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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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戻りつつある日本人客(プーケット) [2005年08月31日(Wed)]
パトンビーチにある飲み屋が、日本人観光客が戻りつつある中、本日をもって閉店となった。
日本人が経営しているダイビングショップの隣にあるこの飲み屋は、毎晩のように、プーケット在住の方など、日本人が気軽に来れる「場」となっていた。
しかし、津波後は、日本人観光客が減ってしまい。日本人を相手にしていたこのお店は、大きな打撃を受けた。
プーケットのパトンビーチは、津波の被害を受け、車が流されたり、いちばんの繁華街のあたりでは胸あたりまで水に使ったりしたのだが。一週間とか、一ヶ月という、かなり、早いうちに、瓦礫が撤去され、通常の状態に戻っていた。
しかし、津波直後は、キャンセル料が発生するということからか、津波後は、しばらく、日本人観光客もいたし。報道関係が詰め掛けたということがあったのだが。
キャンセル料がかからなかったり、低額になる、津波の後10日ばかりたったあたりから、日本人観光客は「0」になったそうだ。
津波から半年たった、7月あたりから、リピータの人を中心に、少しずつお客さんが戻り、お盆のあたりの8/10あたりからは「忙しい」と感じるほど、日本のお客さんが戻ってきたそうだ。
それにも関わらず、ここ、2.3日パトンビーチの一番の繁華街を歩いている限り、6月の時と同様に、日本人観光客は見かけなかった。
しかし、日本人のお客さんは、確実に来ていて、日本人対象のオプショナルツアーには、何十人という人が参加し。日本語に対応した、インターネットカフェには、何組かの日本人観光客がいた(なぜか関西系が多い)。また、パトンビーチより南にあるカタビーチのホテルにトイレを借りに行くと「あの日本人、トイレに走っているで」という声が聞こえたりと、6月に来たときより確実に日本人観光客がひたひたと、増えてきているようなのだ。
さらに、まだ、リピーターが中心のようなのだが、初めてプーケットに来た人もいるようだ。
まだ、採算ベースに合っているのかはわからないが、少しずつ、確実に観光客が戻りつつあるようなのだ。
しかし、観光客が戻りつつあるとは言いながらも、間に合わないところもある。
それが、この飲み屋さんだった。
観光客でにぎわう繁華街とはいえ、地元の交流の場となっている飲み屋さんは、観光客も大きなマーケットだが、どちらかというと、プーケットで働く日本人の憩いの場としての機能も大きい。
だが、日本人観光客を相手に商売をしている、日本人の憩いの場は、日本人観光客の減少による収入が減り、飲食費の削減せざるを得なくなり、お客さんが減ったり、客単価が下がってしまったようなのだ。
そのうち、家賃も滞納する状態になり。日本人観光客が増えているにも関わらず。
景気が良くなることを待てずに「閉店」となってしまった。
最終日の今日は、399バーツ、食べ放題、飲み放題のスペシャルデーとして、お店を開放。お酒の在庫一掃処分大売出しとなった。
お客さんは、セントラルで客待ちしているタクシーの台数を有に越える人数(どんな例えや)。プーケットだけでなく、日本からもこの店の閉店を名残惜しむ方が殺到した。
樽生のチャンビールを複数用意していたのもすっからかんです。2樽以上のビールをお願いすると、なぜか、ビールを入れてくれるおねーちゃんが付いて来るというおまけもあり、お店の前は、人人人の人だらけだ。
日本人がやっぱり多いのだが、いろんな国籍の人が集まっている。この店って、本当に愛されていたのだということが良くわかる。
そして、最近この店を知った方も、創業当時から知っている人もこの店との別れの宴を楽しんだ。
結局、私は、朝6時ごろまでいたのだが。まだ、宴は終わっていない。

この宴は、次に続くための宴だからこそ、終わることはないのかもしれない。

プーケットというリゾート地で働く日本人の多くは、どこかの会社なりに現地採用の日本人として働いている。そんな中で、20代から起業して、10年ぐらい経営を続けている30代の人は少数派で、この飲み屋さんも、その貴重な地域を支える若手の一人として、様々な、地域のプロジェクトに関わり活動をしてきた。
お店を閉じ、プーケットを去り、バンコクで働くこととなったとはいえ、今夜、宴に参加した人は、また、なんらかの形で、ここで、つながることを誓い合っているようにも感じた。


■もっと、津波後の風評被害についての記事を読む
地雷を踏んだゾウと燃料代の高騰 [2005年08月29日(Mon)]
今朝のバンコクポストという新聞に、地雷で足を失ったゾウさんの記事が
載っていました。左前足に義足をつけて、歩いている様子が掲載されていましたが、とたも、痛々しい姿でした。

かつては、様々な運搬を、ゾウが行っていたのですが、トラック輸送にとってかわられ、神聖で信仰の対象であったはずのゾウという生き物も減ってしまい。
今では、観光目的で買っているという感じです。同時に、ゾウ使いも減ってしまっているそうです。(とはいえ、バンコク市内でゾウが歩いているのを見ましたが
・・・)

ゾウも、人と、共生していた面もあったのに、いまは、その姿もまれになり、同時に、ゾウの個体数も減少していっています。

ゾウは、トラックに完全に役割を譲り、近いうちに、下手をすると、種が絶滅してしまうかもしれません。

そんなトラックですが。

今、タイでは、ガソリンが高騰していて、6月から8月までのあいだに、約3割、今年になってから約5割も値上がりしてしまいました。

タクシーの運転手も、ガソリンが高騰したのに、メーターの決められた料金しか請求できないので、収入が減って困っていて。メーターを使わないタクシーも増えてきています。

ちなみに、今日利用した青と赤に塗られたタクシーには、ボートに乗った運転手の写真が飾られていました。
かつては、水の都といわれていたバンコクも、水路が埋め立てられ、船頭さんの仕事がなくなり、タクシーの運転手に鞍替えしたのでしょう。
そして、船頭だった自分の姿に、誇りをもっているのでしょう。

青と赤に塗り分けられたタクシーは、会社からタクシーを借りて、営業しているタクシーで、手持ちのお金が少なくてもタクシードライバーになれるようです。
しかし、タクシーのレンタル料や、ガソリン代を払わないといけないわけで、完全に実力主義の厳しい世界です。

ゾウや手で漕いでいた船は、ガソリンの値段が上がっても、あまり影響を受けないのですが。
グローバリズムの中に巻き込まれ、荷物を運ぶにしても、人を運ぶにしても、ガソリンの値段に一喜一憂しないといけないようになっているようです。

値段が上がっているといえば、ディーゼルエンジン用の軽油の値段が上がっています。産業振興のため、いままで、安値で売られていた軽油ですが、今では、ガソリンとあまり変わらないともいえるぐらいの値段になっているそうです。

船の場合、けっこう、深刻で。出航するとき、最初の加速で約1ガロンの軽油を使うそうで、軽油の値上がりは本当に洒落にならないそうです。

物質的に豊かでも、石油の値段で一喜一憂しないといけない状態が、本当の豊かさなのか考えさせられてしまう。


■もっと、貧困問題についての記事を読む
盗まれた時間 [2005年08月27日(Sat)]
全国環境教育セミナーのオープニングで、カップリングしたNGOナマケモノ倶楽部世話人の辻信一さんの講演を聞いた。
といっても、私は、次の「天の浮舟」の音響・音効の仕事と兼任で、講演の音響効果のお手伝いというスタッフの立場で、舞台袖から聞きました。
辻さんとは、池袋の飲み屋さんで、一度会っていて、今日、カップリングするという事を言っておいたので、当日を楽しみにしていました。
今回は、「これからの環境教育への期待」〜スローな社会を目指して〜と題し、「ぼくたちは援助だとか支援なんて旗を立てて植林なんかするけれど、実はぼくたち先進国が背負っている時間や文化が世界をここまで追いつめたんじゃないかってことに気づいたわけです」なんて事を話したのですが。
その中で気になった言葉は「時間どろぼう」という言葉でした。
ミヒャエル・エンデの「モモ」という、時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語。大学のドイツ語の時間に「モモ」を読んだときには、この時間どろぼうの概念がわからなかったが、いまになって、わかってきた。そして、大学の時に、なぜ、時間どろぼうの意味が分からなかったのかも解ってきた。
今の世の中、手軽で時間を節約する製品が増えている反面、妙に忙しくなっている。忙しくなることで何が起こっているかというと、自分や自分の大切にしている人との時間が減っている。これは、時間どろぼうをされた結果の一つなのだ。
「ビジネス busi・ness 」という言葉があるが、これは「忙しい bus・y 」という言葉が語源である。
IT系の展示会のナレーション原稿で、締めに近づくあたりで、よく使う慣用句として「ビジネスは加速する」「加速するビジネス」という言葉だが。とにかく、忙しくなっているという事だ。
IT機器を利用して、時間を効率的に使うことで、自分のための時間を確保し(奪われた時間を取り戻し)たらいいのですが。実際は、確保した時間に、さらに詰め込むという事をしている。そりゃ、IT機器を入れりゃ、忙しさが加速するよな。
あるIT系の専門学校の広報をやっていた人(今は京都かな)は、7.8年前、ITで効率化して浮いた時間を、人と会う時間に変更したと言っていた。彼もビジネスマンですから、仕事に使うのでしょうが、夕方以降はデスクワークをしないそうだ。そうすることで、ビジネスマンとしての人間関係の構築をしていっていたようだ。
彼は、スローライフでこそないけど、泥棒によって奪われた時間を取り戻す事を行っていたと言える。だから、情報に惑わされず、情報に時間を取られることを最小限にして、必要な情報を取捨選択し、ビジネスに繋げると共に、自分を維持する事ができているのだろう。
いろんな形があるのでしょうが、盗まれた時間を、どう取り戻すかで、自分なりの人生が決まってくるのだろう。
辻さんの提唱した、「スローライフ」という生き方も、時間どろぼうから、時間を取り戻す方法なんですが、これ以外にも、もっと時間を取り戻す方法があるのではないかという気がしています。
自分にあった、盗まれた時間の取り戻し方があるのではないかと思います。

ちなみに、ライフデザインコーチ 【にいにい】さんの9/7の記事に面白い事が書いてあった。

>・お金について
>・情報リテラシー
>・自分で人生を創る
>そんなことを学ぶ時間を割いてもいい気がする。

これって、時間どろぼうと戦うすべが、教育として、伝わっていないという事を指摘しているわけで。ミヒャエル・エンデの言おうとしていた事と、なんかリンクしている様な気がするんですよね。


そうそう、「天の浮舟」は、お陰様で大好評で、NPOレインボーには、出演依頼がいろんな所から来ているようです。
今回は、定員150名という事だったので少しの人しか見れなかったのですが、今度は、同じ北区で広いところでやります。10/28に「北とぴあ」で、東京都北区の環境健康都市宣言記念イベントにて、アグネスチャンさんと田中優さんのトークセッションと共に行うのですが。どうも、噂が噂を呼んでいるようで、「天の浮舟」への期待が高まっているようです。

東京都北区環境健康都市宣言記念イベント
http://rainbow.gr.jp/kitaku/



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戦火に巻き込まれなかった街にあるカフェ [2005年08月16日(Tue)]
大阪での打ち合わせがあり、梅田から少し離れたところにある、カフェに向かった。そこで合う方から「地元の人でも迷うし、奇跡のような所です」なんて、言われていたので、携帯電話のGPS機能を利用する。
以前、仕事や、音楽活動の都合で、あのあたりは、うろうろしていたのだが、近くにある小学校は知っていたのだが、今まで、入ったことのない路地を、GPSが指している。とにかく、細い路地を入ると、古い長屋がたくさんあり、そこに、何軒か、面白そうなカフェやお店が点在する、不思議なエリアがあった。
その中の一軒が「天人(あまんど)」という、コミュニティカフェだ。
ここは、古い空き家を活用しようという企画から始まったカフェで、築120年の民家を利用しており、出来てから4年が経過したそうだ。
ちょっと不思議で、なつかしい感じの空間だ。そして、昨日の凡愚とは少し違った、気持ちの良い雰囲気をもっている。
それは、ものを大切にする心だ。
このカフェも、古い空き民家を利用しているのだが。
実は、ここにある全てのものが、再生品を利用している。
しかも、全て、近所の人から不用品をいただいたものなど、無料でいただいた物である。
だから、釘一本も、伸ばして使ったりしているので、お金を使っていないという。
パソコンも、テレビも、CDも、蔵書も。全て、いただいたもの、言い換えれば「GIFT」されたものであるという。
装飾に使われている、不思議な穴の開いた紙は、古い織物を作る機械の西陣織りのパターンを記した紙である。これって、紙でこそあるが、再生装置が使えなくなった、不要なデジタル記録媒体である。
ここには、こういう、使えるけど、いらないものが、適度に集まってくる、空気があるのだ。
若い人が、面白いことをやっているのを、面白いと思ったということなのか、地域の方も、そこで、必要だと思われる、自分たちが不要なものを持ってきてくれたそうだ。
よく、大きな災害があると、救援物資を被災地に送るということがあるが。その多くは、相手のことを考えず、自分の思い込みでこれが必要だと思って実際には役に立たないものを送りつけるならまだしも、ただ単に自分が不必要なものを、これ幸い?かと、送りつけているという現状がある。
被災地で、援助物資の受付けを担当する人は、この送られてきた不用品の処理に奔走することとなる。
さて、話は、このカフェに戻るが・・・
このカフェの場所を貸し出したり、地域の方が必要なものをもってきてくれた背景には、60年前に戦火に巻き込まれなかったことがあるのではないかと思う。
大阪は、激しい空襲にあったにもかかわらず。この一帯は、お地蔵さんが多く、そのお地蔵さんに囲まれた地域だけが、戦災から免れ焼け残った。
その焼け残った有り難いところを、そこに住んでいる方が亡くなり。住む人が居なくなったことで、廃屋になり、取り壊してしまう事はもったいないから、新しく大切にしてくれる人を招き、その人に不要でも、役に立つものを提供しようという発想が出来上がったのだろう。
また、この家が出来てしばらくしてからの様子も住民から語り継がれていて。明治から大正時代の頃には、屋根裏部屋みたいな2階に8人の方が共同生活で暮らしていたそうだ。そして、いま、また、カフェという違う形での共同生活が始まっている。
こういう話が伝わっているところも、戦火に巻き込まれず、コミュニティが維持されたからできる話であり。そんな地域のコミュニティが、新しいコミュニティを取り込み。地域の伝承が続こうとしている。

カフェを出て、歩いて5分で、毎日放送とLoftがあるという都心に、古い民家を改装したカフェとそのカフェを支える地域の方、そして、そのカフェの魅力に取り付かれ、カフェを手伝っている方の、ものを大切にするコミュニティが存在するのだ。


天人

そこを訪れた人はすべて、天下人になる場所。
一人一人が自分の存在を思い出し、社会での役割を定めていける。
すべてが、この星の一部として機能し、いべてに還元されてゆく。
人生の時間が芸術となった時、その人は光り輝く。

幸せはその昔、与えられるものではなかった。
誰に与えられずとも、人それぞれが幸せ自体だったから。
人が大地と調和して、すべての人がそれぞれの道で天下人となったとき
人類は celestial being (天の人)になる。
              Salon de AManTo 小冊子より

この天人では、そのほかにも、Cafe大学や、環瀬戸内海での展開など、様々なプロジェクトがあるので、またの機会に紹介したい。



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プーケット情報少しずつ露出中 [2005年08月09日(Tue)]
6月に2回にわたって、プーケット入りしたのだが、同行した同居人でもあるライターの書いた記事が、やっと掲載されだした。
それにしても、8月になってやっと・・・ということだが、遅くなった理由としては、ロンドンでテロがあったり、掲載日が決まった瞬間に、インド洋で大きな余震が起きたり、日本人の乗ったスペースシャトル「ディスカバリー号」がなかなか発射出来なかったりと、掲載が延期、延期となってしまったのだ。
津波の後、日常に戻っているプーケットのような記事は、緊急を要さないネタなので、どうしても、後になってしまいがちだ。(これを逃していたら、衆議院解散&小泉さんの靖国問題でぶっ飛ぶ所だったかも)
自分の書いた記事ではないが、同時に取材をしてきた内容が、記事として露出し、多くの人に読んで頂けるのは、とてもうれしい。


8/4(3日発行) 夕刊フジ 20・21面 (夕フジblogにも記事が掲載中)
8/15-22号(8/8発売) AERA 52ページ 
 #AERAは、タイ国際航空の機内に積んでいる日本語の雑誌のひとつで、タイに関係のある日本人が読んでくれている可能性が高いと思われる。さて、どれだけの人が、読んでくれたのだろうか。

それにしても、夕刊フジもAERAも、掲載されている場所は、いずれも、トップ記事ではないが、比較的目立つページに載っている。
夕刊フジ、AERA共に、記事のスペースは大きくないが、夕刊フジは、中面なのでとても目立つし。AERAは、厚手の紙を使った、最新アジア俳優特集のトビラページと対抗に掲載され、しかも、2週間連続で販売される。
どういう経緯で、こういう所に載ったのかはわからないが。津波のことについて、多くの人に読んでもらうため報道したことで、悲惨なプーケットのイメージが付いてしまった事へについての、ジャーナリストとしての自責の念も働いたのではないかという気がしてならない。
テレビ局の人も言っていたが、放送として流せる(売れる)ものと、伝えたいことが一致しない事が多いらしく、自分の裁量権の中で、いろいろ工夫をしているらしい。

話しは脱線するが、こういういろいろな工夫が、表現能力や、芸術性を高めたりすることがあるという。
「映画から見えてくるアジア」という本の中に、検閲と映画表現について書かれていたのだが。国家的な検閲ほどではないが、様々な制限や制約があるなかからも、素晴らしい作品は出てくるわけで。自由に作品を作れるからといって、必ずしも、良い作品が出来るとは限らない。

今回、良いスペースに掲載してもらったことが、素晴らしい表現になったと言うことではないが、商業原理からくる様々な制限の中で、いろんな工夫をしていることの一端なのでは・・・と、思われる出来事だった。

ということで、読むだけでは面白くないので。

さっそく、掲載された記事を持って、リサーチをしてみた。

かつて、バトンビーチにも行ったことがある、タイ語の書かれたTシャツを着た大学院生は、こんなに早くプーケットの街が復旧していた事に驚いていた。そして、また、行ってみたいと言っていた。

仙台市内にある、旅行代理店の方にも、お話しを聞いてみた。
出てくる、ホテルの名前などで、いちいちウケながら記事を読んでからのお話しだったのだが。
津波以降の客の対応としては、お客さんの要望がないかぎり、プーケットの話しはしなかった。もし、話しを聞かれても、いまひとつ、現地の情報が乏しくて、適当に答えざるを得なかったそうだ。
今回の津波で浜がきれいになったという話しなどは、お客さんに説明するときに、有用な情報なので、このネタは使わせてもらいますと言って、とても感謝されました。
旅行代理店として、現地の情報を多く知っているということが、顧客の信用に繋がるそうで。プーケットの現状の情報を話すことは、直接的には、プーケットへの顧客誘導にはならないが、旅行先としての選択肢から外されていたプーケットを、せめて選択肢の中に戻す事になる。
この方も言っていたのだが、世界中に様々なリゾートや観光地があり、代わりはいくらでもある。だからこそ、選択肢の中に戻ることはとても重要なことなのだ。
今回の記事で、プーケットに行きたいと思う人は極めて少ないと思うが、せめて、旅行先の一つの選択肢としてくれる人が増えることを期待したいところだ。


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ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」