• もっと見る

STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
<< 2006年03月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
月別アーカイブ
タグクラウド
子どもは何故、路上で遊ばなくなったのか、遊べなくなったのか [2006年03月31日(Fri)]
SSF笹川スポーツ財団が発行する「青少年のスポーツライフデータ2006」という10代のスポーツライフに関する調査報告書を読んでいて気になったことがある。それは、スポーツをする場所として「路上」が、2001年の前回の4位(22.0%)から、10位(4.9%)と大幅にランクを落とすと共に、17.1ポイントも下がったのだ。



報告書では「"路上"の激減は、学校内の施設利用が進む一方で、運動やスポーツの場として日常生活空間の利用が減少していることを示している」と書かれている。
四谷四丁目のあたりは、裏道にはいると、行き止まりの道路があるため、車の往来が少なく、子どもが、バレーボールや縄跳びをし、若者もサッカーをやっている姿を見るのだが。このような、どこにでもあった街の姿が、いつの間にか少数派になってしまったというのが、数字に表れた。
様々な国の映像を見ていると、子どもが道路で遊んでいるという風景をよく見る。それに比べれば、道路で子どもが遊んでいない日本はなんとなく活気がないように感じる。
道路を往来の場所として捉えている、警察なんかとしては、目的外である、路上で運動やスポーツが減るということは、交通安全面では、いい傾向とも言えるが。都市の機能として、人と人とが出会い交流する場としての道路という事を考えれば、どこか淋しいものを感じる。
道路は人と人との出会いの場であり、そこで行われるコミュニケーションが人の成長を促す面も大きいはずだ。
ブラジルなど南米のサッカー選手が強くて創造的なプレーをするのは、荒れた道路上で日が暮れるまでサッカーをしていたから、整備された芝生のピッチでは起きない、ボールの動きに対応する事で得た、環境適応力の影響だというがあり。その事を強く語る有名サッカー選手もいる。
路上での運動で、整備されていないのは、スポーツルールもしかりだ。学校で指導者がつく場合は、決められたルールでスポーツが実施されるが。路上では、自分たちでルールを定め、自分たちで守り、様々な出来事に対し、自分たちで、考え判定を下すことになる。これは、社会生活において、必要なスキルである。そして、それは、様々な自主的活動をする上でのスキルであり、世の中がうまく運営出来るようにするスキルでもある。
しかし、残念ながら、基本的に「言うことを聞く」という事を推奨されがちな学校では体験出来ないわけで。路上での運動やスポーツが減った事は、創造的な人材が育つ可能性を減らす結果となるだろう。
さて、なぜ、路上での運動やスポーツが減ったのかという理由については、この調査報告には書かれていない。
そこで、なぜ、路上での運動やスポーツが減ってしまったのかの要因を予想してみよう。
まず「交通量の増加」を疑ってみた。
交通量の増加が安全に子どもが遊べる場を減らしたのではということは、真っ先に浮かぶことなのだが。この5年間で、交通量が増加したとは思えない。交通事故の件数は増えてはいるが、ここ数年、交通事故死が減っている。交通事故死の数は、景気と連動しているという説もあって。景気が良く、人や荷物を運ぶ量が増えると、交通事故死が増えるという理屈なのだ。
とはいえ、17.1ポイントも下げるほどに、交通量が増えたとは思えない。
また、まちづくりの観点から、生活道路に、車が入りにくいような工夫をするところも増えていて、路上で遊ぶ場となる生活道路の交通量が減っているはずだ。
それでは、子どもが路上で遊ばなくなったのかということだが。サッカーは、路上で出来るスポーツであるから、遊びの種類が変わったから、路上で遊ばなくなったわけではない。また、ゲームばかりしていて、外で遊ばないというのも、今回の調査で、スポーツをする子どもと、しない子どものニ極化が解消する方向に向かっているそうで、必ずしもゲームにシフトしたわけではないようだ。それでは、そもそも、路上で遊ぶという発想がない。というのはあるかもしれないが、子どもは、どこでも遊ぶものだ。
集合住宅化の影響も考えてみた。だが、17ポイントに相当する量の、そんなに急激にマンションなどの集合住宅に引っ越したということは起こっていない。
次ぎに「子どもへの安全強化」だ。ここ数年、子どもの安全について、神経質になっている傾向がある。学校には警備員。登下校は、集団になり、親がついていく。また車でお出迎え。場所によっては、子ども一人一人にICタグをつけるところまで出てきている。
これは、ここ数年、立て続けに大きく報じられている、児童に対しての凶悪事件の影響が大きいだろう。
このことにより、子どもは、学校と家と習い事の場所を移動し、常に大人の監視下に置かれ、子どもだけで過ごす時間が少なくなっているように思われる。おそらく、これが路上で子どもが遊ばなくなった最大の原因なのだろう。
子どもが、路上で得る社会性のことを考えると、子どもへの安全強化の方法として、子どもを管理したり手の届くところに置いておくのではなく、子どもを奔放に遊ばせておいても大丈夫な環境を作る方向に持っていくことが必要であろう。
そうしないと、いくら、国際化への対応といって、小さな頃から英語を習わせたとしても、根本的な社会性を持たない限り、コミュニケーションがうまくいかなかったり。将来、創造性が足りないことで、問題の解決の出来ない大人が増えてしまう可能性があるのだ。
戦争の体験を聞く [2006年03月28日(Tue)]
元特務機関員の中谷孝さん(85歳)が戦後初めて自らの戦争体験を公の場で語るということで、循環型社会に戦争はいらない」 〜80代、50代、20代が語る戦争体験と戦争観〜という講演会に行ってきた。
この講演会は、ピースメディア塾の講師でジャーナリストの浅井久仁臣さん、戦争を知らない私たちが語り継いでいかなくては、と元日本兵の聞き取りを 一人で行い、その想いを被害にあった国の犠牲者の方々に届ける活動をする神直子さんなどが中心となり。戦争が終わって60年以上経ち、戦争体験者が亡くならないうちに、戦争体験を伝えようと開かれたものだ。
中谷さんは、中国で陸軍の特務機関員として働いていたそうだ。特務機関といっても、ジェームスボンドのような仕事ではなく、軍に属しているが、行政マンとして、当時、占領下であった地域の行政組織を機能させるような仕事だったそうだ。これって、立場や主体や目的が違うが、任務の内容的には、他国の法整備や行政の指導をしに行くという意味では、やってる仕事は、ODAの一環として支援活動としてJICAから派遣される行政のプロとあまり変わらない仕事をしていたと考えられる。
戦争は殺し合いで勝負を付けるだけではないレベルで、敵地を占領するという仕事があるということもあることを知り。戦争は総合力なのだということを知った気がした。
戦争に勝った後、どのように占領するかという組織が存在していたということは、戦争は単にやっつければいいというわけではなく、どのように占領するかも戦争のうちと考えて戦争をしていたということになる。日本は、侵略戦争をしていないという人がいるが、自国に都合の良い政府を作るように仕向けるという事がミッションに入っている限り、侵略戦争だということなのだろう。
とはいえ、陸軍に所属していたから、やはり、戦争の現場に遭遇したり、現場の事を見聞きしている。
たとえば、南京大虐殺だが、中谷さんは現場には居合わせていないのだが、捕虜の扱いに問題があったという指摘があった。当時の中国には、日本が捕虜を扱う施設が皆無だったそうで、同時に釈放はあまりしていない。残る選択肢は、逃亡するか、処分(殺す)のかの二つになるのだが、逃亡した捕虜も少ないということなので。かなりの人数が処分されていたそうだ。中谷さんも、捕虜の処分の現場に行かないかと誘われたことがあり、手伝いをしないかと言われたが断ったそうだ。どうも、この捕虜を処分するという習慣は、南京大虐殺の時から始まったようで、何万人もの捕虜の処分をしたために、その後の捕虜の扱いの基準が、変わってしまったそうなのだ。
戦争に行っていると、人を殺すのが当たり前になってしまうそうなのだが、それでも、人間性が残っているようで、南京大虐殺以降、攻める時には、総て包囲してして攻めるのではなく、逃げられる所を作ることにより、捕虜を減らす工夫をした作戦を採ったそうだ。もちろん、これは、捕虜収容施設がないからであるのだが、同時に無抵抗な人を目の前で殺しすぎることで隊員の士気を下げないようにしたという配慮があったのであろう。
朝鮮人の従軍慰安婦についての話しもあった。中谷さんは、従軍慰安婦を利用したことがなかったのだそうだが。あきらかに朝鮮人女性の慰安婦はいたそうで、あまり人気がなかったのだそうだ。理由は、無愛想だったからだそうだ。自らの意志で仕事をしていなかったために、仕事へのモチベーションが低く、兵隊が良いサービスを受けられなかったため、兵士には人気がなかったのだ。心を閉ざし、無口な状態だったと言うことで、強制的に連れてこられたという事を聞いた兵士はいなかったそうだが。よく、任意で行ったものであり、従軍慰安婦がいなかったという人がいるが、このような状況からすると、証言がないということで、事実がなかったと言い切ることはできないであろう。任意でなら、もっと仕事を楽しんでいるはずだ。
とはいえ、日本軍がやったのに「やってない」という事が喧伝されるケースもある反面、日本軍がやっていないことが、喧伝されているケースというのがあるという話しがあった。フィリピンなどで、戦争体験の記録をしていた方が、よく耳にすることに、日本の兵隊が、赤ちゃんを放り投げて、落ちてきた所を銃剣で刺して殺したという証言である。しかし、本人が目にしたのかと、聞くと「そういう事があったと聞いた」ということになるそうだ。でも、どこかで行われていた可能性は捨てきれない。そんなことで、その話しを中谷さんにしたところ、実は、当時、中国で、日本兵が赤ちゃんを銃剣で殺すことが書かれた張り紙やビラが大量にあったそうで。それと、全く同じ内容がフィリピンにあると知り驚いたとのことだ。
ここに、人の殺し合い意外の情報戦という戦争の側面がある。
日本軍と戦うために、自国に有利な情報を大量に流すと、それが、いつの間にか事実のようになり。それが、後世にまで伝わってしまうということなのだ。
つまり、ウソも100万回言えば本当になり、歴史になってしまうのだ。
中谷さんは、確かに、日本の兵士は、人をたくさん殺したし、あとから考えるとぞっとするほど、その時は人を殺すことが平気だったのだが、さすがに、そこまではいていないと言っていた。
戦争は、情報によっても、後世に悲劇や憎しみを作り出しているのだ。
それだけに、戦争の証言をなるべくたくさん集めて、それを検証してゆくことにより、ウソが事実にならないようにしないようにしないといけない。
いま、様々な戦争の証言を集めるプロジェクトが進行している。そして、戦争が終わってから60年以上経ち、人生の残り時間が少なくなってきたのだろうか、証言をしたいという人が続々と出てきているそうだ。おそらく、時間が経つことと、世の中の様子を見て、自分の体験の記憶を、そのまま棺桶に持って行けない事に気がついたからだと思う。
だが、残された時間が短いのに対し、その証言を記録する人が少ないのだそうだ。

たとえば、下記の団体などがある。
興味のある人は問い合わせてみて下さい。

戦場体験放映保存の会 http://www.notnet.jp/yoronsenjyohozonFrameset-01.htm

こちらでは、証言をする方と、記録を録る方の両方を募っているそうだ。
延命治療に関しても同意が必要なんじゃないの? [2006年03月26日(Sun)]
富山県の射水市民病院で、外科部長が末期の入院患者7人の人工呼吸器を外し、全員が死亡していたことを、記者会見して明らかになった。
中日新聞の記事には"院長は「患者本人の同意が必要だった」と顔をこわばらせ言葉を濁した。"などと書かれていたようだが。あれれ、本人は昏睡状態で本人の同意を得られない状態だったんですよねぇ。
昏睡状態の患者に対して「患者本人の同意が必要だった」ってことは、その論理で、逆に言うと「延命治療に関しても同意が必要なんじゃないの」ってことになるよねぇ。
今後見込みのない患者に対し、意識がなく患者本人の同意が得られない場合に、延命治療が良くて、安楽死がダメってのは、「患者本人の同意」とは関係のない所の問題なんだと思う。
それなのに、NHKのニュースでは"病院長は「患者本人の意思を確認した同意書はなく、安楽死や尊厳死だとは思っていない。延命治療を中止した行為はあくまでも個人の判断であり、許されるものではない」と述べており、病院は、去年10月、外科部長を医療業務から外す処分を行うとともに、警察に届け出ました。富山県警察本部では、病院関係者から任意で事情を聴いており、殺人にあたらないかどうか、患者が死亡したいきさつを詳しく調べています。"NHK 03/25 19:21 っていう風に、本人の同意書が書けないことが問題のように受け取られる内容で放送されていた。
そこに、なんとなく違和感を感じた。



朝日新聞に"横浜地裁は95年、「東海大安楽死事件」判決で、例外的に延命治療の中止が認められるのは、(1)回復の見込みがなく、死が避けられない末期状態にある(2)治療行為の中止を求める患者の意思表示か家族による患者の意思の推定がある(3)「自然の死」を迎えさせる目的に沿った決定である――の3要件を満たす場合のみ、との判断を示している。 "朝日新聞 2006年03月25日22時10分 ということが書かれているのだが。今回の件は、おそらく(1)はクリアしていて(2)の部分に少しグレーの余地があるのだがクリアしている。そして問題は"(3)「自然の死」を迎えさせる目的に沿った決定である"という部分が引っかかったのではないだろうか。
(2)の部分のどこがグレーかというと、本人が意思を伝えること自体が困難であることと。あくまでも、家族による推測で判断されているということである。
本人が意思を伝えにくい事には、死を選ぶことが、道徳的、社会的にもあまりいいこととされていないからである。
国政レベルで考えると、社会保障の部分の財政が破綻しかけているというが、その大きな原因のひとつが莫大な医療費と考えると、延命治療を短期化することは、そのぶんの費用を他の医療や社会保障に回せるというメリットがあるはずなのだが。それでも、延命治療をすることが当たり前になっている。
また、遺書があっても、道徳的、社会的に「自殺」が認められていない中で、ある意味、自殺とも言える、延命治療をしないという患者本人の同意は、社会的・道徳的な無言のプレッシャーにより言い出しにくいという問題もある。言論の自由があるにしても、「こういう場合になったら、延命治療を止めて欲しい。」と言い出せるのだろうか。
次ぎに、家族の推測だが、"(2)治療行為の中止を求める患者の意思表示か家族による患者の意思の推定がある"とのことだが、普段から本人が口に出している人以外は「家族による患者の意思の推定」は不可能だ。
今回の件で"病院側からの届けを受けた県警は、病院関係者から任意で事情聴取を開始。関係資料の提出も受け、立件の可能性について慎重に調べを進めている。ある捜査幹部は「殺人にあたるのか、嘱託殺人などになるのか。患者の同意の有無など慎重に調べたい」としている。" 朝日新聞 2006年03月25日22時10分 と報道されているが。もし、この件が殺人と認められたとすると、同意した家族も、殺人を指示した人物となってしまうのだろうか。もし、家族が殺人を指示した人物としてされずに、この外科部長だけが、殺人の罪に問われるとするのは、家族の同意の下に延命治療の中止を行ったとすれば、家族が良くて医師がダメという、ちょっとおかしな話しとなってしまう。
また、こういう本人の意識がない状態で、延命治療を徹底して欲しいというという意思確認もできないわけで。それは、家族の推測も同様である。なぜ延命治療が行われるのかというと。運命治療を欲しているという、ある種の性善説のような大前提があった上で、延命治療を行っているのではないだろうか。
だから、本来なら、延命治療を行わないという同意を得ると同じように、延命治療に関しても本人の意志の確認が必要なのだと思う。
とはいえ、本人の意識がないところで、延命治療をするにしても、しないにしても、本人の意思の確認が出来ない。だから、誰かが判断するしかない。
また、今回の件では、家族の同意があったと、カルテには書かれていても「同意書」がなかったという所も問題になってくるだろう。
そこで次ぎに疑問になってくるのが同意書である。
同意書があれば、この問題が解決するのだろうか。あくまでも同意書は、あくまでも、責任の所在を判断する証拠の一つであるだけで、根本的な問題の解決には役立たない。
または、あとで、あの同意書は、自分の意志ではなかったという事を主張した場合、定型文のものはとくに同意書があることによって、同意書の法的な効力があればあるほど、その同意書を書くまでのプロセスが、軽視されてしまうという傾向がある。
同意書にサインをしたことを理由に、いろんなことができてしまう危うさがあるだけに、同意を得るまでのプロセスが重要になるはずが、そのプロセスが一枚の紙切れを書いた時点で、プロセスが重視されなくなるという矛盾をはらんでいるのだ。
だからこそ、延命治療の問題が「同意書」があるかないかという論議にすり替われば、問題の本質から離れていってしまうことに繋がる。
つぎに(3)についてだが、(2)本人の意志や家族の同意うんぬんより、今回の件に関しては、これが一番問題になっているように思う。
病院長が"延命治療を中止した行為はあくまでも個人の判断であり、許されるものではない"と言ったのは(3)「自然の死」を迎えさせる目的に沿った決定"のプロセスに関わらなかったことでもあるのだが。実際は、部下である外科部長が、自分の言うことを聞かない状況があったから、突き放したという部分もあるのではないのだろうか。
記者発表の現場にいなかったので、なんとも言えないが、いろんな記事から病院長のコメントをつなぎ合わせると、どこかに、部下である外科部長を突き放していると受け止められる表現がある。
医療の現場の最前線にいると安楽死という選択肢が出てくる現場に立ち会うことが多い。それと同時に、現場で判断をしていかないといけない事が山というほどある。しかし、現場で判断する事が多いだけに、現場と管理する側との間に、温度差が生じていることが発生しやすいのではないだろうか。
今回の件は、過去5年間ぐらいの間に7人に対して行われていたのだが。それだけの期間、病院長という管理をする立場の人間が、判断の蚊帳の外にされていた。
しかし、簡単にクビに出来ないと思われる公立の病院ということから推測すると。他にも、現場で判断をされていた事に、病院長が快く思っていなかった可能性もある。そして、この手の報道でよくあるパータンなのだが、今回の当事者は患者などから評判であったとのことだが。この評判だった理由というのは、もしかすると、現場でパキパキと判断をしてくれる方だったことが信頼を得た可能性もある。
人は誰でも妬みという感情を多かれ少なかれ持つのだが、もしかすると、現場で判断をして評判を得ている部下について、病院長が快く思っていなかった所にこの事件が発覚したのが、自分の部下である外科部長が社会的、法的に制裁を受ける状態になり場合によっては復帰出来ない状態になることを承知の上で、記者発表をした真の動機であった可能性もある。
つまり、記者発表を行ったのは、情報公開の方針というよりも、病院長と外科部長との間のコミュニケーションや確執などの問題があったのではないかとも推察できる。
延命治療をすべきかどうかという社会的な問題を提起したという事では、この記者発表の社会的意義は大きいと思うが。病院長が、部下の個人的判断という事で、病院の組織の問題であるという部分を切り離してしまっているのは、同意書のあるなしにも関わってくるのだが、病院長が管理責任を取りたくないという意思の表れであるとともに、この病院の組織がおかしくなっているからではないのだろうか。
組織というものが、個人の判断の積み重ねで力を発揮しているのならば、個人の判断の切り捨てと思える行為は、組織の構成員が考えて判断をするということをしなくなる。いわゆる思考停止状態となる。
構成員が思考停止をしていても、ルールが決まっていればそれなりには機能はするが、さまざまなことに対応の出来ない組織となってしまう。
考え方が違うからとか、言うことをきかないからという理由で、組織から人を切り離していくと、結局は、考えることが出来ない弱い組織となってしまうのだ。
つまり、病院という、さまざまなイレギュラーへの対応と迅速な判断が必要な組織が、思考停止をして機能しなくなるという恐ろしい一面をもっているのだ。
それは、判断基準を決めてゆこうという流れの悪い側面でもある。
今回の件は、延命治療をするかどうかという人間の尊厳に関わる部分に隠れて、組織のあり方についても問い掛けるものを感じた。
「伝統を守る」という言葉を借りた思考停止 からの脱出 [2006年03月20日(Mon)]
京都の田舎神社の第二種兼業神主?が会合があるということで東京に出てきたので会うことにした。
彼が、神主など神社で働く人のインターネットコミュニティが10周年を迎えるにあたり、単なる勉強会ではなく、ワークショップスタイルで行おうということで、東京にやってきたのだ。
ワークショップが開かれるには、その背景がある。
それは、神職で食っていくのか大変だからである。
彼も、平日の昼はサラリーマンをやり、夜や休日に神社の仕事を行っている。まだ、この神社は、神主なり神職についている人がついているからいいが、最近では神主がいない神社も多いそうだ。
さて、昔は、それなりに神社もやっていけたのに、なぜ今はダメなのだろうか。
まず、環境的な原因として、都市への人口の移動などで、地域コミュニティが崩壊して、地域コミュニティと密接に関係のあった地域の神社と人々との生活とが離れてしまった事がある。しかし、賛否両論ではあるが、時代に合わせたマーケティング戦略をとり、若い女の子をターゲットにして様々な商品開発をし成功した神社もある。
この商品開発に対する賛否両論はどこから起きるかというと、神道という宗教行為から逸脱している可能性があるからである。それは、神社の中で女の子向けのお守りを売っていて、それがバカ売れするぐらいだったら可愛いが、神社の名前を使った商品がスーパーの店頭に並んでいるという所まで出てきたため、伝統を守って商売に熱心ではなかった神社などからは「けしからん」という声が出てくるのである。それは、信仰の精神からの逸脱に対する指摘の要素以外に、「けしからん」と言わないと、過去にこだわり、伝統を守ってきて自分たちの立場がないという要素もあるのだそうだ。
しかし、神社もなんらかのお金を回さないと、古くからの伝統のある神社も維持出来ないわけで、商売を否定ばかりしてはいられない。
そんなことで、神社を営む者が、神社経営の相談に乗ってくれる組織などに相談することがあるそうなのだが「伝統を守りなさい」という言葉が返ってくる事が多いそうだ。この言葉がけっこう曲者なのだ。
確かに歴史も背景も祀っているものも違う神社の個々のケースに合わせたコンサルティングは簡単にはできない。そこでどこに対しても言える「伝統を守りなさい」と言われてしまうと、相談した方は何も言えなくなる。
そして、その言葉には、3つの思考停止がある。
1つは、「伝統を守りなさい」という回答をすれば、相談者が何も言えなくなるだけに。何も考えずに「伝統を守りなさい」といっておけば、実際は問題解決には繋がらないにしても、なんらかの形で相談者に回答したことになり。とても楽である。それで、なんらかの金銭が動いているのであれば、とても効率的なコンサル業と言う、皮肉じみた表現がよく似合う。
2つめの思考停止は、「伝統を守りなさい」という言葉をきいたときに、「いままでと同じ事をやっていればいいんだ」という自信を深め、自分で考えるという事をやめてしまうのだ。
次ぎに、3つめの思考停止は、「伝統を守る」ということが、自分で考えずに、あくまでも過去の事例に頼ることに繋がるところである。
確かに、伝統の中には、その神社の個々の背景に基づいた過去の対処法なりがあるわけで、それが問題解決に繋がる知識があることにはあるのだが、今起きている大きな変化に対応した問題解決方法が記された伝統をもっている神社はほとんどない。つまり、前例がないから対処出来ないのである。
それなのに、「伝統を守りなさい」という非の打ち所のない言葉をなげかけられてしまうと、自分で考えずに思考を停止し、伝統の中にある前例を探すことに労力を使うこととなる。
そんなことで、「伝統を守る」という非の打ち所が見つかりにくい言葉から、多くの思考停止が生まれているようなのだ。
そして、別に「伝統を守りなさい」ということで思考停止に陥るだけでなく、もっと日常的に思考停止に陥る出来事があるようである。
そんなことで、神職に就いている人の中には、思考停止が当たり前になってしまっている人が多いと言うことがあるそうで、それが原因で食えていけない神職の方が多いのではという仮定のもとに、ワークショップを開くことにしたのだという。

さて、普段から慣れていない「思考する」という体験をするワークショップだが。思考したことがないだけに、どうやったらいいのかわからず、様々な不満が、ファシリテーターを勤めた彼に「もう、二度とやりたくない」と言い出すほど激しくぶつけられたそうだ。
人は、だれしも、慣れないことをして、うまくいかない時、誰かに当たってしまう事があるが、まさにそれだ。
しかし、ワークショップがおわると、自ら「思考した」体験の楽しさでいっぱいになり、参加者から「また、今度もやって欲しい」という声がいっぱいになったそうだ。思考する楽しさを体験したことは良かったのだが、その楽しさを再び味わいたいために「他人に頼る状態」なのである。
神社を経営するには「自分で思考し」「自分でやる」必要があるのだが。思考する楽しさを知ったのはいいが、まだまだのようである。
神職の方の中のほんの少しだし、まだ第一歩を踏み出したところではあるが、思考停止から抜け出そうとしている。

このワークショップには次回があるかどうかわからないが。
なんらかの形で繋がり、形式的な伝統でなく、「思考し自分でやる」という姿勢が伝統になってゆけば、鎮守の森という自然を守り、神と繋がる場所である神社が後世にも伝わってゆくのであろう。
津波復興住宅からの転出 [2006年03月11日(Sat)]
タイ・カオラックの津波復興住宅で作られている民芸品の電話打ち合わせをしていてわかったのだが。
どうも、民芸品工場のリーダー格の一人が、復興住宅を出て、田舎に帰ることになったらしい。

私は、ついに・・・と思った。
同時に、自分の無力感も感じた。



災害で家と仕事を失った場合、家がいくら直っても、仕事がない限り、そこで生きていくことは出来ない。
カオラックに観光客がもどって来たり、復興住宅で働く人の作ったものが売れてゆくなどしないと、そこに住んでいる方は暮らすことが出来ないのだ。
まだ、このリーダー格の方の場合、田舎に帰ることが出来るだけマシなのだが。田舎に帰るわけにもいかない人は、どうしようもないのだ。
もしかすると、いまここに住んでいる人の事情を察して、自ら口減らしをしようと、田舎に帰ることを決意した可能性もある。体力のあるうちに出て行かないと、共倒れするからだ。
そして、このままずっと、経済が沈滞すると。せっかく作った復興住宅もゴーストタウンになる可能性もある。
今は、復興の建設ラッシュでそれで食っているが、それが終わったとき、さらに経済は悪くなるだろう。その時が一番怖い。だが、すでにカウントダウンが始まっているのだ。

そんなことで、このリーダー格が辞めるまでのうちに、商品を発注することにした。もう去ると決めた人を引き留めるわけにはいかないので、せめて、発注することで、後任の方に引き継ぎがスムーズに行くようにしたいとの思いだ。

3/18の深夜 新宿ロフトプラスワンにて カオラックの民芸品販売します。

3/下旬より、兵庫県西宮市内の雑貨店にも、委託販売開始します。

4/22.23 アースデイ東京に出店します。
関東バスへの処分ってどうよ [2006年03月08日(Wed)]
東京の大手バス会社の「関東バス」が、月に800本の間引き運転をし、常態化していたことについて、国土交通省から運行停止処分を受けるそうだ。
間引き運転の原因は、関東バスが、その地域の渋滞への考慮が甘かったことにより、実情に合わないバスの運行ダイヤ設定となったことが原因で。深刻な渋滞のため、ダイヤに対して、車両が足りなくなったため、バスの本数を減らさなくてはいけなくなったことから発生している。そして、吉祥寺絵北口から出る最も酷い路線では、1日平均10本前後の間引運転がなされたという。
現在は、バスの運行ダイヤが改正されたので、問題は解決の方向に向かったのだそうだが。国土交通省の処分が少し変だ。
それは、運行停止処分という、バスの台数を減らす処分を検討しているからだ。運輸局が行う、道路運送法違反(運行計画違反)の処分というのは、一部のバスのナンバープレートを一定期間差し押さえる運行停止するというものだ。
つまり、ダイヤを守るために必要なバスの台数に対して、バスの台数という供給が少ないから、間引き運転をしたのに。走らせることの出来るバスの台数を減らしたら、余計に間引き運転しなくてはいけないことになる。
ただでさえ、渋滞でバスが来ないというので、その地域の利用者が困っているのに。そのバスが来ないと困っている利用者に「運行停止処分だから、バスの本数を減らします」と言えるのかどうかだ。
しかも、東京の路線バスは、おおまかに守備範囲が決まっていて、その区域内では基本的に競合の会社がなく。地域内では特定のバス会社が、その地域を独占する形になっている。その路線バスの本数が減るのは、その地域のバスという交通手段の一つを奪うようなものだ。
さらに、結果として、バスの利用者が、自家用車にシフトしたら、間引き運転の原因となった、渋滞を悪化させることにもなる。
これは、その地域の住民にとっててとも不利だ。
つまり、この処分方法は、公共の福祉や公益の観点からすると、不適切な方法だ。

それだったら、ナンバープレートを一部取り上げるので、その取り上げたナンバープレートを他のバス会社などを相手に競売に出し、同一路線に他社の免許を下ろし競合させ、地域が必要とするバスの台数の維持を図るとか。
関東バスに、運行ダイヤを維持するのに足りない分のバスを、関東バスに貸し与え、そのぶんの代金と罰金を、一定の懲罰期間及び問題が解決するまで、貸与し続け。その代金と罰金を歳入にする。しかも、バスには、「間引き運転はもうしません。住民の皆様ご迷惑をおかけしたしました。なお、このバスが走らなくなる頃には、問題が解決しています」というラッピングがなされている。なんてことをした方がましだ。
児童買春についての旅行業界の取り組み [2006年03月07日(Tue)]
「アジアの児童買春〜旅行業界が取り組んだCSR」と題された、アムネスティ・インターナショナル日本が主催するCSRセミナー2006に行ってきた。

CSRとは、企業の社会的責任投資ということなのだが、多くの場合、メーカーの環境対策や福祉関係への募金などの活動が目立っていた。しかし、企業の社会的責任ってのは、環境や福祉だけでもなく。メーカーのような、ものを売る商売でなく、旅行業のような、サービスというものではないものを売る業界も、CSRに取り組むようになってきた。ちょうど、そんな時流に乗ったお話しだ。

さて、世界中で、児童買春にどれだけの人が対象になっているのかということだが。闇の世界なので数字が明らかになっていないのだが、ある国際組織が調べたところ、わかったところで、世界中で100万人もの子供が売春をしているそうだ。
そのうち、25万人がタイ、20万人が中国ということで、アジアでの児童買春は圧倒的に多く。その買春をしているのは、日本人がとても多いと言われる。実際、現地で、売春をしている少女に会うと、日本語を話せるケースが多いそうで、それだけ、販売対象が日本人であるという事がわかる。
そして、児童買春の対象になっているのは、必ずしも、行われている国や地域の人でなく、地方や隣国から連れてこられているケースも多いそうだ。

1990年のチェンマイで行われた会議から、児童買春の問題をどうしようという動きが世界中にあったのだが。それから、15年経って、日本の旅行業界も、日本の旅行業界らしいのやり方で、取り組みを始めたようだ。
15年も経って、いまさら・・・と言われるだろうが、旅行業界ってのは、客商売で、警察官ではないので、お客さんに強制的に対応する事ができないのです。観光をビジネスとして食うと考えると、児童買春はマイナス要因なので、それぞれが提示しないなどの工夫をしていたようだが。会社として、業界として、それを取り組むいい方法が、なかなか思いつかなかったのだ。
それは、あまりにも深刻な問題なので、マイナスのものからゼロにするという発想から、ゼロからプラスにするという発想があるということに気づきにくかったからのようである。
とにかく、児童買春は、旅行業界にマイナスである。
たとえば、児童買春について普通に良くないと思っている人が、旅行会社の意図とは関係なく、児童買春をしている人とたまたま同じツアーになったとして、たまたまその事実を知ってしまったら、多くの人は、不愉快になり、二度とそのツアーに行かないでしょう。
また、児童買春は、その少女なりに身体的、精神的ダメージを与えやすく、それに耐えるために、麻薬にも手を出す場合まであり、さらに、エイズなどの難病にやってしまう人も多い。そんなことで、とにかく、街にボロボロになった人が増えてしまう。これは、観光客を迎え入れる街としては、負の財産である。観光客を不安に思わせるような事は、ない方がいいに決まっている。(そこで、汚い者にフタをするだけの所も出てくるので、問題解決が難しい)

町役場とタイの観光警察が観光都市の街の盛り場で警備する所に同行したことがあるが、私服の役人が、鋭い目で、店員やお客さんや女の子の動きを見つめていた。そして、街に観光に来ている観光客に声をかけ、観光客のレベルで、怪しいことがなかったかの口コミでの情報収集をしている姿があった。観光で食う街は、児童買春や麻薬などでイメージダウンされては、食うに困るので必死である。
もちろん、地域レベルではなく、観光で食う国レベルでも、様々な取り組みを行っている。
しかし、国や地方自治体は、法律や警察などの強制執行機関を持っているのに対し。企業では、取り締まることが出来ない。これが、マイナスからゼロの発想の源である。

そこで、旅行業界の編み出した方法は、倫理規定を新たに作り、それに基づいて行動をするという方法だった。これが、ゼロからプラスにする方法である。
この倫理規定は"旅行と観光における性的搾取からの子ども保護に関する行動規定"に基づいてつくられていて、旅行会社なりが、ユニセフ(国連児童基金)、WTO(国際観光期間)、及び国際NGOのECPAT(エクパット)などが世界で推進している「Code of Conduct」というものに、サインをした所から、プロジェクトとして、実践活動に向けての行動そして、継続してゆくための行動に移されていくというものである。
行動規範だかにこそ、サインして認証して終わりではなく、継続性が必要なために、本来は「Code of Conduct」なのだが、敢えて日本人に解りやすいように日本では「コードプロジェクト」と言い習わすようにローカライズされている。

さて、この"旅行と観光における性的搾取からの子ども保護に関する行動規定"は、6つの内容がある。
以下は、今年の2/8に、JATA(社)日本旅行業協会と(財)日本ユニセフ協会が作った、「Code of Conduct」についての資料からの抜粋である。興味深いので是非読んで欲しい。

1)子どもの商業的性的搾取に反対する企業倫理規定・方針を確立する
昨年12月末までに、推進協議会のメンバーの旅行会社は各社の行動規範等の倫理規定に掲載。それらを文例として各社に公開、現在8社が実施済み。

(筆者注 ちなみに推進協議会に参加したいとする旅行会社が数社あり。今後も普及する見込みアリ)

2)出発地及び目的地の両国内の従業員に対し必要な教育・訓練を実施する社員教育資料として、英語版を日本語版に翻訳して作成。ユニセフの啓蒙用ビデオとともに各社に配布。利用方法等について本日研修を実施。

(筆者注 どうも、2/8に研修をしたようである。ただ、マニュアルは出来たばかりであり、実際にある会社では、4月の新卒からの研修からスタートし、順次拡大していくようです。また、企業が、分社化する動きがあるなかで、提携事業の会社も含む、グループ企業にも徹底しようという試みもされつつあります)

3)供給者(目的地ツアーオペレーター等)と結ぶ契約に、契約両者が子どもの性的搾取を拒否する事を記した条項を導入する日本海外ツアーオペレーター協会にて文例を作成。各社で契約更新の際、上記条項を導入する旨、連絡。各社とも3月の契約更改字の文面に導入予定。

(筆者注 じつは、私の考えるに、これが、実際に最も抑止力になるのではと思える条項だ。つまり、児童買春に関係してしまえば、契約が更改出来ず、結果として、仕事が干されるということだ。そして、旅行会社のチャーターするタクシーも、個人タクシーであれ、児童買春を紹介すると仕事が来なくなるということになる。しかし、欠点として、リスクが大きいだけに、児童買春の付加価値が高くなるが、絶対数は減るでしょう)

4)カタログ、バンフレット、機内映像、チケット、ホームページ等を通じ、旅行者に関連情報を提供する推進協議会のメンバーの旅行会社は、2006年上半期の海外旅行パッケージ商品のパンフレットにロゴ+文章を印刷する事を決定。JTBやJALPAKなどが2005年12月中旬より順次店頭へ。

(筆者注 どうも旅行の印刷物は、多種多様に渡り、しかも、一つの旅行会社のものでも、複雑にいろんな会社が関わっているために、実施についてはかなり難航しているようだ。世の中、計画通りに行くのはまれで、やってみないとわからない。てなことで、まだまだ印刷されていないものがあるそうです)

5)目的地の現地有力者に関連情報を提供する今後の取り組みについては、コードプロジェクト推進協議会で検討中。

(筆者注 多くの国では、有力者は日本以上に絶大な力を持っています。日本では、裏の社会と表の社会を分けようとしていますが、国によっては、堂々と表も裏も牛耳ってくれていますので、とても有効な手段かも知れません。また、セミナーの中で紹介されていたのですが、タイYMCAが同じ経済レベルのコミュニティで、小学生卒業以上の子どもが残っている所とそうでない所を調べたところ、地元の有力者が話し合って、子どもを守ろうということになり、児童買春のために子どもがコミュニティから出て行くという事が防げていたそうです。つまり、貧困だからといって、児童買春の道を選ばない方法もあるわけです)

6)コードプロジェクト運営事務局がベット指定する期間に対し、指定する文書をもって、本プロジェクト実行状況に関する年次報告書を提出する
2006年3月に英文報告書を作成予定。
(筆者注 是非日本語でも報告して欲しいものです。そうすることで、囲い込みが出来ます)


てなことで、長くなりましたが。

面白い取り組みがスタートしているので、今後もこのプロジェクトに注目してゆきたいところです。

私も、児童買春をテーマの一つにした「天の浮舟」という朗読劇を、実施するプロジェクトに噛んでいますが。深刻な話しだけに、やさしく語りかける朗読劇で、真剣に話し合う場を作ってみるお手伝いなんかが出来たらいいですね。
いろんな話し合う場もいいですが。
たとえば、旅行会社の新入社員研修のカリキュラムの中に、児童買春対策のワークショップを導入する際の、アイスブレーキングとして有効だと思います。
毎回、イベントの主旨に合わせて台本を直しているので、学校教育用にもアレンジ可能です。

関連記事 
児童買春について話す場 [2005年10月31日(月)]
天の浮舟 [2005年10月26日(水)]
盗まれた時間  [2005年08月27日(土)] 



記事が気に入ったらこちらをクリック→人気ブログランキングへ

もうひとつ、こちらもよろしければ→ブログランキング・にほんブログ村へ
全国木偏のNGO/NPOサミット2006 in東京 で演じる [2006年03月05日(Sun)]
「全国木偏のNGO/NPOサミット2006 in東京」という会議の後のアトラクションで、朗読劇を演じに行った。会場は家からとても近く、タクシーで1メーターなので、機材をタクシーで運ぶ。
今回は、「季節外れのサンタクロース」という演目で、人工林を手入れしない事により、いろんな問題がおきることを、やさしく、語りかけるというものです。
環境問題だけでなく、防災にしろ、対テロ戦争にしろ、なんにしろ、恐怖心を煽り、判断を鈍らせ。そこに、一つの答えを用意すると。その答えが、問題解決しない行為だとしても、そこに多くの人が突っ走ってしまう。
だからこそ、やさしく、語りかける必要があるのだ。

さて、この「全国木偏のNGO/NPOサミット」というのは、今回が2回目で。1回目は九州の日田という所で行われた。
これは、大分県日田地区の林業・木材産業関係者が立ち上げたNPO日本の杉桧を守る会(http://www.sugi-hinoki.ne.jp/)が、NPO/NGOの横の繋がりが少なすぎるという問題に気がつき、各地のNGO・NPOとのネットワーク化を図ろうと昨年3月に開催した第1回サミットが出発点となっているそうです。
そこで「木」に関するグループが情報を共有したり、あるテーマについて議論したりすることができるようにするためのゆるやかなネットワークを作り上げよう、そのための話し合いをしようというのがこのサミットの趣旨だそうです。

確かに、いろんなNPO/NGOがあるのですが、それぞれが、何をしているのかわかっていなかったりして。重複した無駄な活動になったり。ノウハウが共有されないために無駄な活動が増えたりしています。
それに対応するために、日本財団のCanpanなどもそうですが、NPO/NGOのゆるい繋がりと情報共有しようとする動きがあります。この全国木偏のNGO/NPOサミットは、そのような動き一つなんでしょうね。
これが機能してくると。もしかするとテレビや新聞より影響力のあるメディアになるかも知れませんね。

第二回目は、東京でしたが、今年の秋には第三回目として秋田県で行われるそうです。
職業選択の自由 [2006年03月04日(Sat)]


昨日紹介した「六ヶ所村ラプソディ」という、長編ドキュメンタリー映画を見に行った。

この作品は、青森県の六ヶ所村という、核燃料サイクル基地のある小さな村が舞台となっている。
核燃料サイクル基地というのは、原子力発電所の燃えかすである産業廃棄物である使用済み核燃料を、再処理する工場で。プルトニウムという無茶苦茶パワーのあるものにする工場だ。このパワーは大きすぎて、角砂糖1つ分で2000万人が死ねるぐらいのパワーがある。パワーがあるからこそ、それぞれ、電気に使おうだとか、爆弾を作ろうだとか、いろんな人が興味を持っているし、お金をかけて開発してやろうと思っているようだ。そんなことで、多額のお金がうごいていて、それで、村民も食えてしまう。
また、核燃料サイクル基地の特性として。原子力発電所では、発電の過程では、放射性物質が外に出ないように工夫されているのだが。どうも、核燃料サイクル基地では、少し、放射性物質が、空や海に出てしまうらしいんです。
そうなると、住んでいる人は、被爆してしまうんです。
この映画は、本格的な試験運転が始まる前の約2年間を取材して作った作品で。今は少数派になっているけど反対する人、昔は反対したけど今はあまり活動をしていない人、核燃料サイクル基地で既に働いている人など。いろんな立場の人が描かれていました。

さて、私が気になったのは、この六ヶ所村の問題って、核の問題もあるけど、職業選択の自由の問題でもあるんですよね。
漁師は漁業権を放棄したり、核燃料サイクル基地で働く人や、その関連産業で食べる人が村の大多数となっていたり、村の財源のほとんどが核燃料サイクル基地関連の収入という現状では、事実上、役所も含めて、この村のほとんどの人が、核燃料サイクル基地で生きているということになる。
逆の言い方をすると、核燃料サイクル基地以外では生きられない状態になっている。六ヶ所村は、事実上、職業選択の自由のない状態になっていると言える。
それに対して、核燃料サイクル基地の反対をしている人は、無農薬の作物を作ったりして、それを都会に売っていたりするのだけど。それって、核燃料サイクル基地以外の仕事を作ろうとしているんですよね。
もう、単純に反対を訴えても、既に、多くの人の雇用が発生している状態では、説得力がないからこそ、仕事を選択出来る余地を作る必要を感じたのでしょう。
現状では、核燃料サイクル基地がなくなってしまうと、たちどころに、村の経済がダメになってしまう状況で、環境が汚染されるからといって、反対することもできなくなる。

実は、これって、六ヶ所村特有の問題でもないような気がするんですよね。
たとえば都心では、魚が捕れないし、農作も、酪農も出来ないし、工場も作れないし、普通の住宅ではインターネット通販はできても、物理的にリアルな店舗は持てない。たくさん職業があるように見えて、実は、選択肢が少なく、たいして職業選択の自由がないのではないかと感じてしまう。
そして、一見、違う職業でも、ある基幹産業の関連で食っているのが大多数だとしたら、事実上の職業選択の自由がないと言ってもいいのかもしれない。
もしかすると「失業」や「ニート」が増えている原因の一つは、選択肢が少なく、職業選択の自由が事実上ないからかもしれない。

監督の鎌仲ひとみさんは、イラクで劣化ウラン弾の被爆者を描いた作品を作った後に、この作品を作ったわけだが。
放射能の問題を追っているうちに、作品をつくる過程で、ごく日常にある職業選択の不自由さという問題にぶち当たったようだ。

普段あまり意識をしている人は多くないと思いますが。
昔は自然環境などが職業の選択肢を減らす原因だったのですが、今は、役所や、いわゆる大手と言われるものがはびこることで、職業や生き方の自由が一見増えたように見えながらも、実際は奪われているようである。そういう現状が、極端な形で現れているのが、六ヶ所村なんだと感じました。

イラクがどうの、環境がどうのという事に興味が薄い人も。まずは、見てみて。
仕事とは、産業とは、人の営みとは何かを考えてみてはいかかでしょう。

真の職業選択の自由というものはなにかを見つめ直してみてはいかがでしょう。

関連ページ 六ヶ所村ラプソディ
六ヶ所村ラプソディー [2006年03月03日(Fri)]
今回は、ドキュメンタリー映画情報です。

鎌仲ひとみ監督は、元気いっぱいのおばちゃんで。こういうテーマの作品って、核開発が良くないという思考で製作を進めがちですが。鎌仲監督は、いろんな立場の人の取材をして作り上げたそうです。
「製作会社の公開日時を決めた」という一言で、33ヶ月に渡る撮影に終止符を打ち、編集に入ったと聞いていますが、どのようにまとまっているのか楽しみです。

公共事業はどうあるべきか、地方自治体の財政、核開発の安全性など、様々な問題点がどのように描かれているのでしょうか。



【1】『六ヶ所村ラプソディー』遂に完成!
【2】『六ヶ所村ラプソディー』3/3(金)・3/4(土)初公開上映会
【3】『六ヶ所村ラプソディー』あらすじ

【1】
■■■『六ヶ所村ラプソディー』遂に完成!■■■

鎌仲ひとみ監督の新作ドキュメンタリー映画『六ヶ所村ラプソディー』が
遂に完成しました。2004年4月から六ヶ所村を中心に取材を開始、
昨年10月のイギリスロケを挟み、33ヶ月に渡る撮影も昨年12月には
無事クランクアップ。平行して行われていた編集作業をこの2月に終え、
最後に音楽とナレーションを入れ完成しました。
 <2006年/16mm/カラー/1時間59分>

  『六ヶ所村ラプソディー』オフィシャルブログサイト
  http://rokkasho.ameblo.jp
 
【2】
■■■『六ヶ所村ラプソディー』3/3(金)・3/4(土)初公開上映会■■■

完成したばかりの『六ヶ所村ラプソディー』初公開上映会を開催致します。
鎌仲監督のトークもあります。皆様お誘い合せの上ぜひご覧ください。

≪日時≫
・3/3(金)14:30上映
      19:00上映
・3/4(土)19:00上映

≪会場≫
・四谷区民ホール
  東京都新宿区内藤町87番地 四谷区民センター9階 03-3354-6173
  (地下鉄丸の内線「新宿御苑前駅」より徒歩5分)
  
http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/division/261300yotsuya/kuminhall/fh-annaizu.htm

≪プログラム≫
・3/3(金)1回目 開場14:00/上映14:30/鎌仲監督トーク16:30
      2回目 開場18:00/鎌仲監督トーク18:30/上映19:00
・3/4(土)開場18:15/鎌仲監督トーク18:30/上映19:00

≪入場料≫
・前売り券:¥1200絶賛発売中!
・当日:一般¥1500、学生・シニア¥1200
※前売り券は、チケットぴあ店頭/セブインイレブン/サークルK・サンクス/ファミリー
マート
にてお買い求めください
   Pコード 475-681

≪主催・お問合せ≫
・グループ現代 
 TEL:03-3341-2863  FAX:03-3341-2874  
  distribution@g-gendai.co.jp
  http://rokkasho.ameblo.jp/

【3】
■■■『六ヶ所村ラプソディー』あらすじ■■■

2004年、六ヶ所村に原発で使った燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場が完成した。この工場の風下には豊かな農業地帯が広がっている。菊川さんは12年前からチューリップ祭りを開催し、再処理計画に反対し、くらしに根ざした運動を実践している。
隣接した村々で農業を営む人々、特に有機や無農薬で安心、安全な作物を 作ってきた農家もまたこの計画を止めたいと活動している。
一方、六ヶ所村の漁村、泊では職を失った漁師の雇用問題が深刻だ。村はすでに再処理を受け入れ、経済的にも雇用の面でも必要だという考えが行き渡っている。

2005年、イギリスの再処理工場で事故が起きた。取材で見えてきたのは事故の影響よりも、44年間日常的に放出されてきた放射性物質の行方だった。

圧倒的な力と経済力に、普通の人々はどうやって立ち向かっていけばいいのだろうか。その取り組みを、人々の営みをそしてそれぞれの選択を見つめてゆく。
表通りと裏通り [2006年03月02日(Thu)]
ちょうど、100ネタ目ということで、ほのぺのとした話題です。

王子の1ヶ月検診とお宮参りを済ますことにした。
とりあえず、ぶかぶかの、まるで宇宙服のようなもらいものの防寒着を着せて外出だ。
退院するときは、タクシーを呼んだので、今回は、だっこをした状態で最短距離を歩くことになる。
新宿通を歩き、文化放送の方に曲がり、須賀神社に向かう。
王子を見つけた、とおりがかりのおばあさんに。お宮参りのおべべを貸してあげようかと声をかけられる。さすが、神社の周りにある家だ。いつでも貸してあげられる体制のようだ。
とても嬉しい提案だったのだが、丁重にお断りをした。
でも、ほんと、うれしいよね。



てなことで、簡単にお宮参りを済まして。次は、一ヶ月検診だ。
タクシーの中もそうだが、助産院に入っても、王子はとてもご機嫌だ。
頭もでかくなってるし、体重は、生まれてから1キロ以上も増えている。

助産院を出ると、通りがかるお年寄りは、みんな、王子に声を声をかけてくれる。バイクに乗った白人男性までが「おめでとう」と声をかけてくれる。
とても嬉しい。
王子様は、ここでも、裏通りの人気者だ。

しかし、不忍通りに出ると、誰も王子のことを気に掛けなくなった。
新宿通を歩いていたときもそうだが、王子に気がつくと、何も言わずに、避けるんですよね。
王子を意識しているということはわかるのだが、触れてはいけなとものという概念があるのだろうか。
もう20年ほど前だろうか、幼女の誘拐事件があった頃からだろうか、子供に声を掛けるのが悪になった。裏通りでは、他人が見ていないから、自分の気持ちで、子供に声をかけるが、表通りでは他人が見ているからバツが悪いのだろうか。

臨月の時に行った古い喫茶店に行く。
丁度、お客さんがいなかったこともあり、王子の来店に、お店の方は大喜び。
今回は、ジンジャーティを頂く。
喉の調子が悪いときは、この紅茶をいただくのがいいらしい。

家にたどり着き、鍵を開けていると。とおりがかりのおばあさんに王子を発見される。小さい赤ちゃんを見つけた喜びで、家の玄関まで走ってきて、顔を見に来た。同行していた方が、呆れていた。
なんか、裏通りは、楽しい。
都会の中にも、まだ、やさしいコミュニティの名残が残っている。
前を向いて歩こう/寿[kitobuki] [2006年03月02日(Thu)]
新宿のネイキッド・ロフトで「ヒーリングナイト」というイベントにて、タイ・カオラックの津波復興住宅で作られた民芸品の出店をした。
今回は、愛・地球博やモーニング娘。のイベントで一緒に出演した岡さやかさんの歌と演奏、ワークショップ、寿[kitobuki]ライブの豪華三本立てだ。
この他に、二人のヒーラーさんによるヒーリングコーナーが設置され。VJは、KOH TAOのVJを担当しているeeteeさんという感じで、やさしく、楽しく、命の大切さを感じれる時間が過ごせる企画だ。

そんな企画の中で、タイ・カオラックの津波復興住宅で作られた民芸品の販売を行いました。商品の魅力を見つけるのが上手な方も多かったこともあり。たくさんの方が商品を手に取って頂きました。
「通販をしたらどうなの」というご意見をたくさん頂いたのですが。手作りの商品なので、一つ、一つ、風合いが違うし。光線の感じで、いろんな見え方がするということもあり。通販にすると、思ったものと違う商品が届いたりする危険性もあるし。一つ、一つの商品に込められたストーリーを直接お話し出来ないので。なるべく、対面販売したいという気持ちがあります。
でも、取扱店を募集中だったりします。

岡さんの素敵な音楽、そしてワークショップで、癒した後は、沖縄民謡などが得意な寿のライブで盛り上がるという段取りです。
寿は、10年以上続いている、横浜の寿町のライブが有名で、その盛り上がり方は、ロックの歴史に残るものである。
横浜の寿町というのは、いわゆる日雇い労働者の街で。その労働者が楽しめるイベントとして、毎年8月にお祭りをしています。
そこに、寿という名前が一緒というのが切っ掛けで、出演する事になった。
路上のライブなのだが、会場の近くに酒屋があるということや、日頃のストレスなどもあり。とにかく、無茶苦茶盛り上がる。
興奮した観客は、ついつい過激になることもあり、ステージに上がってくることもしばしばで、それを、日頃から現地で、日雇い労働者の世話をしているNGOの職員が、うまく、ステージから下ろしていく様が見事だったりする。
それだけ、心が解放されているライブなのだ。
寿町にも、韓国の人が来ていることが多いらしく。沖縄の曲が多い、寿に対し、懐かしい故郷の歌である、韓国の歌を歌って欲しいというリクエストが多いらしく。アリランをレパートリーに加えようと、歌詞を見たら、その歌詞の素晴らしさに感動して、歌うことになったのだそうだ。



寿のレパートリーは、島唄と言われる沖縄の唄、オリジナルの歌もあるのだが、ちょっと面白い日本語の歌も披露された。
それが「前を向いて歩こう」という歌だ。
カンのいい人は、おわかりのとおり「上を向いて歩こう」の替え歌である。
実は、この歌については、オリジナルの歌詞を作った永六輔さんの許諾を得ているそうで。永六輔さんは、この歌詞を見て「今までで一番素晴らしい替え歌だ」と仰ったそうです。
歌詞は、ちょっと載せられないが。
涙がこぼれないように上を向いて歩くのではなく、涙がこぼれてもいいから前を向いて歩く。
もう、10年以上も前だけど、阪神大震災のボランティアバンドなんてのをやってたのだが、とにかくどこでも「上を向いて歩こう」を演奏するわけです。
でも、どうしても、どうしても、涙がこぼれちゃうんですよ。涙がこぼれないようにって思っても、ダメなんですよ。これが、本当に、つらいんですよね。コード進行表も涙でかすんで見えなくなってしまう。肩が揺れてしまうと、リズムも揺れてしまう。ボロボロです。
このとき、どれだけ、涙を流しても良いかと言われたら、楽だったろうかということを、この歌を聞いて、気がついた。
当時は「がんばろや」ということが、キャッチフレーズになり、ダイエーの買い物袋までも「がんばろや」と書かれている状態は。いろんなことが折り重なって、頑張れない人にとっては、見るたびに重荷になっていくというのと、似たようなものだろう。
このとき「がんばらなくてもいい」と言われれば、助かった人も多かったのではないかと思うんですよね。
そして、幸せは空の上ではなく、幸せは自分の胸の中にというのも、とても、幸せを大切にしているようでとてもやさしい。
極めつけに、ひとりぼっちじゃなかった夜ときたもんだ。
そうして、前を向いて歩く。
なんて、やさしい歌なんでしょう。

寿のHP http://www.kotobuki-nn.com/

このアルバムに入っています。

寿[kotobuki]魂

今回は、前回と、全く違った、ヒーリングナイトでした。


さて、民芸品の売れ行きはまずまずだったのですが。
前回、買ってくれた方が、また来て買ってくれたのはとてもうれしい。

ちなみに、次回のイベントは、3/18の深夜0時(19日0時)より、ロフトプラス1に出店します。




記事が気に入ったらこちらをクリック→人気ブログランキングへ

もうひとつ、こちらもよろしければ→ブログランキング・にほんブログ村へ
続きを読む...
プロフィール

まいける東山さんの画像
まいける東山
プロフィール
ブログ
https://blog.canpan.info/ideaeast/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/ideaeast/index2_0.xml

tsunamicraftをフォローしましょう

canpanブログ大賞
特報!
ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」