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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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アフリカの旅で得たもの [2006年02月27日(Mon)]
本日は、久々に、ハオロンが主催するIFC国際交流会というイベントのお手伝いをした。以前は、企画・運営の側だったが、今回は撮影記録の担当である。
私がIFCに初めて噛んだのは、関西でのIFCを開こうということで、関西出身で関西に地の利があるということで、主催者という立場で企画から実施まで行った。そのとき、私の実家にハオロンが泊まったのだが。そこに古くて大きな肩載せ式のビデオカメラがあったので、おどけて、カメラを構えて見せたら。ハオロンが、「無茶苦茶きまってますよ」なんて言ったのが、心に残っていて。それで、しばらく離れていた映像系の仕事に復帰した一因となった。その後、ハオロンは、あいのりに出て、ビデオカメラに撮られる身になり、私は、映像ディレクターといいつつも、自分で撮影までしていて、ビデオを撮る身になり。ドキュメンタリー作家のはしくれになった。今思えば、不思議な出来事である。
そんな思い出話は、さておき・・・・

さて、今回のIFCは、アフリカの旅から帰ってきた、"ヒデ"こと今澤氏の話がメインだったのだが、これが実に良かった。



ハオロンにしろ、今澤氏にしろ、「あいのり」という人気番組を通して、アフリカと出会うわけだが。アフリカで旅して、いろんな事を得て帰ってきたようだ。
そして、自分でなにかやるということを見つけて帰ってきたようだ。
それは、エイズであと一週間の命という子供との出会いと別れや、かわいそうだからと、お金を渡したら回りにいる子供たちにボコボコにタコ殴りにあってしまうという現状などなど、さまざまな経験がそうさせたようだ。
そして、今澤氏は、1年というテレビ番組の撮影終了後、再びアフリカをたずね。スワヒリ語を学び、現地の人とあらためて接しなおし、また、新たな道を見つけたようだ。
それが、現地でつくられた民芸品の販売だ。
スワヒリ語を学び、現地の人の生活に混じった時、彼らの手先の器用さに気がつき、これをどうにか伝えたいと思ったそうで、それが民芸品の販売に繋がるわけだが。最初は、彼らを日本に連れて来たかったそうで。そのことを、彼らに話したところ「あなたたち、外国人は、自由に世界中にいけるが。わたしたちは、国から低く見られているから、パスポートやビザが下りないので、海外に行けないんだ」と言われたそうだ。
いろんな国でもあることだが。少数民族や遊牧民族は、国が管理できないとかいろんな理由で、国外に出られないケースが多い。
海外に行ける事が幸せかどうかわからないが、一つの現実と出合った一瞬だったようだ。
そこで、日本に、彼らを紹介する意味も含め、民芸品を扱うことにしたのだそうだ。

私もタイ・カオラックの津波の復興住宅で作られる民芸品を扱っているが、いわゆる発展途上国は、低く見られがちだが、すばらしい文化と技術を持っている。一度、それに触れてしまうと、誰かに伝えたくて仕方がなくなる。だが、ここに住んでいる人は、お金や法律など様々な理由で、その場所を動けないし。そこで生きているからこそ、その文化をせめて民芸品を通して伝えたいと思ったからこそ、共感が持てた。

彼の扱う民芸品には、"ヒデ"がデザインに参加し、一つ一つ手作りされたコラボレーション作品も多い。

クオリティもかなり高いです。

こちらのサイトでも通販されているが、手作りなので、精度は高いとはいえ、一つ一つに個性があるので、できれば、実物を見て買ったほうが、愛着が倍増すると思います。

もちろん、通販で買っても、間違いない商品です。

ちなみに、屋号のJAMAAは、スワヒリ語で家族を意味しているそうです。


さて、スタッフルームで、スマトラ島の津波以後のタイの話をしたら、風評被害について、様々な証言が出てきた。
中国で、反日デモがあったのだが、そのときに現地にいた人がいて、現地にいると、反日デモがあったということさえ知らないで、周りの人とともに生活していたそうだ。
そして、イスラエルでも、自爆テロがあっても、普通の人は、ごく普通の生活をしているそうで。語弊のある表現にも聞こえるが、大きな交通事故感覚だったそうだ。
ごく一部を、映像で撮られ、それを、放送されることで、そこでは普通の生活が営まれているのに、あたかも、その国や地域全体が大変なことになっているとイメージが作られてしまうという事を体感したのだそうだ。
私の取材した、プーケットは、観光で食べている地域だからこそ、そういうイメージにより渡航者が減ってしまうと、その土地で普通に暮らしていく事が困難になってしまう。

プーケットの風評被害をテーマにしたドキュメンタリー
「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」


次回のIFCは、5月ぐらいじゃないかという話も出ているので、今回いけなかった人は、情報をチェックしてみてください。
IFC国際交流会のHP
「一方的に疎外感を感じていた」という報道に疑問 [2006年02月21日(Tue)]
滋賀県長浜市で幼稚園児2人が殺害された事件のニュースがしきりに流れているが。
この事件は、殺人に至るという事を除いて、コミュニティに溶け込めない外国人の悲劇の一つの典型のような気がしてなりません。
テレビ番組等でいろいろ事件の背景を追いかけるような映像が流されているが、個人情報ということなのだろう、ダンナの影がないんですよね。ダンナの実家から出て、入院させたり、新築一戸建てに住んでいたりと、物質的には、それなりの生活をしていたのだろうが、それと裏腹に、孤立してゆく姿が妙に、目に浮かぶんですよね。
新聞に、おそらく警察発表そのままと思われる記事に「県警は、周囲から一方的に疎外感を感じていた鄭容疑者が、グループ通園でさらに葛藤(かっとう)を抱え、不満を強めていったとみている。」
なんて、書いてあったけど、本当に「一方的に疎外感を感じていた」のでしょうか。
警察で調書を取るときって、警察語で文章が書かれるので、事情聴取をもとに警察官が作文して、それを読み聞かせて、それでOKかどうかを確認して出来上がるわけですが。
形式通りに書くことで、読んだとき共通の認識を持ちやすいというメリットがあるが、その形式通りの順番に沿って質問をし、それに答えるという形で事情聴取をした場合。質問者の意図に沿った答えが出やすい質問方法を取りやすいわけだし、質問者の意図に沿いつつも、どちらでも取れるような文章を書くことも可能だ。
調書を取られる人は素人だけど、調書を取る人はプロなので、やろうと思えば可能である。でも、それを意識的にやらないのも、プロの仕事でもある。
ところが、複数の幼い命を奪った凶悪な犯罪を犯した容疑者だという先入観が、別に意識的でなくても、無意識にバイアスを与えてしまう事もありえる。
なぜそう思うかというと「一方的に疎外感を感じていた」というのは、容疑者が「一方的に疎外感を感じていた」というはずはなく「疎外感を感じていた」と言うはずで、そこには「一方的に」という言葉は入らない。これは、捜査本部が付け加えた言葉である可能性が高い。
「一方的に」という言葉が入ったのは、被害者の関係者は、亡くなった子供の名誉のために、子供や自分たちに落ち度がないと言い張った可能性もあるので、これらの証言を総合して「一方的に」という言葉をつけたのだろうが。逆に「一方的」になってる気がするんですよね。
現段階では、「一方的に」という、言葉をつけずに発表した方が、情報を受け取った人が、冷静にこの事件について見ることが出来るように思う。
お見合いという形で日本に来た外国人妻は孤立しやすく、疎外感を感じる事が多いと言われている。その一方で、孤立させた方は意識せずに孤立させたわけで、自分が阻害しているなんて意識なんかない。だから「一方的に疎外感を感じる」という状況となる。
しかし、だからといって「一方的に疎外感を感じていた」と報道してしまうと、その人が、勝手にそう思っているだけになってしい、その人だけが悪いという印象を与えてしまう。それって、ある意味「一方的」ですよね。
亡くなった方のご遺族の気持ちも大切です。許せないと思います。
ですが、容疑者だけが一方的に悪いように報道してしまう事で、周りの人やテレビをみてウンウン言っている人は、その人が罰せられて終わりとなることで、同じような悲劇を繰り返さないように出来るのでしょうか。
「鄭容疑者は調べに、グループ通園についての心情の変化を詳しく供述しているという。」ことなので、いろんなことが、これからわかってくるだろうけど。人のイメージって、最初の方のちょっとした一言で決まってしまうんですよね。だからこそ、今回の報道で「一方的に」という言葉を、警察発表に入れたのは、不適切だったのではないかと思う。

その他に気になったのは・・・・
「捜査本部は、鄭容疑者は長女をグループ通園へ参加させたりやめさせたりして悩んだ上で、「娘が仲間はずれにされている」と思いこむようになり、原因が周りの子どもたちにあると考えた可能性があるとみている。 」という報道もされているが、これって、あくまでも、事実かどうかまだわからない段階での、捜査本部の予測コメントですよね。でも、報道を受け取った、多くの人は、これを事実だと思ってしまうんですよね。
またもや朝日新聞に・・・・ [2006年02月20日(Mon)]
最近、私も朝日新聞に顔写真入りで掲載されたが。関係者が朝日新聞に載ることが多い。私の結婚パーティに来てくれた方は、1.2ヶ月前に、遠隔医療の件で一面に載っていたのだが。
2月20日づけの夕刊では、なんと関係者が複数掲載されているではないですか。
今回、4人が紹介されているのですが、昨年12月に試写を行った津波に関するドキュメンタリー映画の関係者が二人も名前が出ています。



12/18のイベントで、私の方のプーケットやカオラック、ピピ島などの津波後のタイの様子に対して、インドネシア側のパンダ・アチェの様子をレポートしてくれた、シバレイ君は名前だけで登場していますが。その彼の奥さんと、最近生まれてきた、赤ちゃんは大きく写真入りで掲載されている。(ちなみに、赤ちゃんの名前はイラクにちなんだ名前だそうだ)
また、下の方では、結婚パーティのとき、演奏してくれたカップルがこちらも写真入りで掲載されている。しかも、星野ゆかさんには、私のドキュメンタリー映画でナレーションをお願いしている。

世の中、いろんな出会いがあると思うけど、やさしい気持ちで、いろんなアクションをすると、新しい絆や命が生まれるんですよね。
うちもそうですけど。

彼らの活動が一面に掲載されたというより、何かを生み出しているという取り上げ方をされた事が嬉しいですね。


「STILL ALIVE」  http://www.ideaeast.net/stillalive/観光で生きているタイ・プーケットは、 ここ、数年、毎年のように、数々の苦難に襲われているが、どうにか立ち直ってきた。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害から、早い時期に復旧したにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。
それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちの生活に悪影響を与えた。異国の地に住む日本人の置かれた立場は・・・

それでも、力強く、楽しく、生きている。
そして、そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

■作品時間 45分 
■企画・制作 アイデアイースト 
■監督 東山高志  ■語り 星野ゆか  ■音楽 岡さやか 
■撮影協力 プーケット復興委員会、プーケット日本人会、プーケット日本語補習校、バトン町役場 等

上映協力者募集中
恐怖を煽る放送 [2006年02月20日(Mon)]
NHK総合 NHKスペシャルで、2夜連続で、温暖化した未来を予想した番組をしたようだ。



2月18日(土) 21:00〜21:52 NHK総合
◇近年、世界各地を混乱に陥れている異常気象と地球環境の変動の関係を2回に 分けて探る。1回目は、日本が誇るスーパーコンピューター「地球シミュレー ター」がはじき出した100年後の地球の恐るべき姿を伝える。シミュレーターに よれば、100年後の世界のCO2濃度は倍増し、気温は約4・2度上昇。東京は奄美 大島付近の気温になり、真夏日は100日以上になる。そして気温の上昇は、熱波 による死者が世界中で増加するという災害をもたらす。さらに地球の温暖化は台風の大型化を招き、ハリケーン「カトリーナ」級の巨大台風が本州に押し寄せ被害が拡大するという。

2月19日(日) 21:00〜21:53 NHK総合
◇世界屈指の計算速度を誇る日本のスーパーコンピューター「地球シミュレータ」が導き出した地球の恐るべき未来を検証する2回目。地球温暖化による100年後の生態系の変化と人類への影響を予測する。地球シミュレータによれば、100年後の地中海沿岸では耕地の乾燥化が進み、アマゾンにはアラビア半島の面積を超える砂漠が出現する。日本では北海道における稲の収穫量は増えるものの日本全体では10%の減収となる。また、現在も拡大している熱帯病のデング熱の感染危険地域は、100年後には九州南部やアメリカ南部まで広がる。一方で海面上昇が進めば、今世紀末には世界で2億6千万人もの人々が環境難民になる可能性があ るという。

ふむふむ、面白そうな内容である。

でも、なんか、やたら恐怖感を煽っている所に、どこか危険性を感じます。

恐怖感で人が動くときって、煩悩で人が行動するのと同じで、恐怖など何かに囚われて事実を見ることが出来なくなるし、あたりの環境を見渡しながら、自分の判断で冷静に判断した行動できにくくなります。

そんなことで、恐怖感を植え付けられ、正義の名の下に、何かやるという時は、多くの人は冷静さに欠けてしまい、たいへん無駄遣いをする事が多いし、新たな恐怖を生みかねない。
(最近では、対テロ戦争なんかがそうですね)


この番組のサマリーで注目するべきところは。

耕地の乾燥化というところです。これは、アマゾンの砂漠化も同様なわけですが。耕地というものは、熱帯雨林のように多様な生物がいない環境だから、環境の変化に弱いんですよね。だから生態系が環境に対応して移行出来ないということが、起きうるわけで。放送ではどのように取り上げているかわかりませんが、それが、乾燥化という形で現れるのじゃないかという話しなのではないかと思います。
森を失ったからこそ、砂漠になってしまうんですよね。



それと、二酸化炭素は、増やさないということについては賛成なのでがが・・・・

日本国内に対する温暖化ネタには、すこしネガティブに捉えすぎではないかと思います。

台風は、ちょっと困ったものですが。

東京は奄美大島付近の気温になっても、もっと暑い大都市はありますし。
もしかすると、今より、気温が上昇する方が、無駄なエネルギーを使わなくなるかも知れません。

気温が4度の時に室温を18度まで温度を上げるエネルギーの方が、気温が38度の時に室温を28度まで下げるエネルギーの方が少ないはずだ。

現在、冷房に関しては電気を使っているので、酷暑になると電力がピークになるが。冬場の暖房は、電気の他に、ガス、石油など、他の燃料を使っているから、夏場ほど電力が大量に必要にならない。

ちなみに奄美大島の名瀬市の気温と東京の気温を書き出すと以下の通りです。

奄美大島  平均気温 1月 14.6度  7月 28.4度
      最高気温    17.4度    32度
      最低気温    11.8度    25.6度

東京    平均気温 1月 5.2度   8月 27.1度
      最高気温    9度        30度
      最低気温    1度        24度

それぞれ、冬場は18度、夏場は28度に、エアコンで調節するとなると、東京より奄美大島の方が、年間で使う冷暖房のエネルギー量が少くなる計算です。

同様に、ヨーロッパやアメリカの大都市も暖房による化石燃料の消費が少なくなる可能性があります。エネルギー消費の多いアメリカの暖房に使うエネルギーが減るということは、とても大きいと思います。

来るべき未来のために、窓を開けてていも、苦にならないような、クリーンな空気になるように、自動車の排ガスを無くした方がいいかもしれません。
そうすれば、環境への負荷の少ない未来社会があるかもしれません。

てなことを考えると、地球温暖化した方が、人と地球の共存りためには、いいのかも。

そして、温暖化した時代に生きるノウハウは、いわゆる先進国ではなく、アジアやアフリカの国にあるように思います。

アジアやアフリカに学ぶ事が、これからの時代重要になってくるでしょう。


日本の稲作の件ですが。

日本は、人口が減少しているので、稲作の量が日本全体では10%の減収になっても、米の自給率が今より上がるという事が起きる可能性もありますよね。

だから、稲作の量が日本全体では10%の減収になることでは、日本自体は、そんなに社会生活が変わるという事はないかも知れません。

どちらかというと、数年後にでもいつ起きてもおかしくない、国の財政破綻の方が、社会生活を大きく変えてしまう可能性が高いと思います。

また、日本の稲作の生産能力が下がる要因としては、地球の温暖化より、農家の後継者問題の方が大きいでしょう。
農家や漁師や林業の経営者から、サラリーマンには簡単になれるが。その逆って、難しいこともあり。過疎の村や高齢化が進んだ農村では、耕していた人が亡くなったら、そのまま手入れをしなくなって放置されてしまう可能性があります。だからといって、見ず知らずの、脱サラした人にその田んぼや畑を渡そうとしないし。相続を受けた人が、かならずしも、農業の跡を継ぐとは限らない。

森林ボランティアや、農業ボランティアもいいけど。
農業や林業にもう少し簡単に参入出来るしくみを作った方が、食糧自給率を上げ。海外から燃料を使って、穀物や野菜や木材を輸入しなくてもいいような気がします。そちらの方が、環境に良いかも。

善宇宙ダンシングオールナイト [2006年02月19日(Sun)]
深夜のトランスパーティですが、カオラックの津波復興住宅で作られる民芸品の販売を行いますので、みなさん是非お越し下さい。

● 善宇宙○ダンシングオールナイト ●
     2006 3/19 0:00 心の宇宙を調和しよう
コミュ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=619346

はじまりとおわり
3月18日深夜24時〜翌19日5時まで



トランス本来がもつインド宗教哲学(勉強中)をふまえつつ、すべてをつつみこむように、心の宇宙を調和しよう・

入場料 当日¥2500 予約¥2000
(予約 03-3205-6864 またはあだっちまで)
PLUS ONEクラブ会員はドリンクがつきます


下記持参者ディスカウントあり( ¥1500 )
● WORLD PEACE NOW バッジ持参者
  (3月18日比谷野音12時〜  集会&デモ行進 参加無料
  出演/ソウルフラワーモノノケサミットなど
  http://www.worldpeacenow.jp/
◎ BE-INバッジ持参者 http://www.00911.jp/
○ TSUNAMI人形持参者 
  http://www.ideaeast.jp/tvc.html


開催場所 
◎ 老舗ライブハウスのLoftが、自由な表現・発言の場として作ったTALK LIVE HOUSE LOFT/PLUS ONE (10周年)
http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/

店長
●うくれれ

ダンサー
● 伊藤虹
○ 阿利 (楽園工房)
◎ ●TOCHI●

音楽出演

● DJ   MAL (ベルツベルグ/ゼログラム)
● DJ    r
● DJ  shigeo(1967)
○ LIVE  &DOCTOR(タイコ&曲)
    &晃一郎(ディジュリドゥ)
    &あだっち(ディジュリドゥ)
    &ポン(ディジュリドゥ他?)
○ LIVE  森羅+YuU
http://www.otter-fe.com/
http://mixi.jp/view_community.pl?id=465390


ライブペインティング
◎ 井上ヤスミチ
http://yasmichi.com


出店 

● 永月莎夜(ながつきさや)
  /占い師・カウンセラー
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=375986

● 井上ヤスミチ
  イラスト/ハガキなど

○ アイデアイースト
タイ津波関連被害での中で作られた小物
  タイプーケット津波被害後のドキュメンタリー制作
  http://www.ideaeast.jp/

フライヤー作成
● yuuka


* 調和が目的なのでチャリティーにはいたしません
* IDチェックあり
* 危険物/違法物の持ち込みはおことわりいたします
* すべてに、あらゆる人に平和と善でありますように

↓宣伝用ブログ
http://ameblo.jp/zenuchuu/entry-10009018458.html#t10005715541(作成中)

企画/あだっち&うくれれ
誤配による出会い [2006年02月18日(Sat)]
住所をどのように表示をするかというのは、基本的には法律で決まっているのだが、古い法律に基づいて、住所を表示している場合。同じ住所で何十軒のいえが同じ住所として表示される事がある。
今、住んでいる東京都新宿区四谷も古い法律に基づいた住居表示をしているため、同じ住所に何十軒もの家がある。そうなると、当然、郵便物の間違いが多く発生する。
郵便局の配達担当も、慣れてくれば間違いが少ないのだが、けっこうなサイクルで、担当が変わり。しかも、次の担当への引き継ぎがなされていないのか、担当が変わる毎に間違った投函が増える。
いまシェアドハウスをしている構成員と同じ名字の家や、一字違いの名字の家があるので、よくまちがって投函される。
今日も、間違って投函された郵便物があったのだが。今度は新しいパターンで。アルファベット表示されていたので、間違って投函されたものだった。
私の屋号は、カタカナでは「アイデアイースト」と表記するがアルファベットで「IDEAEAST」で郵便物が送られてくる事が多い。今回間違えて送られてきたのは「ASIANEWS」という事務所の郵便物だった。
引っ越してきた時からずっと、気になっていた映像プロダクションだったこともあり、これを切っ掛けに、訪問してみる事にした。
家を出て、角を曲がり、トータルで25メートルぐらい歩いた所にその事務所がある。
一応、同業者っぽいので、先日作った映像作品のことが書かれた朝日新聞の記事のコピーと名刺を持っていった。
ベルを鳴らし、ドアが開くと、今日はスタッフが出払っていて、取締役の方が一名いらっしゃった。
郵便物を渡し、同業者という事を告げ、この会社のことをいろいろ教えてもらうことにした。
この映像プロダクションは、久保田 弘信さんというカメラマンと、彼を見込んだ経営者の方で始めたプロダクションなのだそうで、主にアジアのことについて伝えている。
彼は、パキスタン、アフガニスタン、イラクなどが得意で、イラク戦争の一部始終を現地で取材したフォト&ビデオジャーナリストの一人だそうだ。
そういや、この四谷4丁目付近は、映像ジャーナリスト、フォトジャーナリストが多いようで、フィリピンのスラム街を追いかけた「神の子たち」「忘れられた子供達 スカベンチャー」などで有名な、ドキュメンタリー映画の監督である、四ノ宮浩監督の事務所もすぐ近くにあって。よく「やよい軒」でメシを喰っているのが目撃されている。(逆に言うと私も、フレッシュネスバーガーで、クラシックバーガーダブルダブルを食べている所を目撃されているのかもしれない)
※参考ページ オフィスフォー・プロダクション http://www.office4-pro.com/

同業者ということでいろいろ話しが盛り上がる。
ドキュメタンリー映像で食うのは難しいという共通の体験や、テレビニュースで取り上げられない事を伝えたいという思いなどがあると、いやおなしにそうなる。

そんなことで、去年出版したのだけど、出版社が潰れて幻となってしまった写真集を戴いてしまいました。(写真集についているDVDの本編は、別途で発売中です)



表紙は、イラクに住む、クルド人の方です。
一昨年、国連大学前に立て籠もったクルド人のカザンキランさんの顔ととても似ていたので。クルドのネタを振ったら、やはり、クルドの方でした。

イラクの取材はなかなか大変だったようで、いわゆるPTSDになってしまったそうです。何かガタっと言うと、攻撃を受けるのではないかということで、ビクッとしてしまう。私も、阪神大震災の後、少しの揺れにも過敏になってしまった事があったのだが、どうも、これも、いわゆるPTSDなんだそうだ。
なっとく。

すごく近所で、テレビニュースで見られない情報を伝えようとしている人がこんなに多く暮らしているというのは、何かの縁を感じる。

今後とも応援すると共に注目してゆきたい。


★参考サイト

アジアニュース http://www.asianews.co.jp/

イラクのDVDの購入はこちら http://www.galax-lay.co.jp/

久保田弘信のホームページ http://www.tv-asianews.com/kubota.html


★関連イベント

写真展のご案内
World Thinking Day特別写真展2006年2月5日(日)〜2月26日(日)

世界中に人のことを考える” World Thinking Day (ガールスカウト国際友愛の日)にちなみ、パキスタンや、イラクなどの子どもたちの写真を展示しています。

期 日:2006年2月5日(日)〜 2月26日(日)  期間中無休  10時〜16時開館
(土日祝日に見学希望の場合は、
(社)ガールスカウト日本連盟 写真展担当 TEL 03-3460-0701(代)
までご一報ください)

場 所:社団法人 ガールスカウト日本連盟
ガールスカウト会館内 2階 スカウトの室・エントランスホール
〒151-0066 東京都渋谷区西原一丁目40番3号
入場無料
主 催:(社)ガールスカウト日本連盟
協 力:久保田弘信氏(フォトジャーナリスト)
    中村恭子氏(写真家)
アフリカを知る切っ掛けになるイベント開催 [2006年02月18日(Sat)]
2/26に、飯田橋で、アフリカを知る切っ掛けになるイベントが開催されます。
イベント名は「第13回IFC国際交流」で、主催はあいのりに出ていたハオロンです。今回は、同じくあいのりに"ヒデ"として出ていた今澤徹男さんのトークショーや、彼のビジネスのマサイマーケットというアフリカ民芸品の販売も行われるそうだ。
ヨーロッパなら、アフリカは身近なのだが、日本からアフリカは意識の上で遠い国です。このイベントで、アフリカの総てを知るということは、とうてい出来ませんが。アフリカを知りたいと思うきっかけとなるイベントではないかと期待しています。

そして、グローバル化という世界と日本が同じになるということを指していて、具体的には、国境の垣根を越えて貧困、エイズ、戦争などアフリカで起きていることが、日本でも起きえることなんですよね。
そして、今起きている様々なことに、今、真剣に取り組んでいるのが、アフリカなりアジアの諸国などの実践している国々で。日本は実践していない経験不足の国なのです。

ここんところ「下流社会」なる言葉が流行っていますが、グローバル化が進むと「下流社会」が、日本国内のものではなく、世界的に見て下流になるわけで。今までのような生活は出来なくなる人が多く出てくるでしょう。
別に下流になることは悪いことではないのだけど、それはそれで、いままで経験していない困った問題と戦わざるを得なくなります。(中流でも、上流でもそれぞれ困った問題はありますが・・・・)
だからこそ、アメリカやヨーロッパの国々を学ぶのと同じように、これからの時代を生きるために、いま実践しているアフリカやアジアそして南米の国を学ぶ必要があるように思うんですよね。
このイベントで、学べることはほんの少しかも解りませんが、実際に経験してきた人と出会うことは、学ぶ切っ掛けとしては十分なんじゃないでしょうか。
興味が沸いた人は、是非出かけてみて下さい。



以下、ハオロンからの案内の転載です。

 アフリカの旅から帰国したばかりのヒデことJAMAA代表今澤徹男さんとハオロンの対談講演会及び質問会、そして後半は参加者同士の交流親睦会です。

 アフリカの大地で今澤徹男さんが経験したいろいろな話是非みんなで聞いちゃいましょう。

また特別に今澤徹男さんより、
出張マサイマーケットを開催していただけることになりました♪

 アフリカはケニアから直接買い付けてきたすてきな民芸品の数々。 是非手に取ってご覧下さいね♪

 詳細はコチラになります。


ホームページ
http://ifc.haolong.com/


混雑がが予想されるので
先着200名で受付を締切します。

是非お早めに御予約くださいね。
お友達との御参加、一人での御参加大歓迎です。

ここから帰るときには、決して一人では
ありませんよ♪ 2月最後の日曜日、是非みんなで
楽しみましょう!!


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なぜか前向きでたのしいオーラをもっている人
ばかり集まる、大人数、大規模、 異業種、
異文化交流会、IFC! 

多くの人と話すことで一番分かるのは
”自分自身”です。 IFCに来て是非探して
みてくださいね。
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★第13回IFC国際交流会[2月26日日曜日6pm~]
http://haolong.com/ifc/ifc13.html
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★当日の流れ:
午後6時〜  開場
午後6時半〜 対談形式講演会開始
午後7時〜  質疑応答
午後7時半〜 親睦交流会 & 
出張マサイマーケット開催
午後8時半  閉会挨拶 終了

★日時:2005年2月26日(日)6:00pm〜8:30pm

★場所:JR飯田橋駅徒歩7分
財団法人 日中友好会館 地下大ホール
http://tinyurl.com/92w9x

飯田橋駅東口から日中友好会館まで
矢印誘導[日中友好会館->○○○m]があります。
大江戸線飯田橋駅からはC3出口徒歩1分

★定員:200名 [予約者定員達し次第締切]
あっというまに毎回定員オーバーしてしまい
ますので、予定が決まったら早めにご予約
くださいね。 

★参加費: 学生2000円 社会人3000円

予約方法: ifc13@haolong.com
まで下記を参考にしてメールを送付
折り返し予約番号をメールでご連絡します。

例: Subject 第13回IFC国際交流会参加希望
国際太郎 [姓,名]
Kokusai Tarou [Sir name, Given name]
参加希望人数 社会人1名
よろしくお願いします。
-------------------------------------------
津波復興住宅民芸品の販売店が増えそうです [2006年02月11日(Sat)]
カオラックの津波復興住宅で作られている民芸品を取り扱いはじめたのですが。今までのイベントを中心とした販売から、少しずつ委託販売店舗での取り扱いの問い合わせが出てきつつあります。



お店の名前等は、近日公開できればと思いますが。大阪のアメリカ村の中のお店はTSUNAMI人形のみ販売し、兵庫県の西宮市の武庫川学院大学の最寄り駅である鳴尾駅の近くにある輸入雑貨を扱う店にも近日置かれるようになります。
東京近辺は、イベントなどで直接売るケースが多かったのですが、少しずつ、お店を拡充する予定です。

カオラックの民芸品は、ひとつひとつが手作りなので、違いがあり、店頭やイベントで実際に見てもらって買ってもらうのが一番です。
てなことで、通信販売には向かず、楽天での出品などは、しばらく見合わせです。

国内で販売したいという方がいらっしゃれば、ご一報ください。
なるべく、売りきりではなくて、どんな人が買ってくれたかとかを教えてくれるお店がうれしいです。
どんな人が買ってくれたかという情報が、カオラックの復興住宅の工場で働く人のやる気と元気につながってきます。

「個の時代」という言葉の欺瞞 [2006年02月09日(Thu)]
「個の時代」と言われて久しいが、「個の時代」という言葉に欺瞞を感じるんです。
確かに、家には個室があり、それぞれの部屋にテレビがあり、家によっては各部屋に冷蔵庫まである。そして、パーソナルメディアであるパソコンや、より身体に近いウェアラブルコンピューティングに近いパーソナルメディアである携帯電話も普及し。音楽も、みんなで聴くわけではなく、ちょっと前までは、ウォークマン、いまは、iPodで個別で聞く。そういう物理的なものを見て「個の時代」と言うようになったのだが、実際は「個の時代」ではなく、不特定な人の集まりである「マス」の時代でしかない様な気がしてならない。
日本は、かつては「組織」を重視する傾向があり、何十年という時間をかけて、その組織の繋がりを解き解いていった歴史がある。
だからといって「組織」から「個」にシフトをしているというわけではない。
ここ10年ほど、ITを活用した、個別対応のマーケティング手法が流行っているが。マーケティング的には、個別対応と言い直接繋がりを持っているとはいいつつも、選択肢の単なる順列組み合わせによる多様性を欠く選択システムであったり、最大公約数的な者の考えや、常に統計的というかマスで捉えた方法論で行われているので、「個の時代」と言いつつも、実際は、「マス」で捉えていて、決して人を「個」という捉え方をしていない。
インターネットも、「個」同士の付き合いも可能なツールだが、多くの場合は実際は見えない「個」の不特定な集まりである「マス」を対象にして、コミュニケーションが行われている。メルマガも巨大掲示板もブログも拡大化したSNSもまさにそうだ。
組織の解体すると同時に、メディアやビジネスが個人に対し、何も緩衝材もなく直接個と個別に繋がるようになったから、「組織」から「個」にシフトしているように見えているだけで、決して「個」を尊重している訳ではない。

太平洋戦争時の日本は「組織」の時代のピークで、隣組から、婦人会まで、いろんな組織化に熱心な政策で。大東亜共栄圏を旗印に、東南アジアに攻め入った時に、アジアの国の人に対しても、組織化を働きかけていた。
そういや、あるワークショップで、ファシリテーションと政治のセッションで、星川淳さんと、このあたりの話しをした覚えがある。様々な共感をすることで、絆を深めた集団が、組織となると、大きな力を出すだけに、間違った方向に向いたら、これまた大きな力を出してしまう。日本は、それが、戦争に利用されてしまったという過去をもつわけで、戦争に負けて、占領下において、様々な、組織の解体が行われ。労働力の流動性と相まったり、不公正を正すという言い方でも、組織や繋がりを解体していった。
組織の解体をして、個別化したことで、もともと個は不完全なので、組織や絆でカバーされていた個々の不完全な部分が露呈してしまうのだが。そこに、さまざまなビジネスチャンスが生まれ、サービス産業が成立するという経済効果も現れた。

たとえば、大学の進学希望は、医療・福祉系が伸びでいるが、これは介護ビジネスなど、福祉ビジネスのマーケットが、いま旬だからである。
介護ビジネスは、家族や地域という組織が解体された事によって施されなくなった事をサービスとして提供しようというものだ。介護保険という制度が出来て、いままで補完するものという立場から、一気に介護事業という大きな地方自治体の事業の柱となるように成長した。
しかし、制度を導入するに辺り、一人、一人事情が違うにもかかわらず、要介護認定という一つの物差しで、対応を決める。一つ一つのサービスは、個別になされてはいるが、必ずしも、その人の「個」ではなく、ある範囲内の不特定多数のものに対し均一に対応するという「マス」的な捉え方をしている。
これで、果たして「個の時代」なのだろうか。

また、個は不完全だからこそ、そこから湧いて出る恐怖感に基づいたビジネスも増えた。これは、個の不完全さに対応した「個の時代」の産物のようにも見える。
たとえば、個の時代になって盛んになったものの一つに、資格商法があるのだが、資格を取るということは、自己実現をすることに繋がるのだが。資格を得て、何かしらの形で認められることで、安心したいという、不安感を利用して、広がった面もある。資格は、何かしらに認定されるという仕組みのために、資格を認める人に依存する形となるわけで。これは、必ずしも「個」の確立に役立っているわけではなく、本当に「個」が確立しているのであれば、資格なんてなくても、堂々と生きられるはずである。
資格というものを得て、ひとつの属性に入れられることで、安心を得たり、信用を得たりする。これで、自己実現が出来ればいいのだが、資格に拘る人は、一つの資格では安心出来ず、次から次へと資格を取り続ける。人生、常に勉強という言葉とは違う意味で、常に満たされず資格を追い続ける。
そんなことで、資格を取ることは、必ずしも「個」を育てているわけでもないし、「個」を尊重しているわけではない。

「個の時代」を象徴するものの一つに「個性的」という言葉があるが、これも変だ。
いわゆる「個性的」と言われるものの中には、ある一定の型にはまったものになると「個性的」と言われる事が多い。ロックバンドが、それぞれの個性を売りにやっきになるのだが、個性を出そうとする行動が、けっこう似通っていて、結局似通ったバンドが増えるという現象を起こす。
似たようなことをしようとしても、どうしても似たようなことが出来ずに個性の出てくるバンドもあるので、個性を得るためのプロセスとして、個性的という枠にはまってしまおうとするのかもしれないが。
「個の時代」を象徴した「個性的」という言葉を使うときは、たいがい、ある型にはまったというか、記号性としての「個性的」である場合が多く。「個性的」と言われるものに対して、決して「個」として捉えているわけでもなく「個性的」という属性の「マス」として捉えられ扱われている。

「個の時代」と言っているけど、実際は、個を育てることもしていないし、個を尊重しようともしていない。それで、本当に「個の時代」なのだろうか。

本当の意味の「個」を育て「個」を尊重していないからこそ「個の時代」という言葉を使って、「個」を尊重しているように見せかけることで、社会のバランスを取っているのかもしれない。
東横イン騒動によって見えてきたもの [2006年02月07日(Tue)]
ここんところ、東横インの検査後の改造による、法律や条例違反の件が盛り上がっているが。おそらく、低廉なビジネスホテルブームの中。採算性から考えると、もっとたくさんの事業者が行っている可能性がある。
確かに、ルールを守らないことや、検査の後に不当改造をするという、のど元を過ぎれば何でもアリ的な発想は、社会の規律が崩壊しかねないことで、決して良いことではない。
とはいえ、なぜ、このようなことをしたのかということについて、単にルールを守らなかったから悪いと切り捨てないで、その原因を検証してゆかないと。今後も、もっと巧妙な手段を使って、同様のことを行うところが出てくるのではないかと思う。

さて、東横インは、社長が、過去を振り返り、自分自身を知り、人生を前向きにいきいきと生活し、どんな逆境にあっても楽しく暮らす方法を気づくトレーニングをした事により、ホテルというサービス業で成功したそうで。そのお礼の意味もあって、内観というそのトレーニング施設に資金を出している。そのため、他の内観に比べ、ものすごく安い値段で、そのトレーニングが受けられる。

参考 東横イン箱根国立公園内観研修所

内観のうち、集中内観は、一定の期間、面接官以外とだれとも口を利かないで、

1.していただいたこと
2.してお返ししたこと
3.ご迷惑をおかけしたこと

この3項目について、身近な人々との関係から自分自身を見つめるという事をするのですが。

内観によって、会社経営やサービス業の基本的な精神を養うことも可能だ。

それなのに、なぜ、人様に「ご迷惑のかかる」法律や条令を守らなかったのかというのは、それなりに理由があるはずだ。

いや、もしかすると、法律や条令を守らなくても「ご迷惑がかからなかった」と思っていたのかもしれないし。はたまた、守れるようなシロモノでない法律や条令だった可能性もある。
もしそうなのであれば、法律や条令を作る過程や、それを実施する方法に問題があった可能性も含めて考えていかないといけない。

まず、今回の発端となった横浜のホテルだが。

問題の一つは、駐車場である。
東横インは、駅前旅館の現代版をコンセプトにしているので、鉄道利用者を重点に置いた経営方針なので、もともと駐車場は必要としていないホテルだ。
条例で駐車場の設置を義務付けているとのことで。宿泊施設の駐車場の設置は、その地域により事情が違うが、路上駐車や青空駐車を減らす目的がある場合が多い。
しかし、神奈川県及び横浜市は、道路行政があまりよくなく、慢性的に渋滞の多く、車の総量規制も検討しないと行けないだろう地域である。しかも県庁のすぐ近くの都心部分で、しかも最近莫大な資金を投入し、百年単位で返済しないと採算の取れない"みなとみらい線"という地下鉄を最近通したところで。こういう場所には、不必要な自動車が入り込まないようにするというのが、都市計画だと思うし。近くに公共駐車場もあるわけで、それをうまく活用をした方が、横浜市なり神奈川県の財源になるはずだ。
それにも関わらず、ひとつひとつのビジネスホテルなどの建物に駐車場を設置させるより、地下鉄を利用させる方が、環境面でも効率的だと思うのだが。それにも関わらず、条例で、駐車場の設置を義務付けている。
どのような形で条例が決まったのかは、わからないが、実情に合わない、合理性に欠ける条例のように感じられる面がある。
理にもかなっていないし、実情に合わないからこそ、守られない。


その他、多くの人の反感を買った、車椅子用の部屋だが、現行の法律や条令に従って作れば、転用が利かない上、利用者が少なく、空室になるという事情がある。
東横インのように宿泊に特化した、低廉なビジネスホテルは、稼働率を高くすることで、安くサービスを提供し、利用者に利益を与えており。顧客満足度を高めることで、リピーター客を増やし、広告に掛ける費用を減らしたり、稼働率を安定させたり、利用者数の予測を立てやすくすることで、稼働率を確保し、低料金を実現している。
ここで問題なのは「転用が利かない」という所だと思うんですよね。
「転用が利かない」ということで、物理的に空室になることで、コストが上がり、利用者に不利益になることは、ホテルとして大きな問題とも言えよう。
ユニバーサルデザインを提唱するなら、車椅子の使える部屋も、車椅子専用にするのではなく、一般の部屋としても使えるような、兼用の部屋と設計するべきであろうし、それで許可をおろすべきであろう。共に一定の水準のサービスを提供させるようにすべきである。
障害者の行動の自由を確保するという事はとても大切なことなのだが、そのために、まだ利用客となっていない人のために、使われない無駄な施設を作るというのは、権利の行使のしずぎとも言われかねない。
現状では、車椅子用の部屋に一般の人を入室させないのは、車椅子の方にはホテルとしてのサービスを提供できるのだが、普通の方にとってはホテルとして最低限のサービス(ホスピタリティ)を提供できないから入室させないのである。
そういう設備を、法律や条令を盾に設置を義務付けられるのは、ホテルとしてはたまったものではない。
重ねて言うが、障害者の行動の自由を確保することはとても重要なことだ。
だからこそ、車椅子の方も、普通に宿泊される方も共に、ホテルとしてのサービスが提供できる仕様を設定し、法律なり、条令に盛り込むべきだろうし、行政として、そういうデザインを提唱していくべきだろう。

その他、ロビーのスペースの広さを確保する条例などにも違反した改造をしたようだが。これも、宿泊特化型のホテルで、宿泊のみで採算を取るというコンセプトのため、広いロビーのスペースや会議室のスペースが必要がないホテル形態なのに、条例などで義務付けられた事によりコンセプトとのずれが発生した可能性がある。
東横インの改造が、防火や耐震など構造的なものなどで安全性や快適性が他の部屋と同様に確保されているのであるとするならば、宿泊客へのサービス的には問題はないだろう。東横インのコンセプトを気に入って、来ているお客さんは納得しているから、今まで問題になっていたのであろう。問題にしているのは、行政サイドである。
宿泊施設のビジネス形態は、様々なスタイルがあるのだが、それらの多様性を理解せずに、一律にある形態の宿泊施設をベースに、条例などを決めてしまったために発生した可能性がある。

繰り返して言うが、東横インがルールを守らなかった事は、良くないことだ。
だからこそ、ルールを守らなかったことを叩くのは簡単である。
しかし、それでは、問題の根底にあるものは解決しないように思う。

なぜ法律や条例が守れなかったのかということを追求する必要があるし。そもそも守れない法律や条令だった可能性もあるわけだし。その場合、守れない法律や条令がどのようにして成立したのかの過程までも含めて問題が無いかを追求しないと、問題は解決しないと思う。
たとえば、もう少しルールを決める過程に、ホテル事業者などの現場の意見を取り入れたり。新しいスタイルが入ってきたときに、再検討するような仕組みが、無い、または機能していないという、合意形成不足の問題もあるだろう。
合意形成のシステムが不十分だからこそ、後でルールを守らないという形で、不満が出たというかたちが今回の事件だろう。
だから、建築がらみだからということで、耐震偽装問題とごちゃ混ぜにしてしまうと、話しがおかしくなってくる。


今回の東横インのケースの構造を身近なことで例えるとするならば・・・
ある学校に学生服のズボンの太さに対する校則があった、体育会系のクラブの生徒は、足が太いため、太いズボンを履いたら、校則に引っかかった。朝礼の時に検査があるので、その時は、苦しくても、細い規定のズボンを履いたが、やはり苦しいので、次の休み時間に履き替えたら、それを誰かにデジカメで撮影されて、先生に怒られた。
ズボンがパンパンになって履きづらいから、履き替えたと先生に主張したが、先生には、「学校の規則だから守りなさい、守らないと、退学してもらうよ」と、なぜ、そのズボンの規定が出来たのかの説明もなしに、頭ごなしに言われたので、とりあえず謝った。
周りの生徒たちには、無責任にズボンの件で校則を破り先生に怒られたヤツというレッテルを貼られてしまった。
そこには、校則自体の正当性を検討する仕組がない。
いつか、また他の生徒も同じように太いズボンを履いて、理不尽に怒られることになる。

身体障害者施設という、誰が見ても正当性のある事で隠れてはいるが、今回の件のキモは、そこではなく、法律や条令そのものの問題である可能性がある。

おそらく東横インと同じように、法律や条令に対し、理不尽だと思っているホテル経営者は山ほどいるはずで。法律や条令の制定や実施にうまくからめて行かないと、常に、違法行為予備軍を持ち続けることとなり。今後も、同様なことを行うホテル経営者が出てくるかもしれない。

企業のコンセプトと法令とのせめぎ合いの中で、結果として東横インがルールを守らず、隠れてこそこそやったという事を責めるのは簡単だが。
今回の件を通して、どのように合意形成をして、法律や条令を作り、それを常にチェックしていくかという事を考えていくことが大切だと思う。
それは、建築基準やハードビル法だけの話しではなく、身の回りにたくさんある事で、住民や事業者がどのようにして、改善していくことに参加出来ていない今の行政や立法の問題を浮き彫りにしているように思う。
法律や条例によって、その企業の良さを消してしまうという事が民業の圧迫という言い方できるのだが、今回の件で、行政の力が増すことにより、法律や行政の善し悪しを検討するまもなく、企業のコンセプトの良いことを潰すような民業の圧迫が正当化される前例を作ってしまった可能性もあるので、注意して見てゆきたいところだ。
祖父とスカルノ大統領 [2006年02月07日(Tue)]
1月25日に生まれたわが息子の頭の形が、私の祖父と似ているということで、祖父の写真を探したのだが。手元にあった祖父の写真は、インドネシアの初代大統領のスカルノさんと一緒に撮ったものしかなかった。
スカルノ大統領は、1965年の9.30事件で事実上失脚し、その後、順次スハルト政権に移ってゆき、しばらくして亡くなるわけだが。その失脚後から亡くなるまでには、謎が多いといわれている。
祖父は、1965年の9.30事件の時に、スカルノ大統領との付き合いがあり、大統領から、逃げろといわれ、着の身着のままの状態で、ジャカルタを後にし、バンコクそして香港を経由して日本に戻ったと、幼いころから何度も聞いている。そのころ、あまり疑問に思わず、単純にインドネシアに紡績工場を作りに行っていたという認識をしていたのだが、インドネシアではスカルノ大統領が失脚しスハルト政権になってから、外資を導入し工業化を図っている事からすると、祖父が工業化のためにインドネシアに行っていた時期は、それより少し早いことになる。
そこで、なぜ、あの時代に祖父がスカルノ大統領と会っていたのかのそ時代について改めて調べてみることにした。



とはいえ、手元にある文献は少ない。
ラオスへの出張の前に買った東南アジアを知る事典を読んでみる。

スカルノさんは、1901年生まれ。昭和天皇が1900年生まれということで、昭和生まれの人にとっては、どのぐらいの歳かというイメージがつかみやすいだろう。ちなみに、私の祖父とスカルノさんは、生まれた年は1年ずれているが、ほぼ同い年ということがあって、親密になるきっかけのひとつがそこにあったのだろう。
20世紀になったばかりのインドネシアのあたりは、オランダ領東インドで、19世紀ごろからの植民地とする過程で、圧倒的な物資などを使って文化や産業を単純化させるとともに、オランダ領としての統制のために、現地の有力者を西欧化させる教育をさせたり、倫理を押し付けたりして、管理しようとしていたようです。それが、逆に、オランダ領東インドというより、インドネシアという領域を意識させ、民族主義の生まれる土壌を作ったようです。
この発想って、今も基本的にはあまり変わっていいないかもしれないですね。国際基準を先進国側が、
スカルノさんは、ジャワ人の父とバリ人の母との間に生まれた、今でこそ国はひとつだけど、異民族間のハーフとして生まれている。そして、進学し工業大学を卒業したということでも、インドネシアという地域を管理する地域の有力者層であったことがわかる。ちょうどそのころ、民族主義の運動が盛んだったこともあり、活動に没頭し、投獄されたり流刑されたりする。
私の祖父は、名古屋の工業関係の学校に通っているころに、大正デモクラシーの影響で、電車が焼かれたことがあり。その電車から逃げたと言っていた。
当時は、帝国主義と民族主義、民主主義の間で、いろいろ揺れ動いていた時代なんでしょう。
当時の日本は、西洋的な近代国家を形成するのに成功していたため、名誉白人という待遇で、インドネシアに出入りしていたようです。とはいえ、個人商店レベルでのインドネシアに進出していたようで。企業レベルの本格的なインドネシアへの進出はしていなかったようです。
そして、太平洋戦争の時に、インドネシアの資源を目当てに、大東亜共栄圏という、反帝国主義なんだけど、帝国主義をうちあげて、インドネシアに入り込み。オランダを追い出し、軍事教育を施す。
どうも、日本は、オランダを追い出し、アジアの独自性を打ち出すイメージ作りのために流刑されていたスカルノさんを助け出し担ぎ上げた一方。スカルノさんは、日本の思惑をわかりつつも、独立のために必要だということで、日本の軍事教育などを受け入れていたようです。ここで、日本との関係が出来たのでしょう。
日本が敗戦し、1945年8月17日にインドネシアの独立宣言をするが。その後、再植民地化しようとするオランダに対し独立戦争が5年ほど続く。このとき、撤退した日本軍が使っていた武器や、日本の軍政によって行われた軍事教練が役に立ったようです。
一度は、議会制民主主義をやろうとするが、うまくいかず、民族主義、宗教、共産主義の三者の団結を呼びかけたりと、いろいろ試行錯誤しています。
でも実際は、共産主義と軍隊のバランスで政治が動いていて。オランダこそいなくなったが、いわゆる指導者層が統治するスタイルは変わらなかった。オランダの持っていたプランテーションを国有化するときに、軍人やその周辺の人に管理をさせたことで、結果として軍の力が強くなることになり、後々に軍出身のスハルトさんに政権を渡す一因を作る。
また、国際的には、インドネシアは、西側にも東側にも属さない、独自の立場を貫こうとする。アジアアフリカ会議というものを開いたりして、積極的に活動をする。このころ、大国の支援を受けることが出来るが、同時に大国の言いなりになってしまうということを警戒して、IMF(国際通貨基金)を利用しないなどの対策をするが。結果として、それが、国の財政を困難にさせてしまう。IMFなどの、いわゆる西欧諸国からの資金を得ずに、国を発展する方法として、太平洋戦争の戦勝国として、日本に対しての戦後保障を利用していたようで。成功はしなかったものの、植民地化されたとき文化や産業を単純にさせられたために発展しなかった工業化に取り組んでいた。そこに、私の祖父がインドネシアに行った背景があったのだと考えられる。
さて、工業化に取り組んでいたにもかかわらず、成功しなかった背景には、日本からの戦後保証のお金が、どうも、偉い人の懐に入ってしまい、工業化にうまく回らなかったということがあったらしい。植民地時代に、植民地を管理をするために教育を受けた地元の有力者たちは、お金の価値やそのおいしさを知っていたがために、ついつい手を出しちゃったのかもしれません。その欲望?を満足させつつも、工業化に取り組めるだけの資金としては、日本の戦後保障で支払われる金額が必要とする量に比べて多くなかったため、じぶんたちの懐を暖めるだけで終わってしまったという事なのかもしれません。まずは、自分が大事ですからね。
その後、スカルノさんは、国際的な独自路線を鮮明にしようとして、共産国である中国に近づこうとするわけですが。
それが、イギリスやアメリカからすると面白くなかったようで。イギリスの影響の大きい、マレーシアやシンガポールを基点に、インドネシア工作をしたり。アメリカは、軍に擦り寄って、スカルノさんと共産党を同時につぶそうとしたようです。このとき、イギリスのMI6やアメリカのCIAなども動いていたという説もあるようです。
てなことで、1965年9月30日に、スカルノさんが失脚し、軍の関係者であるスハルト政権になり、欧米帰りの人を使い、外資を導入して、インドネシアの産業は発展してゆくんですが。外資を導入して一番メリットがあるのは、やはり外資だけど、発展することのメリットはある。しかし、オランダの植民地という直接的な感じではないが、支援などという、現代っぽいオブラートがかぶせられただけで、資金、物資、武器、教育、文化などでいわゆる先進国が縛っていく基本的な方法は、変わっていない気がするんですよね。戦争中は日本もそうしていた(なるほど、名誉白人なわけだ)。
日本のこの10年の傾向としては、いわゆるIT系ベンチャーって、上場をひとつの目標にしているのだけど、外資に買ってもらって、創業者利益を得るって事をひとつの夢として起業するケースが多いのだけど。実際は、技術大国としての日本に対しIPという国際規格を利用し、独自の技術を育成するより、国際規格に追従するというスタイルに変わってしまい、教育と文化のイニシアティブを握られちゃいました。これも、武器こそ使っていないけど、圧倒的な資金力と物資と教育、文化を連動させて、適度に一部の人に利益をもちらしながらも、進めていくというスタイルは、19世紀ごろからの植民地政策とあまり変わらないように思える。
様々な支援活動も、成果を上げているところもたくさんあるが、貧困など多くの問題が解決しないままなのは、支援という制度を利用して、圧倒的な、資金、物資、教育、文化を、いわゆる途上国に与え続けていることも、実際は19世紀ごろからの植民地政策とあまり変わらない要素があるからだとも言える。
しかし、そういう文化を享受し、教育を受けた人の中から、問題も多く抱え、決して成功はしなかったとはいえスカルノさんのように、自分たちの独自性を求めた人も出てきているのがとても興味深い。

さて、祖父がスカルノさんに「逃げろ」と言われた理由なのですが。
軍事政権からすれば、スカルノさんと親しい人間や協力者は、都合の悪い人間であった事があるのではと思われる。政権が変われば、以前の政権は悪者として扱われ、その周りの人も、あまり良くない人になってしまうのは仕方のないことだ。
そして、祖父が、インドネシアから、タイ経由で逃げた理由は、イギリスの影響の大きかったマレーシアやシンガポール経由では、身の安全が保障できなかった事が予想される。

それから40年たった今日、日本は、戦後保障というカードを使い、スカルノ政権から、スハルト政権へのシフトに成功し、最大の投資国、援助国であり、輸出国の地位を保っている。9.30事件で暗躍したのではないかといわれるイギリスやアメリカは、思ったよりインドネシアに進出していないとも受け止められるが、インドネシアが付き合いのあるたくさんある国のうちの一つと考えると、石油やゴムや鉱物資源など必要なものが必要な量だけ抑えられたら、そんなに深く食い込む必要など、もともとなかったのかもしれない。
そして、1998年にスハルト政権が終わり、ボトムアップ型の民主主義を取り入れる試みをするなど、民主化の潮流にあるのが今のインドネシアだといわれていますが。オランダ領時代からスカルノさんの時代を経てスハルト政権と長年培ってきた縁故関係による支配は、そう簡単には崩れない。
もしかすると、日本が民主化の阻害要因の一因なのかも・・・。
こうやって見ていると、自分の国のことなのに、他の国の思惑に翻弄され、自分の国だけで解決できない事を感じざるを得ない。
そして支援活動も、時には、他の国の思惑を実行する手段として使われ、自分たちでやろうとする国を翻弄する。
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ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」