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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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日本男性と比女性の婚外子日本国籍認めず [2007年02月27日(Tue)]
出生前に認知すれば大丈夫なのに、出生後に認知すればダメということって、それってなんかおかしいじゃん。ってことで、行われていた裁判の2審の判決が下りた。

今の日本って、国際化が進んでいて、15から20組に一組が国際カップルという状況になってきているわけですが。そうすると出てくるのが国籍の問題です。
先日も、嫡出子の問題と、国籍の問題に関連した事を書いたけど。今までは、国際結婚なんてレアケースだとといことで、あまり法律の矛盾点や理不尽なところとかに気がつかなかったわけですが。
どんどん、カップルが出来、法律的に結婚してもしなくても、どんどん子どもが生まれる。
そんなことで、いろんな事が吹き出してきているという感じがする。

さて、今回の判決だけど、判決文全部読んだ訳じゃないけど、これまたよくわからん事を言ってます。
「国籍法3条のうち、婚姻の要件だけを無効とすることは、裁判所が新たな国籍取得要件を創設することになり、許されない」
つまり、裁判所は、立法じゃないから法律の一部を変えられないって言ってるんですよね。
確かにそうだけどさ。
法律が憲法に違反しているのでは?ってことで、裁判しているわけだから。そんな言い方されたら原告が怒るよな。
裁判官は、原告の争点を理解してなかったんじゃないでしょうね。それとも、理解していて、この件について判断したくないから、難癖つけて逃げたのか。
たまに裁判官ってこんなことやるけど、どういうつもりで、そうしたんでしょうね。


関係する法律は、過去にこちらの記事に載せてます。

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日本男性と比女性の婚外子9人、2審は日本国籍認めず

 日本人男性とフィリピン人女性との間に生まれた子ども9人が、両親が結婚していないことを理由に日本国籍の取得を拒まれたのは違憲だとして、国に日本国籍の確認を求めた訴訟の控訴審判決が27日、東京高裁であった。

 宗宮英俊裁判長は、「国籍法上、原告らが日本国籍を取得できるとする規定は存在しない」と述べ、国籍法の規定を違憲として9人全員に日本国籍を認めた1審判決を取り消し、原告側の請求を棄却した。原告側は上告する方針。

 原告は首都圏などに住む7歳から13歳のフィリピン国籍の男女。

 訴訟では、未婚の日本人の父親と外国人の母親との間に生まれた後、父親に認知された非嫡出子が日本国籍を取得する場合、両親の婚姻が必要とした国籍法3条の規定が問題となった。同法は、同様の間柄の両親から生まれても出生前に認知されれば、両親が結婚しなくても日本国籍を取得できると定めているため、こうした違いが憲法が定めた「法の下の平等」に反するかが争点になっていた。

 判決は、「国籍法3条のうち、婚姻の要件だけを無効とすることは、裁判所が新たな国籍取得要件を創設することになり、許されない」などと述べ、原告側の主張を退けた。

 同条を巡っては、今回の訴訟の1審判決を含め、地裁では2件の違憲判決が出ているが、高裁ではいずれも原告側敗訴の結果となった。

 判決後、原告の子どもらと記者会見した近藤博徳弁護士は、「判決は理論的に見て到底納得できない。国籍を得られない多くの子どもたちの不都合の大きさに思いを致していない判決で、残念だ」と述べた。

(2007年2月27日20時39分 読売新聞)

リッキーマーティンはカッコイイ [2007年02月26日(Mon)]
世の中、いろんな天災が起きたりして、そういうときに、いわゆる有名なお金持ちの方たちが募金をしたりするわけですが。そのお金の出し方によって有名人の評判がかわる。
先日のタイ取材の時聞いた話なのですが、津波の時の有名人のお金の出し方で一番格好良かったのはリッキーマーティンだという事を言う人がいた。
理由は、多くの人が、赤十字などの国際機関にお金を出したのだが。その判断は間違ってはいないが。リッキーマーティンは、こういう目的でお金を使って欲しいと宣言して、関係機関にお金を出した。この姿勢がカッコイイというのだそうだ。
そう思った理由は、大きな組織にお金を出すと、すぐに現地に落ちてこなかったり、自分の思っているところにお金が届かなかったりするからだという。
逆に、カッコワルイのは、当時の首相であるタクシンさんで、他の国がお金を出そうとしているのに、タイは国内のお金でどうにかなるとか言って、海外からのお金を拒否したからだそうだ。まあ、タクシンさんにも一理あるにしても、南部には評判悪いから仕方ないかも。
そんな、リッキーマーティンだが、今度は、人身売買撲滅プロジェクトに着手したのだそうだ。
今までの、子どもの医療や教育についての取組に加えて、人身売買と奴隷を廃絶するために動くのだそうです。
内容は、どうも、中米地区を対象に人身売買被害者のための毎日24時間体制のコールセンターを設置するようです。


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R・マーティン、人身売買撲滅プロジェクトに着手
2007年02月21日

 2月20日、歌手リッキー・マーティンさんが人身売買や奴隷などの撲滅を目指すプロジェクトを発表(2007年 ロイター/Juan Carlos Ulate)

 [サンホセ(コスタリカ) 20日 ロイター] プエルトリコ出身の歌手リッキー・マーティンさんが20日、コスタリカの首都サンホセの大統領府で、人身売買や奴隷などの撲滅を目指すプロジェクトを発表した。

 マーティンさんは、教育や医療面などで困難を強いられている世界中の子供たちをサポートする基金「Ricky Martin Foundation」で自ら会長を務めており、この基金を通じて今回のプロジェクトを運営する。

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February 20, 2007
Ricky Martin and President Oscar Arias launched Llama y Vive to combat human trafficking

Costa Rica - World renowned Puerto Rican pop singer Ricky Martin and Costa Rican President Oscar Arias Sánchez are today joining IOM, the Inter American Development Bank and UNICEF in San José for the launch of the counter trafficking information campaign "Llama y Vive" (Call and Live) and a telephone hotline.

The regional campaign and the telephone hotline, which will operate in all Central American countries, were designed to alert potential victims of trafficking, protect children and youth and provide information to the general public.

A message from Ricky Martin is at the centre of the campaign. Television and radio public service announcements and posters and will bring his message during the next six months to all Central Americans.

IOM and its partners expect that the new hotline and the massive media attention will translate into increased awareness on the perils of human trafficking. The hotline is operated by trained personnel 24 hours a day, 7 days a week.

Costa Rica is a country of origin, transit and destination for human trafficking. The majority of the victims are forced into sexual servitude. But media reports also confirm the existence of human trafficking for forced labour, as well as trafficking within the country's borders. The country's youth are the most vulnerable to human trafficking.

Today's launch is part of the Global Agreement signed in May 2006 between IOM and the Ricky Martin Foundation.

In Costa Rica IOM will also work with el Patronato Nacional de la Infancia (PANI), la Línea 911 and the Fundación Ser y Crecer.

IOM has received the funding for this campaign from the US Department of State Bureau of Population, Refugees and Migration (PRM).

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↓こちらは、リッキーマーティンのタイでの取組み。
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December 21 , 2006
Ricky Martin Foundation and Habitat for HumanitY Announce Completion of Partnership to Help Tsunami-Affected Families
Hundreds of Tsunami-Affected Families and their children have homes in Thailand thanks to the support of The Ricky Martin Foundation and Habitat for Humanity



BANGKOK (December 21, 2006) - As the second anniversary of the deadly Indian Ocean tsunami approaches, Habitat for Humanity International and the Ricky Martin Foundation announced the completion of their partnership to restore 224 new and rehabilitated houses for tsunami-affected families in Thailand.


Musician and philanthropist Ricky Martin visits a Habitat for Humanity build site in Thailand where his foundation helped to make 224 homes a reality in partnership with tsunami-affected families.

“Through the generosity of Ricky Martin and his foundation, we were able to leverage the funds to improve the lives of hundreds of families with good housing, upgraded water and sanitation and enhanced livelihood opportunities,” said Jonathan Reckford, CEO of Habitat for Humanity International.

As an advocate of children’s human rights, Ricky Martin visited Thailand in January 2005 to assess the needs of the youngest survivors who are extremely vulnerable to traffickers after natural catastrophes. “During my first trip to Thailand immediately following the Tsunami, I met with families that had literally lost everything, including family members who were primary care providers and their entire lives were changed from one moment to the next. The priority was to see that families, especially those with young children, were able to move out of tent camps, where they were in many cases in danger, and into good permanent housing”, recalls Martin.

Two months after The Ricky Martin Foundation visited the devastated zone, they signed a historical alliance with Habitat for Humanity to construct 224 homes for the tsunami-affected families. In July 2005, Martin returned to the coastal zone of Phang Nga to dedicate the completion of the first Habitat houses with their new owners. “The Ricky Martin Foundation puts the lives of children and families first; it is a pleasure to partner with them,” said Peter Gape, Habitat’s regional program manager for the Mekong countries. In that specific zone PhrueTiaou, Phang Nga province, a total of 60 houses were completed as part of a large relocation project serving families that were the hardest hit of the Thai tsunami-affected families.


“Working with Habitat for Humanity, we were able to move 60 families into brand new homes in a matter of months, and the effect that this had on their lives was again, life changing, but this time for the better. During my second trip to Thailand, I had the opportunity to hand the house keys to the first set of families. It was incredible… I saw that by working together, the Ricky Martin Foundation and Habitat for Humanity provided not only shelter, but more importantly hope, to some of the most vulnerable citizens, the children, and their families,” Martin concluded.

As more governmental, non-governmental organizations and the private sector joined the building effort, Habitat for Humanity International and the Ricky Martin Foundation focused on the poverty-stricken coastal community of Kho Sirey that was suffering from tsunami damage and loss of livelihood. “The fishing industry recovered slowly, so construction employment was a real boost to the community. Now there are new and improved houses and for the first time, non-polluting toilets. Kho Sirey is a model of improved housing and community services,” added Gape.
Habitat for Humanity has helped more than 700 tsunami-affected families in Thailand to construct improved housing. More than 6,000 families in India, Indonesia, Sri Lanka and Thailand have benefited from Habitat’s tsunami-recovery program.

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リッキーマーティン財団のページより
民法772条問題は奥深い [2007年02月25日(Sun)]
民法誤解して起訴したということで、話題になったニュースなのですが、世の中の問題が複雑にからんでいて、すごく深いものがある。
しかも、いま増えていると言われている、日本在住の外国人、国際結婚、離婚にからんでいる。
そして、戸籍がないことにより、子どもの法的な権利が失われてしまう危険性まで波及する。
長文ですが、民法772条の問題を通して、あまりにもすぐそこにある法の落とし穴のことや、人の権利はどのように守られるのかなどを考えて頂ければ幸いです。

さて、今回の記事のきっかけとなったのは、下記の短い記事でした。
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刑事部長ら3人「厳重注意」=民法誤解して起訴−大阪地検
(時事通信社 - 02月23日 17:10)
 民法の規定に従って出生届を提出した女性を誤って起訴していた問題で、大阪地検は23日、起訴した検察官と上司の刑事部長、刑事部副部長の計3人を、それぞれ「厳重注意」とする処分を発表した。 
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この分野に限ったわけではないですが・・・
今の価値観では理解しにくい化石のような法律ってのがあるのですが。
法律の専門家が、そこにひっかかってしまったんでしょうか。
それとも、他の要因があったのでしょうか。
いずれにしても、法律の専門家が、民法誤解して起訴しちゃった。

普通は、逆のパータンで、離婚後300日以内にに子どもを産んだ場合、前の夫との子どもにされてしまって問題になる。

たとえば、既に婚姻関係が破綻しているにも関わらず、離婚調停なりがうまくいかず時間がかかるケースがあって。同時に次の夫との事実婚があっても、その新しい夫との子どもが、今の民法では新しい夫との子どもと認められず、離婚成立から起算した日をもとに一律に前の夫との子どもとされてしまう。
だから、離婚成立後すぐに子どもが生まれたからといって、浮気をする女とはいえない。
これで悩んでいる方はとても多く、この法律をどうにかしてほしいという要望がたくさんあるんですよね。
しかも悪用も可能で、離婚相手が、故意に離婚に合意せずに、相手に新しい生活を営ませないことや、浮気性の女性というイメージを与えることも可能で、生活面だけでなく精神的にダメージを与えることが出来る。
また、DVが絡んでいて、離婚の交渉がうまくいっていない場合。。「ある」ことを証明するより、「ない」事を証明するのが難しいわけで、事実婚がない事を証明出来ない場合、前の夫の子になってしまうということで、それ自体も精神的苦痛となるケースも多くきかれる。


参考記事
「前夫の子じゃない!」 民法772条と戦った悲しい経験
「離婚から300日以内の子は受理せず」の不合理
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000004160

今回は、新しい夫が自らの子どもと認めた上で、法律に従い前の夫との子として出生届け出を出した。
もう少し厳密に言うと、前夫に「(戸籍上の)父親になってほしい」と頼んだが断られたため、無断で大阪市内の区役所に出生届を出した。

ここは、予想ですが、妻がこういう行動に出たのは「非嫡出子への問題」が介在していたと思われる。いろいろ改善されたとはいえ「嫡出子」と「非嫡出子」との間には、身分の差から生ずる問題が発生する。
また、場合によっては、揉め方によって出生届を出せなかった場合、無戸籍になってしまい、住民登録さえも出来ず。特例で住民票が出ても、パスポートがでず、修学旅行に行けないということで外務省に旅券発給を要請した女子高生がいたりとか、様々な行政サービスも受けられなくなる。
そういう思いをさせたくないというのが、母心だろう。

無戸籍について 参考ページ

出生届未提出記、そして戸籍再考
http://homepage.mac.com/tsuchiya_sat/bessei/84.html

余談ですが・・・
法務省は1月26日に、民法772条の規定について、実態把握のため自治体などを通じた初の調査に乗り出すことを決めたそうだが。その時、長勢法相は「(1898年の法律施行)当時とは、家族についての意識も変わってきているかもしれないし、医療技術も発達したことが影響している」との見方を示し、「(子が無戸籍になるような)問題が比較的多く見られることは考えなければならない」と述べたって話があるけど。明治時代って、経済的な理由で、法律的に結婚しない(出来ない)人って多くて、ほぼ全員が法律的に結婚するようになったのは、昭和になる頃なんですよね。
家族や婚姻の実態が法律に合うのに約40年の時間を要したというわけです。
法的な家族の定義って、生活の実態から作られるというより、法律により家族が定義され、それによって家族の生活の実態が法律にあってくるという傾向がある。
しかし、時代と共に、法律と家族の実態がかけはなれてしまうのが面白い。
いくら法務大臣といっても、家族や社会や歴史や民俗学の専門家じゃないから、このあたりの知識がなかったんでしょうね。

今回のケースでは「非嫡出子への問題」に付加して、国籍の問題も絡んでいそうだ。
この妻は、中国人だったわけですが。子どもに日本国籍を与えたかった可能性がある。
日本は出生地で国籍を決めない国なので、親の国籍で決まる。
国籍法の第三条に基づいて、日本人との間の嫡出子でないと、日本国籍になれない。
日本で生まれ育っても両親が外国人なために外国籍なために、日本国内での生活が不利になる事もあるわけで、それを避けたいがために子どもに日本国籍が必要だという母心が働いた可能性がある。後で帰化申請する方法もあるが、これも大変だ。

話は戻って、そんなことで、新しい夫が自らの子と認めた上で、前の夫の名前で出生届を出してしまった。
すぐに前の夫が「嫡出の否認」を行なえば、夫の目的は達成出来たはずだが。
子どもが生まれたと知って3年経っていて。嫡出の否認が出来ないために、勝手に自分の名前を使って書類を出したと警察に届け出をした。その言い分をもとに、検察官が起訴した。

前の夫は「嫡出の否認」という方法があることを知らず、気がついたのが遅かった可能性がある。それで告発したのではないだろうか。
2001年10月に子どもが生まれた事を知り、警察に告発したのが2005年1月ですから、3年が過ぎている。
前夫は「嫡出否認の訴えは、夫が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない。」という、民法第777条の「嫡出否認の訴えの出訴期間」を過ぎていたために、この手続きが出来ず、別の方法がないかと考え、公正証書原本不実記載ということで、警察に告発したと思われる。
2001年10月に、「(戸籍上の)父親になってほしい」と頼まれて断ったということで、その時点で出生を知っていたことになるから、2002年10月までに「嫡出の否認」しないといけなかったわけだ。

起訴した方々は、告発したこの前の夫の勢いに乗せられたかもしれないし。
そして、被疑者が中国人女性だったからこそ、冷静さを欠いてしまった可能性があります。実際その人はどうかは別として、拘留された経験のある人から聞いた話ですが警察やら検察や拘留施設の職員は外国人に対して厳しい傾向があると言っていました。そういう雰囲気があったというのなら、犯罪に対してのある種の正義感により被疑者・容疑者の言うことを信じないだけでなく、中国人だったということなどでバイアスがかかってしまい、冷静な法解釈を誤り、起訴してしまった可能性がある。

「厳重注意」ということなのですが、免職、停職、減給、戒告という法律上の処分の下に、訓告、厳重注意と並ぶわけで。厳重注意されたからといって、経済的損失や、昇進には関係ありません。
これが重いのか軽いのかはわかりませんし、判例としては残るかも知れませんが。
今後同様のことが起こらないための原因究明と対策がなされるのかが大切だと思う。
時間がかかるのだとおもうのだけど、今のところ原因究明が行われたとは伝わってきていません。
気になります。

そして改正しようという動きのある民法772条の行方は・・・


参考

民法
(嫡出の推定)第772条 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。《改正》平16法1472  婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。《改正》平16法147
(父を定めることを目的とする訴え)第773条 第733条第1項の規定に違反して再婚をした女が出産した場合において、前条の規定によりその子の父を定めることができないときは、裁判所が、これを定める。《改正》平16法147
(嫡出の否認)第774条 第772条の場合において、夫は、子が嫡出であることを否認することができる。
(嫡出否認の訴え)第775条 前条の規定による否認権は、子又は親権を行う母に対する嫡出否認の訴えによって行う。親権を行う母がないときは、家庭裁判所は、特別代理人を選任しなければならない。《改正》平16法147
(嫡出の承認)第776条 夫は、子の出生後において、その嫡出であることを承認したときは、その否認権を失う。《改正》平16法147
(嫡出否認の訴えの出訴期間)第777条 嫡出否認の訴えは、夫が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない。《改正》平16法147 

国籍法
(準正による国籍の取得)第3条 父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で20歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。

戸籍法
第2節 出 生 
第49条 出生の届出は、14日以内(国外で出生があつたときは、3箇月以内)にこれをしなければならない。2 届書には、次の事項を記載しなければならない。
1.子の男女の別及び嫡出子又は嫡出でない子の別
2.出生の年月日時分及び場所
3.父母の氏名及び本籍、父又は母が外国人であるときは、その氏名及び国籍
4.その他法務省令で定める事項《改正》平11法1603 医師、助産師又はその他の者が出産に立ち会つた場合には、医師、助産師、その他の者の順序に従つてそのうちの1人が法務省令・厚生労働省令の定めるところによつて作成する出生証明書を届書に添付しなければならない。ただし、やむを得ない事由があるときは、この限りでない。
第52条 嫡出子出生の届出は、父又は母がこれをし、子の出生前に父母が離婚をした場合には、母がこれをしなければならない。2 嫡出でない子の出生の届出は、母がこれをしなければならない。3 前2項の規定によつて届出をすべき者が届出をすることができない場合には、左の者は、その順序に従つて、届出をしなければならない。
第1同居者
第2出産に立ち会つた医師、助産師又はその他の者
第53条 嫡出子否認の訴を提起したときであつても、出生の届出をしなければならない。 第54条 民法第773条の規定によつて裁判所が父を定むべきときは、出生の届出は、母がこれをしなければならない。この場合には、届書に、父が未定である事由を記載しなければならない。2 第52条第3項及び第4項の規定は、前項の場合にこれを準用する。

刑法
(公正証書原本不実記載等)第157条 公務員に対し虚偽の申立てをして、登記簿、戸籍簿その他の権利若しくは義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせ、又は権利若しくは義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に不実の記録をさせた者は、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。2 公務員に対し虚偽の申立てをして、免状、鑑札又は旅券に不実の記載をさせた者は、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。3 前2項の罪の未遂は、罰する。
マイナスになったものはない [2007年02月16日(Fri)]
医療事故に関するビデオの打合せに行ってきた。
打合せは、前向きに、和気藹々とした雰囲気だ。
医療事故の被害者の方もたくさん参加されていたのですが、当たり前なのだが、そこにいるのはいわゆる被害者像のひとではなく、普通に前向きに生きる人にしか見えない。
確かに、事故直後は混乱し、かなりキツイ時期もあったのだが、問題に正面から取組み。対話し。二度と戻らないものがあるにしても、それなりの成果を出してきた結果が、いきいきとした姿となっていた。
被害者の一人が言った「確かに、いろんなことがあったけど、マイナスになったものはない」
これは、全ての医療事故被害者に言えることではないにしても、一事故の被害者が実感してきたことでもある。
そこで、被害者という言葉が気になってきた。
被害者という言葉があるからこそ、いわゆる被害者でいなければならないという雰囲気が出来てしまう。しかし、実際の被害者は、単に被害を受けただけではない。
場合によっては、最先端になる。
にもかかわらず、第三者は、被害者に対し、被害者たることを求め、そこで安心する。
わたしも、今日、多くの医療事故の被害者の方とお話しするまで、その被害者という言葉の罠にはめられていた。
これは、津波の被災者達にもいえる。確かに被災したが、いまは、世界最先端を行っている人になったひとたちがいくらでもいる。
しかし、実情を知らない人たちは、被災者は被災者であることを求める。
とはいえ、言葉通りの方もいらっしゃることは事実でもある。
時間が掛かるかも知れないし、しずかにして欲しい時期もあるには違いないが、ちゃんと向き合うことができれば、マイナスになったものがなくなる時が来るようだ。

これから取材をつづけ、どのようなプロセスを経て、マイナスになったことがなくなったかを探ってゆきたいと思った。

2/17横浜にて人身売買に関するイベント [2007年02月15日(Thu)]
インフォメーションです。

音楽と映像でつづる朗読劇とトークセッション
子どもの未来を買わないで
〜少女・チムーからのメッセージ〜

http://www.rainbow.gr.jp/ohanashi/ukifune07yokohama.htm



いま、アジアでは、子どもたちがさまざまな問題に直面しています。環境破壊が生活環境の喪失をまねき、都会に働きに出た少女たちが、人身売買の被害に遭い、やがてエイズに蝕まれてゆく。そんな悪循環と暴力の被害者はいつも子ども、特に少女たちです。

愛・地球博(愛知)、モー娘文化祭(横浜)でも上映された、音楽と映像でつづる朗読劇エコロジーシアターから「天の浮舟(あまのうきふね)」と、子どもの権利活動家たちによる、人身売買に巻き込まれる子どもたちの現状レポートを通じて、アジアの子ども、そして日本の子どもたちが今、どういう状況にあるのかを知り、あなたにできる「何か」を一緒に考えてみませんか。

皆さまのご来場を心からお待ちしております。

当日、午後3時より開演時間まで同館内特設会場で、環境、子ども、人権に取り組むNGOのブース(展示・活動紹介・ミニ販売)が出展されます。
こちらにも、ぜひご参加下さい。

*出店者 ACE(児童労働)、JNATIP(人身売買)、AWC(アジアの女性と子ども)、ポラリスプロジェクト(人身売買)、アムネスティー湘南(人権・平和)、女性の家HELP(女性と子ども)、アイデアイースト(タイ津波支援)、森田明彦さん、ブージルさんなど
早々お越しいただき、こちらにも、ぜひご参加下さい。

<日時・会場>
○2007年2月17日(土) 19時〜21時(開場 18:40)
☆当日、午後3時より同館内特設会場で、環境、子ども、人権に取り組むNGOのブースが出展されます。
早々お越しいただき、こちらにも、ぜひご参加下さい。


○横浜開港記念会館 講堂  TEL:045-201-0708
URL:http://www.city.yokohama.jp/me/naka/renraku/kaikokinen/
アクセス方法:
(1)JR京浜東北線・根岸線「関内」駅南口から徒10分
(2)横浜市営地下鉄「関内」駅出口1から徒歩10分 (3)みなとみらい線「日本大通り」駅出口1から徒歩1分(駅出口からすぐ!)

<当日プログラム>
──────────────────────────────
○第一部 音楽と映像でつづる朗読劇(エコロジーシアター)
天 の 浮 舟
〜森を消費した国の少年と森を失った国の少女の出会い〜

ピアノ・歌 : 岡 さやか
朗  読  : 松田 和義  中山 由佳  渡辺 久恵 
音響・音効 : 東山 高志 
脚本・画像 : 岡本 功

「天の浮舟」関連ページ
http://rainbow.gr.jp/ohanashi/ukifune.htm


──────────────────────────────
○第二部  トークセッション
買われる子どもたち
〜子どもの未来を守るために、私たちは今、何をなすべきか?〜

パネリスト:大久保 真紀 氏 (朝日新聞鹿児島総局次長)
マリ・クリスティーヌ 氏(アジアの女性と子どもネットワーク代表)
藤原 志帆子 氏 (ポラリスプロジェクト東京事務所コーディネーター)
ファシリテーター:森田 明彦 氏(元ユニセフ協会広報室長)

──────────────────────────────

<入場料>
一般:800円(てのひら会員:500円)
*当日会場にてお支払い下さい。


<ご予約・お問い合せ>  
○てのひら事務局
要予約(※先着順にてお席を決定させていただきす)
Tel:050-1445-6947 
E-mail tenohira_ycatip @hotmail.co.jp
(メールにてお申込の場合は、お名前、ご住所、ご所属、メールアドレスを明記し、ご連絡下さい。確認次第、チケットを発送いたします。なお、個人情報はイベントの連絡のみに使わせて頂きます。)


○主催:てのひら〜人身売買に立ち向かう会
    関内に「天の浮舟」を呼ぼう!実行委員会
○協力:アイデアイースト NPOレインボー Boojil(ブージル)ほか(順不同)
さをり研修センター落成式典 [2007年02月03日(Sat)]
2007年2月3日午後1時より、日本の支援でタイ最大の津波避難所だったバンムアンに「さをり研修センター」が完成し、落成式典が行われました。
辺り一面にあった、仮設住宅が無くなり、替わりに新しい研修センターが出来たという感じだ。今までのテントでのさをり織り工房は、暑いし、雨漏りもしたのだが、日本政府から贈られた新しい工場はとても快適だ。
今後、私の扱っている商品もここで生産されることになる。
式典の方は、タイ駐在日本大使館公使 山田 淳氏、Achan Gavesako師、パンガー県副知事、
マーヤゴータミ財団理事長 Patrawan Trakulthong氏、NPO法人さをりひろば代表理事 城 英二氏ほか、100名以上の関係者が集まる中行われた。





草の根・人間の安全保障無償資金協力によって日本政府のお金で作られました

今回、研修センターが出来たことで、品質の良い製品が作れるようになるでしょう。


式典が終わり、さをり織りのデモンストレーションが行われる



今回出来上がった研修センターの他にも、パンガー県の津波復興住宅でもさをり織りが作られています。今回のデモのために、全ての工場からこの式典のために集まってきていて、研修センターは人であふれています。


式典はいろんな方が手伝いました。



中にはカンチャナブリのお寺のお手伝いをしている山岳少数民族の方も手伝っています。

とりあえず、料理の量がはんばじゃない



現地に住み込み
一生懸命ボランティアを勤める若い日本人男性

政府だとか、大きな組織だけでなく、小さな個人の力でも支援が行われている。


てなことで、今後も、日本国内に商品を紹介してゆきますのでよろしくおねがいします。



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アイデアイースト 津波復興住宅製民芸品





津波で町村合併?? [2007年02月02日(Fri)]
パクトリアムという復興住宅に行く。
ここは、二つの村が合併して出来た復興住宅街だ。

元の村からはかなり離れた内陸部にある。

ここで、絞り染めの工芸品を作っている。



要望の高かった、高床式で、風通しの良い素材の壁の住宅となっている。







この花が、この色に染まる。

こちらのタイダイもこれから力を入れてゆきます。
タレノー村へ [2007年02月02日(Fri)]
今日は、カオラックから足を伸ばして、クラブリからラノーン県内まで行く。
レンタカーはさすがに早く、バイクではいつ待て経っても着かないところも1時間強でつく。
クラブリは、最近、レインボーギャザリングが開かれたとのことで、世界中の旅人の間で話題になった町でもある。
ここに、NATRというNGOのトレーニングセンターがあるので訪ねてみる。

そこに行くと、開口一番に「赤ちゃんは来ないのか」だった。

去年の7月にまだ6ヶ月の息子を連れて行ったのは相当インパクトがあったらしい。インパクトがあっただけに、相方の顔を忘れていて、カヨコのことを7月に行った相方だと勘違いしている人も。

今回の目的は、安定した石けんの輸入ルートの確立だ。
事務的なお話しはさっさと終わらせて、ラノーン県内にある石けんの制作の現場に行くことに。

国道を走り、検問を越え、険しい山を越えたら、そこにタレノー村があった。
携帯電話を見ると5本あるアンテナマークの全てが消えている。
この町には携帯電話が通じない。

村の中心街にその工場があった。





日本で人気の手作りハーブ石けんも制作中

工房の中はすばらしい香りが充満している。

ここから歩いて10分ぐらいの所に美しい海岸があるということで見に行くことにする。
すると、途中で、以前お会いした石けんのプロジェクトのリーダー格の方と再会する。

すると、開口一番に「赤ちゃんは来ないのか」

またかよ。

赤ちゃんを日本に置いてきたと言ったら、残念がっていました。

海に行く道の両脇は、カーシュナッツ畑だ。
津波の塩害でもう再生しないと思われていたのだが。
2回の雨期で塩が流され、カーシュナッツが復活している。








タレノーの海はとても美しく。
ここが2年前に津波にあった場所だとは信じられない。

津波孤児たちの新しい家 [2007年02月01日(Thu)]
ナムケンでの取材が終わり、プッティアオにいくことに。

復興住宅が建ち並ぶ。



この近くでもバティックが作られているのだが。

別件で、津波の孤児が暮らしている施設に行く。
ホームビデオに較べれば大型のビデオカメラが面白いらしく子どもが集まってくる。
ここには、津波の孤児だけでなく、津波によって親子が離れて暮らさなければいけなくなった子どももいるようです。



この施設の建物は、世界中のお金があつまって昨年の12月に完成したそうで、とても美しい。

新しい建物とともに、施設のきまりも新しくなったようで、以前とは違い、みんなであつまってちゃんと感謝の言葉を述べて食事をするようになったようです。

様々なドネーションによって出来上がった施設だけに、感謝について忘れないことと、今後、運営をして行くにしても、多くのドネーションが必要ということで、このような規律というのが必要なのかと感じました。

ナムケンの町へ [2007年02月01日(Thu)]
バンムアンをあとにして、ナムケンに向かう。

入る道を間違えて、思わず美しい干潟に出会う。



今度は間違えずに行く。

ここは、ココカオ島行くフェリー乗り場のある漁村んのだが。街中に津波で流されてきた漁船が放置されているので有名である。





家の軒先で船が止まっている。
あと少しでこの船が家を壊していたかと思うとぞっとする。

それと同時に、これらの船が、多くの人を巻き込んでこの場所に流れ着いたと思うともう一度ぞっとする。


道に迷ったので、道を聞くと、気の良いバイクタクシーの方が先導してくれて、ペーさんというバティック作家の工房にたどり着く。



彼は、いまニューヨークで展示するための作品を制作している。
津波から復興するストーリーなのだそうで、何枚ものろうけつ染めで、そのストーリーが語られていく。
3日で一枚のペースで、約2ヶ月をかけて作るのだそうだ。



津波の被災地からアートで世界に情報発信をしようとしているのだ。
バンムアンの仮設住宅街は今 [2007年02月01日(Thu)]
昨夜は、カヨコを空港に迎えに行き、深夜にバンニャンに戻り、ツナミクラフトセンターのプイさんと再会し夜遅くまで飲んだが。
今朝は早起きして、津波復興の民芸品製作プロジェクト巡りをする。
今日は、タクアパ郡のバンムアン、ナムケン、プッティアオなどを廻る。
まずは、2月3日の式典の件もありサオリプロジェクトに行く。

サオリプロジェクトは早速完成したばかりの研修センターに活動場所を移していた。
以前のテントに較べとても快適だ。





以前の作業場を覗きに行く。
津波の仮設住宅は閉鎖されたため、盛り土によるバリケードを越えて行く。


役目を終え人気のない仮設住宅街


以前、行ったときには、どこか活気が溢れていたのだが、テント村はなくなり空き地が多く、無人の金属製の仮設住宅が立ち並んでいる。
タイの仮設住宅を見て感心するのですが、金属製ではあるが、伝統の高床式となっていたり、植物が植えてあるするところが、日本のプレハブの仮設住宅と違う。
日本の仮設住宅街ってどこか殺伐としているのは、植物がないせいもあるように感じる。

以前のサオリ織りのテントに行く。
まだ、資材の一部が置かれている。

裏側に回ると、別の民芸品作りのプロジェクトが誰もいない仮設住宅街の中で残されたように行われていた。



現在でも約10名を雇用している。

隣には、世界中の多くの人がこの地に来て、心のケアをしようと取り組んだ跡が残されていた。




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