制度のある明治以降の日本など家を重視する社会システムは、移動をする人たち、家から出てしまった人たちを、排除する力が働く傾向がある。 いま、正社員を増やそうという動きになっているが、これはワンコールワーカーを家に戻す仕組みづくりであり。自立支援ということで、家に戻す形の「更正」という名の排除法と。 隔離や場合によっては命を奪うなどの排除法がある。 これを、法律に基づくことでコンセンサスを得たことにして合法的に行うのが、法治国家であり、コンプライアンス経営の流行る今流です。 ちょいと昔ならば、トップが気に食う、気にくわないで、排除するしない、どのように排除するかが決まる。 そんなことで、千利休は切腹を銘ぜられるわけですが。 これは、本来紀行文を書く旅人だった「ジャーナリスト」が取材中に身柄を拘束されたり、殺されたりすることと似ている。 先頃のイラク戦争の取材において、日本の大手メディアの社員がイラクに入らなかったり。教育改革といいつつも、規範や道徳教育の強化が行われようとしていますが、その根底に、儒教的な発想による家の維持が強化されている傾向が見える。 企業という新しい家制度の強化という見方も出来る。(労働組合も家制度の機能をもっていたかも) この企業などが持っていた家制度の機能も、ここ最近だいぶん解体された。 戦後の日本で、いまになって格差が拡大したのは、新自由主義以外にも、戦争に負けた日本を弱体化するために、家制度を破壊しようとした事に一因があるように思う。 たとえば、家制度を崩すために、相続税が強化されたりした。そういう流れの中で、家族が解体され、核家族化、そして、個別化していった。 しかし、世の中、バランスを取ろうとするもので。家が解体する一方で、家の解体から身を守るために、家を守る力をつけたグループがいて、世襲などが行われた。 教育再生とか言って、道徳教育を強化しようとしている方がいるが、そうやって、家を守った実績があるからこそ、そう言っている面があるように思います。 しかし、現実は、家制度が崩壊してしまっている人が大多数なため、家制度が残っている状態での教育システムが通用しない可能性が高い。 質が悪いのは、所有するという仕組みをもったまま、コミュニティや家制度がなくなるという、日本の歴史上初めての状態になっているということで。そのため、かつての知恵が使えない状態になっている。 かつての知恵が使えないからこそ、余計に家制度によって培われた伝統的手法に囚われ、さらに強化するように訴えているというのが、昨今の教育再生の発想の根本のように思える。ただ、この解決法では、問題が解決する可能性が低い。 この問題を解決出来るアイデアは、もしかすると、ネットカフェ難民だったり、ホームレスであったり、そういう、家を出て旅をしている、しがらみのない人たちの中から、現れる可能性があります。つまり、お坊さんの知恵みたいなものです。 また、どこかに隔離されたり捕らわれている、家から出ている人を、解き放つことで、しがらみのない人が増え、新しいアイデアが生まれやすくなるかもしれません。 ただし、ネットカフェ難民など旅する人の多くには、様々なしがらみがあるので、そういう境地になる方は少ないかも知れないですが、創造的な知恵を生み出す人が現れる素地があるように思います。 そう考えると、ネットカフェという茶室には、まだ千利休が現れていないのかも知れません。
新作ビールを試飲
パレスチナのビールの新作が試験販売されているというので飲みに行ってきました。
パレスチナは、地中海東岸にある地域で、イスラエルが排他的に領有している地域に加え、パレスチナ暫定自治区とされているヨルダン川西岸地区とガザ地区を加えた地域のことで、、日本ではパレスチナ自治政府が管理するパレスチナ自治区のことを指します。 ここでは、イスラエルとの戦争やテロなどで、多くの人が命を落としたりと、平和とは言えない状況になっていますが。どっこい、独自の文化が花咲いていたり、素晴らしい製品が作られています。 自然環境も恵まれ、すっごくおいしいオリーブが採れ、そこで作られたオリーブオイルはとても品質が良かったり。セージやスパイス類も品質が良い。 また、クロスステッチを多用した民芸品も見事なものがある。 さて、そんなパレスチナの美味しいモノの中でお気に入りなのが「タイベビール」です。 なんで、イスラム圏でビール?と思われるでしょうが、これがすっごくおいしいんです。 ![]() 右から、ダーク、ゴールデン、アンバー とにかく、料理に合います。 個人的には、赤ワインが合う料理は「ダーク」、白ワインが合う料理は「ゴールデン」という感じに飲み分けていたのですが。この度「アンバー」と呼ばれるタイプが、4ヶ月ほど前にパレスチナでリリースされ、すごい人気なのでそうです。それが日本に入ってきたのです。 味は、ゴールデンのさわやかさに、コクが加わったという感じです。とくに、チーズとの相性が良さそうで、チーズのたっぷり載ったトマト入りビザなんかと一緒に食べたり、ハーブを効かせた白身魚のムニエルとか、肉料理もいけるという感じです。 実は、このタイベビール、わたしがフェアトレードの商品を扱うにおいて、大きなヒントをもらった商品でもあります。 授産施設で作られた商品、チャリティー商品や、フェアトレード商品の一部など、社会的弱者の作った商品のいくらかは、残念なことに「可哀想だから買ってくれ」という感じで売られています。 しかし、このタイベビールは、いろんな大変なストーリーがあるにしても「美味しい」ということが特徴なのです。 美味しいからこそ、購入し売上が上がることで社会に役に立つことで、さらに美味しさが倍増するということに気がついたんです。 このタイベビールは2005年9月に芝公園で行われたホワイトバンドの「ほっとけない」のキャンペーンイベントのお手伝いをしていた時に、隣のブースで販売されていて、それをたまたま飲んで、美味しかったということで「はまった」わけですが。 そして、次はグローバルフェスタで飲む。斜め向かいで「みんなのピピ島」が売られていた。(ちょうど、この頃にCanpan Blogをスタート) このあと、タイでの取材中に、仮設住宅のテントのさをり織りの工房と出会うわけですが。商品に惚れ込み、魅力のある商品を買うことで、結果として社会の様々な問題の解決に役立つような商売のあり方を体感したのは、この「タイベビール」なんです。 ですので、タイベビールと出会わなかったら、さをり織りも扱っていないし、不思議な縁で繋がって夕張にも行ってなかったかもしれません。 是非、一度飲んでみて下さい。 タイベビール http://savetheolive.main.jp/taybehbeer.htm 取扱店情報も掲載されています。 欠点と言えば・・・・ 戦争やテロのおかげで輸送リスクが高かったり、大量に日本に輸出されていないことで、少し値段が張ってしまうことぐらいでしょうか。 ちなみに・・・ パレスチナの中に、キリスト教の修道院があって、そこでワインを作っているのだそうです。 そのワインは、素直にブドウの味のする、フランス、ドイツ、イタリアのように洗練されてはいないが、純粋でちょっと古風な味のするワインなのだそうです。 地理的な事を考えると「最後の晩餐」の時に飲まれたワインが、このワインに近かったのではないかというイマジネーションが湧いてくる。 このワインも一度飲んでみたいです。
仕事が出来る環境を
先日、このブログネタに関係ある某省庁に行ってきました。
![]() 内閣府(防災担当) 厚生労働省 環境省 んー、みんなうちのブログネタに関係ありますね 会議までの時間を、オフィスの脇のスペースで待っていました。 そこからはオフィスの様子がよく見えます。 オフィスは所狭しと机が置かれ、通路は1メートルも空いていないかと思うぐらいしか空いていません。両側に人が座っていると、人も通るのもやっとです。そこで、うちわを扇ぎながら、ノートパソコンに向かって一生懸命仕事をしています。 この光景を見て唖然としました。 何故かというと、国の政策を実行したり、政策を実行するために場合によっては法律を変えてもらうように案を作ったりする人たちが、あまりに酷い環境で仕事をしているからです。 まるで鶏舎のようです。 仕事の都合で地方の役場や、タイ政府やラオス政府の省庁に行った事があるのですが。もっと考えたり集中して仕事が出来る環境が整っているんですよね。 去年、心の健康づくり研修専門家会議ってのを行ったようですが。 その資料に、ちょっと古いですが、精神及び行動の傷害で長期休暇をする国家公務員が増えている様子が書かれています。 資料が古いので、現状を表しているとは限りませんが、現場をみたら妙に納得してしまいます。 確かに日本という国は、国債など、おそろしい金額の借金をしてしまっていて、そのお金を返さないといけないけど、税金をあからさまに増やすなどをすればいろんな所から文句を言われるので、あからさまに上げるわけにはいかないということで、この十年以上、改革という名の下に、原則的に、税金というお金を使わないように、使わないようにしていこうとしています。(とはいえ、あからさまにならないように実質増税をしたり、税金を垂れ流していると言われるところもありますが・・・・) この状態を見てしまうと、お金を削りすぎたり、お金を削る場所を間違っているんじゃないかという気がしてしまったんですよね。 会議が始まり、会議室にいくと、幹部と呼ばれる役職についている方が何人かいらっしゃいました。中には、テレビでちらっと見た事がある方もいらっしゃいます。 とても優秀な方たちで、目標に向かって的確に話を進めています。 これを見ていて思ったのですが、優秀で目的に向かって進むから、お金を使ってはいけないという目標を設定されたら、自らの仕事環境も含めてお金を使わないようにしてしまったのではないかという気がしたんです。 決められたことを実行するのが行政機関の基本ですから。当然そうです。(そうであるべき?) ここ最近、財政再建団体になった夕張の事なんか書いていますけど。 自治体の持っている借金を返すために、お金を使わない方策を立て実行しつつありますが。今のところ、これからどういう町にしていこうという方針が立てられていないため、未来が見えにくい状態になっているようです。その、一方で、本当に必要なのかわからない巨大な公共事業が行われている。(完成後の固定資産税の税収が期待されているようですが・・・) この省庁のオフィスを見ていたら、これと同じことが、実は国レベルで起きていると思わざるを得なかったんですよね。 夕張市は、一時借入金などの活用により表面上は財政黒字となる手法をとって、赤字を増やしたのがばれて、財政再建団体になるという形にはなったのだけど。 多くの国民に気づかれないように、儲かっているフリして借金も増やし、そののち財政破綻しているのも隠して、今度はお金を出さないようにして、借金を返済しようとしているのが、いまの日本の国なんじゃないかって気がしたんですよね。 ウソを、ウソで塗り直して居るんですけど。行政官は、決められたら、そのとおりに働く。 最近、年金の問題で、データが無茶苦茶じゃないかとか、年金のお金はどこに行ったとか、大騒ぎになっているんですけど。参議院選挙が終わったら、うやむやになる可能性があるんですよね。 うやむやにせず、「年金は破綻しました。」って、言った方が楽なんじゃないかって気がするんです。 それと、お金をかけずに「改革しましょう」と言うのも止めた方がいいような気がします。 資材がもう無くなって、タケヤリと気合いで成層圏近くを飛ぶ爆撃機を落とそうとしているようなものです。(この時期、このタイミングで精神論的な「美しい国」と言われちゃうと、違和感を感じちゃうんですよね) そういう、ケチくさいことではなく。 ばらまきではない形で、「どこにお金を掛けたいから『税金を託して下さい』」と言うのが政策だと思うんですよね。 (さらに言えば、いまの国や地方自治体の持っているシステムでは実現出来ない公的事業なら、実現出来るシステムをもつNGOにお金を託したら、その分の減税されるというのもアリだと思う。そういう判断をするのも政策だと思う) どこにお金を掛けるかって言ったら、これから生まれる人も含めて「人」でしょうね。これは少子化対策の話のような人口を増やせという話ではなく。みんなお金持ちになれということでもなく。この国に住んで良かったと思えるかということなんだと思うんですよね。 そういう政策を実行するための優秀な人材が働く環境って大切だと思うんです。 社会保険庁の幹部のボーナスを返上しろとか週刊誌に書かれていますが。そういう懲罰的な発想をしても何も生まれません。 そろそろそういう発想を止めて。 天下りをして利権を握らせたり、贅沢させる必要はないですが。公共の仕事をしている方に気持ちよく働いてもらえる環境を整えるのが、国民の仕事なんじゃないかと思います。 これは、今回取り上げた国家公務員だけでなく、医療関係者もそうだし、教師もそうだし、公共の仕事をしているNGOの人もその対象だと思います。
癒しフェアに出店します
7/28.29に東京ビッグサイト東4.5ホールにて行われる「癒しフェアvol.4」にツナミクラフトが出店します。
さをり織り、ハーブ石鹸、ベビースリングなどを展示販売します。 地球環境と平和を考える「いま私にできること」コーナー内にいます。 イベント自体は鏡リュウジなんかも来るようです。 名 称 癒しフェア-癒し関連の様々な商品・サービスが一度に体感できる総合見本市 http://www.a-advice.com/ 開催場所 東京ビッグサイト東4.5ホール 〒135-0063 東京都江東区有明3-21-1 TEL:03-5530-1111 ( 代表 ) 入場料 1,000円(2日間) ※招待券及び無料入場チケットの方は無料 開催時間 朝10時〜午後5時 主 催 株式会社フレイア 癒しフェア事務局 コーナー紹介 地球環境と平和を考える「いま私にできること」コーナー http://www.a-advice.com/contents_imawatashi.htm
混ぜるな危険
結局はやらせ映像でしたが段ボール混入肉まんで話題になった中国産食品、大阪の米屋、ミンチ肉業者など、ここんところの食品問題に共通したキーワードは「混ぜる」であると言う人がいる。
しかし、本当に「混ぜる」がキーワードなのでしょうか。 確かに、人を欺くために混ぜるのは良くないことだが、良いこと、悪いことは別にして「混ぜる」というのは工夫である。ある目的を達成するために、その工夫の方法として「混ぜる」という行為が行われているわけです。 サンデー毎日に「ミートホープ術」と題された、料理研究家による、肉を混ぜて美味しく安価に料理を作る方法が書かれていたが。安く、美味しく、いただくために、混ぜるという工夫をするのは「アリ」なんです。 喫茶店で、その店で一番リーズナブルなコーヒーを「ブレンド」と称してメニューに掲載されているわけですが。いろんな豆を混ぜてはいますが。あくまでも店の看板商品であり、余った豆や安い豆を寄せ集めて入れたものではない。 2.3ヶ月前、モスバーガーが、牛肉100%をやめて、牛肉と豚肉との合い挽きにしたのですが。これは、日本人の多くが美味しいと思えるものにしようとした結果「混ぜる」という手法を取った結果です。 また、いいお米屋さんは、単一銘柄より、その店のブレンド米の方が安価でしかも美味しいという事があります。 お蕎麦も、蕎麦100%の十割蕎麦が流行っていますが。蕎麦通の中には二割小麦が混ぜられた二八蕎麦の方が美味しいという方がいます。 このように「混ぜる」ということで、良くなる事が多数あるのです。 要は、何を目的に「混ぜる」かが問題なんです。美味しく、安全にを目的に「混ぜる」という行為を行い、そのことを根拠とともに堂々と言えばいいのです。 さて、この10年以上、純粋であればいいという傾向が強まる傾向があります。 それが今回の食品の問題の根底にもあるし、「混ぜる」というキーワードをあてはめた方が「ウケる」こととなったように思います。 食肉の偽装の件ですが、表示を偽った要因のひとつとして、牛肉100%でないと売れないという概念が働いという事が考えられます。 そして、大阪の米屋さんの方も、○○産100%でないと売れないという概念が働いたと考えられます。 また、ブレンドする材料になったものに視点を移すと、ブランド志向から外れたり、規格外のものが異様に安く取引されているという現状に出会うわけです。 それは、ブランドや規格信仰により出てきた副産物というか廃棄物に近いものなんです。 その無駄をしても、利益が得られるのが、規格品であり、ブランド品で。規格品、ブランド品が売れ続ければ、こういう無駄も増えるわけです。 しかも、無駄な部位も、多くの飼料によって育っているわけで。価値のないものにも、多くのエネルギーや資源や飼料や水が使われている。 消費者を欺く行為など様々な問題はありますが、エコロジーの観点から言うと、大阪の米屋、ミンチ肉業者のやった事は、無駄を少なくしたとも言える。 さて、規格、ブランドによる弊害というものは、奥が深くて、今まで規格外、ブランド外だったものが、規格化、ブランド化することで、問題が発生する事がある。 たとえば、価値のない部位を使った肉を活用した、名産品や外食産業である。 共にBSE問題の時に入手困難となった。 仙台名物、牛タンは、本来、規格外として捨てられる事があった舌の部分を利用して始まったと言われています。そして、牛丼もあまり価値がない牛のバラ肉を活用することで、低価格で商品が提供できた。 これらは、もともとそんなに採れるものではない部位であるのですが。需要が増えた事により、国内では間に合わなくなり、海外の食肉業者が、そのまま捨てたりしていたものを、その部位を取り出す工程を増やすなど加工方法を指導し、安定して供給できるようになっていた。 しかし、取り出す工程を指導した国でBSEの問題が発生したため、必要な部位の供給が止まり。あらたに別の国の業者を選定し、指導するのにもお金も時間がかかるということで、品不足となり、価格を上げることで対処出来ないものに関して、販売中止されちょっとした騒動となった。 これも、規格化、ブランド化が進み、しかもそれを、大量に安定供給しなければならないという事情から発生した騒ぎだと考えられる。 それだけ、規格化、ブランド化は、メリットもあるが、リスクも背負ってしまうのです。 規格のものを、大量、安定供給させるメリットはあるが、そのデメリットもある。これは、これでそういうものなのであるが。これに、ブランド化が加わると、デメリットの方が大きくなるような気がしてなりません。 まだ、規格とブランドにはには恐ろしい面があって。 規格とブランドには「そうでなければならない」というメッセージが隠れていて、そのためにそれ以外の者を無駄なものとして排除の対象としてしまう。 「そうでなければならない」という思考が強いから、「そうでなければ売れない」ので、売れないといけないということから偽装をして「そうでなければならない」という状態にしたのが今回の騒ぎの発端であったのではないかという気がしてなりません。 そして、一度、行った偽装というモラルからの逸脱は、なし崩し的にモラルの崩壊を産んだのではないかという気がしてなりません。 今回の一連の件は、確かに、消費者を欺いた業者ではありますが、100%彼らに原因があるわけではありません。 今回は触れてませんが、大手小売店が、安くないと売れない、ブランドでないと売れない、いつも置いていないと売れない、と思いこみ信じ込んでしまっている事も、今回の騒動の大きな原因だと思います。 混ぜるのは工夫である。 しかし、その工夫をするための目標は、生産者、販売者、消費者が創り出している。 今回の件は、規格やブランド信仰の中で「そうでなければならない」という思考に陥り、生産者、販売者、消費者の間のコミュニケーションが軽視された事から発生した事件だったのではないかと感じています。
新しいことをする人にチャンスを
わたしも、いろんな仕事をしているのですが。
音響や照明の演出や操作なんかもやってたりします。 そんなことで、ときどき候補者の事務所から音響や照明機材を貸して欲しいという話などが来たりする。 私の機材を貸し出すとき、いろんな事を聞くのですが。若い候補者やその支援者がやりたいことって、ことごとく選挙違反になっちゃうんですよね。 たとえば、ビデオジョッキーに、いま起こっている事を、ビデオカメラで撮影して、コンピュータでリアルタイムで加工してプロジェクターに映し出したいとすると。候補者が映像に映ってしまうと選挙違反になってしまいます。それ以前に、電光掲示自体が良くないという話もあります。 候補者のやりたいことをビデオにまとめても、政見放送では使えません。ただし、政党ならテレビCMで流せます。 本当なら、You Tubeなんかにアップした方が、早朝、深夜、または、働きに出ているような昼間に放送する政見放送より、よっぽど多くの人に見てもらえると思うんですよね。 それこそ、デジタル放送のメリットを生かして、HD(ハイビジョンのようなもの)に拘らずSDとし空いた帯域ほ利用して常時政見放送を流してもいいんですよね。 5分間のSDだったら、パソコンでもビデオ編集できますしね。 この部分を見ていると、どうも、若い人が自分の能力や感性を使って活動出来ない仕組みになっているような気がしてならないんですよね。 ただでさえ昔からゃっている人は有利なのに、昔からやっている人に有利な仕組みになっている気がしてならないんですよね。 だから、若い世代って、無意識にそういう事を感じて居るんですよね。だから、ただでさえ高齢化していて、多数決で若者より高齢者の民意が通りやすいって事もあるけど、自分たちにチャンスが無いと思うところもあって、選挙への関心を失うし。政治に関心を持っている人を、特別視してしまう。 また、若手で立候補しようとする人は、上の世代にお伺いを立てないと、まずは勝てない。 (その点、2世、3世議員は、お伺いを立てるのに優位な位置にある。) これは、選挙だけではなく、ベンチャービジネスでもそうなんですよね。 新しいことは、多くの場合、既存の枠組みから外れたことになります。 しかし、ベンチャービジネスを育成する公的助成制度は、助成制度の枠の中に入ったものにしか支援が出来ません。しかも、それが当たり前のようになってしまうことで、気に入った人に投資をするという発想になりにくくなり、枠組みから外れた新しいもの自体も減るし、枠組みから外れた新しいものが資金を得て伸びるチャンスを奪っているわけです。 もう、症状は現れつつあって、最近、日本のコンテンツ産業が今ひとつという感じになっています。その理由は、以前は枠の外で新しいことが出来たのですが、いまは御上のお墨付きがついてしまったため、身動きしにくくなったのではないかという気がしてなりません。 また、選挙の話に戻るのですが。 いまの選挙のシステムは、どこかに属していないとか、知名度が低い候補者に不利な仕組みもありますよね。 フライヤーをバンバン撒きたいとしたら、東京都では有権者は1042万人いるのですが、30万枚しか撒けません。つまり、チラシでは情報が有権者に届かないということを指しています。 さらに事実上不利になるしくみとして、新聞などは「有力候補に聞く」なんて紹介さえすれば、恣意的に有力候補を決めてその候補者だけ報道出来てしまう。 すべて始まりは、小さな事から始まるわけですから、ある程度の規模にならないと選挙広報が実質上使えないとか、政党助成金がないのでお金に困ってしまうのは変である。 だから、政治家になりたい目的を達成するためには、信念を曲げて、どこかの大きめの政党に属さないと、実質上お金が掛かって仕方がないということになる。 誰かが大きな枠組みを作って、その中に属さないといけない仕組みになっていて。 これでは、新しいことが生まれても、形になる前に力尽きてしまうか、信念を曲げて枠の中に入ってフレッシュさを失ってしまう。 このように、何かの枠に入らないと認めないしくみは、新しいことをする人にチャンスを与えない仕組みでもある。 いろんな問題を解決するには、問題に対応していくだけでなく、新しく何かやっていかないといけないわけですが。新しいことをする人にチャンスを与えない仕組みは、何か新しいことをやっていく大きな障害になるような気がしてなりません。 年金の問題は、対処していくのもいいのですが、まったく新しい考え方で、新しく仕組みを考えていかないと、根本的解決をしないように感じるんですよね。 いまこそ、既成の概念を越えて、新しいことをする人にチャンスを
災害報道に思うこと
台風、地震と続いていますが・・・・
10年以上、災害報道について思うことがあります。 それは、死者を中心に報道しすぎているのではないかということです。 確かに、災害により亡くなられる方が居るというのは悲しいことですし、災害の規模をイメージするための情報でもあります。 とはいえ、災害復興の主人公は生き残っ方と考えたとき、死者を中心とした報道は無意味な者だと感じざるを得ません。 死者より災害に関係する方がどの程度の方がどれぐらいいるか、という方が本当は重要なように感じるんですよね。 いわゆるマスコミから流れるニュースの7割は、警察か役所にいて入ってくる情報ですから。死者数は報道しやすいわけですが。災害に関係する方の人数や程度はすぐには報じることは困難です。 だから、死者数を中心にした報道になるわけですが。 たとえば、災害対策をした建築物をたくさん造って、災害による死者数を激減させたとすると。 死者数を基準に災害の規模をイメージさせるような報道の仕方をすると。実際の災害の規模がわからなくなるし。ジャーナリズムよりセンセーショナリズムではないかと思える日本のメディアの状況では、被災者にとって重大な災害にもかかわらず、死者が少ないために注目されずに、すぐに忘却の彼方に置き去られ、十分な支援を得られない可能性が増す。 支援というのは、残念ながら、話題性のある所に多く施される傾向がある。 また、死者数が多い災害が立て続けに遭った場合、見ている人が死者数に関する感覚がマヒしてしまうんですよね。最初は1人亡くなった、3人亡くなったということでも大きく話題になるのですが。そのうち、同時に7.8人亡くならないとニュースでなくなってしまう。 夏場の水難事故なんかは典型的で、欠陥が原因だったとかセンセーショナルな事がないかぎり、1人や2人亡くなっても、新聞にちょこっと載ればラッキー程度になってきて。ある時期を越えて大きな数字になったときに、やっとセンセーショナルになったようで、報じるという感じである。それも、平年並みなら話題にならず。過去最悪ペースなら話題になる。それ以外は見向きもされないぐらい小さな記事が載ればいいとこだ。 災害の復興は生存者が主人公なのに、残念ながら亡くなられた方の話に終始してしまい勝ちです。 亡くなった方がうんぬんもあるけど、それより、事故や災害がどれだけどのような社会的な影響を及ぼして、それはどのような問題解決方法がいいのかの選択肢とメリット、デメリットを示すのが、実際に災害にあった方に必要な情報ではないかと思う。 本当に困っているのは生き残った方です。しかし、災害の報道は、お茶の間の方の時間つぶしでしかない。 役所の方も可哀想で、様々な情報を収集しないといけないのに、報道側からの電話に釘付けされてしまっている。役所の電話回線は何本分使えるのかわかりませんが、広報担当がテレビ局からの電話に張り付いている状態し、災害情報を得る電話回線が1本潰され職員が数人働けなくなったようなものです。特に小さな役場の場合は、この1人のマンパワーが、役所全体のマンパワーにおいて大きい。 また、死者重視の報道の問題は、死者がこれ以上増えなくなった状況になると、報道されなくなってくる傾向があることです。 「死者が増えるのがそんなに楽しいことなの?」ってツッコミ入れたくなるのですが。見事に死者が増えなくなると報道が弱くなります。 生き残っている人が、どのように生活を取り戻すのかが大切なのに、そういう報道はなされません。崩れかけた家にレッドカードが貼られ、体育館で震えて「疲れた」と言っている報道は、被災者が見せ物になっているだけで、被災者の何の役にも立っていません。 まあ、強いて言えば、被災者が「可哀想」たがらということで募金が集まりやすいぐらいしか被災者の役にたちません。 この募金が集まりやすいというのも、死者数が多いとこれまた集まりやすく。似たような規模の死者数の災害が続くと、飽きられてしまい、募金が集まりにくくなる。 逆の言い方をすれば、募金を集めたければ「可哀想」でなければならないわけで。募金を目的に「可哀想」なように報じたのであれば、いくら善意であっても、被災者の人間としての尊厳を損いかねない行為だと思うんですよね。(NGOの広告もそう) 困っているという事実を伝えるのは必要なことで、その問題解決にお金が必要だという事もいいと思う。ただ、「可哀想」に報じてもらいたくない。 また「酷い」ということを、強調して報道する傾向がある。そして、人々はその酷さを何度でも繰り返して見たがる。しかも、見飽きてくると、新しい酷い映像を見たくなる。そして、新鮮な酷い映像がなくなると。興味を失ってしまう。人間という生き物は恐ろしい。 とにかく、いまの災害報道は、死者、可哀想、酷いに終始している。 それが、生き残っていて、前向きに生きようとしている人、復興しようとしている人の邪魔をしているような気がしてならないんですよね。 まあ、このあたりが、わたしのブログのタイトル「STILL ALIVE」に繋がってくるんですが・・・ 最後に、台風、地震に遭われた方に心からお見舞い申し上げます。
エクアドルのアーティストとの再会
スペイン語で「赤道」を意味する「エクアドル」という南米の国出身のアーティストの展覧会に行ってきました。
この展覧会は、タイの津波被災地のボランティアのネットワークを通じて知り合った、カモラさんというアーティストからのお知らせで知りました。 横浜市港南区の「ひまわりの郷ギャラリー」といわれる会場に行くと、いきなりエクアドルの名産品バナナが置かれていて、フレディ・アミルホスさんという若手アーティストが日本語で気さくに迎えてくれました。 彼の美しい色遣いの作品は、人の心の内面をうまく映し出しています。また、尊敬するアーティスト「ダリ」への想いを描いた作品もありました。 しばらく、フレディの作品を見ていると、カモラさんがやってきました。 去年のアースデイ東京以来の再会です。 カモラさんの作品を見る。粘土、木、石、彫刻、タペストリーなど様々な作品があるのだが、モダンな中にどこか温かさを感じる。そして、日本人が忘れかけている和の心を彼女なりに描くことで、和の心がリマインドされる気がします。 実はカモラさん、作業療法と芸術療法の専門家で、障がいを持つ子供と大人たちに芸術を通して支援をする仕事もしていて。2004年12月の津波の後、被災地に入り、アートを通した心のケアに尽力をつくされた方だったりします。 津波被災地での彼女の献身的な活動は、多くの方に癒しをあたえたようです。 とはいえ、アートテラピーの専門家と民芸品の販売者というように立場がちがえども、同じプロジェクトを進めている仲間と再会するのは楽しいよね。
円滑なコミュニケーションを取り戻すプロセス
初戦をまさかのミスで勝利を逃し、サッカーのアジアカップの報道合戦が加熱しているようです。オシム監督は比喩表現が巧みなのですが、それだけに真意が伝わらない事もあり、いろんな憶測が飛んだりして、話題に事欠かないわけですが。今回のような、勝つはずの試合をミスで引き分け、オシム監督がインタビューで話す気になれない状態となった場合、加熱した報道体制は選手に向けられてしまうことになる。選手への取材は「ミックスゾーン」と言われる場所でのみ行うこととなっているそうだが、オシム監督の言葉が聞けなかった報道陣が、ミックスゾーンで選手たちに襲いかかるぐらいにオシム監督のことを聞き出そうと取材攻勢を掛けたと思われる。
こうなると、選手から聞こえてくる、断片、断片を繋ぎあわせて、勝手な話が出来上がってしまう恐れが出てきた。つまり、誤解が生ずる構造が出来上がったということである。しかも、その誤解がメディアを通じて報道されたら大変なことになる。 また、誤解したことで、その後のコミュニケーションに亀裂が入る場合もある。 そこで、おそらく日本サッカー協会の広報が動いたと思われるのだが、公式会見後に千田通訳を交えて記者団とのブレーンストーミングを行ったようなのだ。 下記の記事を書いた記者が「ある情報を確認し、共通の認識を持てたことは、コミュニケーションを円滑に進める上でとても貴重なことだった。」と書いているが。誤解が生じコミュニケーションの亀裂が生じたなら、早くその誤解や不信感を解くアクションをし、コミュニケーションを円滑な状態をうまく保ったようなのだ。 最近、政治家や省庁、企業の不祥事が相次いでいるが、何かを隠そうとしたりしたため、話が断片、断片になり。その断片を繋ぎあわせて、勝手な話が出来上がってしまい、不信感の上塗りをする姿が嫌になるほど報じられてきた。 それは、誤解や不信感を解くアクションをせず、次のセンセーショナルな話題が出てくるまでとりあえず凌いでしまおうとか、いろんな言い訳を並べたり、論点をズラしたりしてはぐらかすなどの方法で騒ぎを乗り切っている。まあ、それは、それで、効果はあるようで。見事に論点をズラされたり、はぐらかされたり、はたまた人が亡くなってしまったことで本当は問題が山積みなのにそのことを話してはいけない雰囲気になってしまったりしている。 結局、それが、人々とのコミュニケーションの亀裂から不信感を産み、政治不信や、企業イメージダウンということになるし。一時はいのいだとしても、問題は解決していないので、またいつ同じ問題が出てくる状態であり、当事者が一時しのぎができて手間が少し減る以外、社会全体としてのメリットはない。場合によっては気がつかぬ間に傷口が大きくなる場合も。 年金問題はその典型で、気づきながらも、はぐらかしたり先延ばししてきて傷口が大きくなった。おそらく、どの政党が参議院選に勝っても、既に問題解決出来る状態ではないでしょう。破綻してみるしかないかも。国民年金というしくみがなくても、それなりに幸せに老後を過ごしている国もあるわけですしね。 ここまで、傷口が大きくなると、もうほぼダメです。 しかし、そうなる前にやるべき事があったような気がしてなりません。 信頼回復は早く手を打った方が解決しやすいという法則のようなものもあるようですしね。 今回、日本サッカー協会が取ったアクションは、広報の問題解決だけでなく、さまざまな信頼回復のヒントになるアクションのように感じました。 参考記事 以下引用 【日本代表コラム】「オシム語録」に変化アリ!?2007年07月14日22時24分 http://news.livedoor.com/article/detail/3233463/ 今野に指示を与えるオシム監督。左から2人目が千田通訳 UAE戦前日の公式記者会見での出来事だ。会見の冒頭でUAE戦の抱負を聞かれたオシム監督は、「UAEはデンジャラスなチーム。しかし、デンジャラスなのはUAEだけではない。日本も、よりデンジャラスな状況にある」と持論を展開した。 その後も会見は続いたが、これまでと違ったのは、会見後に通訳の千田氏と記者団でブレーンストーミングが行われたことだ。その伏線は初戦のカタール戦後にあった。オシム監督は、記者会見であまり多くを語らないため、マスコミ各社はミックスゾーンで選手自身の口から試合後のロッカールームでオシム語録を始め、すでに報道されたように、千田通訳が泣いてしまったことなどの情報を入手した。選手からオシム監督が何を話しているのか情報を聞き出す行動は、翌日の練習取材からほとんどの記者が行うようになった。こうした行為に、千田通訳が「伝言ゲームになって、意味も変わってしまう」と危機感を抱いても不思議ではない。 そこで千田通訳は、公式会見後に、記者団とのブレーンストーミングに応じたのかもしれない。「デンジャラス」というオシム監督の表現については、「お互いに負けた方が大会からサヨナラという意味で、グループリーグ敗退の危険性がある国同士の対戦である」という意味で使ったのではないだろうかという結論に至った。 こうして文字にすると、瑣末なことのようだが、ある情報を確認し、共通の認識を持てたことは、コミュニケーションを円滑に進める上でとても貴重なことだった。 オシム監督が「デンジャラス」と言ったUAE戦は日本が3−1で大会初勝利を上げ、順当に勝ち点3を獲得した。そして試合後の会見である。「一番うれしいことは、選手が元気で試合を終えたことだ。なぜなら選手もスタッフも、誰もが心臓発作を起こさなかったから」と得意のオシム語録を披露した。しかし、その後続けて「それだけ気候条件の厳しい試合だった」と“解説”したことに驚いた。これまでのオシム監督は、ストレートな物言いながら、どこか比喩的で、発する言葉の裏側を深読みする必要があった。 ところが、この日の会見では基本的な姿勢は変わらないものの、その意味を懇切丁寧に解説してくれた。通訳は自分自身の感想や想像を交えず、監督のコメントを忠実に翻訳するのが本来の仕事である。しかし、それだけでは自分の真意が伝わりきらないと、オシム監督は判断したのかもしれない。千田通訳を介したオシム監督と記者団との“パス交換”が、アジア杯2戦目でようやく気持ちが通うようになった。そう思うと、カタール戦のドローもオシム監督、千田通訳、記者団との関係を円滑にするための、貴重な勝ち点1だったのかもしれない。 六川亨
ナイジェリアの地せっけん
下北沢にあるツナミクラフトの新しい取扱店に商品を納品してきました。
この店は「African Forest」というお店で、アフリカ雑貨とともに、オーガニックコスメなども販売しているお店です。 ツナミクラフトの手作りハーブ石けんって、アフリカの商品を扱っているお店に人気で、何故だかアフリカがらみの商品と一緒に売られるケースが増えています。 下北沢のピーコック側を降りて、ぐるっと廻ると昔の「東洋百貨店」と言われる小さなお店がいっぱい入った建物があります。そこの中に、ジャンベなどアフリカの楽器が並んでいるお店があって、そこが「African Forest」です。 ナイジェリアを中心としたアフリカ雑貨がいっぱい。ナイジェリアのビデオCDがマニア度が高い。ジャンベもガーナ製なので、ちょっとだけ相場より安めです。 また、この店は、特にフェアトレードショップと謳わず、さりげなくフェアトレード品が売られているのも特徴です。気に入った物を買えば、いつのまにかフェアトレードになっているって感じです。 そんな素敵な商品の中でオススメなのが「Dudu-Osun」という黒い石けん。 ![]() 左側が「Dudu-Osun」 右側が「シアバター」 この石けんは、西欧文化が入る前から作られていた、椰子の種の油とココアの殻の灰を煮詰めたという伝統的手法で作られた石けんがベースです。 この「Dudu-Osun」は、伝統的石けんにプラスして、地元でとれるワイルドハニーやシアバター、アロエ、 レモンなどを加え柑橘系の香りがする石けんとして出来上がりました。 ナイジェリア製です。 ちなみに、ナイジェリアでは、「Born Again プロジェクト」という面白いプロジェクトが行われていて。日本の不要物をナイジェリアで売り、ナイジェリアで見向きもされなくなった伝統的な商品をフェアトレードで輸出し日本で売ることによって、イパポ村での深井戸を用いた石鹸つくりによる村おこしの資金にするって事が行われています。 お隣に置かれている「シアバター」は、アフリカの乾燥地帯に育つシアの木から採れるナッツを粉砕し、煮詰め、かき混ぜて作る植物性バターだそうで、ガーナのクリスチャン系のNGOメンバーが作っています。 油点が人肌の温度に近く、肌に塗ると、すっとなじむのが特徴で。ヨウ素が多く含まれているので殺菌効果もあるとのこと。頑固な手あれ、肌荒れ、アカギレとかにも効きそうです。 今の季節より、冬場に役に立ちそうですね。 アフリカの生活の知恵が詰まっていそうな商品たちです。 そんなことで、素敵なアフリカの商品とともに、タイのツナミクラフトのハーブ石けんを置いてもらえるのはとても光栄です。 ☆ショップ情報☆ African Forest 営業時間/12:00〜20:00 下北沢 東洋百貨店内 http://africanforest.jp/
このブログが切っ掛けの商品発売
このブログが切っ掛けで出来上がった商品が発売になりました。
商品といっても、モノではありません。 パッケージツアーです。 すでにお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、ツナミクラフトを住民たちと一緒に創る体験ツアーなんです。 私が苦労して行ったところも、これで簡単に体験ツアーができます。 しかも、今の季節、緑が綺麗で、とてもゆったりとしています。 さらに、下手すると、東京より涼しかったりします。 カオラックメルリンリゾート パンガー タイ カオラック ビレッジ エクスペリエンス:2泊3日 http://www.merlinphuket.com/japan/khaolakmerlin/rates.htm 商品開発の参考になったブログ記事 パックトリアム村 タイダイ(草木染) 記事 1 2 タレーノーク村 石鹸作り 記事 さをり織り 記事 このツアーは、ホテル滞在者向けの、オプショナルツアーバージョンもあります。 カオラックメルリンリゾートにのんびり長期滞在しながら、体験ツアーにいくのも良いでしょう。 ヨガ体験と組み合わしてもいいしね。
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